Ancient Artifact(エンシェント アーティファクト)

黒之輪

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第二章 父の面影

35.父との再会

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 父は子どもの頃に死んだ。
 依頼屋クライアの仕事中に起きた、不慮の事故によって。しかし今、目の前にいる彼はまさしく。

「どうして……」

 嘘であってほしかった。
 妹セーラの死を冒涜した、仮面の男の正体は――。

「……父、さん」

 ラインが力無く呟く。彼の言葉に皆は驚愕した。聖南はラインとその父の顔を何度も見る。

「ライン、久しいな」
「父さん、何故だっ」

 ラインの瞳が揺れ動く。仮面の男は微笑みを浮かべた。

「ダーカーの力でよみがえったんだ。またお前に会えるなんて夢のようだよ」

 ラインの左手に握る剣の先が床を向く。ショックだった。実の父親の姿が確かに目の前にある。けれど中身はダーカーだ。感じる魔力がそう告げている。彼はダーカーに成っていた。いや、もしかしたら本当に父親なのかもしれない。

 本当に?

「ライン、惑わされちゃだめ!」
 ルフィアが強く腕を掴んだ。ラインがはっとする。

「ルフィア……」
「死者はよみがえらない。あなたがさっき言っていたでしょう!」
「あぁ、……そうだ。だから」

 冷静さを取り戻したラインの剣先が、目の前の父に向けられる。

「俺はあんたを倒さなきゃいけない」

 父は笑う。くつくつ声を出して笑った。


「父親に剣を向けるのか」
「あんたが死んだあの事件、憲兵が来たときには死体が無かった。あんたの墓にも死体はない。こうして出てこられたということは、ダーカーが死体を運んでいったんだ。現に、お前自身がダーカーによって復活を遂げたと言っていたな。外見は俺の父であっても、中身はダーカーだ!」
「ダーカーも何も、おれはお前の父親として戻ってきたんだぞ。喜ばないのか?」
「素直に喜びたいさ。だが、絶対に喜べるものか」
「何故だ?」
「死者はよみがえらないからな」

 ラインの力強い言葉に、皆が武器を手に身構える。ラインは両手で剣を握る。

「俺の家族を、よくも弄んでくれたな」
「はぁ……」

 彼は深いため息を吐いた。そして、次第に大きな笑い声を上げる。頭を抱えて、よろめいて、面白おかしく笑う。

「残念だ! おれはグレイ・カスティーブ。正真正銘お前の父親だぞ。否定するのか!」
「俺の父親は六年前に死んだ。それ以上も以下もない!」
「……それなら、お前もセレスもおれの下に連れていくだけだ」

 ラインは一歩踏み出す。相手の出方をうかがいながら。
 グレイは笑っている。嘲笑い、ラインを見下しながら。

「さぁ、来い。殺してやろう」

 グレイはローブを翻す。影から闇の術式を展開、ライン達を囲むように闇紋が出現する。彼らは散開して回避。彼らのいた場所には闇紋から様々な武器が生えて刺し殺さんとしていた。

 ラインがまっすぐグレイへと接近した。グレイは亜空間から黒い剣を抜く。ラインの聖剣とつばぜり合いした。グレイの顔が近い。やはり実の父親の顔だ。ラインは力が抜けそうになるのを必死でこらえた。

「どれくらい強くなった、ライン?」
「黙れ!」

 聖剣に魔力を込めて弾き飛ばす。

「サラマンダー!」

 火の精霊を呼び出す。炎蛇は猛り狂う火を纏いラインの右腕に取り巻いた。

「ほう。火の精霊と契約したのか」

 グレイが闇の術式を唱える最中、突如体に走る痛み。フェイラストの銃撃が放たれたのだ。小爆発を起こすとグレイは壁に吹き飛んだ。

「はぁあ!」

 ラインが右腕を振り切る。突進したサラマンダーがグレイをひと呑みした。火炎が渦巻き、グレイの体を焼き尽くす。衝撃で壁が崩れて天井のステンドグラスが落ちた。赤い空と黒い雲が視界に現れる。
 皆は瓦礫の山を注視する。ガラン、と破片が動いた。術式の気配。ルフィアが皆に守護方陣をかけた。直後、瓦礫の山が弾け跳び欠片の雨が降り注ぐ。守護方陣によって皆は守られ無事だ。

「やってくれたな!」

 グレイの顔が部分的に剥がれて闇色を露にしている。彼の中身はやはりダーカーか。ラインは剣を構える。先のダメージはあまりなかったようだ。グレイは両手に闇の術式を溜め、手をかざして射出した。闇紋から無数の弾丸が放たれ、ライン達に迫る。

「させないもん!」

 聖南が地の術式で壁を作る。闇の弾丸と力が相殺して砕け散る。散った岩石を光の術式で包み込み、隕石の如くグレイに返す。

「幼稚な術式だ!」

 彼は隕石を剣で斬り払う。瞬間、キャスライが隕石と共に肉薄した。グレイは一撃目を剣でいなし、二撃目を回避し、彼の襟を掴んで聖南の隕石向けて投げつけた。

「くはっ……!」

 背面から勢いよくぶつかり、隕石は砕ける。床に転がったキャスライに剣を突き立てようとする。しかしフェイラストが弾丸の雨を撃ち込んだ。

「キャスライに手ぇ出すんじゃねぇ!」
「銃か。確かに厄介だ」

 ラインが瞬速で距離を詰めてきた。死角から剣を振るう。だが、グレイは回転してラインの剣を己の剣で受け止め刃を絡めた。フェイラストの弾丸は障壁を張ることで回避する。ラインは一時待避し距離を取る。

「さぁ、どんどんかかってこい。久しぶりの父親の剣だ。とくと味わえ」
「父親面するのもいい加減にしろ!」
「そう言われてもなぁ。おれはお前の父だぞ?」

 グレイは面白くて、くつくつ喉を鳴らして笑う。苛立つラインを嘲笑した。

「お前の仲間もまだまだなようだ。さぁ、もっと見せてみろ!」

 グレイの背から漆黒の翼が生える。蝙蝠の翼は黒く闇に染まっていた。ひとつ羽ばたくと、視界に捉えたルフィアに一瞬で迫る。ルフィアが驚いて剣を持ち上げるのと、グレイが袈裟斬りにするのは同時だった。彼女の悲鳴が広間に渡る。

「ルフィアッ!」

 ラインが声をかける。彼女の傷は深かった。血が滴る。すぐに手当てをしなければ。しかし奴の動きが読めない。駆け寄ることもできなかった。

「まだ終わらんぞ!」

 キャスライの耳が違和感を覚える。音の方へ体を向けると既にグレイが迫っていた。短剣を構えて防御の姿勢を取る。間一髪、剣を防いだ。しかし次の術式による攻撃は防げず、腹に闇の衝撃波を加えられて吹き飛び、壁にめり込んだ。

「この、何しやがる!」

 フェイラストが怒り銃を構えるが、目の前を縦横無尽に動き回る彼に狙いが定まらない。魔眼を起動して彼を捉えた。しかし既に眼前に迫っている。フェイラストが後退しようとするが、ネクタイを掴まれ引き寄せられる。剣で彼の腹部を刺した。

「フェイラスト!」

 聖南が光の術式を発動する。グレイの体に光紋が浮かび上がると収縮して弾け跳ぶ。少しグレイの体が揺らめいた。

「おっと、彼女を忘れていた」

 フェイラストがグレイのこめかみに銃を当て撃ち抜いた。彼の体が離れ、剣が抜ける。フェイラストは傷口を押さえてしゃがみこんだ。グレイが床に転がるかと思いきや、滑るように移動し聖南の目の前にやって来る。

「ひっ!」

 聖南は怖くて固まった。グレイは嘲笑を浮かべ、怯える彼女に手をかざす。一瞬感じた気配にグレイは身を引いた。ラインが迫ってきた。剣と剣をぶつけ合う。

「お前の好きにはさせん!」
「ははっ、そうこなくちゃな」

 遊ぶようなグレイの剣に対し、怒りを乗せてラインは剣を振るう。剣戟が鳴り響く。

「ライン、だめ……!」

 ルフィアが自分に治癒術をかけて応急処置する。ある程度回復して出血は収まった。

「冷静にならなきゃ、だめだよ……」

 いつも感情を表に出さない男が、怒り任せに剣を振っている。まずい。仲間を傷つけられて彼は激昂している。

「ルフィア!」

 聖南が駆け寄ってきた。大丈夫だと声をかけ、傷口を押さえながら歩いて聖南と合流した。

「キャスライとフェイラストが!」
「うん。助けなきゃ」

 二人は彼らを助けに回る。グレイはラインに気を取られている。今のうちだ。

「見ていないとでも思ったかな?」

 ルフィアは強い殺気を感じた。振り返った先には、強大な闇の術式が闇紋から放たれる瞬間を目にした。巨大な逆さ十字がルフィアを捉える。爆発の衝撃で吹き飛ぶルフィアが奥の壁にめり込んだ。余波を受けた聖南の体もキャスライ達の方へ軽く吹き飛ぶ。

「ルフィア、聖南!」

 ラインが叫ぶが返事はない。彼女らにも容赦なく降り注ぐ攻撃。彼は深海色の瞳を怒らせ猛攻を仕掛ける。グレイは彼を嘲笑うかのようにあしらった。

「仲間を傷つけられて怒っているのか? お前らしくないな、ライン」
「黙れぇ!」

 目の端に黒いものが見えた。剣と剣をぶつけ合った反動を利用して距離を取ると、端に見えた術式を一刀両断する。ラインに迫っていた闇紋は断ち切られ粒子となって消えた。

「そろそろ飽きてきた。終わらせようか」

 グレイの翼が大きく開いた。周囲の魔力を集めている。ラインは瞬速で距離を詰めて剣を横薙ぎに振り払う。グレイはひらりとかわしてからラインに急接近する。彼の顔に手をかけ持ち上げる。闇の魔力と穢れを送り込んだ。

「がっ、あ、ああァあああ!」

 ドクン。体内に沈着していた穢れが反応を起こし活性化し始める。

「こうなってしまえば、お前もおれの仲間入りだ。受け取れ、おれの闇と穢れを」

 ドクン。背の刻印に眠りし魔王の息子がゆらりと動き出す。ラインの意識を乗っ取ろうと黒きオーラが発生した。まとわりつくオーラがラインを包み込んでいく。

「さぁ、おれと共に世界を侵略しようじゃないか。憧れの父親と共に。堕淫魔リリスの望むように。オールバッドエンドを成し遂げよう!」

 ――ドクン、ドクン。

 体が脈打つ。闇と穢れが注がれて、ラインの瞳から光が消えそうになる。グレイはにっこりと笑って、最後の隙間を埋めるように穢れを送る。

 ラインは意識が飛びかけていた。声を上げる力も失われていく。手から聖剣がこぼれ落ちた。自我を保つのがやっとだ。本来の力と相反する属性を注がれ、体が拒絶反応を起こしていた。穢れが沈着していても彼は天使なのだ。対の闇をもたらされ、穢れを注入され、彼の意識は混濁する。

(……俺、は)

 意識を手放せば、即座に刻印から魔王の息子が体の主導権を取って変わるだろう。それはライン自身の破滅を意味する。彼はぎりぎりのところを生きていた。

 注入が終わったのかグレイは手を離した。糸の切れた操り人形のようにラインは床へ転がった。瞳から光が消えている。か細く息をしていた。背の刻印から溢れ出た黒き者が全身を包む。

(……っ)

 ルフィア達は無事なのか。体を動かそうにも動かなかった。

 此処で死んだらどうなるのだろう。母さんは。街の人間は。自分は偽者の父親と一緒に世界を破壊して回るのか?

 ラインの脳裏に走馬灯が走る。
 闇に堕ちる自分を殺しに来た黒き彼女が、紫色の鋭い眼差しで見下ろしていた。

「運命に抗え。歴史を裏切れ。未来を変えろ。そして、己の道を示してみせろ」

 世界の根源である破壊を司る者は言っていた。彼女はそう言って自分にチャンスを与え、現在まで生かしてくれたではないか。

(運命に、抗う……)

 ひどく眠たくなってきた。意識が遠ざかっていく。魔王の息子が完全に乗っ取るまで、あと少し。

「ラインーー!」

 呼ぶ声に、遠ざかる意識は急激に浮上する。あたたかい光を感じる。これは、ルフィアの力か。ぼやける視界は白い。場を制圧した浄化の力が光の粒子を放っていた。

「貴様、余計なことを!」

 グレイがルフィアに闇の術式を放つ。彼女は避けなかった。彼女の持つ聖剣が光り、闇の術式を打ち消す。傷を負ってぼろぼろだが、それ以上の気力で彼女は立っていた。背に生やした自らの羽と同じ青色の聖剣をしっかりと握り締め、己の力を発現させる。

「立って、ライン!」

 清浄さを以て彼の穢れは浄化されていく。

「ライン、立てっ!」
「僕達は大丈夫だから!」
「そいつの言いなりになっちゃだめだよぉ!」

 仲間の声がする。
 今まで共に戦ってきた仲間が、自分を待っている――!

 手に力を入れて体を起こす。石のように動かなかった四肢が、体が、言うことを聞いた。背の刻印から溢れるオーラは浄化の力で消えていた。ルフィアの浄化と治癒が抑え込んだのだ。

「おれの闇と穢れが消え去っただと」

 ラインは剣を手に取り、呼気と共に剣先を滑らせてグレイに一撃見舞った。回避行動を取るもグレイのローブの一部が斬り払われる。

「あの女の力が、ここまで強まるだと……!」

 ラインは瞳に力強い意志を取り戻した。闇は消え、穢れ沈着するだけの元の状態に戻った。静かに剣を構える。

 目の前に見えるもの。グレイ・カスティーブ。自分の父親。
 今は違う。姿に惑わされてはいけない。顔から剥がれ落ちた部分は闇色。

 ならば宣言しよう。

「お前は」

 剣を顔に引き付ける。

「ただのダーカーだ」

 覚悟を決めたラインは、一歩で百歩の距離を詰める。グレイが反応する前に肉薄して突き刺す。しかし紙一重で避けられた。黒いローブがびりと破れる。それも想定の内。ステップを踏んで体勢を立て直すと瞬速で踏み込んだ。

「何がお前を強くした!」
「答える義理は無いな」

 今度は避けられずにグレイの腕が飛んだ。ラインの目に迷いはない。鋭い深海色の眼差しがグレイを映す。

「ライン、そいつの弱点は胸にある宝石だ!」

 フェイラストが魔眼で弱点を見破った。ならばとラインは胸を狙う。剣先で掠めたのはローブの留め具だった。ローブが弾き飛ぶと心臓の位置にある紫色の宝石が現れる。グレイが苦虫を噛み潰したような顔をした。

「あたしも助けるんだぁ!」

 聖南がラインに補助術式を積みまくった。攻撃力、物理防御力、対術防御を上昇する術式を一気にかける。おまけに闇属性防御をかけて完璧だ。

「ルフィアのことは僕に任せて、戦って!」
「私は大丈夫。だから、行って!」

 キャスライが気力だけで立つルフィアを支えた。彼女は青い一対の羽を広げ、浄化と治癒のフィールドを強める。ラインが傷を負っても一瞬で塞がった。他の皆にも効果は及び、傷ついた彼らは元気を取り戻していく。

 背中を押してくれる皆がいる。ラインは先程の怒りが嘘のように引いていた。いつもの冷静沈着な彼のまま戦える。対してグレイは焦っていた。

「何故だ、何故……!」

 闇紋を現しラインを取り囲む。様々な武器が紋から現れ彼を串刺しにした。はずだった。ぶつかった瞬間に武器が砕ける。聖南のかけた補助術式が彼の守りを固めたせいだ。恐れることなどない。ラインは瞬速を発動してグレイの術式を避け、隙を突いて一撃を見舞う。

「ぐうっ!」

 グレイは回避したが脇腹を切断された。おびただしい闇色の血が溢れる。追撃の一閃がすぐさま襲う。背面に鋭い斬りが入りラインが突き抜ける。衝撃で前のめりになり、よろめいてたたらを踏む。
 その時、グレイが一瞬だけ。ほんの一瞬だけ優しい笑みを浮かべた。

「ライン、強く、なったな……」

 ターンして目の前に吹き返す紅の疾風。グレイは避けずに攻撃を受け止めた。胸の宝石が斬られる。肩まで及ぶ斜斬り。闇色の血が噴出し、彼は浄化と治癒のフィールドに倒れた。

 ラインは剣についた血を払い振り返る。一瞬だけ見えたあの表情は。聞こえた言葉は。倒れるグレイの様子をうかがう。

「父さん……?」

 グレイがゆらりと立ち上がる。手で傷を押さえ、ラインの方を振り向いた。闇に彩られた瞳は明るい青に変化していた。彼は優しい笑みを湛えていた。ラインに向かって足を引きずりながら歩く。ラインは剣を床に刺して彼の体を支えた。

「……父さん!」

 頬の部分が剥がれて闇色の血をどろりと流していた。足の力が無くなったグレイの体を支えて横たえる。

「よくやったな。さすがおれの息子だ」

 血濡れの父は息子に笑いかける。

「お前が、おれの血を引いていないことは、この体になって知ったよ。……ダーカーってやつのせいで、それでハーフエンジェルとして、生まれてきたんだな」
「確かに俺は、父さんの血を引いていない。それでも、俺は、あんたの」
「あぁ。おれの息子だ。セレスとの大事な子どもだ。はは、こんなにいい男に育ったなんて、嬉しいよ」

 グレイの顔の穴からヒビが広がってくる。限界が近いようだ。ラインはまだ話したいことがたくさんあった。旅でできた仲間のこと。旅の中で起きた様々なこと。依頼屋クライアを始めたこと。話したかった。教えたかった。

「セーラにも、悪いことをした。ダーカーに支配されていたとはいえ、悲しいことをしてしまった」
「セーラはもう浄化した。だから、今度はあんただ」

 グレイは微笑む。手を伸ばしたかったが、体が全く動かなかった。悔しそうな顔をしていた。

「ライン、お前の手で葬ってくれ。おれは、セーラのところに行く」
「分かった」
「……母さん、セレスのことを、よろしく頼む」
「あぁ」

 ラインは背に一対の羽を広げる。翡翠色の羽が開いた。ルフィアのフィールドの力を借りて、己の浄化の力を増幅させる。グレイの体が白くふち取られる。

「ライン、堕淫魔リリスに気を付けろ」
「堕淫魔リリス……」
「おれとセーラをこんな目に遭わせた張本人だ。お前を狙っている。熾天使の姿に似ているとか、自分のモノだとか、何か言っていたのを覚えている。おれとセーラを弄んだのも、お前に関わることだからだ」
「分かったよ、父さん」
「……じゃあな、ライン」

 グレイは体を包み込む白い光に身を委ねた。目を閉じる。ラインは浄化の力を強めた。白い光が強く輝いた。グレイの姿は完全に見えなくなる。

「さよなら、父さん……」

 光の柱が伸びる。美しい光がきらきらと粒子になって消失した。抱いていたグレイの姿は、無くなっていた。
 ラインは羽をしまう。喪失感を抱えて彼は立ち上がる。赤い空を少し眺めた。刺していた聖剣を拾って亜空間にしまう。仲間の待つ場所へと歩き出した。

「ラインさん、大丈夫?」

 聖南が心配そうに駆け寄ってきた。後ろからフェイラストもゆっくり近づいてくる。大丈夫だ、と返事をしたが聖南は悲しげな表情だ。

「だって、ラインさん、泣いてるんだもん……」

 言われて目を擦ってみた。雫が指に触れた。全く気づかなかった。意識していなかった。立て続けに起きた家族の喪失に、自然と心は傷ついていたらしい。ラインは袖で涙を拭った。聖南の頭をそっと撫でて、ルフィアとキャスライのところへ。

「ルフィア、大丈夫か」
「それはこっちの台詞だよ。……お父さんとお話できた?」
「あぁ。欲を言えばもう少し話していたかった」

 ルフィアは羽をしまい、フィールドの力を緩やかに弱めていき、浄化と治癒の力の放出を収めた。ふらりと倒れそうになったところをキャスライが支えた。

「ルフィア、お疲れさま」
「ありがとうキャスライ。さ、みんな、帰ろうよ」
「おう。おっさんはそろそろ青い空が恋しくなってきたぜ」
「あたしも地上に戻りたーい!」
「僕も僕も」

 原因が消えた今、世界に起きたひずみも終息に向かっていることだろう。ラインも帰ろうと言って部屋を出ようとする。

 ゴゴゴゴゴゴゴ……。

「ななな、なに?」
「城が揺れてる!」
「こりゃ、早く戻った方が良さそうだぜ」
「ここに入ってきた空間のところまで走るぞ!」
「急ごう!」

 皆は揺れる中、急いで城を駆け抜ける。空に浮く城の城門の先にある魔力の通路が崩れていた。走ってきた聖南が崖の手前で踏ん張った。体がゆらゆらして落ちそうになる。フェイラストがぎりぎり手を掴んで引き留めた。

「どうすりゃいい!」
「あわわ、これじゃあ冥府アビシアに帰れないよ!」
「私に任せて!」

 ルフィアが氷の術式を唱え、城門から地上に向かって長い氷の滑り台を作り上げた。

「えぇ、これ滑るのー!?」
「怖いならオレが抱えてやるよ!」

 言うが早いか、フェイラストは聖南を小脇に抱えて氷の滑り台へ。聖南の悲鳴が聞こえた。次いでキャスライ、ルフィアと続く。
 ラインは後ろを振り向くと、城のてっぺんが崩壊するのが見えた。

「……っ!」

 滑り台を滑り始めるのと城の頭が崩れたのは同時だった。彼のいた所は崩れ落ちた塔が押し潰した。氷の滑り台も一部が巻き添えになり崩れる。ラインが滑るすぐ後ろで、氷が振動によってヒビを入れている。

「ライン、跳んで!」

 ルフィアが下から叫ぶ。自分の周辺に広範囲の影が下りた。背後から巨大な気配が感じられる。がらがらと轟音を立てて崩れる城の塔が降ってきたのだ。氷を蹴って空へ飛び出す。ラインのいた場所は氷を巻き込んで崩れていった。
 瞬速を起動する。空中を紅の疾風が駆け抜けた。瞬時に足場となる紋を作り、蹴り上げ、ジグザグに移動し地上へ降り立った。ルフィア達は既に走り出している。ラインも急いだ。

 フォートレスシティを象った小世界はぐにゃりと歪み、赤い空は黒雲を渦に飲み込む。ブラックホールのように空間の歪みは街を吸い込んでいく。瓦礫が吹き飛びライン達を襲う。聖南が防御を高める補助術式を皆にかけてくれた。

「聞こえるか、貴様ら」

 天から男の声がした。冥王ディリュードだ。こちらの動きは把握しているようだ。

「主が滅んだ今、その空間は閉じようとしている。冥府アビシアに帰る道は開いておいた。空間が完全に閉じる前に駆け抜けるのだ」
「その出口って、どこなのさぁ!」
「小娘、口の聞き方に気をつけろ。……そうだな、街の正門にある。ほれ、急がねば存在が空間に呑まれて消えるぞ」

 冥王ディリュードの声はそこで切れた。
 ここがフォートレスシティを模しているなら、上から見て正門は南にある。皆は飛び交う瓦礫や木々を避けながら駆け抜けた。

「フェイラスト、下ろしてよぉ!」
「お前が転んでも、誰も助けらんねぇからよ! このままでいやがれ!」
「前! 前見て!!」
「うおあ!?」

 フェイラストの目の前には大きな岩が迫ってきていた。かろうじて身を屈めて回避できたが、あんなのにぶつかってはひとたまりもないだろう。ぞっとして背筋が凍った。

「小さい石や木なら、僕の短剣でも斬り払える。ルフィア、援護を頼むよ!」
「うん、無理しないでね!」

 キャスライが羽ばたき短剣を逆手に握る。大きな石はルフィアが水の術式をぶつけて軌道を変え、小さな石はキャスライが先行して断ち切った。距離を置いて最後を走るラインも、聖剣を抜いて迫る物体を叩き斬った。

 どれくらい走っただろうか。フォートレスシティの中が現実と同じ作りならば、もう正門へ到着してもいい頃合いだ。距離がとても長く感じる。近づいているはずなのに、遠くへ行っているような、気持ち悪い感覚が走る。空間の歪みによるものだと気づくのは遅くなかった。

「あー! あれ!」

 聖南が指差す。人が通れそうな大きさの空間が丸く口を開けている。空間の向こう側は冥府アビシアだ。キャスライは飛んできた木を輪切りにすると一旦飛翔して滑空し、そのまま冥府アビシアへと突っ込んだ。次いで聖南を抱えたフェイラストが入る。ルフィアが立ち止まって後ろを振り返った。

「ライン!」

 彼の背後には、粉砕し、崩壊した建物の瓦礫や大木が渦を巻いている。ラインは剣を亜空間へ片付けて懸命に駆ける。空間が歪んでいるせいで、瞬速を使うとどこかへ飛んでいく恐れがあった。

「ライン、早く!」

 ルフィアが手を伸ばして待っている。空間の向こう側で先に冥府アビシアへ戻った三人が待っている。
 彼の背後の渦は徐々に距離を詰め、ラインを呑み込まんとしていた。

「もう待てん。空間を閉じる」
「そんな、ディリュード、待って!」

 空間が少しずつ小さくなってきた。焦るルフィアを気にせずにディリュードは接続を切るつもりだ。
 ラインの体がわずかに浮いた。空間の歪みで混沌とした渦が体を持っていこうとしている。
 ルフィアが手を伸ばす。

「ライン!」

 ぎりぎりのところでラインは地を蹴った。彼女の手を掴んで抱き止め、空間に頭から突っ込んだ。直後、冥府アビシア行きの穴が塞がる。

 残された小世界は、擬似的なフォートレスシティ全土を破壊。地上が天へと盛り上がり、赤い空は地に落ちる。竜巻や歪みの渦を以て、天と地がぶつかり合った。稲妻が何百と走る。
 小規模とはいえ空間の消失は凄まじいエネルギーを生み出した。世界が膨張と収縮を繰り返す。真っ白に。真っ黒に。何度も色を変えて、遂に冥府アビシアの死の世界へ空間が上書きされた。

 冥府アビシアにできた膿は、こうして姿を消した。

*******

 冥府アビシアに帰ってきた皆は、魔力ガラスの床の上に座り込んでいた。ぎりぎりだったラインとルフィアも無事に戻ってこられた。ラインがルフィアから治癒術をかけてもらっている。

「一時はどうなるかと思ったぜ……」
「うんうん。僕も怖かったよ~」
「あたし、いつフェイラストに落とされるかひやひやしてた」
「落とさねぇよ。みんな一緒に帰るんだろ」

 和気藹々として笑いあう。冥府アビシア――死の世界に花が咲いたようにここだけは明るかった。

「はい、終わり」
「ありがとな。助かる」

 ルフィアによるラインの治療も終わったようだ。彼女は立ち上がると皆に微笑みを向ける。

「冥王に報告に行こうよ。そうしたら、みんなで帰ろう」

 ルフィアの言葉に皆が頷いた。魔劫界ディスアペイアに来て今に至るまで、今日がいつで何時何分なのかも分からない。フェイラストが腕時計を見るが、針が止まっていて動作していなかった。
 皆が立ち上がり、魔力床を進む。来たときと同じようにルフィアが浄化のフィールドを周囲に現した。

 分かれ道まで戻ってきた。止まることなく冥王ディリュードの居城へ入る。玉座ではディリュードが自慢の長い爪を手入れしていた。彼らを一瞥すると玉座から立ち上がる。

「ほほう。なかなか骨のある連中だ」

 横に並んだ彼らのやりきった顔を見て、満足げにディリュードは笑う。長い爪をゆっくり動かして手招きした。

「そこな紅の貴様、来い」

 指名されたラインは彼のもとへ。

「手を出せ」

 言う通りにすると、ディリュードは首にかけていた宝石を取る。二つ、ラインの手に乗せた。なんとも大きなブラックダイヤだ。

「報酬だ。ここに来た時、我は対価を要求すると言ったな。それだ。今回の働き、実に良かったぞ」

 ラインは手に乗せられた宝石を見た。黒く澄んだ輝きを放つ宝石に目を奪われた。

「それをひとつ持っていれば、魔劫界ディスアペイアを経由せずとも此の冥府アビシアへ何処からでも転移ができるだろう。有効に活用せよ。だが、ここが死の世界だということをゆめゆめ忘れるな」

 ラインは礼を言って皆のもとへ戻る。ダイヤのひとつはルフィアに渡した。

「もし我に喰らわれる気が起きたならばすぐに来てよいぞ。待っているからな。ククク」

 聖南がどん引きした。ルフィアとキャスライは苦笑いした。フェイラストとラインは何事もなかったように振る舞う。

「では、私達は地上へ帰ります。色々と助けてくださり、ありがとうございました」

 ルフィアが丁寧に挨拶した。ディリュードは満足げな表情をして彼らを見送った。

 城の外へ出て、彼らは地上へ転移をして帰る。


 現れた場所は、ラインとルフィアがゲヘナから脱出した際にしばらくいた小さな町。そこは既に廃墟と化して何も無いはずだった。

「わぁ、大きなお屋敷」
「こんなところに丸太の屋敷ができていたとは」

 ラインとルフィアが中へ入る。どうやら誰にも使われていないようだ。誰かが住んでいたのを廃棄したのだろうか。まるでホテルのような内装に一同わくわくが止まらない。

「ねぇ、ここ秘密基地にしよ!」

 聖南がソファーに座る。疲れたー、と大きく伸びをした。

「秘密基地かぁ。いいね。僕も賛成だよ」
「秘密基地。いい響きだ。おっさんの子ども心に響くぜ」
「ライン、どう? 私も賛成なんだけど」
「どうと言われてもな。勝手に進めていいのか、これ」
「大丈夫、大丈夫~」
「まずは掃除からしよー!」

 土地の利権とか管理者とか、色々と心配なことは山積みだが。ほこりをかぶっているのを見る限り、放棄されたとみて違いない。足跡もないし、最近誰かが使用した形跡もない。

「仕方あるまい。許可しよう。だが、その前にお前達、自分の帰るところに帰って報告しないとじゃないか?」

 皆が固まった。その通りである。ひずみが収まったか確認も必要だ。フェイラストは医者としての仕事もあるだろうし、聖南は民を落ち着かせることも必要になってくるだろう。

「やることをやって、またここに集まろう。それでいいな?」

 ラインの言葉に皆が頷く。一旦それぞれの帰るべき場所へ帰ることにした。今なら転移ですぐに帰れる。フェイラストとキャスライ、聖南が先に転移で帰った。

「ねぇ、ライン」
「なんだ?」
「ラインのお父さんのお墓に行ってもいい?」
「別に構わないが、どうした?」
「きちんと挨拶したくて」

 ルフィアが笑う。変かな、と呟く。ラインは小さく笑って許可を出した。そばに寄って、フォートレスシティに転移した。

*******

 フォートレスシティの固定転移紋に転移する。二人並んで街中を歩き出した。途中花屋へ寄って、墓に供える花束を購入する。顔馴染みの女性店員がにこにこしている。

「お父さんのお墓に行くの?」
「あぁ」

 店員は店先で花を眺めるルフィアを見てにやにやする。

「ふーん、彼女さんできたんだぁ」
「いや、そういうのじゃないんだが」
「またまたぁ」

 平和だ。とても平和だ。ラインは店員に別れを言って、ルフィアを連れて街を進む。ひずみのことなどどこ吹く風。フォートレスシティの街はいたって平和だった。

 街外れの共同墓地。父の墓前に花束を添える。ルフィアは笑顔でお辞儀した。

「初めまして。ルフィアです。ラインのことは、仲間のみんなが信頼していますよ。私にとっては大切な兄さんです。大切な、仲間です」
「……セーラを助けられなかった。その代わりではないんだが、ルフィアと世界を巡るつもりだ。兄として、頑張るよ」

 お祈りをして、二人は墓をあとにした。曇り空から太陽が顔を出し始めた。

「いいお天気になってきたね」
「雨降りそうな雲行きだったんだがな。……さて、母さんのとこに行くか」
「うん。いっぱいお話することあるもんね」
「あぁ」

 ラインは一度振り返った。風が吹いて花束が揺れている。

(父さん)

 今頃、セーラと共に天上界ファンテイジアで安らかに眠っていることだろう。魂を浄化したから、きっと花園の一部と化しているかもしれない。もしかしたら、星に還ったかもしれない。

「行こう、ルフィア」

 二人の姿が街並みに溶け込んでいく。雲から顔を覗かせる太陽が、どこまでも彼らを照らしていた。
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