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過去編 歪められた運命
54.*【中編】ラインの過去
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これは、タチの悪い夢だ。
……わるい、ゆめ。
運命に抗え。
歴史を裏切れ。
未来を変えろ。
己の道を示してみせろ。
……うんめいに、あらがう。
ごぼ。ごぼごぼ。
ラインは意識を取り戻した。培養槽の中で呼吸器から酸素を吐き出す。ガラスの向こう側に白衣の男が立っていた。穢れを含んだ紫の液体が放出される。ラインは槽から出た。タオルが投げられる。
「よし。無事に穢れと闇が沈着したようだ。次はもっと進化するように、触手の魔神との性交だ。君の精子も採取したいからね」
どこかで、この言葉を聞いた気がする。そして、自分は聞くんだ。
「セーラは?」
「ん?」
「俺の妹は、助かるんですよね?」
そう。こう聞いて、彼は言うんだ。
「あぁ、それなら」
白衣の男は鼻で笑う。
「無理だよ。人をよみがえらせるなんてのは」
白衣の男はくすくす笑う。
「一応理論としては成り立っているみたいだよ。だけど、あんなもの実行しても、化け物が生まれてくるだけで、なんの材料にもなりはしない。何、君、本気で助かると思ってたの?」
「あなたはセーラを助けてくれるって、言ったじゃないか」
「あぁ、そんなこと言ったっけ? 一度死んだ人間はよみがえらない。アンデッドとかの魔物にしたいなら話は別だけどね」
ラインの中で唯一だった希望が打ち砕かれた。妹は助からない。しかしラインは崩れ落ちなかった。しっかりと二本の足で立っている。彼を見据えた。
「ぼくは君を早く実験に回したかった。だからそう言って誘ったのかもしれないけど。軽率だねぇ。上手い餌に釣られちゃって。あーあ、カワイソウ、カワイソウ!」
けらけら笑って白衣の男はラインを見下す。
「ほら、次の実験は君の精子を採取しないといけないんだ。早くしてくれ」
白衣の男は背を向けてあの場所へ行く。
「……運命に、抗え」
記憶の中で誰かが言っていた。ラインは手に視線を落とす。妹が助からない。それはどこかで知っていた。自分は確かにここで、今、白衣の男から同じ言葉を聞いた。そんな気がする。遠い記憶の向こうでぼんやりと覚えていた。
「行こう」
ラインは次の実験に向かった。
触手の魔神の部屋にやって来た。ラインは恐怖を覚えながらも、自分からゆっくりと触手に巻かれた。これから起こることを知っていた。触手の魔神が花を揺らして雌しべを伸ばす。ラインの口の中に入れようとした。
「……これは、悪い夢だと思え」
ラインは意を決して雌しべにしゃぶりついた。甘い蜜が口の中いっぱいに広がる。媚薬の効果がある蜜を喉に通した。
「さあ、始めようじゃないか……」
触手の魔神が雌しべを引っ込める。愛し子を抱くように、雄しべを伸ばしてラインを掻き抱いた。ラインの下半身は触手の群れの中に埋まっている。自ら股を開いて受け入れる姿勢を見せる。触手の魔神は喜んで彼の秘孔に触手を伸ばした。
「んっ、くっ……!」
媚薬で火照る体。尻をほじる触手が腹の中をぐねぐねと動き回る。意思を強く持って羞恥に耐える。
「はぁ、あっ、あ」
確か精子の搾取を命令されているはずだ。ラインは動く片手で自分の股間を弄りだす。
「ほら、早くしろよ」
彼の行動に気づいた触手の魔神は、先端を四つに割った触手で彼の陰茎にしゃぶりついた。彼の性器を粘液と共に舐め回す。と、尻に入っていた触手が抜けて、熱く大きなモノの先端が押し付けられた。頭がゆっくり入ってくる。
「あっ、はぁっ、あっが……!」
自分をしっかり保っていないと意識が飛びそうだった。腹の中を侵攻する触手のイチモツがぐにぐにと体内を進む。苦しさと快感が同時に巡った。吐きそうになったが我慢した。
「はぁ、はぁ、……早く、しろ」
痛みは媚薬によって快感に変換されている。股間をしゃぶる四つ割りの触手に愛撫され、ラインは達しそうだった。
「ん、く、あっ」
腹の中でピストン運動が始まっている。激しい動きにラインが喘ぎ出す。股間からは先走りの液が漏れ出ていた。
「はぁっ、あっ、ぐっ、んんっ」
媚薬で頭がくらくらする。刺激が強すぎる。下から突き上げられ体が揺さぶられる。触手の魔神が甲高い声を上げた。ラインの最奥を突き上げ、たっぷりと精液を吐き出した。隙間から溢れ出た精液が垂れ落ちる。
「あっ、ああァあッ!」
ラインも触手の中に射精した。媚薬によって射精が長い。濃厚な白濁を触手の中にびゅるると吐き出した。
「はぁ、はぁっ、……んっ!」
息を荒く吐く。腹の中から触手のモノが抜かれた。ごぷっと音を立てて尻から大量の精液が溢れた。
触手の魔神はラインの頭を雄しべで撫でた。まるで自分の子どものように愛しく接した。気に入られた証拠である。ラインの性器から触手が離れた。ゆっくりと扉の前に下ろされる。スタッフがすぐに回収した。
(また液体の中に入れられるんだな……)
ラインはぼうっとしながらも、ストレッチャーに乗せられて運ばれる先を考えた。
(どうにかして、液体から出られないだろうか)
そう考えて、ラインの意識は飛んだ。
一ヶ月後、ラインは培養槽から出された。いつもの白衣の男ではなく、眼鏡をかけた別な男性に。よろよろと出てきたラインはタオルを投げられる。
「初めまして、だな」
「かはっ、……お前は?」
眼鏡の男は手を差し出した。彼の手を取った。力強く握られた。ラインも握り返して握手を交わす。
「お前が噂の実験体No.2081だな。本当の名前は?」
「……ライン・カスティーブ」
「ラインか。分かった。これからオレが案内することは他言無用だ」
「ちょっと待ってくれ、名前は?」
「オレはフェイラスト。フェイラスト・ディクストスだ。よろしく」
「あぁ。よろしく、フェイラスト」
彼はラインについてくるように言った。ラインはタオルで体を拭くと、かごに入っていた服を下だけ着てフェイラストについていった。
「フェイラスト、お前は実験体じゃないのか?」
「最初の頃はオレも実験体だったぜ。でも、白衣着て動いてる方が使えると思ったのか、今はスタッフの一人をやってる。お前が触手の魔神にいいようにされているのも見てたぞ」
「……忘れてくれ」
「ははっ、だろうな」
フェイラストは迷い無く施設を進む。鍵がかかった部屋についた。ポケットから鍵を取り出して開ける。部屋の中には、片羽を伸ばす剣がガラスケースに入れられていた。
「なんだ、これは」
「こいつは、かつてアンディブ戦争の際に使われたとされる聖剣だ。ほんとに使われたか詳しくは知らねぇけどよ。なんでも使い手を選ぶって話だ」
「そんな大層なものが、どうしてこんなところにあるんだ?」
「大昔、ダーカーが熾天使の遺体を持ってきた際に拾ってきたみたいだぜ。だけど、こいつを触ったダーカーが蒸発したって話だ。だから術式で封印してここに飾ってるとさ」
フェイラストはラインを見据える。
「お前は『熾天使量産計画』で生まれた超優良児だ。だから、お前ならできると思って話している」
真剣なフェイラストの目を見て、ラインも彼の深緑の瞳を見据える。
「お前なら、この剣を使って逃げられる。ここから脱出できる。オレは他の逃げ出したい実験体の奴を唆してる。けれど、反逆できる力がないんだ」
「俺をここに連れてきたのはそのためか」
「あぁ。お前だったらこの封印を解けると信じてる」
ラインは剣を見つめた。翡翠色をした聖剣は美しくほのかに光っている。ガラスケースに手を伸ばした。強い光の魔力を感じる。
――時期尚早。まだその時ではない。
ラインの頭の中で声がした。
「……何か言ったか?」
「オレは何も言ってないぜ」
ならば、どこから。ラインは剣を見た。それは変わらず静かに光を放っている。
「そろそろ時間が無くなってきた。頼む。お前に協力を頼みたいんだ。できるか?」
自分がここにいなければならない理由は既に消えた。それならば、脱出計画をやるまでだ。
「いいだろう。俺がこの剣を取ってダーカーを斬ろう」
「ありがとよ。一ヶ月後に決行する。頼むぜ」
「ああ、分かった」
フェイラストとラインは再び強く握手を交わした。彼らは急いで部屋に鍵をかけて出ていく。ラインを元の培養槽へ戻しに行く途中、白衣の男とばったり出会ってしまった。
「なんで実験体No.2081が施設を歩いているんだ」
白衣の男は訝しげにフェイラストを睨む。彼は焦らずに答えた。
「創造源神の娘との接触実験に移ろうと思っていたのですが、どこの部屋にいるのか迷ってしまいましてね。どこでしたっけ?」
「ああ、その実験か。いつかしようと思っていたんだ。今でもいいか。この部屋だ」
白衣の男は黒い手でペンを走らせる。メモをフェイラストに渡して彼は去っていった。
「危なかったな」
「けっこうやばかったぜ。さて、じゃあ言う通りの実験に移るとしますか」
フェイラストとラインは歩きながら話を続ける。
「創造源神の娘ってのは、なんだ?」
「創造源神っていう神サマの娘らしいぜ。ダーカーが誘拐してきたらしくてな。夢魔を取り付かせて、彼女の自我を消す実験を実行中だ」
「そうか。……接触実験、か」
「一週間の接触実験だ。他の奴も接触実験したけど、どいつもひでぇ目に遭って三日以内にダウンしたぜ。お前も、気をつけろ」
着いたぜ、とフェイラストが立ち止まる。
「オレは別室でモニターしてる。こっから先はお前一人で行きな」
「分かった。ありがとな」
御武運を、と言って彼は手を振って別れた。ラインは肉壁に埋まった扉を開ける。横開きの扉は固かった。ガコン、と外れるような音がしたと思うと、するすると開いた。控え室のような小部屋に扉がひとつある。ラインは扉をノックした。
「はぁい」
可愛らしい声がした。ラインは扉を開ける。目に飛び込んできた部屋は、足の踏み場もないくらいの様々なぬいぐるみでいっぱいだった。
「いらっしゃい。あなた、初めての人ね」
白髪の少女はクマのぬいぐるみを抱いて椅子に座っていた。淑やかに足を揃えている。ラインは扉を閉めて中に入った。近くにあった椅子に座る。
「お名前はなんていうの?」
「ラインだ。ライン・カスティーブ」
「そう。ふふ、最近有名な実験体No.2081さんでしょ」
「そうも呼ばれているな」
ラインは白髪の少女を見つめた。彼女はクマのぬいぐるみの手を動かして遊んでいる。
「聞こえたわ。あなたが触手の魔神に犯される声。いい響きね」
「……できれば聞こえてほしくなかったが」
「いいじゃない。私、好きよ」
「なぁ、お前の名前は?」
白髪の少女はラインと目を合わせた。天色と深海色が交錯する。
「私の名前は、無いわ」
「名前が無い?」
「実験が完了するまで、私の名前は無いの。素敵な名前を頂けるんだわ。きっとそう」
ラインは彼女に不思議な魅力を感じた。本能的に惹き付けられる何かがある。
だが、思い出してほしい。フェイラストが言っていなかったか。彼女は夢魔に自我を消されようとしていることを。ラインは名前すら消された彼女をしっかりと見据えた。
「いい名前をもらえるといいな」
「ふふ、そうね」
少女は笑う。まるで天使のように。
ラインは目をそらす。妹を思い出してしまった。
「セーラ……」
「なぁに、それ?」
「いや、なんでもない」
突然放送が入った。接触実験は終了とのことだ。ラインは部屋を後にした。
「また明日」
少女は笑顔で手を振った。
接触実験は順調に進んだ。少女に問いかけても曖昧な答えが返ってくるだけで、会話は弾まなかった。しかしラインには、ある想いが沸々とわき上がってきた。
(彼女を、助けることはできないだろうか)
セーラと重ねて見ていた。彼女の笑顔がまぶしかった。自分にもう一度チャンスがあるならば、彼女を救いたい。こんな実験施設からおさらばしたい。彼女と共に。ラインはそう思うようになっていった。
(フェイラストの脱出計画の時に、連れ出せたらいいんだが)
ラインはどう彼女を説得するか悩んだ。行動は全てモニターされている。何か方法はないだろうか。
考えているうちに、とうとう接触実験最終日になった。
ラインは彼女に気に入られていた。今日はぬいぐるみで遊んでいた。白髪の少女は楽しそうにしている。
「それでね、白衣の人達はみんな私を怖がるのよ」
「それは困ったな」
「でもいいの。私は生まれ変わって新たな名前をもらうんですもの」
――……けて。
「なんだ?」
ラインの耳に、目の前の少女と同じ声が入った。疑問を浮かべながら彼女を見つめる。目の前の少女は不思議そうに首をかしげた。
「なぁに?」
――たす、けて。
今度ははっきりと聞こえた。彼女の声だ。
「……待って、「私」が邪魔しに出てきてる」
ラインが彼女の腕を掴んだ。少女が驚いて固まる。
「待ってくれ。「お前」の声が聞きたい」
「違うわ。私は私よ。何もいないわ!」
少女がラインを突き飛ばした。ぬいぐるみの中に埋もれる。すぐ起き上がって「彼女」の声を探る。
――たす、け、て。
「俺が、助けてやる」
「やめて!」
「だから諦めるな」
「いや!」
「お前を、必ず助ける!」
――……ありがとう。
「やめてって言ってるでしょ!」
「それでいいんだ」
ラインは強く決意した。彼女を助けると誓った。妹を亡くした彼の償いでもあった。
「もういや! 出ていって!」
扉が開いてスタッフが入ってきた。ラインの腕を抱えて部屋から摘まみ出した。
「私は私よ。私は私。私は私……!」
体の奥が温かい。「彼女」が希望を抱いたせいだ。
「いやぁぁぁああ!」
頭を抱えて少女は暴れた。ぬいぐるみを投げつけ、踏みつけ、ナイフで切り裂いた。綿が部屋中に散らばる。少女は目覚めた「彼女」に苦しんだ。
*******
あれから一ヶ月が経つ。
ラインは培養槽に浸っていた。フェイラストが培養槽から液体を抜く。
「……上手くいけよ、ライン」
培養槽からラインが出てきた。タオルを投げる。彼は体を拭いて服を着た。
「決行の日だ。やるぞ、ライン」
「あぁ、分かった」
彼が言うには、反逆の手筈は既に整っているとのこと。フェイラストの計画に賛同した者達が、次々に培養槽から液体を抜いていく。
「彼らも仲間か」
「そうだぜ。それと、お前に教えとかなきゃいけない場所がある」
「なんだ?」
「転移の紋ってやつだ」
フェイラストは施設の地図を取り出す。広げてラインに示した。
「いいか、脱出口はこの転移の紋だ。ここは自動的に行き先が決まっている。しかも一定の時間が経つとランダムに場所が変わる。万が一お前と一緒に脱出できなかった場合だ。ここを目指すと逃げられる。使いかたは分かるな?」
「転移をすると指示を出せばいいのか?」
「そうだ。それでいい。じゃあ、始めるぞ」
「待ってくれ」
ラインがフェイラストを呼び止める。彼は立ち止まって振り返った。
「あの子を俺は連れていかなきゃいけない」
「あの子って、まさか創造源神の娘さんか?」
「そうだ。助けると約束した。彼女を連れ出してから俺はここを出ていく。別行動になると思う。お前は先に出ていってくれ」
「了解したぜ。無理はすんなよ。ここはダーカーの巣窟だ。白衣の連中にも油断はするな」
「あぁ。生きてまた会おう」
二人は強く握手を交わした。そして動き出す。フェイラストは培養槽から出された人々に声をかけて回る。ラインはあの部屋へ向かって駆け出した。
ゲヘナが騒がしくなった。フェイラストの意思に賛同した者達が動き始めたのだ。武器となるものは少ないが、持てるものを構えて反逆を始めた。ラインを担当していた白衣の男は、想定内の出来事に何も焦らなかった。
「すぐに鎮圧されるさ」
実験体No.2081さえ残っていればどうでもよかった。彼は自室でマグカップを傾けていた。
白髪の少女は騒動が起きていることを悟る。音が肉壁を伝って聞こえるのだ。
「いったいなんの騒ぎかしら」
扉の向こうでは何がおこなわれているのか。興味があった。不意に扉が開いた。出てきたのはラインだ。
「一緒に逃げよう」
彼は手を差し出す。少女はそっぽを向いた。
「嫌よ。私はここで暮らすの」
「それが「お前」の本心ではないことぐらい分かってる。俺は助けると約束した。誓ったんだ」
「うるさいわ!」
突然、悪態をついていた少女が苦しみだした。胸を押さえてうずくまる。ラインは不安に思って近寄る。意識に語りかけてくる言葉を聞いた。
――……たす、け、て。
「助けてやる。だから、一緒に行こう」
ラインが少女に触れた瞬間、彼女を縁取るように青い光がほのかに輝く。ラインの体には翡翠色の光が縁取った。
「いやぁぁ! 浄化される! 浄化されるぅうう!」
少女は苦しみもがいた。中で「彼女」が夢魔と戦っているのだ。ラインは温かな光を感じながら彼女に自分の魔力を送る。
――私の中から、出ていって!
「ひぎぃいいい!」
遂に夢魔が少女から剥がれ落ちた。ぬいぐるみの海に沈む。夢魔は浄化の力に当てられて蒸発寸前だった。
少女が起き上がる。美しい青の瞳をラインに向けた。
「助けてくれて、ありがとう」
柔らかな微笑みが向けられた。ラインは思わず彼女を抱き締めた。
「ライン?」
妹を思い出したラインは、彼女のぬくもりが懐かしく感じた。あたたかい。希望の光を抱いているようだった。
「よかった。無事だな?」
「うん、大丈夫」
少女も彼のぬくもりで落ち着いてきた。ラインが離れる。決意の眼差しで少女を見た。
「行こう。脱出するんだ」
「うん!」
二人は手を繋いで部屋から出ていった。
フェイラストは魔眼を起動し、実験用の銃を握ってダーカーに現れる赤い印を撃ち抜いた。実験体として連れられた理由をこうして使うことになるとは思ってもいなかった。
「急げ! あと少しだ!」
反逆に賛同した実験体の皆が戦っている。転移の紋のある部屋はもうすぐだ。
「フェイラスト、ダーカーに捕まった奴が殺されてる!」
「分かってる! だけど、もう引き返すことはできない! 進め!」
フェイラストが指示を出して仲間を誘導した。
「ライン、何してんだ」
待っていても彼の姿が見えない。しびれを切らしたフェイラストは、転移の紋の部屋へと向かった。
ラインは少女の手を引いて実験施設を駆け回る。白衣のスタッフ達が驚いていた。
「実験体が逃げ出したぞ!」
叫ぶ声を聞いたのか、ライン達の前にダーカーが立ち塞がった。
「実験体No.2081、どういうつもりかな?」
「そこを通してもらおうか」
こんなところで立ち止まってなんかいられない。自分はここから脱出するんだ。彼女と共に自由を掴み取るんだ。ダーカーの犬に成り下がってたまるか!
――その決意、気に入った。
意識に直接語りかける声がした。瞬間、ラインとダーカーの間に翡翠色の光が現れる。
「この光は、なんだ!」
ダーカーがまぶしさに顔を手で覆った。ラインは不思議そうに光を見つめる。
――取れ、新たな主よ。
光に手を伸ばす。ラインは柄を握って引き抜いた。鍵のかかっていた部屋にあった、あの聖剣だ。
「その剣は」
少女に見覚えがあった。自分の持つ聖剣と対となる力を持ったその剣は。
「レーヴァテイン」
少女が呟く。ラインの手に握られた剣は、強い光を放った。
「ォオ、ウォオオオ!!」
目の前のダーカーが蒸発していく。浄化の力を増した剣がダーカーを打ち消した。光が収まる。ラインの左手には、冴えざえと光る剣が握られていた。
薄緑色に輝く刃がきらきらと淡く輝いていた。ラインはまだ知らないが、これは持ち主の意思によって刃が生まれ、切れ味を増すのだ。光る剣は決意を高めたラインを現していた。
「行こう」
「うん」
右手に少女の手を握って、施設を駆け回った。
他の実験体の人、スタッフだった白衣の人。彼らは肉の床に血を流して倒れていた。彼らが道しるべとなって、ラインと少女はようやく転移の紋の部屋に辿り着いた。しかしそこはダーカーが道を阻んでいる。
「ここまでだ。素直に諦めて実験体としての余生を過ごせ」
「そうだゼ。特にお前は『熾天使量産計画』の最高傑作と言っても過言ではねぇんだゼ」
「逃がしてたまるか」
ラインは少女の手を離し、両手に剣を構えた。
(これだけの相手をするのは、父さんに教えてもらっている)
一人ずつしっかりと倒していけばいい。ラインは未知なる力を持つ剣の魔力を感じ取る。きっと大丈夫。
(父さん、力を貸してくれ。彼女を守る力を)
ラインは目を閉じる。神経を集中した。ダーカーが嗤っている。一匹のダーカーがラインに向かって突撃した。
(今だ!)
かっと目を開いて剣を振るう。ダーカーを横一閃に切り裂いた。
「ギャアアアア!!」
ダーカーが浄化されて蒸発した。他のダーカーも身構える。
「あとは、私がやれるから」
背後の少女が浄化の術式の詠唱を終えていた。彼女は浄化を司る白紋でフィールドを制圧する。ダーカーが叫び声を上げた。
「やめろぉおおお」
「ヒギィッ!」
「この力は、嫌いだぁぁ!」
次々とダーカーが浄化されていく。細かな粒子となってダーカーの体が消えていった。
「お前、すごいな」
「うん。浄化の術式は得意だから」
「そういえば、名前、聞いてなかったな。なんて言うんだ?」
少女はにこりと笑った。
「ルフィア。ルフィア・E=C・シェルミンティア。創造源神の子どもって情報は知ってるよね」
「あぁ。聞いてる」
「よろしくね、ライン」
「よろしく」
背後の通路から足音が聞こえてくる。二人は転移の紋に乗った。
「ここではないどこかへ、連れていってくれ!」
転移の紋は応える。白い光を放ち、二人を遠くへと運んだ。
白衣の男はテーブルに乗っていた書類を撒き散らした。実験体No.2081が創造源神の娘と共に、ゲヘナを離脱したとの報告を受けたのだ。
「まぁいい。奴の精子は手に入れている。また造ればいいさ……!」
白衣の男は黒い手で握り拳を作り、机を叩いた。
……わるい、ゆめ。
運命に抗え。
歴史を裏切れ。
未来を変えろ。
己の道を示してみせろ。
……うんめいに、あらがう。
ごぼ。ごぼごぼ。
ラインは意識を取り戻した。培養槽の中で呼吸器から酸素を吐き出す。ガラスの向こう側に白衣の男が立っていた。穢れを含んだ紫の液体が放出される。ラインは槽から出た。タオルが投げられる。
「よし。無事に穢れと闇が沈着したようだ。次はもっと進化するように、触手の魔神との性交だ。君の精子も採取したいからね」
どこかで、この言葉を聞いた気がする。そして、自分は聞くんだ。
「セーラは?」
「ん?」
「俺の妹は、助かるんですよね?」
そう。こう聞いて、彼は言うんだ。
「あぁ、それなら」
白衣の男は鼻で笑う。
「無理だよ。人をよみがえらせるなんてのは」
白衣の男はくすくす笑う。
「一応理論としては成り立っているみたいだよ。だけど、あんなもの実行しても、化け物が生まれてくるだけで、なんの材料にもなりはしない。何、君、本気で助かると思ってたの?」
「あなたはセーラを助けてくれるって、言ったじゃないか」
「あぁ、そんなこと言ったっけ? 一度死んだ人間はよみがえらない。アンデッドとかの魔物にしたいなら話は別だけどね」
ラインの中で唯一だった希望が打ち砕かれた。妹は助からない。しかしラインは崩れ落ちなかった。しっかりと二本の足で立っている。彼を見据えた。
「ぼくは君を早く実験に回したかった。だからそう言って誘ったのかもしれないけど。軽率だねぇ。上手い餌に釣られちゃって。あーあ、カワイソウ、カワイソウ!」
けらけら笑って白衣の男はラインを見下す。
「ほら、次の実験は君の精子を採取しないといけないんだ。早くしてくれ」
白衣の男は背を向けてあの場所へ行く。
「……運命に、抗え」
記憶の中で誰かが言っていた。ラインは手に視線を落とす。妹が助からない。それはどこかで知っていた。自分は確かにここで、今、白衣の男から同じ言葉を聞いた。そんな気がする。遠い記憶の向こうでぼんやりと覚えていた。
「行こう」
ラインは次の実験に向かった。
触手の魔神の部屋にやって来た。ラインは恐怖を覚えながらも、自分からゆっくりと触手に巻かれた。これから起こることを知っていた。触手の魔神が花を揺らして雌しべを伸ばす。ラインの口の中に入れようとした。
「……これは、悪い夢だと思え」
ラインは意を決して雌しべにしゃぶりついた。甘い蜜が口の中いっぱいに広がる。媚薬の効果がある蜜を喉に通した。
「さあ、始めようじゃないか……」
触手の魔神が雌しべを引っ込める。愛し子を抱くように、雄しべを伸ばしてラインを掻き抱いた。ラインの下半身は触手の群れの中に埋まっている。自ら股を開いて受け入れる姿勢を見せる。触手の魔神は喜んで彼の秘孔に触手を伸ばした。
「んっ、くっ……!」
媚薬で火照る体。尻をほじる触手が腹の中をぐねぐねと動き回る。意思を強く持って羞恥に耐える。
「はぁ、あっ、あ」
確か精子の搾取を命令されているはずだ。ラインは動く片手で自分の股間を弄りだす。
「ほら、早くしろよ」
彼の行動に気づいた触手の魔神は、先端を四つに割った触手で彼の陰茎にしゃぶりついた。彼の性器を粘液と共に舐め回す。と、尻に入っていた触手が抜けて、熱く大きなモノの先端が押し付けられた。頭がゆっくり入ってくる。
「あっ、はぁっ、あっが……!」
自分をしっかり保っていないと意識が飛びそうだった。腹の中を侵攻する触手のイチモツがぐにぐにと体内を進む。苦しさと快感が同時に巡った。吐きそうになったが我慢した。
「はぁ、はぁ、……早く、しろ」
痛みは媚薬によって快感に変換されている。股間をしゃぶる四つ割りの触手に愛撫され、ラインは達しそうだった。
「ん、く、あっ」
腹の中でピストン運動が始まっている。激しい動きにラインが喘ぎ出す。股間からは先走りの液が漏れ出ていた。
「はぁっ、あっ、ぐっ、んんっ」
媚薬で頭がくらくらする。刺激が強すぎる。下から突き上げられ体が揺さぶられる。触手の魔神が甲高い声を上げた。ラインの最奥を突き上げ、たっぷりと精液を吐き出した。隙間から溢れ出た精液が垂れ落ちる。
「あっ、ああァあッ!」
ラインも触手の中に射精した。媚薬によって射精が長い。濃厚な白濁を触手の中にびゅるると吐き出した。
「はぁ、はぁっ、……んっ!」
息を荒く吐く。腹の中から触手のモノが抜かれた。ごぷっと音を立てて尻から大量の精液が溢れた。
触手の魔神はラインの頭を雄しべで撫でた。まるで自分の子どものように愛しく接した。気に入られた証拠である。ラインの性器から触手が離れた。ゆっくりと扉の前に下ろされる。スタッフがすぐに回収した。
(また液体の中に入れられるんだな……)
ラインはぼうっとしながらも、ストレッチャーに乗せられて運ばれる先を考えた。
(どうにかして、液体から出られないだろうか)
そう考えて、ラインの意識は飛んだ。
一ヶ月後、ラインは培養槽から出された。いつもの白衣の男ではなく、眼鏡をかけた別な男性に。よろよろと出てきたラインはタオルを投げられる。
「初めまして、だな」
「かはっ、……お前は?」
眼鏡の男は手を差し出した。彼の手を取った。力強く握られた。ラインも握り返して握手を交わす。
「お前が噂の実験体No.2081だな。本当の名前は?」
「……ライン・カスティーブ」
「ラインか。分かった。これからオレが案内することは他言無用だ」
「ちょっと待ってくれ、名前は?」
「オレはフェイラスト。フェイラスト・ディクストスだ。よろしく」
「あぁ。よろしく、フェイラスト」
彼はラインについてくるように言った。ラインはタオルで体を拭くと、かごに入っていた服を下だけ着てフェイラストについていった。
「フェイラスト、お前は実験体じゃないのか?」
「最初の頃はオレも実験体だったぜ。でも、白衣着て動いてる方が使えると思ったのか、今はスタッフの一人をやってる。お前が触手の魔神にいいようにされているのも見てたぞ」
「……忘れてくれ」
「ははっ、だろうな」
フェイラストは迷い無く施設を進む。鍵がかかった部屋についた。ポケットから鍵を取り出して開ける。部屋の中には、片羽を伸ばす剣がガラスケースに入れられていた。
「なんだ、これは」
「こいつは、かつてアンディブ戦争の際に使われたとされる聖剣だ。ほんとに使われたか詳しくは知らねぇけどよ。なんでも使い手を選ぶって話だ」
「そんな大層なものが、どうしてこんなところにあるんだ?」
「大昔、ダーカーが熾天使の遺体を持ってきた際に拾ってきたみたいだぜ。だけど、こいつを触ったダーカーが蒸発したって話だ。だから術式で封印してここに飾ってるとさ」
フェイラストはラインを見据える。
「お前は『熾天使量産計画』で生まれた超優良児だ。だから、お前ならできると思って話している」
真剣なフェイラストの目を見て、ラインも彼の深緑の瞳を見据える。
「お前なら、この剣を使って逃げられる。ここから脱出できる。オレは他の逃げ出したい実験体の奴を唆してる。けれど、反逆できる力がないんだ」
「俺をここに連れてきたのはそのためか」
「あぁ。お前だったらこの封印を解けると信じてる」
ラインは剣を見つめた。翡翠色をした聖剣は美しくほのかに光っている。ガラスケースに手を伸ばした。強い光の魔力を感じる。
――時期尚早。まだその時ではない。
ラインの頭の中で声がした。
「……何か言ったか?」
「オレは何も言ってないぜ」
ならば、どこから。ラインは剣を見た。それは変わらず静かに光を放っている。
「そろそろ時間が無くなってきた。頼む。お前に協力を頼みたいんだ。できるか?」
自分がここにいなければならない理由は既に消えた。それならば、脱出計画をやるまでだ。
「いいだろう。俺がこの剣を取ってダーカーを斬ろう」
「ありがとよ。一ヶ月後に決行する。頼むぜ」
「ああ、分かった」
フェイラストとラインは再び強く握手を交わした。彼らは急いで部屋に鍵をかけて出ていく。ラインを元の培養槽へ戻しに行く途中、白衣の男とばったり出会ってしまった。
「なんで実験体No.2081が施設を歩いているんだ」
白衣の男は訝しげにフェイラストを睨む。彼は焦らずに答えた。
「創造源神の娘との接触実験に移ろうと思っていたのですが、どこの部屋にいるのか迷ってしまいましてね。どこでしたっけ?」
「ああ、その実験か。いつかしようと思っていたんだ。今でもいいか。この部屋だ」
白衣の男は黒い手でペンを走らせる。メモをフェイラストに渡して彼は去っていった。
「危なかったな」
「けっこうやばかったぜ。さて、じゃあ言う通りの実験に移るとしますか」
フェイラストとラインは歩きながら話を続ける。
「創造源神の娘ってのは、なんだ?」
「創造源神っていう神サマの娘らしいぜ。ダーカーが誘拐してきたらしくてな。夢魔を取り付かせて、彼女の自我を消す実験を実行中だ」
「そうか。……接触実験、か」
「一週間の接触実験だ。他の奴も接触実験したけど、どいつもひでぇ目に遭って三日以内にダウンしたぜ。お前も、気をつけろ」
着いたぜ、とフェイラストが立ち止まる。
「オレは別室でモニターしてる。こっから先はお前一人で行きな」
「分かった。ありがとな」
御武運を、と言って彼は手を振って別れた。ラインは肉壁に埋まった扉を開ける。横開きの扉は固かった。ガコン、と外れるような音がしたと思うと、するすると開いた。控え室のような小部屋に扉がひとつある。ラインは扉をノックした。
「はぁい」
可愛らしい声がした。ラインは扉を開ける。目に飛び込んできた部屋は、足の踏み場もないくらいの様々なぬいぐるみでいっぱいだった。
「いらっしゃい。あなた、初めての人ね」
白髪の少女はクマのぬいぐるみを抱いて椅子に座っていた。淑やかに足を揃えている。ラインは扉を閉めて中に入った。近くにあった椅子に座る。
「お名前はなんていうの?」
「ラインだ。ライン・カスティーブ」
「そう。ふふ、最近有名な実験体No.2081さんでしょ」
「そうも呼ばれているな」
ラインは白髪の少女を見つめた。彼女はクマのぬいぐるみの手を動かして遊んでいる。
「聞こえたわ。あなたが触手の魔神に犯される声。いい響きね」
「……できれば聞こえてほしくなかったが」
「いいじゃない。私、好きよ」
「なぁ、お前の名前は?」
白髪の少女はラインと目を合わせた。天色と深海色が交錯する。
「私の名前は、無いわ」
「名前が無い?」
「実験が完了するまで、私の名前は無いの。素敵な名前を頂けるんだわ。きっとそう」
ラインは彼女に不思議な魅力を感じた。本能的に惹き付けられる何かがある。
だが、思い出してほしい。フェイラストが言っていなかったか。彼女は夢魔に自我を消されようとしていることを。ラインは名前すら消された彼女をしっかりと見据えた。
「いい名前をもらえるといいな」
「ふふ、そうね」
少女は笑う。まるで天使のように。
ラインは目をそらす。妹を思い出してしまった。
「セーラ……」
「なぁに、それ?」
「いや、なんでもない」
突然放送が入った。接触実験は終了とのことだ。ラインは部屋を後にした。
「また明日」
少女は笑顔で手を振った。
接触実験は順調に進んだ。少女に問いかけても曖昧な答えが返ってくるだけで、会話は弾まなかった。しかしラインには、ある想いが沸々とわき上がってきた。
(彼女を、助けることはできないだろうか)
セーラと重ねて見ていた。彼女の笑顔がまぶしかった。自分にもう一度チャンスがあるならば、彼女を救いたい。こんな実験施設からおさらばしたい。彼女と共に。ラインはそう思うようになっていった。
(フェイラストの脱出計画の時に、連れ出せたらいいんだが)
ラインはどう彼女を説得するか悩んだ。行動は全てモニターされている。何か方法はないだろうか。
考えているうちに、とうとう接触実験最終日になった。
ラインは彼女に気に入られていた。今日はぬいぐるみで遊んでいた。白髪の少女は楽しそうにしている。
「それでね、白衣の人達はみんな私を怖がるのよ」
「それは困ったな」
「でもいいの。私は生まれ変わって新たな名前をもらうんですもの」
――……けて。
「なんだ?」
ラインの耳に、目の前の少女と同じ声が入った。疑問を浮かべながら彼女を見つめる。目の前の少女は不思議そうに首をかしげた。
「なぁに?」
――たす、けて。
今度ははっきりと聞こえた。彼女の声だ。
「……待って、「私」が邪魔しに出てきてる」
ラインが彼女の腕を掴んだ。少女が驚いて固まる。
「待ってくれ。「お前」の声が聞きたい」
「違うわ。私は私よ。何もいないわ!」
少女がラインを突き飛ばした。ぬいぐるみの中に埋もれる。すぐ起き上がって「彼女」の声を探る。
――たす、け、て。
「俺が、助けてやる」
「やめて!」
「だから諦めるな」
「いや!」
「お前を、必ず助ける!」
――……ありがとう。
「やめてって言ってるでしょ!」
「それでいいんだ」
ラインは強く決意した。彼女を助けると誓った。妹を亡くした彼の償いでもあった。
「もういや! 出ていって!」
扉が開いてスタッフが入ってきた。ラインの腕を抱えて部屋から摘まみ出した。
「私は私よ。私は私。私は私……!」
体の奥が温かい。「彼女」が希望を抱いたせいだ。
「いやぁぁぁああ!」
頭を抱えて少女は暴れた。ぬいぐるみを投げつけ、踏みつけ、ナイフで切り裂いた。綿が部屋中に散らばる。少女は目覚めた「彼女」に苦しんだ。
*******
あれから一ヶ月が経つ。
ラインは培養槽に浸っていた。フェイラストが培養槽から液体を抜く。
「……上手くいけよ、ライン」
培養槽からラインが出てきた。タオルを投げる。彼は体を拭いて服を着た。
「決行の日だ。やるぞ、ライン」
「あぁ、分かった」
彼が言うには、反逆の手筈は既に整っているとのこと。フェイラストの計画に賛同した者達が、次々に培養槽から液体を抜いていく。
「彼らも仲間か」
「そうだぜ。それと、お前に教えとかなきゃいけない場所がある」
「なんだ?」
「転移の紋ってやつだ」
フェイラストは施設の地図を取り出す。広げてラインに示した。
「いいか、脱出口はこの転移の紋だ。ここは自動的に行き先が決まっている。しかも一定の時間が経つとランダムに場所が変わる。万が一お前と一緒に脱出できなかった場合だ。ここを目指すと逃げられる。使いかたは分かるな?」
「転移をすると指示を出せばいいのか?」
「そうだ。それでいい。じゃあ、始めるぞ」
「待ってくれ」
ラインがフェイラストを呼び止める。彼は立ち止まって振り返った。
「あの子を俺は連れていかなきゃいけない」
「あの子って、まさか創造源神の娘さんか?」
「そうだ。助けると約束した。彼女を連れ出してから俺はここを出ていく。別行動になると思う。お前は先に出ていってくれ」
「了解したぜ。無理はすんなよ。ここはダーカーの巣窟だ。白衣の連中にも油断はするな」
「あぁ。生きてまた会おう」
二人は強く握手を交わした。そして動き出す。フェイラストは培養槽から出された人々に声をかけて回る。ラインはあの部屋へ向かって駆け出した。
ゲヘナが騒がしくなった。フェイラストの意思に賛同した者達が動き始めたのだ。武器となるものは少ないが、持てるものを構えて反逆を始めた。ラインを担当していた白衣の男は、想定内の出来事に何も焦らなかった。
「すぐに鎮圧されるさ」
実験体No.2081さえ残っていればどうでもよかった。彼は自室でマグカップを傾けていた。
白髪の少女は騒動が起きていることを悟る。音が肉壁を伝って聞こえるのだ。
「いったいなんの騒ぎかしら」
扉の向こうでは何がおこなわれているのか。興味があった。不意に扉が開いた。出てきたのはラインだ。
「一緒に逃げよう」
彼は手を差し出す。少女はそっぽを向いた。
「嫌よ。私はここで暮らすの」
「それが「お前」の本心ではないことぐらい分かってる。俺は助けると約束した。誓ったんだ」
「うるさいわ!」
突然、悪態をついていた少女が苦しみだした。胸を押さえてうずくまる。ラインは不安に思って近寄る。意識に語りかけてくる言葉を聞いた。
――……たす、け、て。
「助けてやる。だから、一緒に行こう」
ラインが少女に触れた瞬間、彼女を縁取るように青い光がほのかに輝く。ラインの体には翡翠色の光が縁取った。
「いやぁぁ! 浄化される! 浄化されるぅうう!」
少女は苦しみもがいた。中で「彼女」が夢魔と戦っているのだ。ラインは温かな光を感じながら彼女に自分の魔力を送る。
――私の中から、出ていって!
「ひぎぃいいい!」
遂に夢魔が少女から剥がれ落ちた。ぬいぐるみの海に沈む。夢魔は浄化の力に当てられて蒸発寸前だった。
少女が起き上がる。美しい青の瞳をラインに向けた。
「助けてくれて、ありがとう」
柔らかな微笑みが向けられた。ラインは思わず彼女を抱き締めた。
「ライン?」
妹を思い出したラインは、彼女のぬくもりが懐かしく感じた。あたたかい。希望の光を抱いているようだった。
「よかった。無事だな?」
「うん、大丈夫」
少女も彼のぬくもりで落ち着いてきた。ラインが離れる。決意の眼差しで少女を見た。
「行こう。脱出するんだ」
「うん!」
二人は手を繋いで部屋から出ていった。
フェイラストは魔眼を起動し、実験用の銃を握ってダーカーに現れる赤い印を撃ち抜いた。実験体として連れられた理由をこうして使うことになるとは思ってもいなかった。
「急げ! あと少しだ!」
反逆に賛同した実験体の皆が戦っている。転移の紋のある部屋はもうすぐだ。
「フェイラスト、ダーカーに捕まった奴が殺されてる!」
「分かってる! だけど、もう引き返すことはできない! 進め!」
フェイラストが指示を出して仲間を誘導した。
「ライン、何してんだ」
待っていても彼の姿が見えない。しびれを切らしたフェイラストは、転移の紋の部屋へと向かった。
ラインは少女の手を引いて実験施設を駆け回る。白衣のスタッフ達が驚いていた。
「実験体が逃げ出したぞ!」
叫ぶ声を聞いたのか、ライン達の前にダーカーが立ち塞がった。
「実験体No.2081、どういうつもりかな?」
「そこを通してもらおうか」
こんなところで立ち止まってなんかいられない。自分はここから脱出するんだ。彼女と共に自由を掴み取るんだ。ダーカーの犬に成り下がってたまるか!
――その決意、気に入った。
意識に直接語りかける声がした。瞬間、ラインとダーカーの間に翡翠色の光が現れる。
「この光は、なんだ!」
ダーカーがまぶしさに顔を手で覆った。ラインは不思議そうに光を見つめる。
――取れ、新たな主よ。
光に手を伸ばす。ラインは柄を握って引き抜いた。鍵のかかっていた部屋にあった、あの聖剣だ。
「その剣は」
少女に見覚えがあった。自分の持つ聖剣と対となる力を持ったその剣は。
「レーヴァテイン」
少女が呟く。ラインの手に握られた剣は、強い光を放った。
「ォオ、ウォオオオ!!」
目の前のダーカーが蒸発していく。浄化の力を増した剣がダーカーを打ち消した。光が収まる。ラインの左手には、冴えざえと光る剣が握られていた。
薄緑色に輝く刃がきらきらと淡く輝いていた。ラインはまだ知らないが、これは持ち主の意思によって刃が生まれ、切れ味を増すのだ。光る剣は決意を高めたラインを現していた。
「行こう」
「うん」
右手に少女の手を握って、施設を駆け回った。
他の実験体の人、スタッフだった白衣の人。彼らは肉の床に血を流して倒れていた。彼らが道しるべとなって、ラインと少女はようやく転移の紋の部屋に辿り着いた。しかしそこはダーカーが道を阻んでいる。
「ここまでだ。素直に諦めて実験体としての余生を過ごせ」
「そうだゼ。特にお前は『熾天使量産計画』の最高傑作と言っても過言ではねぇんだゼ」
「逃がしてたまるか」
ラインは少女の手を離し、両手に剣を構えた。
(これだけの相手をするのは、父さんに教えてもらっている)
一人ずつしっかりと倒していけばいい。ラインは未知なる力を持つ剣の魔力を感じ取る。きっと大丈夫。
(父さん、力を貸してくれ。彼女を守る力を)
ラインは目を閉じる。神経を集中した。ダーカーが嗤っている。一匹のダーカーがラインに向かって突撃した。
(今だ!)
かっと目を開いて剣を振るう。ダーカーを横一閃に切り裂いた。
「ギャアアアア!!」
ダーカーが浄化されて蒸発した。他のダーカーも身構える。
「あとは、私がやれるから」
背後の少女が浄化の術式の詠唱を終えていた。彼女は浄化を司る白紋でフィールドを制圧する。ダーカーが叫び声を上げた。
「やめろぉおおお」
「ヒギィッ!」
「この力は、嫌いだぁぁ!」
次々とダーカーが浄化されていく。細かな粒子となってダーカーの体が消えていった。
「お前、すごいな」
「うん。浄化の術式は得意だから」
「そういえば、名前、聞いてなかったな。なんて言うんだ?」
少女はにこりと笑った。
「ルフィア。ルフィア・E=C・シェルミンティア。創造源神の子どもって情報は知ってるよね」
「あぁ。聞いてる」
「よろしくね、ライン」
「よろしく」
背後の通路から足音が聞こえてくる。二人は転移の紋に乗った。
「ここではないどこかへ、連れていってくれ!」
転移の紋は応える。白い光を放ち、二人を遠くへと運んだ。
白衣の男はテーブルに乗っていた書類を撒き散らした。実験体No.2081が創造源神の娘と共に、ゲヘナを離脱したとの報告を受けたのだ。
「まぁいい。奴の精子は手に入れている。また造ればいいさ……!」
白衣の男は黒い手で握り拳を作り、机を叩いた。
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