その牙っ娘にエサを与えないでください

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 順調に商品をさばいていって、昼をすこしすぎるころには『完売しました』の文字が、ナツ菓子舗の戸板に貼り付けられた。

「おつかれさま! きょうもたくさん売れたわね」
「おお。ほら、お前も座って休め。後片付けは飯のあとでいいから」

 笑顔に疲れをにじませたナツメグとゼトは板間に腰かけて、満足感にひたっている。
 ひとり土間に立っているリュリュナは、促されているのに立ち尽くしたままで、きゅうと前掛けのはしを握りしめてがばり、と頭を下げた。

「ごめんなさいっ!」
「なんだあ?」

 突然の謝罪に、ゼトがおどろいたように片眉を上げた。

「どうしたの、リュリュナちゃん。なにか失敗してしまったのかしら」

 あらあら、と立ち上がったナツメグがリュリュナの肩に手を添えて、頭を上げるようにうながす。のろのろと頭をあげたリュリュナは、ただでさえ下がり気味の眉をしょんぼりとさせて、もごもごとくちを開いた。

「きょう、ヤイズミというお嬢さまがクッキーを買いに来て……」
「ああ、立派な翼をお持ちのきれいなかただったでしょう。ここいら一帯の海運事業を取りまとめてる白羽根のお嬢さまね」

 ヤイズミを見たことがあるのだろう、ナツメグは思い出にうっとりしているような顔でうなずいた。
 それを聞いて「一帯を取りまとめ……」とリュリュナは、まったく知らなかった相手の大きさをぼんやりと実感して、ぶるりと震える。

「どうした、その白羽根のお嬢さまと、なんかあったのか」

 顔を青ざめさせたリュリュナに、ゼトが板間に腰かけたまま促す。ひそめられた眉のしたで見つめてくる瞳に浮かぶ気遣いの色に背中を押され、リュリュナはぽつぽつとしゃべる。

「その。ヤイズミさまが、クッキーを買いに来たんですけど。行列を作っていたお客さまがヤイズミさまをよけて、道を開けてしまって」
「あー……」
「そうでしょうねえ……」

 想像のつく光景だったのだろう、ゼトもナツメグも、なんとも言えない顔でうなずいた。
 
「それで、開いた道を通ってヤイズミさまがクッキーを買いに来たんですけど。あたし、ちゃんと並んで順番を待ってもらわないと、売れません、って言っちゃって……」

 そこまで言って、リュリュナはふたたび勢いよく頭をさげた。

「すみませんっ! お店の方針も確認しないで、勝手な対応をして!」

 良かれと思ってとった対応だった。けれど時間が経つにつれ、勝手な対応だったと思い至って、リュリュナは後悔していた。
 ほかのルールを守ってくれている客に配慮した、つもりだった。ユンガロスの希望に沿う行動をとった、つもりだった。
 けれど、それらはいずれもリュリュナの判断でしかない。ここはナツメグとゼトの経営する菓子舗だ。なにが正しい対応かを判断するのは、彼らだ。それに気が付いて、リュリュナは頭を下げたのだった。

 申し訳ない気持ちと、やってしまったという後悔でリュリュナは顔をあげられない。深く、身体を折るように頭を下げ続けるリュリュナの頭に、ぽん、とやわらかいものが触れた。
 ぽんぽん、となだめるように叩く手といっしょに、静かな声が落ちてきた。低く、おだやかに響くのはゼトの声だ。

「間違ってねえぞ。お前の対応で合ってる。おれがそこにいても、同じことしてた」
「そうねえ。わたしもそれでいいと思うわ。ということは、どんな方でもお客さまは公平に扱うべき、というのがナツ菓子舗の方針なのね。これまではなんとなくでやっていけていたから決まってなかったけど、そう決めましょう」

 そう言って、ナツメグがリュリュナの背中をさする。やさしく、温かい手になだめられて、リュリュナはゆるゆると顔をあげた。
 涙でうるんだリュリュナの目をのぞきこんで、ゼトが顔をしかめる。

「お前の対応は間違ってねえが、迷ったら聞きにこい! 困ったときもすぐ呼べ! それでもしもお前が怖い目にあったり痛い目にあったら、どうするんだ!」
「うぅっ……!」

 怖い顔をして大きな声で心配することばを向けられて、リュリュナの瞳が決壊した。
 ぼろぼろと涙をこぼす顔を隠すように、ナツメグがそっとリュリュナを抱きしめる。

「そうよ。なかには、怒って手をあげるお客さまだっているかもしれないの。困ったときはひとりで解決しようとしないで、わたしたちを呼んでちょうだい。お願いよ」

 ぬくもりに包まれて、やさしいことばを向けられて、リュリュナは声を押さえることもできなくなった。

「ごっ、ごめんなざい! ごめんさないぃ……!」
「ううん、きちんと決めて伝えていなかったわたしが、悪かったわ」
「お前はがんばって対応したんだし、ちゃんとおれたちに報告もしたんだ。謝ることなんてねえんだぞ」

 泣きながら謝るリュリュナにナツメグとゼトがそう言うものだから、いよいよリュリュナは泣きじゃくるのを止められなくなった。
 
 ―――これじゃまるっきり子どもだ。

 そう思いながらも、あふれる涙と声を受け止めてくれるナツメグの胸はあたたかくて、なだめるように頭をなでるゼトの手はやさしくて、リュリュナは心ゆくまで泣いた。

 泣きに泣いて、涙が枯れたころ。
 
「ほら、食え」

 そう言って、ゼトが差し出してきたのは温かいうどんの器だった。思わぬ湯気に視界を奪われたリュリュナは、きょとんと目を丸くした。
 湯気のあいまに、ゼトの手元にある盆が映る。盆のうえには、どんぶりがあとふたつ乗っている。
 いつの間に買って来たのだろう、と問う間もなく、ナツメグがそっと身体を離してリュリュナを板間に誘う。

「泣くと、おなかすくでしょう? お昼もまだ食べてなかったから、これは菓子舗のまかないね。きょうはおまんじゅうの売れ残りがないから、遠慮せず食べてね」
「表出て、すぐのとこで屋台やってるおっちゃんのうどんだ。行列の騒動を見てたらしいぞ。ちっさいのが立派なこと言ってたから、おまけだってよ」

 いたずらっぽく笑ったゼトに首をかしげて、差し出されたうどんと盆に乗ったうどんを見比べて、リュリュナは「あ」と声を上げた。

「えび天、おまけだってよ。きのう食べたからいらないっていうなら、おれが食うぞ?」

 にやっと笑って手を伸ばしてくるゼトを見て、リュリュナはあわててどんぶりを抱え込んだ。

「た、食べます! 揚げ物だいすきだから、いただきますっ」
「まあ、ふふふ。良かったわねえ」
「へへ、ちびだからな。いっぱい食えってことだろ」

 ナツメグとゼトが笑って、それぞれどんぶりを手に板間に座ると、だれからともなく「いただきます」と声があがる。
 うどんをすする音が店に響くころには、リュリュナはすっかり笑顔になっていた。 
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