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「守ります。おれが必ず守ると、誓います。けれど、もうすこし詳しく説明してもらえますか?」
「ええと……説明するより見てもらったほうが早いと思うから」
言うなり、リュリュナは何気ない動作で異形のそばへ歩み寄った。
鎖で戒められていても、異形が腕を一振りすれば容易にリュリュナを切り裂けるほど近く。
ユンガロスは、異形のわずかな動きすら見逃さないと限界まで緊張を高めた。
それを感じてか、異形は地に伏せた姿勢のまま身じろぎもしない。
むしろ、動いたのはリュリュナだった。
近寄っただけでなく異形の目の前にしゃがんだリュリュナは、ひょいと手を出して異形の鼻づらを撫でた。
止める間もなかった。
ただ、ユンガロスはいつでも飛び出せるようひっそりと足先に力を込めるなか、ヤイズミが驚きに息を飲む音がした。
続いて「くぅん」と甘えたような鳴き声。
「……鳴き声?」
「くぅぅん」
予想外の音にまばたきするユンガロスとヤイズミの耳に、もう一度はっきりと甘えた子犬のような鳴き声が届く。
その声は、リュリュナがやさしく撫でる手のしたから聞こえていた。戒められた異形のくちから、聞こえていた。
「やっぱり。ユングさま、この子は理性をなくしてなんてないですよ」
肩越しに振り返ってにっこり笑うリュリュナの手は、いまだ異形の鼻づらを撫でている。異形に尻尾があったなら、うれしくてたまらない犬のように振り回されていただろう。そう思ってしまうほど、異形はおとなしくリュリュナに撫でられている。
「どういう、ことでしょう」
「ええと。この子が唸ったり暴れたりしてたのって、あの赤い顔のおじさんと細長い顔のおじさんがしゃべってるときばっかりだったんです」
呆然と問いかけるユンガロスに、リュリュナが答える。答えながら、異形の鼻にまかれた戒めをかりかりと引っ掻いている姿を見て、ユンガロスは信じられない気持ちのまま手を貸した。
リュリュナの手では外せなかった戒めも、ユンガロスの手にかかれば軽く引きちぎられて、異形のくちが自由になる。
ぱかり、と開いたくちは獣らしく鋭い牙をびっしりと生やしており、ユンガロスは緩んでいた気持ちを一気に引き締めた。しかし。
「あぃ、あぃ……あぃと!」
ぱかりと開いた異形のくちはリュリュナに食いつくことなどなく、音をこぼした。
鋭い牙を持つ恐ろしいくちからこぼれたのは、吠え声ではなかった。
不器用につぶれていたけれど、それは間違いなくひとのことばだ。
「ありがと、って言ってるのかな? ちいさいのにお礼が言えて、えらいねえ」
「しゃべ、るの……? 意外と声が低い、のね?」
にこにこ笑うリュリュナに鼻づらを撫でられて、異形はうれしそうにリュリュナの手に頭をすりつけている。
ヤイズミは混乱しているのだろう。目を見開いたまま、妙なことをつぶやいた。
ユンガロスもいよいよ目の前の光景が信じられなくなっていたが、呆然としてばかりもいられない。リュリュナの横に並んで膝をついて、異形の手足にかけられた鎖を握りしめた。
「わあ! ユングさま、力持ちですね!」
容易く砕けた鎖を見てリュリュナが声をはずませる。場違いに明るい声が耳になじんで、ユンガロスは鎖を砕くたびいつもの調子を取り戻していった。
からん、と最後の鎖を壊してしまえば、異形の獣が待ってましたとばかりに跳び起きた。
けれどその牙も爪も誰に向けられるでもなく、ただ自由になった身体をはずませている異形を見つめ、ユンガロスはつぶやく。
「これほど力を集め、赤い目を持っているのに、どうして……どうして理性を失くしていないのでしょう」
「ユングさまだって、ちゃんと理性を持ってるじゃないですか」
ユンガロスの喘ぐようなつぶやきに、あっけらかんと答えたのはリュリュナだった。
立ち上がってうれしそうに異形を眺めていたリュリュナが、しゃがんだままのユンガロスを見下ろしてにっこり笑う。
「ユングさまもとっても強くてきれいな赤い目をしてるけど、とってもやさしいです。だから、きっとこの子も大丈夫だ、って思ったんです」
「どう、して……」
何でもないことのように信頼を寄せてくれるリュリュナに、ユンガロスの心の戒めが緩む。
「どうして、信じられるんですか。この城を壊した者のように、いつおれの理性が無くなるかわからない。いま、この瞬間にもあなたの信頼を裏切って、その首を絞めてしまうかもしれないのに、どうして」
それは、ずっとユンガロスの胸にくすぶっていた不安だった。
赤い目に生まれついた彼に、両親は過去にあった恐ろしい出来事を語った。隠さず、両親の知る限りを語られた赤い目の少年は、強くなろうと決意した。
力に負けて理性を失わないほどに、強くなろうと決意したけれど。
「……すこし違っていれば、あそこで鎖に戒められているのはおれだったかもしれないんです。この城を破壊した者のように、誰かを壊してしまうかもしれないんです」
強くあろうと誓うとともに、恐れてもいた。いつか己が理性を失くすのではないかと、疑っていた。
「おれは、おれを信じ切れなかった。いまも信じ切れていない。それなのに、あなたは。リュリュナさんは、どうしておれを信じてくれるのですか」
戒めの緩んだユンガロスは、明確な答えを求めてリュリュナに詰め寄った。いつ裏切るとも知れない強さではない、甘やかでやさしいことばにすがろうと、答えをねだる。
ひざまづいたまま、救いを乞うように見つめてくるユンガロスに、リュリュナは考えるそぶりを見せた。しばしうなり、ひとつうなずいてから答えを出す。
「わかりません!」
「え……」
暗い期待は、朗らかにへし折られた。ユンガロスがすがる先をリュリュナは持っていなかった。
それなのに、彼女は明るく続ける。
「いつか暴走するかもしれないけど、ずっと力に負けないかもしれない。どうなるかわからないんだったら、あたしは信じるほうを選びます。悪い想像ばかりして動けなくなるくらいなら、あたしは明るい未来を信じたい」
それは、前世の記憶を取り戻した幼いころにリュリュナが出した答えだった。
村の暮らしを良くしたい。そう思ったけれど、なにひとつ思うようにいかなくて、けれどあきらめきれなかったリュリュナが折れないために自身に言い聞かせたことばだった。
「うまくいかないかもしれない、暴走してしまうかもしれない。そんなふわふわした理由で、ユングさまといる未来をあきらめたくはありませんから」
にこり、と笑ったリュリュナに、ユンガロスの心の箍はあっけなく壊れた。
見開かれた赤いひとみから、透明な雫がこぼれてほほを伝う。
理性的であろうと常に取り繕っていた表情をなくして、ユンガロスは泣いていた。
「おれ、おれも、あきらめたくありません。理由もなく誰かを傷つけたくない。ひとのまま生を全うしたい。大切なひとと共に生涯を送りたい……」
ひざまづいたまま涙を流すユンガロスの頭を、リュリュナはそっと抱きしめた。
彼の望みを叶えるような力をリュリュナは持たない。前世からの知識を総動員しても、そんな奇跡を起こすことはできない。
それでもユンガロスが心のまま泣けるように、と願って、リュリュナはやさしく彼の頭を自身の胸に引き寄せた。
「ええと……説明するより見てもらったほうが早いと思うから」
言うなり、リュリュナは何気ない動作で異形のそばへ歩み寄った。
鎖で戒められていても、異形が腕を一振りすれば容易にリュリュナを切り裂けるほど近く。
ユンガロスは、異形のわずかな動きすら見逃さないと限界まで緊張を高めた。
それを感じてか、異形は地に伏せた姿勢のまま身じろぎもしない。
むしろ、動いたのはリュリュナだった。
近寄っただけでなく異形の目の前にしゃがんだリュリュナは、ひょいと手を出して異形の鼻づらを撫でた。
止める間もなかった。
ただ、ユンガロスはいつでも飛び出せるようひっそりと足先に力を込めるなか、ヤイズミが驚きに息を飲む音がした。
続いて「くぅん」と甘えたような鳴き声。
「……鳴き声?」
「くぅぅん」
予想外の音にまばたきするユンガロスとヤイズミの耳に、もう一度はっきりと甘えた子犬のような鳴き声が届く。
その声は、リュリュナがやさしく撫でる手のしたから聞こえていた。戒められた異形のくちから、聞こえていた。
「やっぱり。ユングさま、この子は理性をなくしてなんてないですよ」
肩越しに振り返ってにっこり笑うリュリュナの手は、いまだ異形の鼻づらを撫でている。異形に尻尾があったなら、うれしくてたまらない犬のように振り回されていただろう。そう思ってしまうほど、異形はおとなしくリュリュナに撫でられている。
「どういう、ことでしょう」
「ええと。この子が唸ったり暴れたりしてたのって、あの赤い顔のおじさんと細長い顔のおじさんがしゃべってるときばっかりだったんです」
呆然と問いかけるユンガロスに、リュリュナが答える。答えながら、異形の鼻にまかれた戒めをかりかりと引っ掻いている姿を見て、ユンガロスは信じられない気持ちのまま手を貸した。
リュリュナの手では外せなかった戒めも、ユンガロスの手にかかれば軽く引きちぎられて、異形のくちが自由になる。
ぱかり、と開いたくちは獣らしく鋭い牙をびっしりと生やしており、ユンガロスは緩んでいた気持ちを一気に引き締めた。しかし。
「あぃ、あぃ……あぃと!」
ぱかりと開いた異形のくちはリュリュナに食いつくことなどなく、音をこぼした。
鋭い牙を持つ恐ろしいくちからこぼれたのは、吠え声ではなかった。
不器用につぶれていたけれど、それは間違いなくひとのことばだ。
「ありがと、って言ってるのかな? ちいさいのにお礼が言えて、えらいねえ」
「しゃべ、るの……? 意外と声が低い、のね?」
にこにこ笑うリュリュナに鼻づらを撫でられて、異形はうれしそうにリュリュナの手に頭をすりつけている。
ヤイズミは混乱しているのだろう。目を見開いたまま、妙なことをつぶやいた。
ユンガロスもいよいよ目の前の光景が信じられなくなっていたが、呆然としてばかりもいられない。リュリュナの横に並んで膝をついて、異形の手足にかけられた鎖を握りしめた。
「わあ! ユングさま、力持ちですね!」
容易く砕けた鎖を見てリュリュナが声をはずませる。場違いに明るい声が耳になじんで、ユンガロスは鎖を砕くたびいつもの調子を取り戻していった。
からん、と最後の鎖を壊してしまえば、異形の獣が待ってましたとばかりに跳び起きた。
けれどその牙も爪も誰に向けられるでもなく、ただ自由になった身体をはずませている異形を見つめ、ユンガロスはつぶやく。
「これほど力を集め、赤い目を持っているのに、どうして……どうして理性を失くしていないのでしょう」
「ユングさまだって、ちゃんと理性を持ってるじゃないですか」
ユンガロスの喘ぐようなつぶやきに、あっけらかんと答えたのはリュリュナだった。
立ち上がってうれしそうに異形を眺めていたリュリュナが、しゃがんだままのユンガロスを見下ろしてにっこり笑う。
「ユングさまもとっても強くてきれいな赤い目をしてるけど、とってもやさしいです。だから、きっとこの子も大丈夫だ、って思ったんです」
「どう、して……」
何でもないことのように信頼を寄せてくれるリュリュナに、ユンガロスの心の戒めが緩む。
「どうして、信じられるんですか。この城を壊した者のように、いつおれの理性が無くなるかわからない。いま、この瞬間にもあなたの信頼を裏切って、その首を絞めてしまうかもしれないのに、どうして」
それは、ずっとユンガロスの胸にくすぶっていた不安だった。
赤い目に生まれついた彼に、両親は過去にあった恐ろしい出来事を語った。隠さず、両親の知る限りを語られた赤い目の少年は、強くなろうと決意した。
力に負けて理性を失わないほどに、強くなろうと決意したけれど。
「……すこし違っていれば、あそこで鎖に戒められているのはおれだったかもしれないんです。この城を破壊した者のように、誰かを壊してしまうかもしれないんです」
強くあろうと誓うとともに、恐れてもいた。いつか己が理性を失くすのではないかと、疑っていた。
「おれは、おれを信じ切れなかった。いまも信じ切れていない。それなのに、あなたは。リュリュナさんは、どうしておれを信じてくれるのですか」
戒めの緩んだユンガロスは、明確な答えを求めてリュリュナに詰め寄った。いつ裏切るとも知れない強さではない、甘やかでやさしいことばにすがろうと、答えをねだる。
ひざまづいたまま、救いを乞うように見つめてくるユンガロスに、リュリュナは考えるそぶりを見せた。しばしうなり、ひとつうなずいてから答えを出す。
「わかりません!」
「え……」
暗い期待は、朗らかにへし折られた。ユンガロスがすがる先をリュリュナは持っていなかった。
それなのに、彼女は明るく続ける。
「いつか暴走するかもしれないけど、ずっと力に負けないかもしれない。どうなるかわからないんだったら、あたしは信じるほうを選びます。悪い想像ばかりして動けなくなるくらいなら、あたしは明るい未来を信じたい」
それは、前世の記憶を取り戻した幼いころにリュリュナが出した答えだった。
村の暮らしを良くしたい。そう思ったけれど、なにひとつ思うようにいかなくて、けれどあきらめきれなかったリュリュナが折れないために自身に言い聞かせたことばだった。
「うまくいかないかもしれない、暴走してしまうかもしれない。そんなふわふわした理由で、ユングさまといる未来をあきらめたくはありませんから」
にこり、と笑ったリュリュナに、ユンガロスの心の箍はあっけなく壊れた。
見開かれた赤いひとみから、透明な雫がこぼれてほほを伝う。
理性的であろうと常に取り繕っていた表情をなくして、ユンガロスは泣いていた。
「おれ、おれも、あきらめたくありません。理由もなく誰かを傷つけたくない。ひとのまま生を全うしたい。大切なひとと共に生涯を送りたい……」
ひざまづいたまま涙を流すユンガロスの頭を、リュリュナはそっと抱きしめた。
彼の望みを叶えるような力をリュリュナは持たない。前世からの知識を総動員しても、そんな奇跡を起こすことはできない。
それでもユンガロスが心のまま泣けるように、と願って、リュリュナはやさしく彼の頭を自身の胸に引き寄せた。
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