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ここらで、ちょっと一服

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 騒動の翌朝。
 まだ寝ていろ、ゆっくりしなきゃだめよと気遣ってくれるゼトとナツメグに囲まれて、リュリュナはいつもより遅めの朝ご飯を終えた。

「洗い物はあたしが……」
「だめよ。きょうのリュリュナちゃんのお仕事は、ここで座ってお茶を飲むことです!」

 本日、ナツ菓子舗はお休みだ。
 昨夜は、ゼトもナツメグもリュリュナが気になって仕込みどころではなかったらしく、店が開けられない。急遽「本日休業」の張り紙をして、臨時休業となった。
 迷惑をかけて申し訳ないと言うリュリュナに「たまには休みを取らねえとな。ちょうどいいや」とゼトは笑ってくれる。

「リュリュナちゃんがかけたのは迷惑じゃなくて心配。だから、わたしたちを安心させたいなら、ゆっくり休んでちょうだいね」

 笑顔のナツメグに湯呑を渡しながらそう言われてしまっては、リュリュナはおとなしく茶をすすることしかできない。
 洗い物はゼトが素早く下げてしまい、そのまま洗っているようだ。

「今回は本当に、災難だったわねえ。ひどい怪我がなかったのだけが、何よりだわ」
「はい。怖い相手かと思ったら実はいい子だったし、ユングさまがすぐ助けに来てくれましたし」 

 昨日の件でリュリュナが負った怪我らしい怪我といえば、フチに強くつかまれた手首に跡がついたくらいのものだった。放っておけば治る程度のものだ。
 こうなったらゆっくりした時間を楽しもう、とリュリュナがナツメグに返したとき。
 とんとんとん、と表の木戸が叩かれた。
 反射的に立ち上がりかけたリュリュナを制して、ナツメグが腰を浮かす。その横を、濡れた手をぬぐいながらゼトが足早に抜けて行った。
 
「おはようございます」
「なんだ、副長さまか」

 木戸越しに聞こえた声に緊張感を霧散させて、ゼトが木戸を引き開けた。
 半歩身を引いて来客を招き入れれば、黒衣をまとった長身がするりと店に入りこむ。

「ユングさま!」
「おはようございます、リュリュナさん」

 思わぬ姿に目を丸くして立ち上がったリュリュナに、ユンガロスがにっこりと笑いかける。
 ユンガロスとリュリュナが会うのは、昨夜ぶりだ。城跡から救出されたリュリュナは、ユンガロスの腕に抱かれてナツ菓子舗に戻った。店の戸を叩き、慌てて飛び出したゼトとナツメグにリュリュナを託すと、ユンガロスは「事後処理をしなければいけませんから」とすぐに去って行ったのだった。

「ユングさま、お仕事もう大丈夫なのですか? 疲れてないですか? ここで休んでいきますか、それともお家まで送りますか?」
「仕事はすべて隊長に任せてきました。これまでろくに働いてなかったのだから、ちょうど良いくらいでしょう。疲れなど、リュリュナさんに会ったら吹き飛びました。でもせっかくですから、座らせてもらいましょう」

 きっとついさっきまで仕事をしていただろうと気遣うリュリュナに、ユンガロスは黒眼鏡越しの目をにこにこと細めて答え、リュリュナがいる板間に腰かけた。
 そして、そばに立っていたリュリュナを自然な動作で抱えて、自身のひざに座らせた。

「え……えと?」
「あらあら」
「……あ、姫さん?」

 唐突なユンガロスの行動にリュリュナは戸惑い、ナツメグはほほに手をあててうふふと笑う。
 説明する気もリュリュナを膝から下ろす気もなさそうなユンガロスを見て、困ったように視線をさまよわせたゼトは、開いた木戸の向こうにたたずむヤイズミを見つけて目を丸くした。

「あの、わたくし……」
「ああ、リュリュナに用があるのか。ナツ姉、久しぶりにふたりで買い物に行こうぜ」
「そうねえ。すっかり暖かくなる前に、あったかい甘味もいただきたいものね」

 言いよどむヤイズミを見て、ゼトはすぐさまナツメグを誘って店を出ていく。
 ゼトは去り際にそっとヤイズミの背を押して店のなかに招き入れた。そうして、義姉弟は静かに戸を閉めて立ち去った。
 店のなかに残されたのは、リュリュナとユンガロスとヤイズミの三人だ。

「ああ、手首に跡がついてしまいましたね。なんてことだ」

 どういう状況だろう、と視線で問うリュリュナだけれど、ユンガロスは心配げにつぶやいて、リュリュナの手首の跡を見つめるばかり。一方、ヤイズミは固い表情で床を見つめて黙り込んでいる。
 
「あの……?」

 たまりかねたリュリュナがくちを開きかけたとき、ヤイズミが意を決したように顔を上げた。

「フチが、わたくしの家のものが申し訳ありませんでした!」

 言うなり、ヤイズミは勢いよく頭を下げる。
 きれいな白い長髪で隠れて彼女の顔は見えないが、合間からのぞく長い耳はへしょりと垂れて、背中の翼も心なしかしょんぼりと力なく縮こまっている。
 思わず立ち上がって駆け寄ろうとしたリュリュナだったが、腹に回されたユンガロスの腕のせいで、立ち上がることすらできなかった。

「ユングさま!」

 抗議の意味をこめて名を呼ぶけれど、ユンガロスの腕ははずれない。にこにこと笑いながらリュリュナの頭をなでている。

「昨夜の顛末が判明しました。貴族制度の復活を企(くわだ)てた元貴族ふたりが、身内にいた力の強い者同士をかけ合わせてあの獣を生み出した。そして、さらなる力を求めて白羽根に目をつけていた元貴族たちが、ヤイズミ嬢の侍女をそそのかして、リュリュナさんをさらわせた、ということです」

 リュリュナをなでる手はやさしいままに、ユンガロスは淡々と語った。「ついでにおれの、黒羽根の血が薄まるのを防ぎたかったなどとわめいてもいましたが」そう言って、ユンガロスは肩をすくめる。
 それにうなずき改めて顔をあげたヤイズミは、きゅっとくちびるを引き結んだ。

「フチがいなければ、起こりえない事件でした。本当に、お詫びのしようもなく……」
「そんな、ヤイズミさまが悪いわけじゃないのに!」

 再度、頭をさげようとするヤイズミを見て、リュリュナはあわてて止めようと声をあげた。けれどヤイズミは、ゆるゆると首を横に振る。

「わたくしは、フチに友だちになってほしかったのです。けれどフチは白羽根の姫の側仕えとして育てられ、そして本人もそうなりたいと望んでいたから、わたくしはそれに合わせてしまった。それなのにフチの望む姫を演じきれなくて……わたくしが、彼女を追い詰めたのです」

 そう言うヤイズミこそ、追い詰められたような表情をしていた。追い詰められ、けれどそこから逃れようとする気などない、とうかがえるヤイズミを見て、リュリュナはことばに詰まった。
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