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 例年になく豪華なご馳走は、これまた例年になくたっぷり用意されていたけれど、飢えた村人たちにかかれば多すぎるなどということはなかった。
 桜のしたで飲めや食えやの宴をはじめてから数刻。太陽が高く昇るころには用意された食べ物も飲み物も、すっかり無くなってしまう。

「さあて、それじゃあ片付けだ! 酔いつぶれたやつはそのまま寝かせとけ。動けるやつはちいさい子どもを家に連れて帰ってくれ。手が空いてるやつは、片付けをはじめてくれ」

 村長の声を合図に、のんびりとおしゃべりに興じていた村人たちが立ち上がる。
 ところどころで赤い顔をして寝転がっているのは、つい酒を過ごした酔っ払いたちだ。いつもは乾杯用の酒を舐めるように楽しむ彼らは、二杯目どころか何杯でもおかわりできる酒におおいに喜び、そして潰れた。
 
 幸せそうな顔で寝転がる酔っ払いたちは、しばらくすれば気持ちよく目を覚ますだろう。年に一度の酒とはいえ、常になく良い酒を飲んだのだから、悪酔いはしないはずだ。

 言われるままに幼児たちを連れて幾人かが立ち去ると、残った者たちの手で宴会のあとが見る見るうちに消されていく。
 料理の入っていた器がすっかり片付いて、敷いてあった筵(むしろ)もあらかた巻き上げられる。
 そうしてぽつりぽつりと残っているのは、酔っ払いが転がっている筵(むしろ)だけとなった。

「ようし、それじゃあ自分が持ってきたものは自分で持って帰ってくれ。器は手が空いてるみんなで洗うように。終わり、解散!」

 荷物を抱えた村長が声を張れば、立っている村人たちはぞろぞろと桜に背を向ける。どのひとも、手に手に筵や器を持っている。

「……これで終わりですか?」

 宴の余韻を残した顔で立ち去る村人たちを見つめてつぶやいたのは、ユンガロスだ。
 荷運びなら役に立てると担ごうとした荷物は村人たちに奪われて、ユンガロスの手は空っぽだ。村人いわく、おいしいご馳走や土産を持ってきてくれたことですでに貢献しているから、働かせるわけにいかないらしい。

 その待遇を甘んじて受け入れたユンガロスだったが、飲んで食べて桜を見上げて祭りはおしまい、という状況は受け入れ難かったらしい。

「いまのは、祭りの前の宴ではないのですか?」
「えっ、ユングさん食べ足りなかったですか。みんな遠慮なく食べちゃうから、あんまり食べられませんでしたか? もうこのあとは、夕飯までなにも出てきませんよ」

 ユンガロスと同じく片付けに参加させてもらえなかったリュリュナが、ぱたぱたと自身の服を叩き始めた。どこかにつまむ物のひとつも入ってないか、と探すリュリュナにほほをゆるめながら、ユンガロスは首を横に振った。

「せっかくですが、腹は空いていません。ただ、祭りと聞いておりましたから、何がしかの神事なり行うものかと思っていたものですから」

 宴のあとにも何かあると思っていたらしいユンガロスは、きまり悪げに髪をかきあげる。
 それに返事をしたのはやはり片付けを免除されて、桜を見上げていたチギだ。ルオンは先に休むと、村のほうへ帰っていた。

「こんなちっぽけな村の祭りに、神事なんて立派なもんがあるかよ。せいぜい、賑やかに騒いで御膳を供えるくらいだぜ」
「おいおい、チギ。うちの村の祭りだって、おれが子どものころはちゃんと神事もしてたんだぞ。街から偉いひとたちが来てな、それはそれは賑やかなもんだった」

 村をちっぽけだと言うチギに村長が反論する。
 村長の弁にユンガロスがおや、と眉をあげた。

「村長どのの子どものころとおっしゃいますと、どれほど前なのでしょう」
「あー、おれももう四十過ぎだから、あれは三十年くらい前になるなあ。ちょうどチギやリュリュナくらいの歳のころだったか」
「くわしく伺っても?」

 祭りの話を請うユンガロスに、村長は頭をかきながらくちを開く。

「なんせ三十年も前だ。おれもガキだったし、大したことは話せねえが」

 そう前置きしてから村長が話し出す。

「村の祭りのときになると毎年、街から何人か貴族が来てな。なんで貴族ってわかるかって、そりゃもうきらびやかな服を着てるし、立派な角やら羽根やら生やしてたからな。そうそう、お客さまみたいにさ」

 村長の視線はユンガロスの頭に注がれていた。リュリュナが強そうでかっこいいと評した大きな角。

「そんで、村には宿なんかないから、おれの家に泊まるわけだ。こんなでも一応、村長だからな。でも、祭りの宴の場にその貴族たちはいないんだ。ついでに、そのとき村長してたおれのじいさんや、村長見習いしてた親父もいない」

 腕を組んで遠い過去を振り返るように目を閉じていた村長は、ぱちりと片目を開けていたずらっぽく笑う。

「そしたら、どこにいるか気になるってもんだろ? だから幼気な少年だったおれは、こっそり宴会を抜け出して親父たちの姿を探したわけだ。そしたら」

 組んでいた腕を外した村長はその腕を伸ばして桜の木の向こう、山のさらに奥を指差した。

「あの向こうにある、大岩さまの前に居たんだ。じいさんも親父も、それから街の貴族たちも」
「大岩さま?」

 村長の指が示す先を見たユンガロスだが、そこに見えるのは桜のしたのわずかな平地から続く坂。斜面の先は途切れていて、春のやわらかなうす水色の空が広がるばかり。
 
「あの坂をのぼりきった向こうに、大きな大きな岩があるんです。ちいさいころに見たきりだけど、あたしの家くらいあったかな?」
「あー、リュリュん家より大きいんじゃねえか?」

 ここからは見えない大岩について話すリュリュナとチギに、村長が声をあげた。

「おいおい、お前ら大岩さまのとこまで行ったことあるのか。悪さしてねえだろうなあ?」

 いたずらっ子を見るような目を向けられて、リュリュナは慌てて首を横に振り、チギはむすりとくちをへの字に曲げた。

「そんな、悪さなんてしません! ただ、なんだろうなあと思って見て、それだけです」
「そうだぜ。おれら、そんないたずらなんかしやしねえよ。信用ねえなあ」

 リュリュナとチギの態度に村長がなにかを言うより早く、くちを開いたのはユンガロスだった。

「その大岩さまの前で何をするのでしょう。ご覧になりましたか」
「あー、隠れて見てたから詳しくはわからないんだが。貴族たちが大岩さまを囲んで何かしたらしくて、岩が動いたような記憶はあるんだが……」

 応える村長の歯切れは悪い。
 
「なんだよ、肝心なとこ覚えてねえんじゃねえか。何かってなんだよ」
「うーん、それがなあ。どうにも思い出せんで……おれももう歳かなあ」
「そんな。四十歳ならまだこれからですよ。村長さんはまだお嫁さんももらってないんだし」
「うわ、リュリュそれ言うなよ! 村長、気にしてるんだから」
「えっ! そうだったの! わわわ、村長さんごめんなさーい!」

 どんよりと沈んだ村長を、リュリュナとチギのふたりがかりで励ます。騒がしいその横で、ユンガロスはひとりここからは見えない大岩に意識を向けて、なにごとか思案していた。
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