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リュリュナとチギがことばを尽くして慰めて、村長の丸まっていた背中がようやくゆるゆると起き上がってきたころ。
黙ってなにごとかを考えていたユンガロスもまた、うつむき加減になっていた顔をあげた。
「その大岩さまを見せていただくことは可能でしょうか」
「へ。いや、ああ。別に、見る分には構わねえよ。減るもんでなし」
不意に問われた村長が答えれば、チギがからりと笑う。
「すこしくらい減ったとしても、でか過ぎてわかんないしな!」
「もう、チギってば。そんなこと言ったらバチが当たるよ」
リュリュナとチギの気安いやり取りを横目に、しゃがみこんでうなだれていた村長が立ち上がった。
「悪さしねえならお前らも来るか? 行ったところでただのでっかい岩があるだけなんだけどよ」
「村長だって扱いが雑だぜ」
「もうもう! 村長さんがそんな言い方するから、チギが真似しちゃうじゃないですか。もうー!」
ほほをふくれさせたリュリュナに叱られて村長は「え、おれが悪いのか?」などとつぶやいている。つぶやきにチギが「そうそう」と気軽に同意するのを聞いて首をかしげながらも、村長は桜の木のその向こうに続く坂道を登りだした。
にぎやかな三人にほほえましさを感じながら、ユンガロスはゆるゆると歩いていく。
村長の家までの坂ほど傾斜がきつくないため、いくらもしないうちに目当ての物が見えてきた。
はじめに目に入ったのはやわらかな鉛色。春の空に溶けそうなほど淡い色が見えた。
それが、岩だと気づいたのは坂の中ほどを過ぎた頃。
歩くたびに大きさを増す鉛色を眺めながら歩いていたユンガロスは、その全貌を知って感嘆のため息をもらした。
「これは、また……」
坂を登りきった先にあったのは、確かに大岩だった。リュリュナの家と大差ないほど巨大な岩は坂のうえのわずかな区画にある、というよりは鎮座していると表現すべき佇まいで立っていた。
つるりとした岩肌の中ほどに、横一文字に赤茶けた筋が入っている。うすい鉛色に走る一本線はまるで閉じた瞳のようで、なるほど神秘的なものとして辺境の村で祀られるのもうなずけた。
縦にも横にも大きい岩は、なにかの拍子に村へ向かって転がり落ちそうな位置にどっしりと構えている。
そんな岩の前に気軽に歩み寄った村長は、服のなかに隠していた荷物を引っ張り出した。布にくるまれた荷物の中身は見えない。
「村長さん、それなんですか?」
村長の横にちょっこりしゃがんで首をかしげるリュリナに、村長は出したばかりの布をするするほどいて中身を振ってみせる。
「酒だ。あと、ちょびっとだけど宴会で出した食い物も持ってきた。まあ、お供えだな」
ちゃぽん、と音を鳴らす瓶を大岩の前に置き、そのとなりにご馳走のほんの一部が並べられた。ご馳走は、乾燥した竹の子の葉に乗せられている。
「おれが大岩の儀式を盗み見して数年後に、村長だったじいさんと見習いをしてた親父が街に行ったきり帰らなくなってなあ」
竹の子の葉が飛ばないように小石で抑えながら、村長がぼんやりと言う。
「祭りのやり方を村の年寄り連中に聞いて回ったが、誰も知らん。家にあった記録を見ても、書いてるのはいつ貴族が来るかくらいで、儀式の内容については書いてない。だからせめてと思って、毎年ここに酒と食い物を供えてるわけよ」
意味があるのかは知らんがな、と苦く笑う村長を見て、リュリュナは黙って大岩に手を合わせた。
地面に膝をつき、むぎゅっと目をつむったリュリュナがくちを開く。
「えーと、今年もお供えものを持ってきました。ほんとのお祭りのやり方はわからないけど、気持ちはいっぱいこもってます。大岩さま、いつもみんなを見守ってくれてありがとうございます!」
目を閉じたまま言い切ったリュリュナの横に、チギも膝をついて座る。ぱちん、と音が鳴るほど勢いよく手を合わせたチギは「あー……」としばらく唸ってから目を閉じた。
「村はすんげえ貧乏だし暮らしはなかなか楽にならねえけど、村のみんな元気です! これからもずっと元気にやっていけますように!」
そろって大岩に頭を下げるふたりの若者の姿に、村長はなにか感じるところがあったらしい。
声もなくふたりを見つめたあと、大岩に向き直り手を合わせて目を閉じた。
ことばはなく、ただ頭(こうべ)を垂れた村長はなにを祈ったのか。
それは村長にしかわからないけれど、すこし離れて見ていたユンガロスは大岩に起きた変化を目にしていた。
村長が祈りを捧げた瞬間、大岩に走る赤茶色の一本線が光ったのだ。
ほんの、かすかな光だった。葉陰で明滅する蛍の明かりよりも弱々しい光だったが、春の日差しのしたでたしかにふわりと輝いた。
そして、それは村長が祈ったときだけではなかった。リュリュナが手を合わせ祈りをくちにしたときにも、チギが大声で願いを唱えたときにも、大岩の一本線はふわりと光を放っていた。
「これは……」
「ユングさん、どうしたんですか?」
岩のすぐそばにしゃがんでいたリュリュナたちは、その異変に気がつかなかったらしい。
ひとり岩を見上げるユンガロスに、そろって首をかしげている。
三人に見つめられながら、ユンガロスは大岩へ歩み寄った。
そっと手を伸ばし、触れた一本線は赤茶けた色で岩肌から浮いて見えるけれど、光を放ってはいない。
さらりとひと撫でし、岩をじっと見ながらユンガロスがくちを開く。
「村長どの。貴族たちがこの岩を囲んだあと、この岩が動いたように見えた、とおっしゃいましたね」
「お、おお。いや、動いたような気はするんだが、実際に動いてたかどうか。実は途中で見つかりそうになって最後まで見てないもんだから、ちょっと自信がなくてな……」
話を振られた村長が、大岩を見上げて自信なさげに言う。
「なんだよ、さっきよりあやふやになってるじゃねえか。まあ、こんだけでかい岩が動くとは思えねえけどさあ」
「そうだねえ。持ち上げるにも、ちょっと重たそうだよね。いくら力持ちさんがいっぱい居ても、難しそうだね」
チギが呆れながらも頷けば、リュリュナも「うーん」と眉を下げて同意する。
そんななか、ユンガロスは岩肌に触れていたのとはちがう腕を持ち上げて、両手のひらを岩に向けて言う。
「すこし、離れて見ていていただけますか。試してみたいことがあるのです」
黙ってなにごとかを考えていたユンガロスもまた、うつむき加減になっていた顔をあげた。
「その大岩さまを見せていただくことは可能でしょうか」
「へ。いや、ああ。別に、見る分には構わねえよ。減るもんでなし」
不意に問われた村長が答えれば、チギがからりと笑う。
「すこしくらい減ったとしても、でか過ぎてわかんないしな!」
「もう、チギってば。そんなこと言ったらバチが当たるよ」
リュリュナとチギの気安いやり取りを横目に、しゃがみこんでうなだれていた村長が立ち上がった。
「悪さしねえならお前らも来るか? 行ったところでただのでっかい岩があるだけなんだけどよ」
「村長だって扱いが雑だぜ」
「もうもう! 村長さんがそんな言い方するから、チギが真似しちゃうじゃないですか。もうー!」
ほほをふくれさせたリュリュナに叱られて村長は「え、おれが悪いのか?」などとつぶやいている。つぶやきにチギが「そうそう」と気軽に同意するのを聞いて首をかしげながらも、村長は桜の木のその向こうに続く坂道を登りだした。
にぎやかな三人にほほえましさを感じながら、ユンガロスはゆるゆると歩いていく。
村長の家までの坂ほど傾斜がきつくないため、いくらもしないうちに目当ての物が見えてきた。
はじめに目に入ったのはやわらかな鉛色。春の空に溶けそうなほど淡い色が見えた。
それが、岩だと気づいたのは坂の中ほどを過ぎた頃。
歩くたびに大きさを増す鉛色を眺めながら歩いていたユンガロスは、その全貌を知って感嘆のため息をもらした。
「これは、また……」
坂を登りきった先にあったのは、確かに大岩だった。リュリュナの家と大差ないほど巨大な岩は坂のうえのわずかな区画にある、というよりは鎮座していると表現すべき佇まいで立っていた。
つるりとした岩肌の中ほどに、横一文字に赤茶けた筋が入っている。うすい鉛色に走る一本線はまるで閉じた瞳のようで、なるほど神秘的なものとして辺境の村で祀られるのもうなずけた。
縦にも横にも大きい岩は、なにかの拍子に村へ向かって転がり落ちそうな位置にどっしりと構えている。
そんな岩の前に気軽に歩み寄った村長は、服のなかに隠していた荷物を引っ張り出した。布にくるまれた荷物の中身は見えない。
「村長さん、それなんですか?」
村長の横にちょっこりしゃがんで首をかしげるリュリナに、村長は出したばかりの布をするするほどいて中身を振ってみせる。
「酒だ。あと、ちょびっとだけど宴会で出した食い物も持ってきた。まあ、お供えだな」
ちゃぽん、と音を鳴らす瓶を大岩の前に置き、そのとなりにご馳走のほんの一部が並べられた。ご馳走は、乾燥した竹の子の葉に乗せられている。
「おれが大岩の儀式を盗み見して数年後に、村長だったじいさんと見習いをしてた親父が街に行ったきり帰らなくなってなあ」
竹の子の葉が飛ばないように小石で抑えながら、村長がぼんやりと言う。
「祭りのやり方を村の年寄り連中に聞いて回ったが、誰も知らん。家にあった記録を見ても、書いてるのはいつ貴族が来るかくらいで、儀式の内容については書いてない。だからせめてと思って、毎年ここに酒と食い物を供えてるわけよ」
意味があるのかは知らんがな、と苦く笑う村長を見て、リュリュナは黙って大岩に手を合わせた。
地面に膝をつき、むぎゅっと目をつむったリュリュナがくちを開く。
「えーと、今年もお供えものを持ってきました。ほんとのお祭りのやり方はわからないけど、気持ちはいっぱいこもってます。大岩さま、いつもみんなを見守ってくれてありがとうございます!」
目を閉じたまま言い切ったリュリュナの横に、チギも膝をついて座る。ぱちん、と音が鳴るほど勢いよく手を合わせたチギは「あー……」としばらく唸ってから目を閉じた。
「村はすんげえ貧乏だし暮らしはなかなか楽にならねえけど、村のみんな元気です! これからもずっと元気にやっていけますように!」
そろって大岩に頭を下げるふたりの若者の姿に、村長はなにか感じるところがあったらしい。
声もなくふたりを見つめたあと、大岩に向き直り手を合わせて目を閉じた。
ことばはなく、ただ頭(こうべ)を垂れた村長はなにを祈ったのか。
それは村長にしかわからないけれど、すこし離れて見ていたユンガロスは大岩に起きた変化を目にしていた。
村長が祈りを捧げた瞬間、大岩に走る赤茶色の一本線が光ったのだ。
ほんの、かすかな光だった。葉陰で明滅する蛍の明かりよりも弱々しい光だったが、春の日差しのしたでたしかにふわりと輝いた。
そして、それは村長が祈ったときだけではなかった。リュリュナが手を合わせ祈りをくちにしたときにも、チギが大声で願いを唱えたときにも、大岩の一本線はふわりと光を放っていた。
「これは……」
「ユングさん、どうしたんですか?」
岩のすぐそばにしゃがんでいたリュリュナたちは、その異変に気がつかなかったらしい。
ひとり岩を見上げるユンガロスに、そろって首をかしげている。
三人に見つめられながら、ユンガロスは大岩へ歩み寄った。
そっと手を伸ばし、触れた一本線は赤茶けた色で岩肌から浮いて見えるけれど、光を放ってはいない。
さらりとひと撫でし、岩をじっと見ながらユンガロスがくちを開く。
「村長どの。貴族たちがこの岩を囲んだあと、この岩が動いたように見えた、とおっしゃいましたね」
「お、おお。いや、動いたような気はするんだが、実際に動いてたかどうか。実は途中で見つかりそうになって最後まで見てないもんだから、ちょっと自信がなくてな……」
話を振られた村長が、大岩を見上げて自信なさげに言う。
「なんだよ、さっきよりあやふやになってるじゃねえか。まあ、こんだけでかい岩が動くとは思えねえけどさあ」
「そうだねえ。持ち上げるにも、ちょっと重たそうだよね。いくら力持ちさんがいっぱい居ても、難しそうだね」
チギが呆れながらも頷けば、リュリュナも「うーん」と眉を下げて同意する。
そんななか、ユンガロスは岩肌に触れていたのとはちがう腕を持ち上げて、両手のひらを岩に向けて言う。
「すこし、離れて見ていていただけますか。試してみたいことがあるのです」
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