魔女の托卵

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絶望に伸ばされた手

ライゼの罪

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 いまの話をどう受け止めるべきか、迷ったリッテルが視線を向けた先では、ライゼもまた苦しそうに拳を握り立ち尽くしていた。

 誰からも反論が上がらないのをいいことに、シェンダリオンは調子に乗ってさらに饒舌になる。

「その異相の獣もそうです」

 言われるままリッテルがのろのろと視線を向ければ、シェンダリオンの指し示す先には、倒れ伏した獣がいた。ライゼに投げ飛ばされたまま動いてはいないが、血にまみれた毛皮をまとう腹がかすかに上下しているのが見て取れるので、死んではいないらしい。

「それはもともと一人のひとの男と、ひとに飼われた一匹の獣でした。獣を飼っていたのは女でした。あるとき、女が獣を残して死にました。残されたのは男と獣。そのとき、おろかな男はなにを望んだと思いますか?」

「……女のひとが、安らかに眠れますように?」

 シェンダリオンに問いかけられたリッテルは、恐る恐る答えを口にした。それを聞いたシェンダリオンは、うれしそうに声を上げて笑う。

「ふっ、ははは! そう願えばよかったかもしれませんね! そのような願いであれば、魔女の呪いに触れても呪われずに居られたかもしれない。けれど、そうではなかったのです」

 くすくすと笑うシェンダリオンの声が届いたのか、獣の耳がぴくりと動いた。

「残されたおろかな男は、女の遺した獣とずっと一緒に居たいと望んだのです。おろかなことだ。けれど、望みはかなえられました。獣の体に人の顔を持つ、異相の獣の誕生です」

「ひとと、獣が、まざってるの……?」

 その異質さをかみしめるようにつぶやいたリッテルだったが、どこかで納得してもいた。この獣の目は、あまりにもひとのそれと似すぎていた。

「ありえないと思うでしょう。けれど、それすらも叶えるのが魔女の呪いです。そして、呪いに負けた者には力と同時に不幸をもたらすのもまた、魔女の呪いです」

 シェンダリオンが憐れむような視線を獣に向ける。

「獣と混ざり合った男は、ひととしての思考を失くしました。獣の身体、獣の思考、そこにひとの凶暴性とひとの瞳だけを残して生まれた異形は、近くにいた者たちを食い散らかしました。彼らはみな、獣になった男や死んだ女と親しくしていた住民だったと、その獣を引き取りに行った教会の者は聞いたそうですよ」 

 静かに語られる異相の獣の成り立ちに、リッテルはくちにすることばを持たなかった。

 ―――どうして。

 どうしてそんなことになってしまったのか。ただその思いだけが胸を満たし、苦しくなる。

「さあ、それで?」

 リッテルの苦い気持ちも、この場に広がる重苦しい空気もまるで感じていないかのように、シェンダリオンが明るい声をあげた。

「さあ、それであなたは、どのような不幸を振りまいて力を得たのでしょう? 周囲を呪いに巻き込んで、いったい何人を殺してきたのでしょう」

「そんな言い方!」

 からかうようなシェンダリオンの物言いにリッテルが思わず声を荒らげると、彼は眉をあげて心外だ、とでも言いたげな顔をして見せた。

「おや。しかし、きみの王子さまは答えられないようですよ? 答えられないような所業をしてきたのでしょう?」

「…………」

「ふふふ、では私が推測してあげましょう」

 黙りこくったライゼを笑って、シェンダリオンが嬉々とした様子で語りだす。

「見たところ、あなたの呪いは、力を増すことに働いているようだ。そうですね、おおかた、力を御しきれず家族や身近な者を殺してしまったというところでしょうか? それとも、異様な力を恐れた他者がお前の家族を人質にして、挙句、家族もろもと死んでしまった、なんていかがでしょう」

 まるですがる民に教えを説く聖職者のような顔をして、くちから出てくるのはひとの心をえぐるようなことばばかり。

 そのあんまりな言いように腹を立てたリッテルが食ってかかろうとした、そのとき。
 すぐそばでうつむいていたライゼが、ふらりと床に座り込んだ。

「ライゼ?」

「……ライゼが悪いんじゃないって、母さんは言ったよ。大丈夫だよ、みんなで何とかしよう、って父さんは言ったんだ」

 おどろいて名を呼んだリッテルの声が聞こえていないかのように、ライゼが手で顔を覆ったままつぶやいた。

「そうだよ。ライゼはがんばったんだ。そんな力があるなら村のために使えって大人たちが言うから。獣も追い払ったんだよ。森も切り拓いたんだよ。母さんも、がんばったねライゼ、って言ってたんだ。えらかったなライゼ、って父さんも言ってくれたんだ」

 ぼそぼそと言いながら、ライゼの身体はどんどん前に傾いていく。

「村に盗賊が来たときも、ライゼはがんばったんだ。みんなを守ろうと思ったんだ。なのに、なのに……」

「ライゼ……」

 とうとう床に伏せてしまったライゼに、リッテルはどう声をかけていいかわからない。悲しみのつまった苦しげな声を聞いて、戸惑うばかりだ。

「ライゼは化け物じゃないよ。村のみんなに怪我させたりしない。ちゃんといつも笑顔のいい子だよ。なのに、なんで近寄るななんて言うの? なんで、なんで母さんは地面に倒れてるの? どうして真っ赤なの? 助けて父さん、父さん! 父さん? 父さんの手足はどこ? 母さん、なんでもういいなんて言うの? さよならって、なに? ライゼはどこに行けばいいの。ライゼ、だいじょうぶって言ってよ。えらいえらい、って頭をなでてよ。ライゼの家族を返してよおぉ……」

 つぶやきは途中から嗚咽まじりになり、最後には涙とともに悲しみにまみれた叫びとなった。

 ―――ああ。だから、いつもおかしなしゃべり方をしてたんだ。

 ライゼの話を聞いて、リッテルは気が付いた。

 山のなかで見た夢に出て来た男の子は、ライゼだったのだ。

 愛されて、幸せだった男の子。けれど突然、現れた力のせいで暮らしが一変し、家族をなくして泣き崩れていた男の子は、ライゼだったのだ。

 そう思い至って、リッテルはライゼの奇妙な物言いに納得がいった。

 彼のおかしな物言いは、自身のことばだけでなく家族が言ってくれるだろうことば、言ってほしいことばを付け加えてしゃべっていたせいなのだ。亡くした家族を取り戻したくて、けれど失ったものは帰ってこなくて、自身のなかに残る家族のことばを自分でくちにしているのだ。

 その事実は、リッテルの胸を深くえぐる。状況に振り回されて悲しむ暇がないだけで、リッテルもまた家族を亡くした傷が癒えないままであった。幸せを突然なくして、泣いているのは彼だけではない。

 自身の傷さえ抱えきれないリッテルは、ライゼにかけることばを知らなかった。
 痛みを抱えて途方にくれるライゼをシェンダリオンが笑う。

「ははは。なんのひねりもない、つまらない話ですね。そうして両親を死なせ、村人を殺して逃げてきて、あなたの腹の力を嗅ぎつけたのでしょう。そして、腹の力を狙ってあなたにつきまとっているのでしょう。同じ魔女の力を身に宿すあなたなら、不幸に打ちかつのではないかと、勝手な希望を抱いて」

「…………」

 シェンダリオンのことばをライゼは否定しない。言い返すこともない。その沈黙が、肯定を示しているようだった。

 反応しないライゼの後頭部に興味を失ったように顔を上げたシェンダリオンは、リッテルを見ておだやかな笑顔を浮かべた。

「魔女に托卵される器を持ちながら、呪いに取り殺される。そんなつまらない結末を迎えたくはないでしょう? さあ、私の手を取りなさい。力を得た私と、魔女の力を腹に宿せる器を持つあなたならば、さらなる素晴らしい力を生み出せるでしょう」

 笑顔で差し出されたシェンダリオンの手を、獣のような爪と毛皮に覆われたひとの手を見つめて、リッテルは考えた。

 ―――ここに残って、お腹に宿った力をなんとかしてもらう? 教会だもの、食べるものも着るものも十分にある。このひとは嫌なひとだけど、あたしのお腹に力が宿ってるあいだは、殺されたりしないはず。
 無意識に腹をさすって、この手を取る利点を挙げていく。

 ―――ライゼと行って、どうなるの。ライゼも、あたしのお腹の力を狙ってるんだ。シェンダリオンといっしょじゃない。ライゼのそばじゃ満足な暮らしもできないだろうし、そのうえ呪いに殺されるかもしれない。

 魔女に托卵されたという腹をなでながら、ライゼとの未来を思う。ぼろぼろの服を着て、生きていく最低限の物しかもっていないライゼ。彼と行けば、苦労が絶えないだろう。強すぎる力はひとところに留まることを許さないだろうし、生活はままならないだろう。考えれば考えるほど、問題点ばかりが思い浮かぶ。

 けれど。

「……いやだ」

 リッテルのくちから出たのは、シェンダリオンへの拒絶。

 ―――こんなやつを選ぶのは、いや。

 考えに考えた頭のなかでも、浮かぶのは同じ結論だ。
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