先生は、かわいくない

市來茉莉(茉莉恵)

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15.また冷蔵庫からっぽ!

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 また、ハルが来た。

 午後診療の前にダイニングで昼食を取っているところに、『本日のお家のお手入れ報告』として晴紀が勝手口に現れる。『センセ、昨日も一昨日も冷凍のうどん食っていたな』と気がつかれてしまい、冷蔵庫を開けろと迫られた。

「センセ、どうしてまた冷蔵庫が空っぽ寸前になっているんだよ」

 この前は凛々しいスーツ姿でかっこよかったのに、まただらりとしたラフなティシャツ短パンの島男に戻ったハルに睨まれている。

「だって、まだ生協の配達の日じゃないから」
「その生協で頼んだものを計画的に使ってる?」

 すぐ食べちゃうかなー、あるいは腐らせちゃったかな。もしくは、たくさん買ったようで買っていなかったり、一週間分のものを買うバランスというのがよく掴めていない。美湖は自分の管理不足を知られたくなく、ぷいと顔を背けて黙り込む。

 また目の前で、年下の男の子に呆れられてしまう。

「それで、また買い物出不精になって空っぽ寸前なのか」
「島での買い物、すっごく難関なんだけれど」
「ああ、わかるよ。行こうとすると誰かが訪ねてくるんだよな? 休診の時も往診に来てくれって頼まれちゃうんだよな? そうだよな?」

 それのせいだけにも出来ないなと、美湖はまた黙り込む。めんどくさくて行かないのも、多少ある。だけれど、もう彼にはお見通しのようだった。

「わかった。また俺が買いに行くけれど! 俺にも買えないものあるだろう。そういうのないの」
「生理用品とか? それはちゃんと買いだめしておいたから大丈夫」
 またハルが顔を真っ赤にして仰天した顔に。
「だから! そういうことを、臆面もなく言うなって!」
「恥ずかしがる歳でもないし。あ、ごめん、若いハル君が恥ずかしいんだ」
「年齢は関係ないだろっ。女の慎みとかないのかよ」
 慎み? 美湖は首を傾げる。
「ちゃんとした女性としての大事な営みなのに? 恥ずかしがらなくちゃいけないの? 子供が産まれるのに大事なことだよね」
「だから、医者目線で言うなって。一般的な目線で考えろって……! 俺が言いたいのは、女の子が好むシャンプーとか、そういうもんは女性の目で選んだほうがいいんじゃないかって言いたかったんだよ」
「そっちは別になんでもいいけど」
 まったく意に介さない美湖を見て、また晴紀が唸りながら吼えた。

「もう、ほんっとに、先生はかわいくねえ!」

 本日もいただきました。ハル君からの『かわいくねえ』。美湖も溜め息をついた。

「まー、確かに。ちょっと欲しいもの自分で覗いてみたいから、今日は行ってみる」
「そうしたほうがいいよ。先生のプライベートだって大事なんだからな」
「うん、運転する気が起きたら行ってみる」

 またハルが冷蔵庫に手をついて『はあ』と溜め息、うなだれている。

「絶対に、絶対に、面倒くさくなって行かないか、その間に呼ばれて往診に行くか診察しちゃうかになっちゃうだろ」
「可能性大かなー。明後日には生協来るし、あるもので我慢できそう。食べ物以外は、ネットで取り寄せられるから困らないんだけれどねー」

 彼がまたあの険しい眼力で美湖を射ぬく。

「今日、夕方。診療時間が終わったら迎えに来る。誰か来る前にとにかくすぐに、うちの軽トラに乗って商店街に連れて行く!」
「閉店までギリギリじゃない」
「それでも行く! 短時間でも買い物の時間を作るんだ!」

 断ったらまた、きっつい言い合いになりそうだと思った美湖は、本心は『ちょっと買い物したい』でもあったので素直に頷いてしまった。

 


✿・✿・✿




「センセ、待合室で待ってるな」

 診療時間終了十分前に、ほんとうに来た。
 最後に来ていた小学生の女の子を診察している時に、顔を見せた。

「晴紀君、勝手に診察室を開けないでね。レディがいるんだから」

 小学校六年生の女の子がくすっと、付き添いのお母さんと一緒に笑ったから、またハルが顔を赤くした。

「あ、えっと。ひなた、ごめん……」
「ハルおじちゃん、先生に怒られてんの」

 ひなたちゃんが笑うと、ハルもさっさと撤退していったから美湖もつい笑っていた。

 海で浜遊びをしていたら腕や足の関節の付け根に湿疹が広がり、痒くなったという箇所を確認。軟膏と飲み薬を処方するが、数日経っても改善しなければ皮膚科へ行くよう母親に説明する。

「お大事に。ひなたちゃん」
「先生、ありがとう。治るまで、海、だめ?」
「そうだね、治るまで我慢だよ。それよりも掻いてできた傷から、またかゆくなっちゃう細菌がでてきて移って広がっていくのね。だから、治るまでなるべく掻くのは我慢しようね。治ったら海で遊んでいいよ」

 よかったとほっとする女の子を見て、浜遊びなんてやっぱり島の子なんだなあと美湖も微笑む。

 ひなたの母親もほっとした様子。母娘の帰宅で、本日の診療は終了。
 雑務を終えて待合室に白衣姿で行くと、ハルが雑誌を眺めて待っていた。

「おまたせ」
「さっさと行くよ、センセ」

 声がかからない内にと支度を迫られる。それを幼馴染みが来てから黙って眺めていた愛美がやっと間に入ってきた。

「もうハル兄はそうして、センセのことばっかり気にしてるんだ~」
 愛美がなにか見透かしたようににんまりと笑っている。途端にハルが素っ気ない顔に固まった。
「だってよ。このセンセ、放っておいたら島で飢え死にしそうなんだよ。不便な生活だって横浜に帰られたら困るだろ」

 いや、私は不便なりに適当にずぼらに暮らしていけるからいまのところ、なんとも思ってないかなと言いたかったが、なんとなく黙っていたほうが平和なような気がする。

「美湖先生、行ってきてください。私が片づけをしておかえりを待っていますから」
「でも、愛美さんだって帰宅したら一家の主婦なんだから。いまから忙しいでしょう」

 私は気ままな独身。どうにでもなるのだからと思ってのことだった。

「だから先生。たまになんですから。ちゃんと冷蔵庫をいっぱいにしておかないと、またうるさい男につきまとわれますよ~」
「つきまとうってなんだよっ」

 ハルが幼馴染みのからかいに憤ったが、愛美はケラケラ笑っている。

「うん。わかった。つきまとわれないよう、冷蔵庫いっぱいにする」

 美湖も真顔で言うと、おなじようにハルがつきまとってないと怒り出した。それを愛美と一緒に笑い飛ばした。





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