名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで〉

市來茉莉(茉莉恵)

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【後日談2】トロワ・メートル

40.私の北極星

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「秀星が矢嶋社長に連れられて引き抜かれてやてってきた時、篠田はそこに元々いたギャルソンの先輩に媚び売っていたんだよな」
「媚びって! 慕っていたと言ってくださいよ! だって当時、いちばんのリーダーだったじゃないですかあ」
「あまり褒められたリーダー『シェフ・ド・ラン』ではなかったな。だから、私もメートル・ドテルを引き継ぐ候補から外したんだから」

 あまり良くない先輩が蒼のそばにいたんだと、葉子は初めて知る。
 彼が苦労した話、聞かないほうが良かったかなと後悔が襲ってきた。葉子は、夫の若い頃を知りたいばっかりに聞いてしまった気持ちをなだめるように、ホットワインを呷る。

「秀星が来て正解だっただろ。職場の空気が浄化されたし、ギャルソンの統率もできた。矢嶋社長も気がついていたから、知らぬ顔をしつつ、外から候補を連れてきたんだよ。そのかわり、今井は辞めてしまったけれどな」
「でも。秀星先輩だって、こう、なんか、いけすかない言い方するんですよ……」

 いけすかない言い方。葉子も仕事中はけっこう厳しく言われたことを思い出して、あれのことかなと思い出していたが、いけすかないとは思ってはいなかった。
 でも確かに、プライベートのほのぼのお兄さんを知っていたから、信じて従っていたところはある。あれを知らないと、無表情で厳しいだけの男に見えたかもしれない?

「あれぐらい冷徹にものを言えなきゃ、あの若さでメートル・ドテルになれるもんか。まあ、秀星は人に媚びない分、仕事に忠実だった分、人にどう思われるだなんて気にしていなかったからな。だからこそ、孤独だったかもな。『長』は意外と孤独なもんだ。矢嶋社長が大沼に来て、気を抜いたようなお顔をされているのも、ここのレストランが癒やしなのだろう。私もそう、ここで生き返った。きっと秀星も。篠田、おまえもだろ」
「そうですね……。その前から、十和田シェフの料理から見えてくる気概と、葉子の動画配信に支えられていましたから」
「だろう。不思議だよなあ。俺たち、歴代メートル・ドテルが大沼に来てしまったんだから」

 いつもここで『奥ちゃんと出会って、結婚できちゃいましたっ』と、明るくしようとおどけそうなのに、蒼も感慨深そうな大人の男の微笑みを見せて、ホットワインのカップを見つめている。

「ほんとうに不思議ですね。この大沼の空気と、フレンチ十和田の人たち、だから、かな」
「そうだな。特に、あの十和田シェフの男気、奥様の深雪さんの柔らかなおおらかさ。そのお嬢様である葉子さんの感性豊かな素直さ、かな」

 うわ、静かに聞いていたら、思わぬ言葉で葉子を語ってくれたので、びっくりして飲んでいたホットワインを噴き出しそうになった。

「チーフ、私、そんな。なんにもできない大人だったんですよ」
「ずいぶん昔の二十代のころのことでしょう。気がついていないんですね。ソムリエ向きの表現方法が身についていましたよ。シャトー・ディケムを飲んだ感想、前も言いましたが、葉子さんは唄をたくさん唄ってきて良質な歌詞に触れてきたので、言葉の表現が身についているんですよ」
「それ、俺も思いました。初心者の表現ではなかったですよねえ」

 蒼まで。そういえばシャトー・ディケムを飲んだときに、なんだか驚いた顔をしていたのは、彼がそこに気がついたからなのかなと葉子は改めて知る。

「なにもできないなりに、葉子さんは必死に積み重ねてきたのですよ。秀星一人ために一生懸命になってくれる『フレンチ十和田』の皆さん、私もこれでまた、残りの人生を歩んでいけます。これからは、大分の家族と、大沼の『フレンチ十和田』さんのために、力になっていきたいと思っています。大分に帰ってからも、よろしくお願いいたしますね」

 これからも続くんだよ――。師匠からの言葉は、今日の葉子にはよくわかるから、『はい。これからも一緒に』という気持ちで微笑み返すことができた。

 徐々に甲斐チーフと一緒にいる日々と別れる心積もりが整っていく。
 でもその向こうには、私たちが新しく歩んでいくための、新しい生き方が待っている。
 これからも、それぞれの星が夜空で繋がっている。星座になって繋がっている。

 その中に、秀星もいる。
 ひそやかに輝く星。北極星のように。四季が巡っても同じ位置に永遠にいる。



 去年は声がでなくて、蒼とふたりきりスマートフォンを通じて会話をしていたけれど、今年は師匠も仲間入りして三人、楽しく過ごしていく。



 やがて駒ヶ岳の山裾がうっすらと明るくなってくる。
 蒼がシュラフから出て、水辺へとカメラ片手に向かっていく。
 葉子も持ってきたタブレットを持って準備をする。
 甲斐チーフも手伝ってくれる。

 その時間が来るまでに、葉子は発声練習をした。
 最後、ギターを肩にかけ、あの場所に立つ。

 四年前の今日、この時間は吹雪だった。
 三年前のこの日、葉子はここで『今日から上司の写真を毎日アップする』と告知をした。
 二年前の今日もここで唄っていた、三回忌、父と母と花を手向けた。
 一年前のこの日、『先生さよなら』と彼を心の奥に宿して、蒼という男性の手を取って、やっと歩き始めた。

 四年目。今日。また秀星が連れてきてくれた新しい先生と一緒に、これからを誓う。

 秀星が逝っただろう時間はもう夜が明けて、薄明るい朝日の中、所々氷が溶けた水玉模様の湖面と駒ヶ岳が姿を見せる。

「ハコちゃん、行きますよ」
「はい。ダラシーノさん、OKです」
「5,4,3,2……」

 キューの手合図が蒼から送られてきて、葉子はカメラの前にギターを持った姿で佇む。

 今日もここで、ライブ配信をする。
 告知はしていない。気がついた人だけ視てくれたらいい。あとから視てくれてもいい。

「おはようございます。ハコです。今日は北星秀の命日です。四年前のこの日この時、彼はここでカメラで撮影をしていました。彼が逝去してから四年――」

 これからを誓うハコの動画配信が始まる。

「去年の夏、お師匠さんが突然、フレンチ十和田を訪ねてきて一緒に働くことになりました。大沼にいる私のところに、いつも北星が、私に新しいえにしを運んできてくれる。いつもそう思っています。夫になったダラシーノさん、私にソムリエになる後押しをしてくれたお師匠さん。北星を始め、この三人は私のメートル・ドテル、大事な三人の先生です。だからこそ、もう哀しんでばかりいないで、北星を胸に、また今日から新しい一年を迎えていきます」

 カメラに向かって葉子は微笑む。

「MY LIFE 私の人生はこれからも続くから、今度は私が北星を遠くまで連れて行きます」



MY LIFE  Every Little Thing


 夜が明けてくる湖沼と駒ヶ岳をバックに、葉子は夫が構えているカメラに向かう。
 ギターを鳴らして、声を張って、消えていく北極星に向かって唄う。


秀星さんは『もう僕がいなくても大丈夫だね』なんて言うかもしれない。
もういなくても大丈夫でも、今度は私が、いつもあなたと一緒にいて、ずっと終わりまで連れて行くよ!
一緒に連れて行ってくれる心強い人たちもいっぱいそばにいるの。
その人たちも、いつも秀星さんと一緒だよ。

今度は、私たちが、あなたを生かす。永遠に。北極星のように。
ずっと遠くまで、連れて行ってあげる。秀星さん。






⇒本日は楽曲リストも追加(追加の追加版)
⇒次回(明日)、41話 最終回です
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