政治家の嫁は秘書様

鏡野ゆう

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新人秘書の嫁取り物語

新人秘書の嫁取り物語 第三話

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「もうっ、二週間なんて長すぎ」
「良いじゃないか、影山もいることだし、秘書の仕事はさーちゃんがいなくても滞りなく進められているよ」
「なんだかそれって複雑。私が無用の長物みたい……」

 ムッとしながら幸太郎先生の顔を見上げると、先生は優しく微笑んでキスしてきた。ここ、病室なんだけどね……なんで二人して、ベッドの上で向かい合って座ってるのかな、しかも……そのぅ……繋がった状態で。

「さーちゃんはね、俺のためにいてくれるだけでいいんだよ。支持者との折衝は影山と美月さんに任せておいて、こうやって俺のことを愛してくれることが、一番大事なことなんだから」

 そう言って、私のことを自分の方へと引き寄せた。熱くて硬いものが奥に入り込んでくる感触に、思わず声が漏れそうになって、慌てて先生の肩に顔をうずめる。鍵はかけたけど、大騒ぎしたら怖い看護師さんが来ちゃうから、できるだけ静かにねって悪戯いたずらっぽく先生が耳元で笑った。だったら病室でこんなことしなければ良いのにって言いたいんだけど、そんなこと言ったって大人しくしてる幸太郎先生じゃないし。

「今だって、どっちかと言うと、先生が私のこと愛してるって感じだけど」
「そんなことないさ。だいたい男が女を抱くと言ったって、実情は男が抱かれてる感じなんじゃないのかな、こんなふうに、さーちゃんの中で包まれているのはこっちなんだから」
「せんせ、うごかないでっ」

 体を揺らすたび体中を駆け巡る、甘い痺れにギュっと幸太郎先生にしがみついた。きっと私が断固たる態度で拒否しないのもいけないんだよねえ、いやいや、断固たる態度で挑んでも駄目な気がする……。え? 新婚さんなんだからしかたが無い? だけどここ、旅館でもホテルでもなく病院なんだよ? 新婚さんなんだからなんて理由がまかり通ると思う? 通るの? それって幸太郎先生が国会議員だから? そうじゃなくて男だから? ……なんだか納得いかない。

「気持ちよすぎる? 抱いてもらっている下僕の俺としては、ちゃんとご主人様が気持ち良くなるように奉仕しないいけないと思って、頑張ってるんだけどなあ」
「これ以上、頑張らなくてもいいよ、十分に気持ちいいからっ」
「そう? 褒めていただけて恐悦至極きょうえつしごく

 時代劇のドラマでしか聞かないような、四文字熟語を口にした先生をチラリと見上げれば、デレデレな感じで笑っている。もしかして今夜はそんな気分なのかな。幸太郎先生は何となく下僕先生モードらしい。こんな言うこと聞かない下僕なんて聞いたことないけど。

「たまには趣向を変えてみるのも良いだろ? 攻守逆転みたいな」
「逆転してない気がする……んっ」

 言葉ではご主人様と下僕だなんて言いながら、結局は私が翻弄されちゃうんだから、下僕先生モードもあまり意味がない気がするんだよね……。

+++

「幸太郎先生、もういい加減にしないと、そのうち本当に雑誌沙汰だよ。そりゃ、ここを担当している看護師さんは、ベテランさんで口は固いって話だけど」

 一緒にシャワーを浴びて、新しいパジャマを着てからベッドの上に座ると、後ろで膝をついて、バスタオルで髪を拭いてくれている幸太郎先生のことを見上げた。幸太郎先生ってば今夜はずっと下僕先生になるって決めたらしくて、私のお世話を嬉々としてやっているのが何ともかんとも。

「ねえ、先生、聞いてる?」
「聞いてるよ。さーちゃん、そろそろ髪を切らないと駄目だな」

 急に何を言っているんだろうって首をかしげた。髪を切って変装するってこと?

「どうして?」
「枝毛が目立ってきた」
「うそっ?! まじっ?!」

 慌てて髪を一房つかんで毛先を観察する。うはっ、本当だ、枝毛がある!! しかも、かなり立派な枝ぶりになっているよ!! そんな自分の髪の毛の惨状にため息が出てしまった。

「ここしばらく忙しくて、髪まで気が回らなかったからなあ……」

 秘書だけをしていた時だってそれなりに忙しかったけど、今じゃ幸太郎先生の奥さんとしてお呼ばれすることも多くなってきて、土日にも予定が入っていることがしばしば。たしかにこんな髪の毛じゃ、秘書をやってる場合じゃないって事態かもしれない。こんなになるまで気がつかなかったなんて、我ながらショックだ。しかも、最初に気がついたのが幸太郎先生だなんて。

「出掛ける時間が無いなら、自宅に来てもらえるだろ?」

 ほら、またそんな住んでいる世界が違う人みたいなことをサラリと言うんだから。だいたいカットの出前なんて聞いたことないよ。

「そんなの嫌だよ、今のお店は私のお気に入りのお店なんだから。ちゃんとお店で、いつものお姉さんにやってもらいたいもの」
「切るぐらい誰がやっても同じじゃないか」
「違うの。絶対に違うんだから」

 それだけじゃなくて、お店での何気ない会話とかそういうのも楽しみにしているんだからね。だから自宅でなんてとんでもないよ、私の楽しみを取り上げないで欲しい。

「じゃあ“退院”したら一番に行っておいで」
「……二週間後とか信じられない」
「その間に顔を合わせるのは俺達だけだから、問題ないじゃないか」

 それはそうなんだけど、やっぱり気がついちゃったら早く切りたいって言うか。あ、そうだ。

「ね、抜け出したりしたら」
「駄目に決まってるだろ」

 即答されてしまった。ガッカリ。

「はい、髪もだいたい乾いたよ。三つ編みは自分でする? それとも俺がしようか?」
「やってみたい?」
「俺がしたらグチャグチャになりそうだから、それだけは自分でやってもらった方が良さそうだな」

 そう言いながら、ちょっと残念そうな顔をして、私にヘアゴムを差し出した。

「ちゃんと綺麗に編めるように練習しておいた方が良いかもね」
「どうして?」
「だって、娘が産まれたら絶対にやってあげたくなるでしょ? その時に、パパは綺麗にできないから嫌だって言われちゃったら、ショックじゃない?」

 先生が急に不穏な空気をまとったのが何となく分かった。あれ、私、何か言っちゃけいないことを言った?

「さーちゃん……」
「なあに?」
「そんなに子供が欲しいなら、そう言ってくれれば良いじゃないか。俺、惜しみなく協力するつもりでいるんだから」
「え、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、ふぎゃっ?!」

 せっかくシャワー浴びたのに――っ! 明日も仕事なんだから惜しんで下さい!

 ……普通の病室みたいに、消灯ですよって看護師さんが巡回で回ってこないように手配しておいて良かったよね、幸太郎先生。


+++++


「ところで、昨日は聞きそびれちゃったけど、小日向さんはどうだった? 仲良くできそうだった?」

 翌朝二人で朝ご飯を食べている時、そう言えばと幸太郎先生が私に尋ねてきた。

 今日の朝ご飯は病院食じゃなくて、先生が高校の時のお友達に頼んで作ってもらった某ホテルのサンドイッチ。届けてくれたのは政策秘書の竹野内さんで、三十分ほど前に病室に顔を出して、“八時過ぎには杉下が迎えに来るからサボろうだなんて考えるなよ”という、ありがたい秘書様のお言葉を幸太郎先生に申し渡して、一足先に議員会館へと向かった。私へのお言葉? えっと、“あと一週間と六日、ガンバレ”だって。

「うん、大丈夫だと思う。だけど現役SPさんを引っ張ってくるなんて、ちょっと大袈裟じゃない?」

 若杉さんが投げてきたのはお酒の小瓶だったし、今のところ他に変な手紙とか電話とかが来るわけでもないし。こういうプロの人に頼むのって、もっと偉い人か、もっと深刻な事件に巻き込まれている人だとばかり思ってた。

「そうでもないよ。知られていないだけで、議員関係にはそれなりの数の警護がついているんだ」
「ふーん……」
「まあ奥様方は、プライバシーがとうのこうので嫌がってつけない人がほとんどだけどね」
「え、じゃあ私だって断っても良かったの?」
「駄目に決まってるだろ。さーちゃんにはしばらく小日向さんをつけるのがうちの方針。満場一致の決定事項」

 決定事項って……。

「また、若杉さんみたいな古狸が襲ってきたら困るだろ?」
「でもそれって、もしかして幸太郎先生のせいじゃ?」

 私は経緯ついては何も聞いていない。だけど若杉さんの逆恨みっぽいとは言え、限りなく幸太郎先生達のせいだよね?

「んー、そうとも言うかな」
「私、とんだとばっちり」
「他にもさーちゃんに言い寄る馬鹿男が、また現れるかもしれないじゃないか」

 ああ、私が前の職場を辞める原因になったハゲ部長のこと? 弁護士先生の報告によると、最近は奥さんの実家で大人しく農業の手伝いをしているらしい。それに相手が国会議員だから、下手すると社会的に抹殺されちゃう恐れがあることは、お馬鹿なりにわかっているらしくて、私の前に現れることはもう無いんじゃないかって話だった。

「誰かについてもらうより、護身術とか習ったら良いんじゃないかな。えっと……ほら、陸上自衛隊にいる森永さんとかに習うとか」
「森永君に習ったら、それは護身術じゃなくなるな。彼が教えるのは制圧術だから」

 先生がおかしそうに笑っているのを見て首をかしげた。護身術と制圧術ってどう違うんだろう、同じに思えるんだけど。

「私がそういうの覚えたら、色々と役立つんじゃないかな」
「おいおい、俺の奥さんをするだけじゃ不満なのか?」
「そんなことないけど。小日向さんも何だかクールな感じですごくカッコいいし、そういうの覚えたら、少しは大人っぽく見えるかなとか思っただけ」

 見た目のためだけに習いたいのかって笑ってるけど、意外とそういうのって気になるものなんだよ。ほら、同じ政党の女性議員さんなんて、私よりも年上でできる女って感じで素敵な人が多いし。そういう人と並ぶと、私まだヒヨコみたいな気分になっちゃうんだもの。ベースはそれほど悪くないと自分でも思ってるから、少しクールな感じとか身についたら良くない?って思うわけ。どうかな?

「そんなこと言って、護身術だか制圧術だか習って覚えたら、俺のことを投げ飛ばす気でいるんだろ」
「あ、そうか。そういうこともできるよね」

 それって素晴らしいかも!!

「駄目だよ、さーちゃんは今のままでいてくれ。変にクールになったり大人っぽくなったら、色々と心配事が増えるから却下。こっそり森永君に連絡しようとしたらお仕置きだからな」

 ほら、こういう時に役立つと思うんだよね、護身術。そんなことを呟いたら、幸太郎先生は困った子だねえと苦笑いした。

 それからしばらくして、杉下さんが前の日に頼んでおいた小説と共に先生をお迎えにやってきた。先生は行きたくなさそうだったけど、仕事はちゃんとしなくちゃね、お給料という税金を皆さんから貰っているんだから。私は退屈ながらも先生に邪魔されずに今日も読書三昧。三昧、なんだけど……。

「……退屈」

 一人で病室にいるとすごく退屈。テレビだって、昼間はドラマの再放送とかバラエティー番組しかやってないし、自宅みたいに好きな映画を観るとかもできないし。しかも今日なんて、政治コーナーでは幸太郎先生のこと好き放題言ってて、聞いてるだけでムカついてきちゃった。女性に人気があるからどうのこうのとか、挙句の果てにはネクタイの色にまで文句つけてるし。スーツとネクタイの組み合わせは、先生や私の好みを取り入れつつプロのスタイリストさんからアドバイスを貰ってるんだから、芸能人や素人コメンテーターにとやかく言われたくないよ。決めた、もう二度とここの番組は見ない!

「あ、そうだ、小日向さんに相談してみようかな」

 そう呟きながら、教えてもらった携帯電話の番号のメモ書きを手元に引き寄せた。

『はい、小日向です』
「あ、沙織です。小日向さん、いま何処にいますか?」
『いまですか? 影山さんに、奥様が良く行かれるお店などを案内してもらっているところです』

 おお、ナイスタイミング!

「あ、じゃあカットサロンにも行きました?」
『はい。ちょうど周囲を回ったところです。どうかしましたか?』
「もし良ければ、これら病院の方に来てもらえませんか? ちょっとご相談したいことが」
『わかりました、今から向かいます。……四十五分ほどで』

 電話の向こうで小日向さんが時間を尋ね、それに答える影山さんの声が聞こえた。四十五分とか相変わらず細かい時間設定なんだから。ほんと、真面目だよね影山さんて。

 そして四十分後には二人で病室に顔を出すんだから、さすがとしか言いようがないよ。
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