政治家の嫁は秘書様

鏡野ゆう

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新人秘書の嫁取り物語

新人秘書の嫁取り物語 第十一話

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「折り入って、先生と奥様にお話があるのですが」

 そんなふうに影山さんから声をかけられたのは、開票速報で早々に幸太郎さんに当確がついた直後のこと。当選が確実になったと言うことで、支持者の皆さんが事務所に集まり出して大混雑になり始める前にと、美月さんと裏で色々と準備をしていた私に近づいてきて、こっそりと囁いてきた。

「私と幸太郎さんに? だったら……」

 いま二階にいるから呼んできますと言って、その場を離れようとしたら、慌てた様子で腕をつかんできた。

「今じゃなくても良いんですよ。先生も選挙活動でお疲れでしょうから、日を改めて御自宅に伺いたいと思うのですが、いかがですか?」
「急ぎの要件じゃないんですか?」
「はい。それにここは人が多すぎますからね。先にお二人だけに話しておきたいことなので」
「そう、ですか。わかりました。お互いに都合の良い日になったら、知らせてもらえますか?」
「わかっています」

 まさか仕事を辞めたいなんて話じゃないよねと、内心は心配ではあった。選挙中は、支持をしてくれる人達だけではなく、あれこれとうるさく言う人が事務所にやってきたりして、こっちで詰めていた影山さんは、色々と大変な思いをしたみたいだし。

「辞めたいとかじゃないので、心配はないですよ」

 私の考えを読んだのか、影山さんはニッコリと笑った。


+++


「影山が?」

 自宅の戻って、お風呂に入ってくつろいでる幸太郎さんに、影山さんから言われたことを伝えた。

「うん。なんだろうね、辞めたい以外で私達に話したいことって」
「それ、酷いぞさーちゃん。俺達に話したいことで、秘書を辞めたい話しか思い浮かばないなんて」
「だって、本当にそれしか浮かばないんだもの」

 もちろん辞めたい理由についてはたくさん浮かぶのよ。対外折衝に疲れたとか、長老議員先生達の口出しが煩わしいとか、幸太郎さんのワガママが酷いとか。杉下さん達を見ていると、どれも歯牙にもかけないって感じではあるけど、影山さんは杉下さん達に比べれば秘書歴も浅いし、幸太郎さんとの付き合いも短いし。

「俺、そんなにワガママ?」
「他の先生達と比べたことないけど、けっこうなワガママ先生だと思うけど」
「俺なんて、大人しいほうだと思うんだけどな」

 一体、誰と比較してそんなこと言ってるんだろうって、ちょっと気になる。だって私が会ったことのある先生達って、ワガママを言いそうにない人達ばかりなんだもの。ああ、他の人から見た幸太郎さんの評判だって、クールだとかイケメンだとか、そんなのばかりなんだっけ。超絶ワガママ大型ワンコの幸太郎さんが、外ではそう言うふうに言われているんだもの、人って見ただけじゃ当てにならないのかな。

「それよりさーちゃん、一緒に入らないのか?」

 脱衣所に、着替えとバスタオルを用意したところで声をかけられた。

「私は幸太郎さんが帰ってくる前に入ったよ」
「なーんだ、待っててくれたんじゃなかったのか」

 ガッカリだなあって呟いている。ほら、こんなこと言う人だなんて、誰も思ってないものね。やっぱり外から見ただけじゃ人ってわからない。

「一人で入ったほうが体ものばせるし、リラックスできるじゃない。明日からまた頑張らなきゃいけないんだから、ワガママ言わないの」
「新婚なのになあ」
「お言葉ですけど、結婚してからもう三年近くになるんだから、新婚って言葉は間違ってると思います」
「はあ、最近のさーちゃんは本当に冷たい」
「冷えたんだったらお風呂でゆっくり温まってね」

 幸太郎さんの言う『最近のさーちゃん』というのは、選挙期間中の私の態度のことを指しているんだと思う。連日あちらこちらに立って、演説をしたり他選挙区の先生の応援に行ったり。私からしたら、普段の国会のお仕事より体力を使っているように見えていたから、自宅に戻ってきた幸太郎さんには、すぐに風呂入ってさっさと寝なさいの毎日だった。

 健康管理は奥さんの仕事だって幸太郎さんのお母さんも言ってたし、事前に色々なアドバイスをもらっていたから、幸太郎さんが、選挙期間中に体調を崩すことが無いようにって細心の注意を払ったつもりなのに、それを冷たいだなんてちょっと憤慨しちゃう。えーと、こういう時こそ遺憾ですって言葉を使うべきなのかな。

 お風呂の中でブツブツ言っているワガママワンコ先生のことは放っておいて、私は寝室に戻った。寝る支度をしながら何気なく鏡を覗き込むと、鼻のてっぺんと頬がなんとなく赤くなってる。

「やっぱり焼けちゃってる……」

 きっちり日焼け対策はしたつもりだったけど、夏の日差しは容赦ない。私も普段以上に外にいる時間が長かったせいで、日焼け止めのファンデーションを塗っていたにも関わらず、しっかり焼けてしまったみたいだ。

「むむむ、次からはこっちの対策も考えなきゃ」

 念入りに化粧水でパタパタしているところで、幸太郎さんが寝室に戻ってきて、ベッドに腰を下ろしながらテレビをつけた。もう深夜だというのに、どの局も選挙結果とこれからの政権運営についてあれこれ予想を立てている。

「さーちゃんもお疲れさんだったね。初めての経験で色々と大変だったろ?」
「疲れたって言うより、次からは日焼け対策をもっとしないと駄目だって、わかったかな」
「そうなのか?」
「うん。鼻のてっぺんが赤くなっちゃった。ちょっとショックかも」
「こっちに来て見せて」

 ベッドに寝っ転がってテレビを見ていた幸太郎さんの横に座る。幸太郎さんは私の顔を覗き込んで、少しだけ気の毒そうに笑った。

「たしかに赤くなってるね」
「でしょ? そんなに外に出ていたわけじゃないのに、夏の日差しをなめてた。あ、そうだ。バイトの子が、幸太郎さんにのど飴が必要なんじゃって心配してたわよ」
「のど飴?」
「ほら、声がガラガラになっちゃってるからって。買っておいたけどなめる?」

 バイトの子達が心配している通り、選挙期間中はずっと喋りっぱなしだったせいか、幸太郎さんの声はかなり掠れちゃっていた。とは言え、幸太郎さんなんてまだマシなほうかもしれない。もっと偉い先生なんて、こっちが聞いていて気の毒なぐらい声がガラガラになっちゃっているし、さらには真っ黒に日焼けしちゃっているし。本当、この時期の選挙って大変よね。

「そんなものより、他の甘いものが良いなあ」
「シュガーレスでも十分に甘いと思うけど」
「そうじゃなくて、今日まで我慢した御褒美はくれないのか?」
「当選祝いのケーキなんて頼まれてたっけ?」

 んー?と首をかしげてみせた。

「しらばっくれても無駄だから」

 幸太郎さんが、私のことをベッドに押し倒してのしかかってきた。

「選挙運動の間はずっとお預けだっただろ? 奥様、そろそろ俺に御褒美ください」
「幸太郎さんの健康を考えてだったのにお預けって……」
「俺、この日のためだけに、今回の選挙運動は頑張ってきたんだからな」

 たしかに、そんなことしてる場合じゃないでしょと言って、幸太郎さんのことを問答無用で一人ベッドに押し込んでいたのは事実。だけど、熱心に他の議員先生の応援を支持者の皆さんににこやかに応えていたのが、エッチ解禁日のためだなんて、冗談でも有権者の皆様の耳には入れられないよ……。

「もう、幸太郎さんてば」
「それにさ、これで心置きなく赤ん坊を迎えられるだろ?」
「赤ちゃん?」
「うん」

 次の選挙まで子供は待ったほうが良いのではと遠回しに言われたのは、たしか結婚する直前のことだったかな。幸太郎さんはそんなこと気にすることないって言っていたし、そういうことを匂わせていた人達も、いつのまにか周囲から居なくなっていたから、それほど気にしていた訳じゃなくて、今まで赤ちゃんができなったのは、単なる偶然だったと思う。正直、結婚してからこの三年は、幸太郎さんの奥さんとして新しい経験ばかりだったから、それどころじゃなかったっていうのもあったしね。

「しばらくお預けだったから、今夜は頑張れそうな気がするし」
「え、別に頑張らなくてもいいんじゃないかな。ほら、声もガラガラだし疲れたでしょ?」
「今夜もお預けにされたら俺、国会で暴れて野党の先生達をコテンパンにのしちゃうかも」
「またそんなこと言って……」

 そりゃ多少は気の毒だとは思うけど、幸太郎さんの八つ当たりで野党議員の先生達がどうなろうと知ったことじゃないのよね、私としては。それより私が心配しているのは、それの煽りを食らって、若手議員の伊勢谷先生達が右往左往することや、公設秘書の杉下さん達の休暇が吹き飛んで大騒ぎになること。つまりはそういうことなのだ。

「私とエッチできなくても、片倉先生達をコテンパンにするつもりなくせに」
「さーちゃんが御褒美くれたら、ちゃんと手加減するさ」
「もう、幸太郎さんてば本当にワガママなんだから」
「なんだよ、御褒美はくれないつもりなのか?」
「そんなことないけど……って早すぎ!」

 ニコニコしながら私のパジャマを脱がせにかかる幸太郎さん。我慢した分は、今夜でしっかり取り戻すつもりでいるから、覚悟してねなんて物凄く怖いことをアッサリと言ってのけるところは、やっぱり国会議員なんだなって思う。


+++++


 選挙が終わってから一ヶ月。

 幸太郎さんと私が自宅の居間で、水元先生のお誕生日には何を贈ろうかと相談しているところに、影山さんがやって来た。最初はもっと早く話をするつもりでいたのに、あれこれと予定が立て込んでしまって、今日までずれ込んでしまっていたのだ。ま、影山さんは秘書なんだから、その点は私よりも良く分かっていたみたいで、ヤキモキしていたのは私だけだったみたいなんだけど。

「お忙しいところ申し訳ありません」
「今週末は予定を入れてないのは知ってるだろ?」

 お決まりの挨拶をした影山さんを、幸太郎さんがニヤニヤしながらからかった。

 こういうやり取りを見ていると、影山さんと幸太郎さんの付き合いが始まって、まだ数年しか経っていないんだなって改めて感じる。だって杉下さんや竹野内さんは、こういう時には必ず「暇なのは知っている」なんだもの。そう言う意味で、影山さんはまだまだ礼儀正しい。そんなことを考えていると、影山さんの後ろから小日向さんが入ってきた。あれ? 今日は私用があるのでお休みさせてくださいって言っていたのに、どうして?

「二人そろってか。ってことは、もしかしておめでたい報告かな?」
「まあ、そういうことになりますね」

 お茶を用意して四人でリビングのソファに落ち着くと、影山さんが少しだけ落ち着かない様子で咳ばらいをした。

「実は、小日向さんと入籍することにしまして、まずは先生と沙織さんに御報告に上がった次第です」

 二人が付き合っていることは、薄々感じていた。ただ二人とも何も言わないものだから、聞いて良いのやら悪いのやらな状態で、ここ一年ほど美月さんと二人でジレジレしていたのだ。

「入籍ってことは、結婚式は挙げないつもりなのか?」
「二人とも再婚ですし、派手なことを今更することもないだろうと。まあ、それぞれの友人を招いて食事会ぐらいはしようと考えていまして、そちらに、先生と奥様を招待させていただこうと思っています」

 小日向さんが答える。

「俺達が行ったら大袈裟なことにならないか?」
「その点は大丈夫だと思います。二人で相談した結果、黒猫のマスターに紹介してもらったお店にすることになったので。マスターの紹介なら、心得た店だと思いますから心配ないかと」
「なるほど、杜さんの知り合いなら安心だな」

 影山さんの言葉に、幸太郎さんがうなづいた。

「うちもめでたいこと続きで嬉しい限りだな。二人ともおめでとう。結婚式はしないとしても、お祝いぐらいはちゃんとさせてくれよ」
「ありがとうございます」

 そうそう。幸太郎さんが言った通り、ここ最近おめでたいことが事務所関係者の中で続いている。まずは一昨年と去年に、竹野内さんと倉島さんのところに続けて赤ちゃんが生まれたこと。それから、美月さんのところの息子さんが結婚したこと。そして事務所のスタッフさん二人に、新しいカノジョとカレシができたこと。ここに影山さんと小日向さんの結婚が加わって、まさにおめでた祭進行中なのだ。

 それともう一つ、おめでた祭に加えるべきことがあるんだけど……。


+++


「で? さーちゃんはさっきから何をモジモジしてるんだ?」

 影山さんと小日向さんが仲良く帰っていった後、どうしようかなと迷っていた私の気持ちが伝わったのか、幸太郎さんが首をかしげて私のことを見詰めた。

「別にモジモジなんてしてないけど」
「誤魔化そうとしても無駄なのわかってるだろ? 聞き出すために実力行使をしなくちゃ駄目なのか?」

 ニヤニヤしているその顔を見れば、どんな実力行使を考えているか丸わかり。もう! 本当に困った先生なんだから! 幸太郎さんの横に座わってから、何て言おうかなと迷いながら言葉を探す。

「えっと、おめでたいこと続きに、もう一つ加えようかなって考えていたところ」
「誰かにお祝いことでも? さーちゃんのお姉さんとか?」
「そうじゃなくて、私がその行列に加わっちゃおうかなって……」
「え?」

 幸太郎さんの動きがピタリと止まった。ニヤニヤ顔まで固まってしまっている。

「さーちゃん、それってもしかして?」
「……うん。ちょっと遅れてたし、ほら、選挙終わった日に頑張っちゃったでしょ? それでもしかしてと思って。あ、もちろんまだ陽性って出ただけで赤ちゃんが見えたわけでもないから、言うのどうしようって迷ってたんだけど……あの、幸太郎さん?」

 固まってる幸太郎さんの前で、手を振ってみる。

「大丈夫?」
「ああ、大丈夫。それよりさーちゃんのほうは大丈夫か? 気分が悪いとかそういうのは?」
「今のところはまったく平気。まだ誰にも言ってなくて、話すのはもう少し先にしようかなって思ってるの。ほら、変に騒ぎになるのも困るし」
「わかった。親父達に打ち明けるタイミングも沙織に任せるよ。だけど、小日向さんにだけは話しておいたほうが良いと思うな。医者に行く時も世話になるんだから」
「うん、そうする」

 私がうなづくと、幸太郎さんは、私のまだ膨らんでもいないお腹に手を当てて嬉しそうに微笑んだ。



 で、ちゃんと私が打ち明けるまで二人だけの秘密にし通せたのかって?

 今までの幸太郎さんの態度や何やらを見ていれば、それぞれの両親や他の先生達はともかく、杉下さん達に内緒にし続けるのは絶対に無理な話なんだってことを、私も理解しておくべきだったのよね。その辺は見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 もちろん、杉下さん達は私が打ち明けるまで、一言もそのことに関して口にすることは無かったけれど、二日後には明らかに私に対する態度が変わったんだもの。幸太郎さんが、うっかりデレデレしていたところでバレちゃったに違いない。もちろん、幸太郎さんはそんなこと頑として認めなかったけどね。
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