シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

文字の大きさ
6 / 77
本編 1

第六話 メトロ

しおりを挟む
「おお、今日は雲が多いやーん?」

 嫁ちゃんのおにぎりを手にハンガーから空を見上げると、珍しく大きな雲があっちこっちに浮かんでいた。ブリーフィングでも、今日は雲の多い一日になるだろうと報告があがっていたが、たしかにそんな感じだ。曇らないまでも、すっきりとは晴れそうにない。

「訓練空域はどないな具合なんやろうなあ……」

 今日の一発目の飛行訓練は、基地上空ではなく海上にある訓練空域で、一番機から四番機がおこなう予定になっていた。気象レーダーである程度の天候はわかっているが、このへん一帯は霧がかかることも多い地形でもあるため、訓練前にはかならず気象確認のためのメトロ機が飛ぶことになっている。

「……はあ、せっかく飛ばんでええと喜んでたのに、よりによって今日は朝一メトロ担当かいな。俺じゃなくてもかまへんやんか、まったく隊長は鬼やで。お、今日の具はなんや新しいで? なんやなんや?」

 今まで食べたことのない具に気づいて立ち止まる。そしておにぎりの中身を確認した。そこに入っているのは赤身の刺身のようだ。しかもかなり濃厚な味つけになっている。

「マグロの漬けかあ。昨日の夜にタッパに仕込んどったんは、これやったんか」

 なにをしているのかと気になってのぞき込もうとしたら、見たらダメと叩かれて追い払われた。どうやらこれが、あの時に嫁ちゃんが仕込んでいたものらしい。

「なかなかうまいでこれ。嫁ちゃん、おおきになあ。ほんま、俺は果報者やなあ」

 最後の一口を口にほうりこむと、御馳走さまでしたと手を合わせる。

 本当に俺は果報者だ。築城ついきに戻れば大歓迎してくれる人達が大勢いて、家にはこうやって、毎日おにぎりを持たせてくれる優しい嫁ちゃんと、可愛い息子が待っていてくれるのだから。

「これで飛ばんでええなら、言うことないんやけどな……」

 そろそろあきらめて飛ぶ準備にかからなければ。あまりグズグズしていると、後ろから隊長がケツを蹴りに出てきそうだ。

 そんなことを考えながら、いつもの五番機ではなくグレーのT-4のほうへと歩いていく。するとなにやらボソボソと言い合っている声が聞こえてきた。あの声は葛城かつらぎ、もう一人は六番機のキーパー、宮嶋みやじまか?

「……ですから今日の午後からの訓練には、もう一機の六番機を使ってください。あっちのはダメです」
「どうしてダメなんですか。昨日の段階では、どこにも異常はなかったはずです。機付長の大隅おおすみ曹長も問題なく飛べると言っていたはずですよ?」
「そうですがやはり出せません。とにかく今日はダメです。気になるところがある以上、あの六番機は飛ばせません」

 今のブルーのハンガーには、無印の他に六番機が二機いる状態だ。普段は交替で定期メンテに出していて、戻ってくるまでは無印君を使うんだが、今年度から新しいブルー仕様の機体が一機増えたお蔭で、機体運営のローテーションに余裕ができていた。

「だから、どこがどう気になるのか具体的に言ってもらわないと、俺も納得できませんよ」

 葛城がしつこく食い下がっている。別にどの機体を飛ばそうが変わらないと思うんだが、そこは若い葛城、自分が納得できないのは我慢がならないらしい。

「葛城さんが納得できようができまいが関係ないんですよ。あの機体の整備をしている自分が、今の状態が気になってさっきの点検だけでは納得できないんです。それだけで飛ばさない理由としては十分です」

 二人の言い合いはさらに続く。

 六番機の整備担当をしている宮嶋は、そこそこ若いが職人気質の頑固者。自分が納得できなければ、誰がなんと言おうと飛ばさない。それは葛城が来る前から変わらなかった。長尾ながおもよくそれで宮嶋とケンカをしていたし、長尾の師匠もそうだったらしい。

「おいおい、朝っぱらからなにケンカしとるんや? あんまり大きな声で騒いでると、隊長と総括班長が飛んでくるで? もしかして飛ばんでもよくなったんか? それやったら大歓迎なんやけどな」

 言い合いをしている二人に声をかけた。宮嶋が俺の顔を見てホッとした顔をしてみせる。

「ああ、影山かげやまさん。なんとか言ってやってくださいよ。葛城さんが納得してくれなくて」
「そりゃ納得しろっていうほうが無理な話でしょ。飛ばさない理由が、なんとなく気になるからだけで納得する人間がいるんですか?」
「ですからね、それは何度も言いましたけど」

 また言い合いを始めてしまった二人の間に割り込んだ。

「あー、もう、ちょいまちって。二人とも落ち着け。宮嶋も葛城も静かにせえって。二人とも関西人の俺に静かにって言われるなんてよっぽどのことやで。恥ずかしくないんか?」

 とたんに二人して黙り込んだ。自分で言っておいてなんだがこの反応、これはこれで腹が立つんだが。

「葛城、お前は操縦のプロで宮嶋は整備のプロや。そのプロがダメやゆーてるんや、ここはおとなしゅう宮嶋がOKを出すまで予備の六番に乗っとけ」

 俺の言葉に宮嶋がウンウンとうなづく。それがまた葛城には腹立たしいことらしい。まだまだ青いなあ、オール君や。

「でもですね」
「なくとなくが納得できひんのか? せやけどそういうかんって、技術屋だけでなく俺らかて大事にしとることやろ? その道のプロである宮嶋が、かんだけではなく点検しても納得できひんと言っとるんやったら、飛ばすべきではないんちゃうんか?」

 まだなにか言いたげな様子だったが、こっちの言うことに従うこと決めたらしく、わかりましたと短く答えた。

「名人は筆を選ばずってゆーやろ。どの機体でも変わりなく飛べな、ほんまもんのドルフィンライダーとは言えへんで。……なんや、その顔。なにか言いたいことでもあるんか? 言いたいんやったら黙ってんとちゃっちゃと言ったらどうや」

 葛城が変な顔をして俺のことを見つめている。

「いつも飛びたくないって言ってる三佐に、お説教をされるとは思いませんでした」
「また失礼なことをずけずけと。あんなあ、飛びたないのと操縦技量やパイロットの心得は別なんや。ほれ、いつまでも六番機のことでウダウダ言ってんと。メトロをさっさと飛ばさな、隊長に必殺のかかと落としかまされるで?」

 そう。今日のメトロは葛城が飛ばすことになっていた。そして俺はその後ろに座って、のんびりと空のお散歩を楽しまなければならない。なぜか隊長から、葛城のお守りをおおせつかったからだ。

「そういえば葛城の後ろに乗せてもらうんて、初めてなんちゃう?」

 離陸前の点検をしていたところで気がついた。

「……あー、そうですね、三佐のことを乗せて飛ぶのは初めてです」
「そうやんな。ほなオール君の技量を、後ろからじっくり観察させてもらうとするわ」

 そしてコックピットに乗り込むと、ブルーで訓練飛行に向かう時と同じ手順の点検とプリタクがおこなわれた。そもそもショーで見せているものは特別なものではなく、どの戦闘機も離陸前に行っている点検作業だ。葛城が前に立つ整備員とハンドサインのやり取りをしているのを後ろから眺めながら、それが終わるのをのんびりと待った。

 待っている間に何気なく空を見上げると、さっきまであっちこっちに浮かんでいた大きな雲が消えていた。

「あかんやん、めっちゃ晴れてきよったで」
「……それって良くないことじゃないでしょ?」
「そうか? まあそういうことにしといたるわ。しかし今日は楽ちんやなあ、飛ばんでええならもっと楽ちんなんやけどなあ……」

 そう言いながら溜め息をつく。

「キャノピー、クローズします。腕を引っ込めてください、三佐」
「了解了解」

 葛城の言葉に、それまでふんぞり返っていた姿勢を正すと、キャノピーが閉められた。そして機体が動き出す。

「今日はやけに静かですね」

 前の葛城が話しかけてきた。

「なんや、いつもみたいに喋ってほしいんか?」
「そういうわけではないですけど、静かだと落ち着かないですよ」

 こっちは葛城の気が散ってはまずいだろうと、気をきかせたつもりだったんだがな。

「ほな、遠慮なくいつもどおりにさせてもらうわ~。もーな、ほんまに飛びたないねん、後席でもイヤなもんはイヤなんやで。一回ぐらい、訓練飛行がある日に飛ばんでええ時があってもええんちゃう? 下で観察する役割が俺に回ってきてもええやん? なんで毎度毎度フルで飛んでるんや俺。絶対に飛びすぎやて。どう考えてもおかしいやろ。どうやの、葛城君や」
「……さあ、俺はなんとも言いようが。隊長には隊長の考えがあるとしか、言いようがありませんしね」
「ほんま君、優等生みたいな答えしかせーへんな、腹立つわ~~」
「そんなこと言われても」

 俺の言葉に、葛城が大袈裟に首をかしげてみせた、ほんまムカつくわ~~。

「さーて。オール君のメトロ任務が無事に終わりますように」

 いつものように柏手をうって拝む。

「ほな、いこか~~」
「了解です、シャウト」
「なあ、俺のタックネームがシャドウってこと絶対に忘れとるやろ……?」
「そんなことないですよ」
「ほんまかいな」


+++++


 訓練空域を隅から隅まで飛んだ結果、本日も文句なしで晴天の飛行日和びより。第一区分を飛んで問題なしとの観測結果が出た。それを基地に伝えてから、俺達のT-4は帰還のルートに入る。

「あー、もしもし管制? こちらブルーメトロ、影山~~」

 そろそろ葛城が管制と通信をして着陸態勢に入ろうとしたところで、横から割り込んで管制に呼び掛けた。
 
「どうかしましたか、三佐。メトロになにか問題でも?」
「いいや、こいつはいつものとおり絶好調で異常なしや。せやけどちょっとオール君が消化不良でなあ。着陸前に一回だけ運動させてやりたいんやけど、どうやろう?」
「……しばらく上空待機でお願いします」

 管制のおねーちゃんがためらいがちにそう言うと、一旦通信が途切れた。

「了解。葛城君や、着陸態勢に入らず、そのままいつものコースで基地上空を周回しとき」
「良いんですか?」
「ええんや。ほれ、回れって」
「了解です」

 管制塔からの返事が来るまで、T-4は松島基地の周囲を旋回し続ける。葛城は燃料メーターを気にしているようだが、許可が下りるにしろ下りないにしろ、そこまで時間がかかるとは思えなかった。

「しかしブルーメトロ影山って、なんやあやし気なホテルの名前みたいな響きやな」
「本当に良いんですか、三佐。こんなことして」
「ええやろ、たまには」

 信じられないと言いたげに、葛城が首を横に振った。

「影山三佐、こちら管制」

 管制からの通信が帰ってきた。

「どうやった?」
「タッチアンドゴーから一回だけアクロOKという条件ですが、許可が出ました」

 時間にして二分足らず。えらく早い判断だな。ああ、こりゃダイレクトに隊長へと話がいったか。いやあ、あとで俺、なんか言われるかもな。ま、よしとするか。今回は、六番機のことでおとなしく引き下がった葛城への御褒美ごほうびなのだから。

「いらん手間をとらせてかんにんやで~、芦屋あしやでうまいもん、おみやげに買うてくるさかいかんにんな~。ってなわけや葛城。一回だけ好きにせえ」
「てなわけでって、本当に良いんですか?」
「ええもなんも。いま聞いた通りや。タッチアンドゴーからのロールオンテイクオフが妥当な線やな。滑走路の長さがあるさかい、タッチは早めにするんやで。ほないってみよー」

 滑走路への進入ルートに入りT-4が高度を下げた。ランディングギアを出し着陸、と思わせたところで高度を再び上げていく。そしてバレルロール……っておい、回り過ぎや!

「おいおいおい、一回転やろそこは! 何回まわるつもりやねん!」
「せっかくもらったチャンスです、フルに利用しないともったいないですから!」
「まったくなあ……ってまだまわるんかい!」

 後にこれは、オール君のダブルロールケーキとかいう妙な名前のついたオリジナル課目になった……わけないやろ!
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

今日も青空、イルカ日和

鏡野ゆう
ライト文芸
浜路るいは航空自衛隊第四航空団飛行群第11飛行隊、通称ブルーインパルスの整備小隊の整備員。そんな彼女が色々な意味で少しだけ気になっているのは着隊一年足らずのドルフィンライダー(予定)白勢一等空尉。そしてどうやら彼は彼女が整備している機体に乗ることになりそうで……? 空を泳ぐイルカ達と、ドルフィンライダーとドルフィンキーパーの恋の小話。 【本編】+【小話】+【小ネタ】 ※第1回ライト文芸大賞で読者賞をいただきました。ありがとうございます。※ こちらには ユーリ(佐伯瑠璃)さん作『その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/515275725/999154031 ユーリ(佐伯瑠璃)さん作『ウィングマンのキルコール』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/515275725/972154025 饕餮さん作『私の彼は、空飛ぶイルカに乗っている』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/274274583/812151114 白い黒猫さん作『イルカフェ今日も営業中』 https://ncode.syosetu.com/n7277er/ に出てくる人物が少しだけ顔を出します。それぞれ許可をいただいています。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

十年目の結婚記念日

あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。 特別なことはなにもしない。 だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。 妻と夫の愛する気持ち。 短編です。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

報酬はその笑顔で

鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。 自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。 『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

処理中です...