シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

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本編 1

第七話 芦屋

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 前日に芦屋あしや入りした時は小雨模様だったのに、今日は晴天。天気予報では、向こう一週間は小雨混じりの肌寒い日が続きますとお天気のおねーちゃんが言っていたが見てみろ、なんともかんとも予報に反して予想通りの飛行日和びよりだ。

「晴れましたね」

 俺の横で、葛城かつらぎが空を見上げておかしそうに笑った。

「晴れよったなあ……昨日の天気図にあった寒冷前線は、一体どこに行きよったんやろうなあ……」
「小雨ぐらいじゃ、影山かげやま三佐の晴れ男体質には、太刀打たちうちできないってことですね」
「笑いごとやないで葛城。もう少し低気圧と前線には気合を入れてもらわんと、日本列島がカラッカラのパリッパリになるで」

 なんか他にもいたよな、似たような芸能人だか有名人が。

「でも、少なくとも三佐がいない場所では雨、降ってるみたいですよ?」
「いや、俺がいるところも降ってもらわなあかんやろ」

 この分だと、俺がブルー仕様のポンチョを着る日は来ないかもしれないな、なんて本気で思い始める今日この頃。

「とにかく、今日の予行も明日の本番も、間違いなく第一区分ってことですね」
「まあそういうことになるんやろうなあ……おかしいわ、地球規模で俺へのいやがらせか? 誰の仕業やねん」
「さあ?」

 ブツブツと見えない誰かに文句を言いながら、持ってきたおにぎりにかぶりつく。

「まあええわ。しゃーないから嫁ちゃんのおにぎり分は飛んだるわ」
「そんなこと言って。ファンの人達が聞いたら泣きますよ」
「飛ばへんとは言ってへんやろ?」
「おにぎり、間違いなく二日分を持ってきてるんですよね?」

 葛城が念押しするように質問をしてくる。少なくとも、嫁ちゃんのおにぎりがあれば俺がそれなりに機嫌よくと飛ぶとわかっているからで、松島まつしまを出発する一週間前から、しつこく確認するという念の入れようだった。あまりにうるさいので「お前は俺のオカンか!」と何度追い払ったことか。

「間違いないで? 冷凍になっとるから、食堂でチンしてもらわなあかんけどな」

 松島あたりではまだまだ寒いがこちらは九州。あちらに比べると随分と暖かい。腐りでもしたら一大事と、ナマモノ系の具は今回も取りやめになった。つまりおチビ一推しのツナマヨは残念ながら無しだ。今回は昆布のつくだ煮とかつおぶし。かつおぶしは嫁ちゃんのお母ちゃんが、釘が打てそうな硬い本節をわざわざ削って作ってくれたものだった。

 おおきに、お義母かあさん。あなたとあなたの娘さんのお蔭で俺はほんまに幸せです。……飛びたないけど。

「ですがよく平気ですね」
「なにがや」
「だから飛ぶ直前に食べて、よく平気でいられますよねってことです」

 そう言いながら、葛城は手で空に円を描いてみせた。まあたしかに。

 ブルーの飛行は通常の飛行以上に重力加速、いわゆるGというやつが体にかかる。そのために訓練飛行前の食事に関しては、それぞれの隊員が自分なりの方法も含めてかなり気を遣っていた。水分にしても必要最低限しか摂取しないのが通例だ。なぜかって? そうしないとコックピットで大惨事が起きるからだ。

「これはただのおにぎりやのうて、嫁ちゃんの愛やからな。どんだけグルングルン回ったとしても、俺の腹の中から飛び出すことなんてあらへんのや」

 不思議と嫁ちゃんが作ってくれたおにぎりは、飛行直前に食べても俺の胃を圧迫することはない。一体どういう仕掛けなのかはわからないが、恐らく嫁ちゃんの愛のなせるワザなんだろうということで片づけている。それを話すと惚気のろけるなと言われるので、黙っているが。

「それにやな、うっかりコックピットでゲロってみ? しばらくは飛行停止処分やで」

 実際、航空学生時代では慣れない飛行のせいでコックピットで吐くヤツもいた。それからゲロ袋を持ち込むヤツも。だがそれは訓練生だから許されることであって、一人前になればそうはいかない。一人前になってからコックピットで吐くようなことがあれば、今度は操縦適正に疑問ありということで飛行停止処分が待っていた。

「それって三佐の思惑おもわく通りなんじゃ? 隊の規則にのっとって合法的に飛ばなくても良くなるわけですから」
「そりゃあたしかにそうなんやけどな。でもかっこ悪いやん、戦闘機パイロットがゲロって飛行停止処分やなんて。飛びたない俺かて、パイロットとしてのプライドってもんがあるんやで? あ、なんでそこで疑うような顔をするんや」

 葛城が胡散臭うさんくさげな顔つきで俺のことを見ている。

「だって、そもそもパイロットとしてのプライドがあるなら、飛びたくないなんて言葉は出てこない気がしますが」
「そんなことないやろ。だいたい俺はいつも言ってるやん、飛びたないのと技量と知識は別やでって」

 おいその顔、信じてないな?

「それにや。現実問題として今の五番機ライダーは俺しかおらんやん? 俺が飛行停止処分になったらブルーはどうなるんやって話やろ? 元五番機のよしみで隊長に五番ポジで飛んでもらうんか? それとも他の基地にいる元五番機ライダーを引っ張ってくるか? それこそえらいこっちゃやで。いくら隊長や元五番機ライダーでも、いきなり飛んだら次の日に熱だして寝込むわ」

 そしてその後、俺は隊長に絞め殺されるに違ない。

「話を聞いてて思ったんですが、なんだかんだ言って、三佐は実は飛ぶのが好きなんじゃ?」
「んなわけあるか。誰かに押しつけることができるんやったら喜んで交代するわ。なあ、この基地に元五番機のパイロットっておらへんかったか?」
「ここで飛んでいるのは救難隊の航空機と教育団のT-4だけですよ」
「T-4の教官にいそうやん?」
「残念ですがいませんでした」

 断言した葛城の言葉に顔をしかめる。

「なんや調べたんかいな」
「三佐が言いそうなことだったので。あ、そろそろ予行の時間です、行きますよ、おにぎりは食べ終わったんですよね?」

 腕時計を見てすました顔でそう言うと、葛城は俺の背後に回って背中を押しながら歩き始めた。

「なんやその言い方……俺は年寄りちゃうで? ってか押すな」

 そう言って抗議する俺の背中を問答無用でグイグイと押しながら進む。

「わかってますよ、こんな元気なお爺ちゃんなんて見たことありません。テレビで、芦屋の人達に楽しみにしていてくださいねと言ったのは三佐じゃないですか。きっと今日の予行も、たくさんの人が基地周辺でカメラをかまえて待ってますよ。だから頑張って飛ばないと」
「はああああ、飛びたないわーーー」
「またそんなこと言って。はい、前進前進!」
「だから押すなっちゅーねん!」


+++++


 予行を終えて地上に戻って機体から降りた時、なにか頭の後頭部にツンとなにかがぶつかったような気がした。

「ん?」

 立ち止まって頭に手をやりながら振り返る。

「どうしたんですか?」

 隣の六番機から降りてきた葛城が首をかしげた。

「ん? いや……なんや視線を感じるわ、なんやろうな」
「?」

 二人でキョロキョロしていると、葛城が「ああ、あれのせいかもしれないです」と言って指をさす。そこには制服を着た年輩の空自幹部が二人、こっちを見てニヤニヤしながら歩いてくる。んん? 一人はアグレッサーの榎本えのもと司令だ。そしてもう一人。あの顔、どこかで見たことがあるぞ?

 整備員達がその二人に気がついて、あわてて作業を中断すると姿勢を正して敬礼をした。

「なあ、あれってもしかして……」
「榎本一佐とうちの父ですね」
「やっぱり自分のパパか。よう似とるわ~」

 榎本一佐は、言わずと知れた全空自パイロットが恐れる、アグレッサーの元パイロットで現飛行教導群司令。そして葛城の父親である葛城一佐は、俺にとっては同じF-2戦闘機に乗っていた大先輩のパイロットだ。どちらも俺にとって、そして空自パイロットにとっては雲の上の存在だった。

「そうですか? しかし芦屋まで来るとは思いませんでした」
「あー、これで納得やわ、小雨が吹っ飛んだのは俺だけのせいやのーて、自分のオヤジさんのせいやろ?」
「かもしれません」

 二人が俺達の前にやってきた。そして一佐は息子の葛城ではなく俺に目を向ける。

「息子がいつもお世話になっています。これの父親です」

 正式に部署名や階級を名乗らずに葛城の父親と名乗ったということは、今日は一等空佐としてではなく、葛城の父親としてここにやってきたということらしい。

「初めまして。五番機ライダーをつとめる影山です」
「どうですか、息子はちゃんとやれてますか?」
「もちろんです。オール……葛城一尉は素晴らしいパイロットですよ。呑み込みも非常に早く隊長も感心しています」
「そうですか、安心しました。……時間がとれたんでな、やっと自分の目でお前の飛行を見ることができる。しっかり見て採点してやるから覚悟しろ」

 ニヤッと一佐が笑ったとたん、葛城が溜め息をついた。

殊勝しゅしょうな父親を演じるんだったら最後まで演じきれよ。途中から猫がボロボロと落ちてるじゃないか」
「言ってる途中で俺のガラじゃないって気がついたんだよ。ダメだな、あんな言葉遣いしていたら肩がこってしかたがない」
「なんだよ、それ」

 そこで思い出したことがあって、一佐のことは息子の葛城に任せ、俺は榎本司令に目を向けて敬礼をする。

「榎本司令、このたびは猫を引き取っていただき、ありがとうございます」

 葛城が横で目を丸くしたのがわかった。あのな、さすがに俺でも階級が上の、しかも目上の人間に関西弁で「猫ひきとってくれておおきにですわ~」なんて言わないから。お前の父親にもちゃんと普通に挨拶しただろ?

「ああ、あの猫。娘が気に入ったらしくてね。小松こまつに来ることなく小牧こまきで途中下車だったよ。名前は松島まつしま基地にちなんでブルーにしたらしい。チャトラなのにね」
「そうですか。本当に助かりました。何度追い出しても忍び込んでくるので、どうしたものかと困っていたものですから」

 あの猫は警務隊が追い出した次の日には、なんでもないような顔をして、五番機の鼻先に乗って毛づくろいをしていた。それを見つけた時の班長の顔ときたら。

 何度か同じことを繰り返すうちに追い出すのをあきらめ、里親探しをすることになった。そして支援機で松島にやってきたハークのクルーを通じて、同じ小牧基地のKC-767Jの機長をしておられる司令の奥様の榎本三佐から、引き取りの申し出があったのだ。最初は司令がいる小松のほうでという話だったんだが、いつの間にか小牧の本宅で飼われることになったらしい。野良猫から司令の本宅の一員とは、随分と出世をしたものだ。

「松島の警務隊には、妻がメールで猫の近況を送っているようだ。時間があるようなら見せてもらってくれ」
「ありがとうございます」
「では我々は失礼する。明日の航空祭も楽しみにしているよ。葛城一尉もな」
「はい、ありがとうございます!」

 二人の一佐は、一番機の横に立っている隊長のところへ向かうようだ。

「あれ、息子がお世話になっていますって言いにいくんか? 隊長、めっちゃプレッシャーやろ?」
「どうかな。ここですでにかぶっていた猫を脱ぎ捨てちゃいましたしね。迷惑かけてないか?ぐらいは言いそうですが」
「見てみ? なんや隊長の様子、いつもとちゃうんちゃう?」

 普段はなにが起きても、それこそ猫がT-4の鼻先に陣取っていても沈着冷静に対処する隊長が、はたから見ても若ぐらい緊張した顔つきをしている。

「そりゃあ、大先輩のパイロットが二人も来たら緊張するでしょ。三佐だって大阪弁が吹き飛んでたじゃないですか」
「あのな、あれは吹き飛んだわけやのうて意識して標準語で話したんや。一佐相手に、猫のことおおきに!なんて言えんやろ、普通」
「普通だったら飛びたくないも言いませんよねえ……」
「まだ言うか、それ」

 まったく葛城ときたら、ずいぶんと生意気になったもんだ。

「ま、俺もシャウトさんが静かにしてると落ち着かないので、別にかまわないんですけどね」
「だからシレッとそういう失礼なことを言いなや」
「あれ? これって失礼なことなんですか?」
「……」

 まあ良いんやけどな……。
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