シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

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本編 2

第二十四話 おにぎり問題

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「秋晴れやなあ……」

 雲一つない青空を見上げる。

「ほんま、ええ天気や、まったくの飛行日和びよりやで、飛びたないけど…………ックショイ!!」

 昇っていく太陽を見ていたら、急に鼻がムズムズしだしてクシャミが飛び出した。その勢いで、手に持っていたおにぎりを落としそうになる。

「おおっと、危ない危ない。大切な嫁ちゃんのおにぎりが」
「おはよう、影山かげやま。今のクシャミ、めっちゃくちゃハンガーで反響してたぞ」

 そう言って、笑いながらやってきたのは青井あおい。今朝の青井は、俺達にさきがけてメトロで飛ぶことになっていた。だからその手には、おにぎりのかわりにヘルメットだ。

「おはようさん、班長。いきなし派手なんがでよって、耳から脳みそ飛び出すかと思ったわー」
「今になって花粉症なんて言わないでくれよ? あ、まさか風邪ってことはないよな? 熱っぽさやだるさは感じてないか?」

 急に真面目な顔をして俺を見る。実に総括班長らしい言葉だ。

「今のところそんな気配はないけどな。しかし風邪はともかく、この季節に花粉症ってあるんか?」
「イネ科の花粉でクシャミが止まらなくなるって話は、聞いたことがある。ああ、でもこのへんは、もうとっくに収穫も終わってるよな」
「稲の花粉でも花粉症になるんかいな。えらいこっちゃやで、そんなこと言ってたら、年がら年中なにかの花粉でクシャミでまくりやん」

 まったく、世の中どうかしているなと溜め息が出た。

「とにかく、体調には気をつけてくれよ? 来週末は那覇なは基地に行くんだから」
「そうやった。あー……行きたないで、ほんま……那覇は遠すぎやん」
「大したことないだろ? 飛べばあっという間じゃないか」
「せやかてなあ……やっぱり遠いやん?」

 たしかに松島まつしまから那覇までは、戦闘機や練習機で飛んでしまえばあっという間の距離だ。だが地図で見れば、かなり離れているのがわかる。しかも那覇基地でのエアフェスタは、二日間の予定で開催される。つまり、いつもより長く自宅をあけなければならないのだ。

「あー、飛びたないのもやけど行きないでー……。もう後藤田ごとうだに任せたらあかんのかー? 俺は松島に居残りでも大歓迎やでー?」
「なに言ってるんだよ、そんなことできるわけないだろ?」

 広報として、人前に出る機会が増えてきた後藤田だったが、展示飛行に関しては隊長からまだOKは出ていない。まあ俺から見ても、ソロ課目を飛ぶ時にまだ腰が引けていると感じる時があるのだ、デュアルソロとして独り立ちするには、もう少し時間がかかるかもしれない。

「それに後藤田が飛べたとしても、沖田が居残りを許すわけないじゃないか。そんなこと言ってたら、一番機の後ろでグルグル巻きにされて連れていかれるぞ?」

 そう言って青井が笑った。

「たしかに。うちの隊長やったらやりかねへんわ、それ」

 いや、あの隊長なら間違いなくやる。

「今度の遠征は、いつもよりおにぎりは多めに用意しなくちゃな。今回の日程だと、いつもの場所に入りきらないんじゃないのか?」
「あー……おにぎりなあ……」
「影山?」

 その問題もあったなあと溜め息をもらすと、青井が首をかしげてこっちを見た。

「……あんなあ、しばらく嫁ちゃんのおにぎり、なくなるかもしれへんねん」
「え? なんでまた? みっくんがまた体調でもくずしたのか?」
「チビスケは元気やで。……実はな、嫁ちゃん、腹ん中に赤ん坊がおってなあ……」
「え?!」

 青井が驚いた顔をする。この様子からして本当に知らなかったらしい。つまり隊長は、最初の約束をきちんと守ってくれていたということだ。

「奥さん、妊娠してるのか?」
「そうやねん。もろちん俺の子やで?」
「そんなこと分かってるよ!」
「んで、今回はちょっと悪阻つわりが長引いとんねん」

 チビスケの時は、産婦人科の先生に聞いていたとおりすぐにおさまった。だが今回はその時と違い、かなり長引いている。先生が言うには、そういうこともあるらしい。場合によっては、生まれる直前まで続く場合もあるんだとか。

「そうか。こればかりは男の俺達はかわってやれないもんな……」
「せやねん」
「あれ? だったらそれは? コンビニのじゃないよな?」

 俺の持っているおにぎりを指でさす。

「嫁ちゃん監修、制作は俺、のおにぎりや」
「なるほど」
「ほんまは寝といてええねんでって、言ってるんやけどな。結婚前からやってることやから、作れないまでもきちんとしたものを、俺に食べさせたいんやと」

 嫁ちゃんがおにぎりで俺の背中を押してくれるようになったのは、俺が一人前の空自パイロットになる前、ここでF-2操縦課程を受けていた時だった。あの当時、教官の行きつけの食堂で「飛びたくない」とよくこぼしていた。そしてそれを聞いたその店の看板娘に、『じゃあどうしてパイロットなんかになったの?』と突っ込まれたのが俺達の出会いだった。

 あれから十年ちょっと。飛びたくない俺のために、嫁ちゃんは毎日のようにおきにぎりを作ってくれていた。ほんま、考えたらすごいことやん? 十年以上ほぼ毎日やで?

「不思議なんだけど、どうしておにぎりになったんだ? まあ、手軽だってのはあるんだろうけどさ」
「ん? ああ、それな。飛びたくないんなら、飛びたくなるようにせなあかんなって話になってな……」

 飛びたくないとぐちっていた俺にむけて、嫁ちゃんはこう言い放ったのだ。


『F-2の爆音を毎日浴びて育った東松島ひがしまつしまのお米を食べたら、飛びたくない気持ちなんて、あっという間に消えるはず! 消えないなら消えるまで、私がかげさんに毎日おにぎりを作ってあげるから!』


 あの時の嫁ちゃんの言葉を思い出して、思わず顔がにやけた。考えたらそれってプロポーズでは?と、あの時は教官や同期達によくからかわれたものだ。

「なんだかさりげなく惚気のろけられた気がする……」

 青井が顔をしかめた。

「そんなことあらへん。ほんまのこと言うただけや」
「だけど、それだけ愛情いっぱいのおにぎりを毎日作ってもらっていても、飛びたくないって言ってるんだよな、影山は」
「せやねん、あかんねん、飛びたないねん、どないなっとんねんって話やねん」
 
 嫁ちゃんには申し訳ないが、これだけ愛情がこめられたおにぎりを毎日食べているのに、飛びたくない気持ちはいまだ消えずに残っている。まったくなんでやねんって話だ。

「奥さん、本当に影山思いだよな。そうやって毎日、飛びたくない影山のために、おにぎりを作ってくれるなんてさ」
「ほんまにな。あ、今はわいがチビスケの弁当も作ってるんやで、もちろん嫁ちゃん監修やけど」
「なんとまあ」
「冷凍食品さまさまやな。あれがなかったら、俺どないしようもないわ。世の中のお弁当作りをしているオカーチャンとオトーチャンを尊敬するで、ほんま」

 このおにぎりにしたってそうだ。毎日毎日、なにも言わずに作ってくれていた嫁ちゃんには本当に感謝しかない。

「なあ、影山」
「ん?」
「なんなら今度の遠征のおにぎり、うちの嫁に影山の分も作るように頼もうか? 1個や2個じゃないんだ、朝、みっくんのお弁当とあわせて作るのは大変だろ」
「まあ大変は大変やけど、これまでも嫁ちゃん監修でなんとかやれてるからな。なんとかなるんちゃう? それにどうしてもあかんかったら、コンビニおにぎりっていう最終手段もあることやし」
「でも、コンビニおにぎりじゃ調子でないんだろ?」

 そこは否定しない。だが、おにぎりだったらなんでもいいというわけではないのだ。大事なのは〝嫁ちゃんの愛情がつまった〟おにぎりなのだから。

「別に、班長んとこのおにぎりがイヤやと言ってるわけちゃうで?」
「そんなことわかってるよ。影山にとって、奥さんにおにぎりが一番だってことも。だけど用意するのが大変だろって話じゃないか。うちからも奥さんに連絡するから、那覇では、うちの嫁のおにぎりで飛べよ」
「いやしかし、青井んとこの嫁さんのおにぎり、たまにめっちゃ長いやん?」

 青井のところのおにぎりは、とにかく形が普通じゃないものが多い。そして奥さんのことだ、俺の分を作るとなったら絶対に張り切って、とんでもない形のおにぎりを持たせてくれるに違いないのだ。ピトー管型おにぎりとか、安全ピン型おにぎりを作ったらどうするんだ? 誰が食べるんやって話やん?

「やっぱり長すぎかな」
「あれはどう考えても食べきれへんで」
「そうかな」
「どう見ても長すぎや。あれを食べきって飛べる青井ってすごない?」

 人のことは言えないが、あの長いのを食べて、なんでもない顔をして飛ぶ青井の胃袋も、たいがいやと思うんだが。

「俺は影山みたいに、デュアルソロを飛ぶわけじゃないからな」
「いやいや、問題はそこやないて」

 そこで、メトロ機の点検をしていた整備員が青井を呼んだ。気がつけば、そろそろ離陸の時間だ。青井が了解と言いながら、ヘルメットを持った手を上げる。

「じゃあ、おにぎりのことは考えておいてくれ。うちの嫁も、きっと影山に食べてもらえるって知ったら、張り切って作ると思うから。ああ、もちろん普通サイズのおにぎりにするように言っておくよ」
「わかった。ほな嫁ちゃんと相談してから、頼むかどうするか決めさせてもらうわ」
「うちのことは気にしなくてもいいからな」
「おおきにな。ほな班長、メトロ、よろしゅう」
「飛んで確認するまでもなく、今日も晴天だけどね」

 たしかに空は雲一つない青空だ。風もほとんど感じられない。この分だと、基地上空も似たようなものだろう。

「はー、こりゃ誤魔化ごまかしようがないぐらい晴れで、今日も第一区分まったなしやな、あかんやん……っ、っ、ックショイ!!」
「本当に大丈夫なのかよー」
「大丈夫やて。今のクシャミは、築城ついきで誰か俺の噂をしとったせいや。クシャミの出かたからして、噂しとったんは間違いなく杉田すぎた隊長やな」
「なんでそんなのがわかるんだよ」

 青井がやれやれと首を振りながら、メトロ機のほうへと歩いていく。そしてその途中で、基地の外でカメラをかまえているであろうマニア達にお手振りをした。それを見送りながら、おにぎりを口に放りこんだ。

「さーて、そろそろ俺も準備にかかるか、はー、飛びたないで、ほんま……」
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