貴方は翼を失くさない

鏡野ゆう

文字の大きさ
52 / 62
小話 2

とある日の後日談

しおりを挟む
「ショック~~! せっかく来たのに、黒砂糖味のが売れ切れだなんて……」
「わざわざ本土から来てもらったのに申し訳ないですね、奥さん。明日も朝から並べるので、また立ち寄ってください」

 店員さんの言葉を聞きながら、隣に立っている雄介ゆうすけさんをちらりと見上げた。なにも考えていないような顔をしているけど、その頭の中では私が言い出すであろう言葉の可能性を、あれこれと考えているわよね?

「ねえ、雄介さん。一泊していっていい?」

 私がそう言ったとたんに、雄介さんは笑った。

「そう言うと思った」

 今日の雄介さんは、仕事で那覇なは基地に来ている。なんの仕事なのかは、私には関係ないことなので聞くことはしなかった。そして私のほうは、さも仕事のような顔をしながら輸送機から降り立ったけど、実は休暇だ。

 本来なら子供達と一緒にすごす時間なんだけど、サーターアンダギーがどうしても食べたくて、移動許可をもらって那覇行の輸送機に飛び乗ったのだ。後から乗ってきた雄介さんが「なんでちはるがここにいる?!」って顔をしていたのが、なんとも愉快な瞬間だった。

 子供達はどうしたんだって? 子供達三人は私がサーターアンダギーを食べに行く!と宣言した時点で、父親そっくりの溜め息をつきながら「お土産は紅芋タルトで手を打つよ」と言って、快く送り出してくれた。なかなかよくできた子達でしょ?

「そっちに押しかけるのがまずいなら、別のホテルをとるけど」
「わざわざ別にとることもないだろ。部屋にはベッドが二つあるから、こっちに泊っていけ」

 つまりは、雄介さんが宿泊に使うホテルに押しかけても良いってことだ。

「良いの?」
「ああ、かまわない」
「良かった。……だけどあーあ。今日のうちに食べられると思ったのに。残念」

 明日また来ますねと言い残し、お店を離れてから溜め息をついた。食べられないとわかったとたんに、無性に食べたくなるのはどうしてなのか。他のお店にも立ち寄ってみようかな。だけど、あそこのお店のがおいしいんだもの、やっぱり浮気はダメよね?

「だから、長門ながとに送るように頼めばいいって言ったじゃないか。確実に送ってくれるんだ。あいつに頼んでおけば、わざわざここまで来たのに空振りなんて心配もないだろ?」
「もちろん長門さんには今回のとは別に、この前の袖の下として、しっかり送ってもらうわよ。だけど私はできたてが食べたいの。わかっていると思うけど、私が言うできたてって言うのは、揚げたての熱々ってことなの。温めなおしたのじゃ意味がないの。おわかり?」
「やれやれまったく。うちの機長殿ときたら」

 苦笑いしながら首を振った。失礼な。私は真面目に、一番おいしくサーターアンダギーを食べる方法について語っているのに。

「なによ。雄介さんだって、デパートの物産展で揚げたてを食べたらおいしいって言ってたじゃない」

 そう言いながらひじで小突いたら、雄介さんはわざとらしくイタタと顔をしかめた。

 まっすぐホテルに戻るには早い時間なので、自分の分はあきらめて、子供達へのおみやげを探そうとお店をのぞきながら歩いていると、前から、ワイワイとにぎやかにおしゃべりしているグループがやってきた。あら、可愛い坊や達だこととながめていたら、なぜか彼等は雄介さんの顔を見て、慌てた様子で立ち止まると姿勢を正した。

「?」

 そしていっせいに敬礼をする。あら、もしかして同業者さん?

「雄介さん、お知り合い?」

 答礼をした雄介さんを見上げる。

「第204飛行隊のパイロット達だよ。ちはるがグアムからの帰りに給油した、イーグルが所属しているところだ」
「どうしてわかったの?」
「ジャケット」
「ああ、なるほど。はじめまして」

 よく見れば、彼等は飛行隊のエンブレムが縫いつけられたジャケットを着ていた。

 雄介さんのイメージが悪くなっては申し訳ないので、ニッコリと微笑んで奥さんらしく挨拶をする。これでも榎本えのもと三佐は年のわりには(年のわりにって余計な一言よね)可愛らしいって言われているんだから、愛想よくしておいて損はないわよね?

「あっ!!」

 私が挨拶をしたら、そのグループの子達がワタワタと動き出して、後ろに立っていた男の子が、前にいた子達を押しのけて出てきた。なんだかこういうのを見ていると、昔の風間かざま君達を見ているみたいだ。

「あの時はありがとうございました!」
「?」

 いきなりそう言って最敬礼をしてきたその子を見て驚いたものの、すぐに誰だかわかった。この子があの時の若鳥君だ。

「あら、貴方があの時の?」
「はい!! 沖田おきた千斗星ちとせ一等空尉であります!」

 空で会った時はバイザーを下ろしていたから、はっきりと顔を見ることができなかった。こうやって改めて見ると、あらあら、本当にハンサムで可愛い坊やだこと。

「沖田一尉、あれから空中給油訓練は受けた?」
「はい。航空団の未訓練パイロットは全員受けました」
「そう。だったら次は安心ね。ま、あんなことは二度とないほうが、良いに決まっているけれど」

 次に私が行った時はよろしくねと言うと、全員が元気よくはいと答えてうなづいた。その様子を見ていた雄介さんが、おかしそうに笑う。

「そんな顔をして呑気にうなづいているがお前達、うちの嫁はとてつもなく鬼教官だぞ? 彼女の下についたら、そんなふうに神をあがめるような顔なんかしていられないから、イテッ、なにをするんだ、ちはる」

 なにやら失礼なことを言い出したので、思いっ切り肘鉄ひじてつを食らわしてやった。

「お言葉ですが一佐。私、今まで一度も鬼教官だなんて、言われたことないんですけれど? それにこの子達だって、そんな顔をして私のこと見ていませんから。神をあがめるようにというのは、風間三佐が一佐を見る時の顔みたいなのを言うんです」

 本当に。あれからずいぶん月日が経って風間君もベテランとなり、現在は教官をつとめるほどだ。なのにいまだに雄介さんと顔を合わせると、あがたてまつる雰囲気になってしまうのだから、積み重ねてきた習慣?っていうのは恐ろしい。

 とにかく、ああいう顔を「あがたてまつる顔」というのだ。この子達の顔は断じて違う……多分、違うはず。

「航空学生時代の同期が、小牧でC-130の訓練課程を受けたのですが、榎本三佐の指導を受けたかったと言っておりました。諸先輩方からは、訓練生の自主性を大事にしてくださる、神のような教官だと聞いております」

 なんだかお尻がムズムズするのは気のせい? 面と向かってそんなことを言われて、少しだけ居心地が悪い。私はただ自分が教わった時と同じように、少しでも訓練生が空を楽しく飛べるようにと考えているだけなのに。

「なるほど。ちはるは、自分の教官だった緋村ひむら三佐と同じことをしているわけだな」

 モジモジしていると、雄介さんが愉快そうに口元をゆがめて、こっちを見下ろした。

「だって、飛びたいって言う子を飛ばさないのは可哀想じゃない。それで技量が上がれば言うことないし、飛行時間と飛行距離がのびるのはしかたのないことでしょ? 別に私は、お尻を叩いて空に追いやっているわけじゃないわよ? それに今まで教えた子は皆とても優秀だったし、私は普通に教える以外には、なにも特別なことはしていないんだから」

 だから神様って言われるようなことはしてないのよ?とつけ加える。

「……と、うちの嫁は言っているんだが?」
「いえ、神のような教官殿です。少なくとも自分は三佐に救われましたから」

 沖田一尉がそう言った。あの時にハッパをかけたことを彼がそう感じてくれているのなら、言った甲斐かいがあったというものだ。

「そうか。じゃあその彼女が安心して領空を飛べるように、これからも空を守ってやってくれ。そう言えば明日は模擬空戦だったな。妻は休暇中だからその訓練を見ることはないが、俺はその場で見させてもらうつもりでいる。訓練だが気を引き締めていけよ」

「はい!」

 元気な返事がいっせいに返ってくる。そして彼等はピシッと見事な敬礼をして、その場を離れていった。

 「司令に会えたことを、小松こまつから来た隊長に自慢してやろうぜ!」と楽しそうに話しているのを聞いていると、ますます風間君達のことを思い出してしまう。あ、そうだ、風間君にもおみやげを買ったほうが良いかな。今は新田原にゅうたばるにいるんだっけ。定期便であっちに飛ぶ、山瀬やませ三佐にお願いすれば良いわよね。そんなことを考えながら、彼等を見送る雄介さんを横目でチラッと盗み見する。

「なんだ?」
「なんでもありませんよ」
「嘘をつけ嘘を。なにか言いたいんだろ?」

 すまして答えたけど、これだけ長いつき合いなんだもの、私がなにを考えているかなんて丸わかりよね。

「なんだか雄介さんが、偉い人みたいな顔をしているなって思った」
「そりゃ、若いパイロットの前でデレデレしているわけにもいかないだろ。教導群の司令が、嫁にデレデレしているなんて話がひろがったら、目も当てられない」
「あら、そうなの? 可愛いと思うんだけど」
「それは、ちはるが俺の嫁だからだろ」
「じゃあ、私に可愛いって言われるのはかまわないんだ?」
「嫌だと言っても散々言うくせに」

 そう言って雄介さんは、私の頬っぺたをムギュッとつまんだ。

「うらやましくなってない? 危険な任務についているけど、彼等はイーグルドライバーだもの」
「あいつ等と一緒に飛ぶには年をとりすぎたよ。今の俺は、たまに空に連れて行ってもらうだけで十分だ」
「それって私も年寄りってこと?」
「まさか、とんでもない」

 雄介さんは首を振りながら笑った。


++++


 夕飯を長門一佐おすすめのお店でとると、おみやげを手にホテルに戻った。

「でも残念だなあ。明日、一緒に行けたら、雄介さんの制服姿をじっくりと堪能できるのに」

 荷物の中におみやげを押し込みながら呟くと、雄介さんはあきれたように笑う。

「見たいのは模擬空戦じゃなく、俺の制服なのか?」
「だって百里ひゃくりにいた時は、ほとんど作業着ばかりだったでしょ? 帰ってくる時は私服だったし、ほとんど制服姿は見てないんだもの。たまには旦那様の、ちゃんとした航空自衛官らしい姿を見たいです」
「そんなこと言ったら俺だってそうだろ。ちはるはいつもフライトスーツで、制服姿なんて数えるほどしか見てないんじゃないか?」
「女性隊員の制服姿より、男性隊員の制服姿のほうが萌え萌えなんだから」

 私がそう言うと、飲みかけた水を途中で噴き出して笑い出した。

「なんだ、そのモエモエって」
「ひなたが言ってたのよ。制服は萌え萌えなんだって」

 最近の子の言葉といったら宇宙語だなと、雄介さんが笑う。

「その理屈でいくと、俺のじゃなくても良さそうじゃないか」
「私は旦那様の制服姿にしか萌え萌えしないの。おわかり?」
「それはそれは。嬉しいことを言ってくれるじゃないか、奥様。そこまで言われたら、夫としては妻にきちんと御奉仕しなくちゃな」

 あら、なんだか変な雲行きに。

「……明日も仕事では?」
「そうだな」
「年をとりすぎたとか言ってなかったっけ?」
「そうだったか? 最近忘れっぽくてなあ……年だな」

 そう言った雄介さんの笑った顔は、なんとも不穏なものだった。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️

高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

処理中です...