頭取さん、さいごの物語~新米編集者・羽織屋、回顧録の担当を任されました

鏡野ゆう

文字の大きさ
23 / 39

第二十三話 ゲラ刷りを届けます

しおりを挟む
河野こうのさーん、ゲラが刷り上がりましたよー」

 工場から受け取ってきたものを抱え、部屋に入った。

「おお、いよいよ本らしくなったな」
「これは河野さんの分で、こっちが編集長の分です」

 机の上にドンと置く。

「俺達にもあるのか」
「当たり前ですよ。小此木おこのぎさんに届けるのが、少しのびましたからね。その間に、可能な限りチェックをしてください」
「またかよー」
「またですよ」

 河野さんがウンザリした顔になり、不満げな声をあげた。

「もう俺達は校正作業をしただろー?」
「なに言ってるんですか。時間がある限りやってもらいますよ。なんせ誤字脱字、印刷の不備は、時間が経つと増えますからね」
「増えねーよ、アメーバじゃないんだぞ」
「いいえ、増えます。はい、ちゃんと仕事してください」
「なんでだー」
「だって、校正さん入れてくれなかったのは、編集長と河野さんの判断じゃないですか。それなりの責任はとってもらいますよ」

 不満タラタラの声を聞き流し、編集長のデスクに向かう。編集長は私から視線をはずした。そんなことをしてもムダだ。たとえここで一番偉い人でも、やることはやってもらう。

羽織屋はおりや君、僕は管理職でね」
「そんなこと関係ないですよ。関わったからには最後までやってもらいますから」
「僕のほうが偉いのに」

 編集長はボソッとつぶいた。

「なんですってー? 権力をかさにきて、仕事を放棄するんですかー?」
「ひどいなあ……」
「じゃあ、お願いしますね」

 そう言ってゲラを机にドンと置く。

「本当に僕、忙しいんだよ?」
「すぐにやれ、今日中にやれって話じゃないですから」
「……がんばるよ」
「はい。がんばってください。もちろん私もやるんですから」

 メガネを手にしたものの、やりたくないオーラがダダ漏れだ。だがそれを無視して、その場を離れた。席に戻ると、河野さんがまだブツブツ言い続けている。

「まったくなあ。こんなんだったら、校正の人間を入れておけば良かったな」
「だから言ったでしょ?て言ってほしいですか?」
「思ってても言うな。とにかくだ。ここまでやらされるんだ、絶対に誤字脱字は見逃してやるものか」

 河野さんがブツブツ言いながらメガネをかける。こちらも本気モードの老眼鏡だ。

「その意気ですよ、河野さーん。ま、今からでも校正さん入れてくれても良いんですけどねー」
「誰が入れるか。俺がすべての誤字脱字を殲滅せんめつする」
「がんばれー」

 もちろん私も応援するだけではない。さっそく集中してチェックをしなければ。イスに座ると、まずは乱丁らくちょう落丁らくちょうがないかの確認をする。それから印刷のズレの有無も。

「やっぱり表紙の紙、これにして良かったですね。いい感じです」
「その紙するなら箔押しできたんじゃないかって、編集長がぼやいていたけどな」
「ダメですよ。そんな派手なのは。そんな特殊加工をしたら、武田たけださんのデザインが台無しですよ」
「羽織屋くーん?」

 編集長が私を呼んだ。

「はやっ! もう見つけたんですか?」
「違うよ。これから頑張って見るから、いつものブルーベリーセット、買ってきてくれない?」
「まーたですかー?」

 れいのジュースとヨーグルトとサプリだ。

「羽織屋、俺も」
「えー? また私の立て替えですかー?」

 お財布をバッグから出すと、席を立つ。

「目薬は良いんですか?」
「あれはまだあるから大丈夫」
「わかりました。ま、私が責任者ですからね、しかたないですね、買ってきます」

 一回ぐらいおごってくれても良いのでは?と思いながら、部屋を出てエレベータホールに向かった。

「だいたい、毎日続けるから効果があるわけで、こんな時だけ飲んだり食べたりしても、効果ないと思うんだけどなあ……」

 行く先は社屋の隣にあるコンビニ。目的のジュースとヨーグルト、そしてサプリをカゴに放り込む。そして他になに買っておこうかなと商品棚を見ていると、野菜コーナーがあった。

「あ、本当に野菜うってる」

 トマトやキュウリ、そしてバナナやオレンジ、さらにはマイタケまである。当然のことながら、スーパーよりも割高だ。陳列ペースに空きができているところを見ると、それでも買っていく人もいるらしい。

「このへんオフィス街だけど、マイタケなんて誰が買っていくんだろ……」

 首をかしげながらおやつにシュークリームを買うと、レジに行った。シュークリームはいくつ買ったかって? もちろん三個。自分の分だけしか買わなかったら、絶対にブツブツ言ううるさいおじさん達がいるのだ。校正作業の報酬としては弱いが、それでもないよりかはマシだと思う。要は気持ちというやつなのだ。

「買ってきましたよー!」

 それぞれの机に、ブルーベリーセットとシュークリームを置く。

「?」
「シュークリームは私のおごりですよ。校正作業に続き、ゲラ刷りのチェックもやってもらうんですし」
「おお、ごちになる」
「武田さんとこにあるコーヒーメーカーのコーヒーと、一緒に三時のおやつをしたら最高でしょうけどね。ここには無いので、缶コーヒーで我慢してください」

 そう言って、廊下の自販機で買った缶コーヒーも並べた。

「ずいぶんとサービスが良いじゃないか」
「別にサービスしてるわけじゃないですよ。手伝ってもらってるんです。それなりのお礼は必要でしょ? たとえそれが上司でも。編集長にも渡してきますねー」

 編集長の机にならべたものは、もちろん河野さんと同じものだ。

「ありがとう。シュークリーム分はがんばるよ」
「カスタードと生クリームの二段構えですからね。それなりに高いので、気合を入れて作業してください」

 私の言葉に編集長は笑った。

「河野ちゃん、そういうわけらしいよ」
「いやいや、大変ですな。シュークリーム一つで羽織屋の尻に敷かれることになるとは」
「え、シュークリーム一つじゃ不満だと? だったら無しにしますか?」
「なにを言ってるんだ。もうこのシュークリームは俺達のものだろ」

 そう言って二人は、早々に袋をあけてシュークリームにかじりついた。

「まだ三時のおやつには早いのに」
「取られる前に食えの精神だ」
「どんな精神なんですか」

 笑いながらイスに座る。さて、最後のチェックにかかろう。印刷前に他の人の目でも見てもらったが、やはり自分の目で見ないとやはり心配だ。


+++++


 そして小此木さんに渡す日。ゲラ刷りが刷り上がってから、ギリギリまでチェックをしたが、幸いなことに誤字脱字や印刷のズレ、欠けは見つからなかった。あとは小此木さんがチェックをするだけだ。

 いつものように東都とうと銀行の本社に出向き、受付に直行する。

「おはようございます。光栄こうえい出版の羽織屋ですが、秘書室の安達さんをお願いします」
「光栄出版さまですね。少々お待ちください」

 ここに来るのはあと何回かなあと考えながら、受付の横で待たせてもらう。

「羽織屋さん、お待たせしました」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 安達さんはすでに出かける準備をしていた。いつもなら面会時間の都合で午後からなのだが、今日は特別に朝からうかがうことになっていた。それだけ小此木さんが、ゲラ刷りの到着を待っているということらしい。

「小此木さんのお加減はどうなんですか?」
「昨日、電話で話をしたのですが、声を聞いた限りではお元気そうでしたよ。ああ、眉毛まゆげが薄くなって、ずいぶんと人相が悪くなってきたと嘆いておいででした」
「あー……そこも抜けますからねえ」

 副作用というのも大変だ。エレベーターを待ちながらそんなことを思った。

「今回の副作用では、味覚に異常はないんですか?」
「そのようですね。少なくとも私は聞いていませんね」
「じゃあ、今日のおみやげのプリンは、おいしく召し上がっていただけますねー」

 今日のおみやげは有名な洋菓子店のプリンだ。少し多めに買ってきたので、誰か来ていても大丈夫だろう。

「ああ、そう言えば。今日は回顧録の見積書も、持ってきていただいているのですよね」
「はい。小此木さんにお渡しして、印刷する部数を決めていただこうと」

 一応、最小で50冊、最大で1000冊までの値段を出してある。見た感じ、原価とまではいかなくても、かなりの格安になっているように思う。もちろんうちの社長と編集長のことだから、私の営業費を含めて、赤字になるような値段の出し方はしていないはず。普通に比べて格安というだけだ。

「安達さんはまだ、一度も読まれていないんですよね?」
「ネタバレ厳禁だと言われておりましてね。本になるまでは秘書の私にも秘密なんだそうです」
「なるほど。完成まであと少しですから」
「楽しみにしています」

 いつものように車に乗ると、小此木さんのいる病院へ向かった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王命って何ですか? 虐げられ才女は理不尽な我慢をやめることにした

まるまる⭐️
恋愛
【第18回恋愛小説大賞において優秀賞を頂戴致しました。応援頂いた読者の皆様に心よりの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました】 その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。 貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。 現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。 人々の関心を集めないはずがない。 裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。 「私には婚約者がいました…。 彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。 そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。 ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」 裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。 だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。   彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。 次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。 裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。 「王命って何ですか?」と。 ✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

報酬はその笑顔で

鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。 自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。 『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...