頭取さん、さいごの物語~新米編集者・羽織屋、回顧録の担当を任されました

鏡野ゆう

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第二十五話 頭取さんの回顧録、できました!

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「いやあ、完成しましたよ、小此木おこのぎさんの本!」

 机の上に、ブックカバーと帯をした回顧録が積み上げられている。一時間ほど前に、工場から届けられたものだ。手にとってパラパラとめくっていく。乱丁も落丁もなし。文字欠けもなし。印刷のズレも無し。自分で言うのもなんだが、大変よくできました。

「ページ数的にも少なすぎず多すぎず。完璧ですね。偉いぞ私と小此木さん」

 無理やり担当を押しつけられた経緯はともかく、私にとっては、初めて書き手さんと一緒に作り上げた本だ。なかなか感慨深い。もちろんここにあるのは一部で、残りは配達業者によって、ご自宅と東都とうと銀行の本社に届けられる。安達あだちさんによると、内々にお見舞いをいただいていた方々に、快気祝いとしてお礼の品と共に送られるらしい。

『お見舞いをいただいた方に、本を売りつけるわけにはいきませんからね。まあ、売りつけるか押しつけるかの違いだけですが』

 冗談めかしに言っていたが、事実、小此木さんは今回の本をすべて、無料で配ってしまうのだとか。個人的な出版物としては多めの冊数を刷ったが、それがほとんどはけてしまうらしい。さすが大手銀行の頭取ともなると、交友範囲が広い。もちろん安達さんも、一冊もらう予定になっていて、今から読むのを楽しみにしているとのことだ。

『もしかしたら頭取のこれに刺激され、自分も回顧録を書きたいとおっしゃる方が出てくるかもしれません。その時は、光栄こうえい出版さんを紹介させていただきますよ』

 営業のチャンスは、意外なところに隠れているものだ。

羽織屋はおりやもこれで一人前だなあ。ようやく独り立ちの日がやってきたか」

 届いた本を手にした河野こうのさんがしみじみとつぶやいた。

「なに言ってるですか。まだまだ面倒見てくださいよ、河野さん」
「なんでだ」

 ツッコミが入った。

「だって今回の本に関しては、異例づくしの行程で、参考にはならないじゃないですか」
「なに言ってるんだ。イレギュラーな行程でも、編集は編集だろ」
「イヤです。あと五年ぐらいは面倒みてください」

 あと五年ぐらいしたら、厄介な作家先生達にも太刀打たちうちできるようになるかもしれない。

「俺が定年するまでつきまとうつもりか」
「編集部は人員整理で人が少ないままの状態ですから、ベテランの河野さんの定年は延長になりますよね、きっと。だったら十年ぐらい、面倒みてもらっても良いですか?」

 中には筋金入すじがねいりの偏屈へんくつなおじいちゃん先生もいる。その先生に太刀打たちうちできるようになるには、五年では足りない。だから十年にしてもらおう。

「おい、一人前にならんつもりか。俺はアシスタントなんていらんぞ」
「アシスタントになるつもりはないですよ、ちゃんと一人前になるつもりです。ただもう少し、面倒をみてくださいと言ってるんです。別に後輩におごれとか言いませんから」
「たかるつもりでいるな」
「まさかー。それに今のところ、私のほうがシュークリーム1個分、リードしてるんですけどね」

 河野さんはやれやれと首を横に振った。

「ま、俺の下につくってことはだ、少なくとも俺の手足としてこき使われても、もんくは言わないってことだよな? だったら」
「おーい、河野ちゃん、羽織屋君、ちょっとちょっと!」

 テレビの前にいた編集長が私達を手招きしながら呼ぶ。

「なにかありましたー?」
「あったあった。ほら、これ」

 テレビの画面を指でさす。『東都とうと銀行頭取が交代』というテロップが出ている。

「あらまあ」
「今日、本が刷り上がるって知らせてあった?」
「はい。昼過ぎには自宅に届く予定です」
「本の完成に合わせてくるとは、なかなかオチャメだね、小此木おこのぎさんも」

 編集長は納得だという顔をした。河野さんは首をかしげながら私を見る。

「手術は成功したんだよな?」
「はい。定期的な検査は必要ですが、転移も見られなかったので根治こんちということでした」

 主治医の先生から直接聞いたわけではない。退院日の報告とともに、奥様から教えてもらったのだ。

「小此木さん、これで奥さんと日本中を気兼ねなく旅行できるって大喜びですよ、きっと」
「羽織屋、このことは聞いていたのか」
「辞職のことですか? いえ、はっきりとは。ただ、回顧録を書いていたら昔いた所に行きたくなった、的なことは言ってましたよ。だから辞職されたことには驚かないですね。ああ、やっぱりかって感じです」

 半分は本当で半分は嘘だが気にしない。

「病気のことを知らせずにそのまま勇退か。なかなかやりますね」
「まあ本が人の手に渡ったら、ことの次第はバレちゃうからね」

 編集長と河野さんは、ニュースを聞きながらしみじみと語っている。しみじみと語るのは良いが、私にはまだやることがある。本以外のあるモノを小此木さん宅に届けることだ。

「私、そろそろ行きますね」
「本の横にあるそれか?」

 河野さんが積まれた本の横に置かれた、アルバム並みの厚さの本を指でさした。

「はい」
「それはなんなんだ?」
「印刷の時に紙が少しだけ残ったんですよ。それで作ってもらったものです」

 中をひらくと真っ白な紙。表紙だけは回顧録と同じデザインになっている。

「お孫さん達へのプレゼントなんですよ。回顧録では、自分達の出番がなかったって、お怒りのようでしてね。だったら自分達で、お爺ちゃんとの回顧録を作れば良いんじゃないかって、思ったものですから」

 つまりこれは、表紙が回顧録と同じデザインのクロッキー帳なのだ。作らなくても落書き帳として使えるし、お爺ちゃんの本とおそろいなら喜んでもらえるのではないだろうか、と思っている。

「これなら小さな子でも回顧録が作れるでしょ? あ、もちろんこれは自費です。私個人からお孫さん達へのプレゼントなので!」

 なにか言われる前に本とそれをバッグに入れる。

「では、行ってきます!」
「気をつけて行ってこい。寄り道するなよ?」
「小此木さんによろしく~」

 二人の声に見送られ、部屋を出た。


+++


 回顧録の結びはこんな感じで書かれていた。

『ガンを告知され、数か月先に死ぬかもしれないという覚悟のもと、この回顧録を書き始めた。よく「我が人生に悔いはない」「人生やりきった」というセリフがあるが、回顧録を書くにあたり人生を振り返ってみると、悔いだらけであり、やり残したことが山のようにあった。さいわいなことに、この本が完成するころには退院できているはずである。私の人生はもう少し続きそうなので、残りの人生は悔いがないよう、やり残したことを一つずつ片づけていこうと思っている。』

『この本を作るにあたり、様々な人の協力をいただいた。その中でも特に、不規則な執筆に付き合ってくれた光栄出版殿と編集のH氏にはとても感謝している。』

 実は最後の一文は、ゲラ刷りの返却の時に追加されたものだった。会社はともかく、私のことは書かなくても結構ですよと遠慮したのだが、小此木さんは絶対に入れると言ってゆずらなかった。こうやってあらためて読んでみると、なんとなくこそばゆい。

 顔がにやけてきたので意識して引き締める。

―― ニュースが流れたってことは、小此木さん、出社しているってことだよね。退院してまだ日が経ってないのに。経営者っておちおち病気療養もしてられないんだなあ ――

 銀行本社には偉い人達が集まっていることだろう。本社前には経済部の記者達が来ているかもしれない。自宅にうかがうことにしておいて良かった。

「ああ、奥様に連絡しておかないと」

 電車の席に落ち着くとスマホを出す。

『おはようございます。いま電車に乗りました。お約束していたモノをお届けにうかがいます』
『お待ちしていますね!』

 すぐに返事が返ってきた。そして窓の外を流れていく景色を見ながら、ふと考えた。小此木さんのやり残したことって、一体どんなことだろう? やはり奥さん孝行なのだろうか?

―― それと次男さんの行く末も込みなのかな ――

 普段の小此木さんは穏やかだけど、かなり押しは強そうだ。しばらくは次男さんも大変そうだなと、少しばかり気の毒に思った。
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