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番外小話 1
奥様は猫様?
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「はあ……」
珍しく奈緒が憂鬱そうに溜め息をついたのでそれまで読んでいた文庫本から目を上げる。溜め息をついた張本人はこちらが顔を上げたことにも気が付かない様子でテーブルで何か縫っているようだ。俺が風呂から出てきた時にはパジャマ姿で既に椅子に座っていたからかなりの時間が経っている筈。
最近になって知ったんだが、奈緒は意外と手先が器用でよく大学附属病院の小児科病棟のイベントで使われる衣装などの製作を手伝っているようだった。なので縫っているものは恐らくそれ関係。だがあんな風に憂鬱そうな溜め息をつくなんて珍しいこともあるものだと思い、何を作っているのか少しばかり興味がわいた。
「どうした? 疲れたのか?」
「んー? そんなことないよ、あと少しで出来上がるし」
手にしているのは何か立体的な三角形がついているもの。
「そんな細かい作業をしていたら疲れるだろ。肩でも揉んでやろうか?」
その言葉に奈緒が顔をしかめてこちらを軽く睨んできた。
「信吾さんの肩揉みは肩揉みだけで終わらないでしょ? 三日後には使うものなんだから信吾さんに付き合っているヒマは無いの」
「酷い言い草だな、妻を労ってやろうと思って言っただけなのに」
「どうなんだか」
まあ奈緒の言うとおり肩を揉むだけで終わらせるつもりは無いのだから仕方がない。今はこうやってのんびりと寛ぎながら本を読んでいるが、ひとたび奈緒の体に触れたらベッドに直行で朝まで離せなくなるのは目に見えている。そういうことが度々なので最近では奈緒から“一時限目から授業がある時はエッチ禁止!!”とまで言い渡されてしまっている。とは言え、明日は二時限目からだよな、奈緒?
「なんなの、その黒いニヤニヤは」
奈緒がこちらを見て警戒している。おっと、思わず笑みが浮かんだのを見られたようだ。
「気のせいだろ。この本はなかなか面白いから買って正解だったなと」
「……本当に?」
そこで胡散臭げな顔をするぐらいには奈緒も俺のことが分かってきたらしい。
「ああ。俺が読み終わったら奈緒も読んでみると良いぞ。さすが本屋が勧めるだけのことはある」
「ふーん……」
「俺はもう少し続きを読むつもりだが奈緒は?」
「うん、あとはこの鈴をね、つけるだけだから終わらせちゃう」
三角の布をつけていたものとは別のリボンを手にすると、横に転がっていた鈴をそこに縫い付ける準備を始めた。チリンチリンと小さな鈴の音が静かなリビングに響く。
「で、ちなみにそれは何で使うものなんだ?」
「これ? 小児病棟でやるハロウィンイベントの衣装でね、これは猫の首についている鈴? それをイメージしたものなんだって。一応ね、子供達で考えたデザインを基にして作ってるんだよ」
「その三角形のは?」
「こっちは猫耳。厚紙で作ってバレッタに接着しても良かったんだけど布製の方が小さい子が使っても安全だからってことで」
「なるほど。子供達用なのか」
「うーん……」
その問いに最初の憂鬱な溜め息が戻ってきた。
「それがさ、ボランティアでお手伝いする私達も仮装しなきゃいけないんじゃないのって話になってね。それぞれの子達に子供達からイラスト付きのリクエストがされたんだけど、私、何故だか西洋版猫娘しなきゃいけないんだ」
「ってことは、いま作っているのは自分の?」
「そういうこと。もう、信じられないよ、この年でミニスカートだなんて。そりゃ院内だしタイツ履くから寒くは無いけどさあ」
奈緒の言葉に飲みかけていたお茶を噴き出しかけた。ミニスカート? ミニと言ったか?
「それで終わりってことは着るものは?」
「皆で頑張って作ったよ。手先が器用なお母さんがいてね、型紙を用意してくれたから講義の合間にコツコツと。お陰でここ一ヶ月くらい真面目に肩凝りが酷くて大変」
「奈緒」
「なあに?」
「それを着たところを俺に見せてくれるつもりはあるのか?」
「一応は写メ撮って送ろうかなとかは思ってたけど」
「せっかくだから写真じゃなくて直に見たいぞ」
「だけど休みじゃないよね、その日」
少しだけ期待した目で見つめるとこちらの意図に気が付いたのかギョッとした表情をした。
「え?! まさか今ここで?!」
「そうでなきゃ直接見ることなんて出来ないだろ」
「超恥ずかしいんだけど……」
「病院で他の職員や患者達に診られるのは平気なのか?」
「そうじゃなくて、それはイベントだって分かってるし、他の人も仮装してるからであって……」
大人数に紛れ込んでしまうから一人一人がそれほど目立つことも無い、赤信号を皆で渡れば何たらかんたらと同じ理屈らしい。
「ここには俺しかいないんだから問題ないだろ。俺に写メなんて送ってきてみろ、絶対に安住達が気付いて寄ってくるに違いない」
「見せなきゃ良いじゃない!!」
「そんなことで諦めると思うか? あいつ等が」
最近のあいつ等ときたら何か才能の使い方を間違えているんじゃないかと思うことがある。特に奈緒が絡むとお前等はガキか?と言いたくなるほどに顕著だ。以前に嫁と喧嘩したとかで実技能力にブーストがかかったことはあったが、それの比ではない……というか、あれは奈緒を口実に俺に嫌がらせをしたいだけなのか?とさえ思う昨今だ。叱り飛ばしてペナルティを与えても屁とも感じていないらしく参っているというのが本音だ。今回のことも俺が黙っていても絶対に何処かから嗅ぎつけてくるに違いない。
「そんなこと言ったって」
「今ここで俺だけに見せて写メは送らずに済ますか、当日の写メを俺に送ってきて安住達にも見られるかどっちか選べ」
「選べってそんな二択聞いたことないよ、どっちもイヤだあ」
「どっちかだ」
「沙織さんの言ったとおりだあ……」
「沙織さんがどうしたって?」
「こういうコスプレ関係は旦那さんが知ったら、たとえそう言う趣味が無くても絶対に自分の前で着ろって言い出すに違いないって」
……重光先生、沙織さんにどんな格好をさせたんだ。今回のことを話す機会があればついでに聞いてみるか。
「で? 俺だけに見せるか? 安住達に見られる危険を冒すかどっちだ?」
「ひっどーい、そんなの二択じゃないじゃん!」
「立派な二択だろ」
奈緒はブツブツ言いながら鈴をつける作業に戻った。そうやって時間稼ぎをしてこっちが諦めるのを待つ作戦らしいが、生憎と待つのはこちらも得意だ。ここは我慢比べでもするか? そんなことを思いながら奈緒がこちらにチラチラと視線を向けるのを感じつつ本に目を落とした。
+++
ううううっ!! 信吾さんってば待つ態勢に入っちゃったよ!! あの様子だと絶対に諦めない、着るまで寝かせてもらえないよ、きっと。
いや、着ても下手したら寝かせてもらえないかも?! これって絶体絶命、四面楚歌っていうやつじゃ? もしかして奈緒ちゃん超ピンチ?!
こういう場合の対処方法は沙織さんも教えてくれなかったよ。諦めて着るしかないの? うわーん、そんな話を沙織さんから聞いていたから今日まで何とか見つからないように信吾さんがいない時を見計らってちまちまと衣装を作っていたのに!! なんでよりによって最後の猫耳と鈴のチョーカーを作っている時に限って早く戻れるようになっちゃうのかなあ。こんなことになるんだったらもう少し頑張って急げばよかったよ……。
何とか諦めてくれないかなと期待しつつチョーカーの装飾をしていた刺繍糸をパチンと切った。お、終わってしまったよ……。チラリと信吾さんの方に目をやるとしっかりと目が合ってしまった。その黒い笑みを浮かべるのはやめて欲しいよ、嫌な予感しかしないし色々な意味で怖いよ。
「本当に着なきゃダメ?」
「ダメ」
ううう……そりゃ一度は試着して確認してみなきゃいけないんだけどさ。だけどそれは病院の看護師さんやお手伝いに行く女の子達だけでって話な筈で、ここで信吾さんに見せるなんて想定外。
「着ても何もしないって約束できる?」
「何もって俺が何かするとでも?」
「ほら、なんていうか……」
「明日も早いんだろ? 早くしないとどんどん時間が過ぎていくぞ」
壁にかかっていた時計を指差している。
「何もしないって約束だからね」
「分かった分かった約束する」
手をひらひらさせて約束すると言った信吾さんの顔を暫く見詰め、ニヤニヤ笑いが零れていないか確かめると諦めて寝室に向かった。待つのが得意って言っていたけど何もこんな時までその才能を発揮することは無いのに、ブツブツ。
部屋で着替えて鏡の前に立ってみる。やっぱりスカートの丈、短すぎるんじゃないのかなあ……厚手のタイツを履いているから生足が見えるって訳じゃないけど何だかこの年で膝上のスカートなんて恥ずかし過ぎるよ。そりゃ大学でこのぐらいのスカートの子も見かけはするけど、寒がりの私としては、たとえ色気が無いと言われようとこの季節は毛糸のパンツをはきたい。
「奈緒、まさか一日中そこで閉じこもるわけじゃないよな?」
ノックの音がして信吾さんの声がした。こういう場合、部屋に勝手に入ってこないだけお行儀が良いって褒めてあげるべき?
「入ってきて良いよ、着替えは終わったから」
返事をするとドアを開けて信吾さんが入ってきた。少しだけ驚いたような顔をした後は黙ったままこちらをジッと見ている。それから頭の方に手をのばしてきてリボンでカチューシャみたいにしてとめた猫耳を触った。それから視線を背後の方へと向けている。
「耳はそういう感じになるのか、なるほど。後ろで垂れ下がっているのは尻尾なのか?」
「そうだよ。色の付いたガーゼ地で細い袋を作ってね、その中に綿を詰め込んだの。だから当たっても痛くないんだ」
「へえ……」
そう言いながら指で後ろを向けってするから後ろを向いて尻尾が信吾さんに見えるようにする。
「誰が考えたのかは知らんが、なかなか可愛いな」
「ほんと? この衣装のデザインを考えたのは小学校三年生の女の子でね、絵が上手で、これを着た私の似顔絵も描いてくれたの。衣装の素材もその時に相談したんだよ」
「女の子ってのは凄いな」
「だよね。将来の夢は漫画家さんなんだって」
なかなか体調が安定しなくて一時帰宅もままならないからってベッドで過ごすことの多い由真ちゃん。遊びに行くといつもベッドで絵を描いていてそんな時に話を聞いたら、自分で考えたお話を漫画にしたいなって話だったんだよね。画力もとても九歳とは思えなくて本当に感心しちゃうんだ。あまりに熱中するものだから主治医の先生からは程々にしなさいって注意されてはいるんだけど。
「じゃあ着替えるね」
「どうぞ」
なんだかやけにあっさりと頷いたと思ったら、そのままベッドに腰をかけて私が衣装を脱ぐのを黙って眺めている。
「あのさ、着替える間はあっちに行くとかしない?」
「なんで?」
「なんでって……」
「もう時間も遅いからこのまま寝ようかと思っているんだが」
「だったら、あ……」
後ろ手で下ろしていたファスナーが動かなくなった。
「どうした?」
「なんかファスナーがね、布を噛んじゃったみたいで動かなくなった」
なんとか手を背中に回して引っ張って上げ下げしてみようと試みるんだけどピクリとも動かない。ちょっと何でこんな時に限って引っ掛かっちゃうのよぅ。
「慌てると破れるぞ、こっちに来てみろ」
「うん……」
信吾さんの前に行くと後ろを向いた。
「どう?」
「見事に噛んでるな」
「えー……」
信吾さんは何を思ったかちょっと待ってろと言って部屋を出て行った。そして戻ってきた時に手にしていたのは何故かマイナスドライバー。え? ファスナーを分解するとか?
「信吾さん?」
「前に聞いたことがあるんだ。ファスナーが布を噛んだ時の対処方法」
そう言いながら後ろに回って何かしている。布が引っ張られる感触がしたと思ったらスルッと服が足元に落ちた。この裏技ちゃんと役立つんだな、とか呟きながら落ちた衣装を拾い上げてくれる。
「どうだ? 破れてないと思うんだが」
引っかかっていたところで少し折れ目がついているけど、これは私がきっとジタバタして引っ張ったせいだと思う。あとは何とも無い、うん、破れてもいないし大丈夫だ。
「すっごーい、どうやったの?」
「ただ金具と布の間にドライバーを差し込んだだけなんだけどな。まさかこんなに簡単に解決するとは俺も思わなかった」
「へえ、その裏技覚えておかなくちゃ。ありがと……わっ」
いきなり引っ張られてよろけながら信吾さんの腕の中に背中から倒れ込む。首に巻いたチョーカーの鈴が倒れた拍子にチリンと鳴った。
「この報酬は高くつくぞ」
「そんなの聞いてないよ!」
「そりゃ言ってないからな」
「それに信吾さん、朝から講義がある時はエッチ禁止って言ったじゃん」
「正確には一時限目から講義のある日は禁止だろ? 明日は二時限目からじゃないか」
え? なんで明日は一時限目が無いのを知っているの?!
「だけど出る時間はそんなに変わんないし」
「何だ、俺に嘘をついたのか?」
「そうじゃなくて」
ベッドの真ん中に放り投げられると上からすかさず信吾さんが覆いかぶさってきた。
「何もしないって約束したのに」
「約束はしたが、ファスナーの報酬については約束した覚えは無いぞ」
「それって酷い」
「俺の作戦勝ち、不測の事態に備えていない奈緒が油断しただけだろ」
「信吾さん、それって屁理屈って言うんじゃ?」
「何とでも」
そう言いながらタイツや下着を脱がされちゃってあっという間に無防備な状態に。信吾さんはそんな私を満足げに見下ろして自分もパジャマを脱ぎ始めた。残暑もとっくに終わって夜になれば涼しくなるから体温の高い信吾さんと直接肌をくっつけて寝るのは嬉しいけど、これってきっと寝かせてもらえないパターンだよね?
「チョーカーだけつけているっていうのがまた色っぽいよな」
「もう……明日も早いのにぃ」
「それはさっさと始めろということだな? 奥様のお望みのままに」
「ちがうーっ!!」
我が家の取り決め、午前中に講義がある時はエッチ禁止に改定した方が良いみたい……。
珍しく奈緒が憂鬱そうに溜め息をついたのでそれまで読んでいた文庫本から目を上げる。溜め息をついた張本人はこちらが顔を上げたことにも気が付かない様子でテーブルで何か縫っているようだ。俺が風呂から出てきた時にはパジャマ姿で既に椅子に座っていたからかなりの時間が経っている筈。
最近になって知ったんだが、奈緒は意外と手先が器用でよく大学附属病院の小児科病棟のイベントで使われる衣装などの製作を手伝っているようだった。なので縫っているものは恐らくそれ関係。だがあんな風に憂鬱そうな溜め息をつくなんて珍しいこともあるものだと思い、何を作っているのか少しばかり興味がわいた。
「どうした? 疲れたのか?」
「んー? そんなことないよ、あと少しで出来上がるし」
手にしているのは何か立体的な三角形がついているもの。
「そんな細かい作業をしていたら疲れるだろ。肩でも揉んでやろうか?」
その言葉に奈緒が顔をしかめてこちらを軽く睨んできた。
「信吾さんの肩揉みは肩揉みだけで終わらないでしょ? 三日後には使うものなんだから信吾さんに付き合っているヒマは無いの」
「酷い言い草だな、妻を労ってやろうと思って言っただけなのに」
「どうなんだか」
まあ奈緒の言うとおり肩を揉むだけで終わらせるつもりは無いのだから仕方がない。今はこうやってのんびりと寛ぎながら本を読んでいるが、ひとたび奈緒の体に触れたらベッドに直行で朝まで離せなくなるのは目に見えている。そういうことが度々なので最近では奈緒から“一時限目から授業がある時はエッチ禁止!!”とまで言い渡されてしまっている。とは言え、明日は二時限目からだよな、奈緒?
「なんなの、その黒いニヤニヤは」
奈緒がこちらを見て警戒している。おっと、思わず笑みが浮かんだのを見られたようだ。
「気のせいだろ。この本はなかなか面白いから買って正解だったなと」
「……本当に?」
そこで胡散臭げな顔をするぐらいには奈緒も俺のことが分かってきたらしい。
「ああ。俺が読み終わったら奈緒も読んでみると良いぞ。さすが本屋が勧めるだけのことはある」
「ふーん……」
「俺はもう少し続きを読むつもりだが奈緒は?」
「うん、あとはこの鈴をね、つけるだけだから終わらせちゃう」
三角の布をつけていたものとは別のリボンを手にすると、横に転がっていた鈴をそこに縫い付ける準備を始めた。チリンチリンと小さな鈴の音が静かなリビングに響く。
「で、ちなみにそれは何で使うものなんだ?」
「これ? 小児病棟でやるハロウィンイベントの衣装でね、これは猫の首についている鈴? それをイメージしたものなんだって。一応ね、子供達で考えたデザインを基にして作ってるんだよ」
「その三角形のは?」
「こっちは猫耳。厚紙で作ってバレッタに接着しても良かったんだけど布製の方が小さい子が使っても安全だからってことで」
「なるほど。子供達用なのか」
「うーん……」
その問いに最初の憂鬱な溜め息が戻ってきた。
「それがさ、ボランティアでお手伝いする私達も仮装しなきゃいけないんじゃないのって話になってね。それぞれの子達に子供達からイラスト付きのリクエストがされたんだけど、私、何故だか西洋版猫娘しなきゃいけないんだ」
「ってことは、いま作っているのは自分の?」
「そういうこと。もう、信じられないよ、この年でミニスカートだなんて。そりゃ院内だしタイツ履くから寒くは無いけどさあ」
奈緒の言葉に飲みかけていたお茶を噴き出しかけた。ミニスカート? ミニと言ったか?
「それで終わりってことは着るものは?」
「皆で頑張って作ったよ。手先が器用なお母さんがいてね、型紙を用意してくれたから講義の合間にコツコツと。お陰でここ一ヶ月くらい真面目に肩凝りが酷くて大変」
「奈緒」
「なあに?」
「それを着たところを俺に見せてくれるつもりはあるのか?」
「一応は写メ撮って送ろうかなとかは思ってたけど」
「せっかくだから写真じゃなくて直に見たいぞ」
「だけど休みじゃないよね、その日」
少しだけ期待した目で見つめるとこちらの意図に気が付いたのかギョッとした表情をした。
「え?! まさか今ここで?!」
「そうでなきゃ直接見ることなんて出来ないだろ」
「超恥ずかしいんだけど……」
「病院で他の職員や患者達に診られるのは平気なのか?」
「そうじゃなくて、それはイベントだって分かってるし、他の人も仮装してるからであって……」
大人数に紛れ込んでしまうから一人一人がそれほど目立つことも無い、赤信号を皆で渡れば何たらかんたらと同じ理屈らしい。
「ここには俺しかいないんだから問題ないだろ。俺に写メなんて送ってきてみろ、絶対に安住達が気付いて寄ってくるに違いない」
「見せなきゃ良いじゃない!!」
「そんなことで諦めると思うか? あいつ等が」
最近のあいつ等ときたら何か才能の使い方を間違えているんじゃないかと思うことがある。特に奈緒が絡むとお前等はガキか?と言いたくなるほどに顕著だ。以前に嫁と喧嘩したとかで実技能力にブーストがかかったことはあったが、それの比ではない……というか、あれは奈緒を口実に俺に嫌がらせをしたいだけなのか?とさえ思う昨今だ。叱り飛ばしてペナルティを与えても屁とも感じていないらしく参っているというのが本音だ。今回のことも俺が黙っていても絶対に何処かから嗅ぎつけてくるに違いない。
「そんなこと言ったって」
「今ここで俺だけに見せて写メは送らずに済ますか、当日の写メを俺に送ってきて安住達にも見られるかどっちか選べ」
「選べってそんな二択聞いたことないよ、どっちもイヤだあ」
「どっちかだ」
「沙織さんの言ったとおりだあ……」
「沙織さんがどうしたって?」
「こういうコスプレ関係は旦那さんが知ったら、たとえそう言う趣味が無くても絶対に自分の前で着ろって言い出すに違いないって」
……重光先生、沙織さんにどんな格好をさせたんだ。今回のことを話す機会があればついでに聞いてみるか。
「で? 俺だけに見せるか? 安住達に見られる危険を冒すかどっちだ?」
「ひっどーい、そんなの二択じゃないじゃん!」
「立派な二択だろ」
奈緒はブツブツ言いながら鈴をつける作業に戻った。そうやって時間稼ぎをしてこっちが諦めるのを待つ作戦らしいが、生憎と待つのはこちらも得意だ。ここは我慢比べでもするか? そんなことを思いながら奈緒がこちらにチラチラと視線を向けるのを感じつつ本に目を落とした。
+++
ううううっ!! 信吾さんってば待つ態勢に入っちゃったよ!! あの様子だと絶対に諦めない、着るまで寝かせてもらえないよ、きっと。
いや、着ても下手したら寝かせてもらえないかも?! これって絶体絶命、四面楚歌っていうやつじゃ? もしかして奈緒ちゃん超ピンチ?!
こういう場合の対処方法は沙織さんも教えてくれなかったよ。諦めて着るしかないの? うわーん、そんな話を沙織さんから聞いていたから今日まで何とか見つからないように信吾さんがいない時を見計らってちまちまと衣装を作っていたのに!! なんでよりによって最後の猫耳と鈴のチョーカーを作っている時に限って早く戻れるようになっちゃうのかなあ。こんなことになるんだったらもう少し頑張って急げばよかったよ……。
何とか諦めてくれないかなと期待しつつチョーカーの装飾をしていた刺繍糸をパチンと切った。お、終わってしまったよ……。チラリと信吾さんの方に目をやるとしっかりと目が合ってしまった。その黒い笑みを浮かべるのはやめて欲しいよ、嫌な予感しかしないし色々な意味で怖いよ。
「本当に着なきゃダメ?」
「ダメ」
ううう……そりゃ一度は試着して確認してみなきゃいけないんだけどさ。だけどそれは病院の看護師さんやお手伝いに行く女の子達だけでって話な筈で、ここで信吾さんに見せるなんて想定外。
「着ても何もしないって約束できる?」
「何もって俺が何かするとでも?」
「ほら、なんていうか……」
「明日も早いんだろ? 早くしないとどんどん時間が過ぎていくぞ」
壁にかかっていた時計を指差している。
「何もしないって約束だからね」
「分かった分かった約束する」
手をひらひらさせて約束すると言った信吾さんの顔を暫く見詰め、ニヤニヤ笑いが零れていないか確かめると諦めて寝室に向かった。待つのが得意って言っていたけど何もこんな時までその才能を発揮することは無いのに、ブツブツ。
部屋で着替えて鏡の前に立ってみる。やっぱりスカートの丈、短すぎるんじゃないのかなあ……厚手のタイツを履いているから生足が見えるって訳じゃないけど何だかこの年で膝上のスカートなんて恥ずかし過ぎるよ。そりゃ大学でこのぐらいのスカートの子も見かけはするけど、寒がりの私としては、たとえ色気が無いと言われようとこの季節は毛糸のパンツをはきたい。
「奈緒、まさか一日中そこで閉じこもるわけじゃないよな?」
ノックの音がして信吾さんの声がした。こういう場合、部屋に勝手に入ってこないだけお行儀が良いって褒めてあげるべき?
「入ってきて良いよ、着替えは終わったから」
返事をするとドアを開けて信吾さんが入ってきた。少しだけ驚いたような顔をした後は黙ったままこちらをジッと見ている。それから頭の方に手をのばしてきてリボンでカチューシャみたいにしてとめた猫耳を触った。それから視線を背後の方へと向けている。
「耳はそういう感じになるのか、なるほど。後ろで垂れ下がっているのは尻尾なのか?」
「そうだよ。色の付いたガーゼ地で細い袋を作ってね、その中に綿を詰め込んだの。だから当たっても痛くないんだ」
「へえ……」
そう言いながら指で後ろを向けってするから後ろを向いて尻尾が信吾さんに見えるようにする。
「誰が考えたのかは知らんが、なかなか可愛いな」
「ほんと? この衣装のデザインを考えたのは小学校三年生の女の子でね、絵が上手で、これを着た私の似顔絵も描いてくれたの。衣装の素材もその時に相談したんだよ」
「女の子ってのは凄いな」
「だよね。将来の夢は漫画家さんなんだって」
なかなか体調が安定しなくて一時帰宅もままならないからってベッドで過ごすことの多い由真ちゃん。遊びに行くといつもベッドで絵を描いていてそんな時に話を聞いたら、自分で考えたお話を漫画にしたいなって話だったんだよね。画力もとても九歳とは思えなくて本当に感心しちゃうんだ。あまりに熱中するものだから主治医の先生からは程々にしなさいって注意されてはいるんだけど。
「じゃあ着替えるね」
「どうぞ」
なんだかやけにあっさりと頷いたと思ったら、そのままベッドに腰をかけて私が衣装を脱ぐのを黙って眺めている。
「あのさ、着替える間はあっちに行くとかしない?」
「なんで?」
「なんでって……」
「もう時間も遅いからこのまま寝ようかと思っているんだが」
「だったら、あ……」
後ろ手で下ろしていたファスナーが動かなくなった。
「どうした?」
「なんかファスナーがね、布を噛んじゃったみたいで動かなくなった」
なんとか手を背中に回して引っ張って上げ下げしてみようと試みるんだけどピクリとも動かない。ちょっと何でこんな時に限って引っ掛かっちゃうのよぅ。
「慌てると破れるぞ、こっちに来てみろ」
「うん……」
信吾さんの前に行くと後ろを向いた。
「どう?」
「見事に噛んでるな」
「えー……」
信吾さんは何を思ったかちょっと待ってろと言って部屋を出て行った。そして戻ってきた時に手にしていたのは何故かマイナスドライバー。え? ファスナーを分解するとか?
「信吾さん?」
「前に聞いたことがあるんだ。ファスナーが布を噛んだ時の対処方法」
そう言いながら後ろに回って何かしている。布が引っ張られる感触がしたと思ったらスルッと服が足元に落ちた。この裏技ちゃんと役立つんだな、とか呟きながら落ちた衣装を拾い上げてくれる。
「どうだ? 破れてないと思うんだが」
引っかかっていたところで少し折れ目がついているけど、これは私がきっとジタバタして引っ張ったせいだと思う。あとは何とも無い、うん、破れてもいないし大丈夫だ。
「すっごーい、どうやったの?」
「ただ金具と布の間にドライバーを差し込んだだけなんだけどな。まさかこんなに簡単に解決するとは俺も思わなかった」
「へえ、その裏技覚えておかなくちゃ。ありがと……わっ」
いきなり引っ張られてよろけながら信吾さんの腕の中に背中から倒れ込む。首に巻いたチョーカーの鈴が倒れた拍子にチリンと鳴った。
「この報酬は高くつくぞ」
「そんなの聞いてないよ!」
「そりゃ言ってないからな」
「それに信吾さん、朝から講義がある時はエッチ禁止って言ったじゃん」
「正確には一時限目から講義のある日は禁止だろ? 明日は二時限目からじゃないか」
え? なんで明日は一時限目が無いのを知っているの?!
「だけど出る時間はそんなに変わんないし」
「何だ、俺に嘘をついたのか?」
「そうじゃなくて」
ベッドの真ん中に放り投げられると上からすかさず信吾さんが覆いかぶさってきた。
「何もしないって約束したのに」
「約束はしたが、ファスナーの報酬については約束した覚えは無いぞ」
「それって酷い」
「俺の作戦勝ち、不測の事態に備えていない奈緒が油断しただけだろ」
「信吾さん、それって屁理屈って言うんじゃ?」
「何とでも」
そう言いながらタイツや下着を脱がされちゃってあっという間に無防備な状態に。信吾さんはそんな私を満足げに見下ろして自分もパジャマを脱ぎ始めた。残暑もとっくに終わって夜になれば涼しくなるから体温の高い信吾さんと直接肌をくっつけて寝るのは嬉しいけど、これってきっと寝かせてもらえないパターンだよね?
「チョーカーだけつけているっていうのがまた色っぽいよな」
「もう……明日も早いのにぃ」
「それはさっさと始めろということだな? 奥様のお望みのままに」
「ちがうーっ!!」
我が家の取り決め、午前中に講義がある時はエッチ禁止に改定した方が良いみたい……。
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