俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第十二話 駄目ですスタンプ?

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杏奈あんなさん、起床ー!」

 いきなり耳元で元気な佐伯さえきさんの声が聞こえて、飛び上がりそうになる。目をあければ、ニコニコ顔の彼がこちらをのぞきこんでいた。自慢じゃないけど、私は寝起きはあまり良い方じゃない。起きてすぐ元気いっぱいってわけにはいかなくて、ちょっとジト目で睨んでしまった。

「佐伯さん朝から元気すぎ……」
「睡眠、しっかりとらせてもらったからね」
「そりゃそうでしょうけど」

 昨日はお昼ご飯を一緒に食べた後、自宅に一旦戻らせてもらってから、佐伯さんのお宅にお邪魔することになった。なぜ自宅に戻ったかと言えば、お泊りするのに何も用意してなかったし、着替えとか諸々が必要だったから。その後に夕飯のお買い物をして、官舎に戻ることに。“なんだかこういうのって新婚みたいだよね”と、お買い物中に何気なく呟いた佐伯さんの言葉に、何とも言えないこそばゆい気分になったのは内緒。

「色々と話したいこととかあったのに、寝ちゃって申し訳ない」

 私の不機嫌な顔を、自分が寝てしまったからだと思ったのか、佐伯さんは申し訳なさそうな顔をした。

「なに言ってるんですか、当直あけなんだから、しかたがないですよ。むしろ、ちゃんと眠ってもらえて良かったです。無理して起きていたら、今日こんなに早くから起きれないでしょうし、せっかく一緒にいられるお休みを寝っぱなしなんて、もったいないですから」
「俺は別に杏奈さんと一緒なら、一日中ベッドの中でも良いんだけどな」
「私はイヤです~」

 大変よくできましたをもらうために頑張る宣言をされて、どうなることかと心配していた私にとっては、夕飯食べてお風呂入って……の後、私がお風呂から出てきた時に、佐伯さんがベッドで横になって眠っていたのは、幸いなことだったかもしれない。ベッドの片方に寄って私の寝るスペースを空けてくれているようなので、そこに潜り込んだら、しっかりと両腕でホールドされちゃって、そのまま朝まで離してもらえなかったのは予想外だったけど。それでも、きちんと睡眠をとってもらえて良かったと思う。

 それに……以前の時に比べたら、ずっと普通の朝だよね。お互いにちゃんとパジャマを着てるし。

「でもせっかく久し振りに会えたんだから、俺としては杏奈さんのこと、しっかりと愛してあげたいんだけどなあ」
「って何してるんですか」
「んー? その準備」

 佐伯さんの指が、器用にパジャマのボタンをはずしていくのを唖然あぜんとしながら見ていると、いたずらっぽい顔で“一回だけにするから安心して良いよ”って言われた。あの、その一回が、どう考えても普通より長い気がするから、いろいろと危惧きぐしているわけですよ、私。

「お出掛け、しないんですか? 港に停泊している護衛艦の見学、できるんですよね今日」

 そうなんだ。せっかく港の近くに来ているんだし、自分が乗っている護衛艦ではないけれど、一般公開しているから見にいかないかって誘ってくれたのは、佐伯さんの方だよ。

「昼からの受付に間に合うように考えているから心配ないよ。だから今はこっちに集中して」

 そう言いながらパジャマを脱がせて、しばらく黙って私のことを見下ろしていた佐伯さんは、ちょっと難しい顔をした。どうしてそんな難しい顔して見つめているのかな? あまりじっくり見られると恥ずかしいんだけど。

「あの?」
「杏奈さん」
「はい?」
「ちょっとせた?」
「はい?」
「この辺、なんかせた気がするんだけど」

 そう言いながら佐伯さんの手が触れたのは、脇腹のあたり。

「そんなことないと思うんですけど。特にこれと言って運動してないし」

 太った?って言われるよりかは幾分かマシだとは思うけど、そんな難しい顔してせた?って聞かれるのはちょっと意外だった。もしかしてせている人が嫌いとか? だけど今までだって、特に太っていたわけでもないし。

「体調くずしていたわけじゃないよね?」
「元気ですよ。まあ以前よりマツラー君で出掛けることが多いから、外にいた時間は多かったですけど。ああ、それでかも。夏場は外にいた時間が長かったから、それでせたかもしれないです」
「そっか。ほら、俺はこの通り会えないことが多いから、杏奈さんが体調崩しても、遠くから心配するぐらいしかできないからね」
「大丈夫ですよ。これでも元気だけが取り柄で、両親からも、お前から健康を取り上げたら何も残らないって、言われるぐらいだから」
「なら良いんだけど」

 佐伯さんは私の言葉にニッコリすると、中断していたことを再開する。最初にエッチをした日にも感じたことだけど、佐伯さんの触れる手ってとても優しくて気持ち良い。それだけじゃなくて、唇が肌に触れる感触も。今まで付き合った人って佐伯さんの他には一人しかいないけど、触れられるだけでこんなに気持ち良くなれるなんて、知らなかった。そのことを佐伯さんに言うと、俺達は余程相性が良いのかもねと言って笑ってから、少しだけ怖い顔をした。

「だけど俺と愛し合っている最中に、他の男のことなんて考えてるなんて少しショックだな」
「ごめんなさい、そういうわけじゃないんだけど」
「こういう時、俺は杏奈さんに『もう少し頑張りましょう』とか『もっと頑張りましょう』のスタンプを押すべきなんだろうね。いや、この場合は『ダメです』かな」

 さすがに、そんな超後ろ向きなフレーズのスタンプは無いと思う……。

「そうなのかな……」
「何処に押してほしい?」
「へ?」
「もっと頑張りましょうスタンプ」
「何処って……」
「ここに押そうか?」

 そう言って指が触れたのは耳の下。何で? そう思った途端に佐伯さんの顔が降りてきて、耳の下を強く吸われた。チクリとした感触に思わず顔をしかめてしまう。これってもしかして、キスマークつけられたとかいうやつでは?!

「佐伯さん、それスタンプじゃない!」
「俺特製のスタンプ、かな」
「しかも耳の下とか! 絶対に見えますよね?!」
「んー……どうかな」
「どうかなじゃなくて、絶対に見える!!」
「痕が残ればね。ああ、赤くなってきた。間違いなく残るかな」

 何をニヤニヤしているんだか。

「笑ってる場合じゃないですよっ!」
「はいはい、お待たせしました、お嬢様。続きを始めるから怒らないでくれ」
「待ってなんかいないです! そういう意味で言ったんじゃなくて」
「はいはい、怒らない怒らない」

 はいはいじゃないっつーの!!


+++++


「杏奈さーん」
「……」
「杏奈さーん、聞いてるー?」
「……」

 もうね、佐伯さんのおでこに思いっ切り『ダメです』スタンプを押したい気分。そんなことをブツブツ呟きながら歩いている私の後ろを、のんびりした歩調でついてくる佐伯さん。呑気な声で私のことを呼んでいるけど、返事をする気になれない。

「ちゃんと昼からの見学時間に間に合うように、家を出ただろ? 朝ご飯も食べたし」
「……」
「杏奈さーん?」
「佐伯さん!!」
「なに?」
「お昼ご飯は横須賀よこすか名物、佐伯さんのおごりですからね!」
「はいはい」
「はいは一回で良いです!」
「心得ました、お嬢様。おいしいものを御馳走しますよ」

 笑いを含んだ声にイラッとしてしまう。そんな私の横に並ぶと、佐伯さんは手をつないできた。振り払っちゃおうかと一瞬思ったけど、さすがに大人げないからって思いとどまる。

「そんなに怒ることないじゃないか」
「……怒ってなんかいないですよ」
「だけど俺にダメですスタンプ押したいんだろ?」
「押したいです、おでこに」

 別に、朝からエッチしたことを怒ってるんじゃないのよ。あの後、シャワー浴びてから鏡で確認したら、耳の下の首のところにしっかりキスマークがついていた。今はハイネックのセーターを着ているし、髪を下ろしているから見えないけれど、明日からこれが消えるまで、どうしたら良いのよってこと。しかも! つけられたのはそこだけじゃないんだから、本当にダメですスタンプを押してやりたい。

「佐伯さんだって、こんなところにキスマークつけられたら困るでしょ? 制服だったら隠すに隠せないし、髪が短いから髪で隠すこともできないし」
「んー……そうなったら「お前の彼女なかなかやるな」ってからかわれるだけかな」
「男の世界って信じられない」
「大丈夫だよ、すぐに消えるから」
「消えてくれなきゃ困る」
「まあまあ。そうやっていたら見えないから大丈夫だよ」

 今はね。仕事の時にうっかり髪の毛を結んだら丸見えだよ。これが消えるまで、マツラー君の中だけで仕事ができたら良いんだけど、そうはいかないだろうし。そんなことをブツブツ言いながら、護衛艦が停泊している港へと向かう。そこはマツラー君……じゃなくて、私と佐伯さんが初めて出会った場所。今日も日曜日ということもあって、たくさんの見学者が来ていた。護衛艦の中もたくさんの人がいて、所々で自衛官の人が説明している。

「佐伯さんが乗っている護衛艦の中も、同じようなもの?」
「まあだいたい同じかな。ちなみに俺が乗っているのはあっちね」

 そう言って佐伯さんが指さした方向を見ると、少し形の違う艦が停泊している。えーと、あれって何とかって言うんだよね、カタカナの名前で何だっけ神話に出てくるような名前だったはず……あ、思い出した。

「あれってイージス艦とかいうやつ?」
「当たり。よく知ってるね」
「前にニュースで言っていたのを見たから覚えているだけ。名前とか言われても全然分からないけど。あっちは見学できないの?」
「ああ。今回は公開してないんだ、だからあっちは外側だけからしか見てもらえない。また改めてってことかな」
「その時は案内してくれる?」
「了解した」

「あれ、佐伯?」

 声をかけられた佐伯さんが立ち止まる。振り返れば、制服を着た人がこちらに歩いてくる。この人、何処かで会ったことが……。あ、もしかしてホテルの会場であった人?

「よお」
「珍しいな、休みなのにお前がここに顔出すなんて」
「彼女をつれてきたんだよ、せっかくだからふね見学をしてもらおうと思って」
「ああ、なるほど。改めて自己紹介をさせてもらいます。佐伯の同僚の寺脇てらわきです。今後ともこいつ共々お見知りおきを」
「こんにち……」

 私が挨拶をしようとした途中で、佐伯さんが割り込んできた。

「別にお見知りおきしなくても良いから」
「お前、ひどいな」
「やかましい。さっさと持ち場に戻れ。こんな中途半端な時間に、どうして外でウロウロしてるんだ」
「俺にだって用事ってもんがあるんだよ。俺のお蔭でこちらのお嬢さんと会えたんだろ、もうちょっと大事にしろ」

 ああ、なるほど。この人が、佐伯さんをお見合いパーティに引きずりだした人なのね。だったら私も仲良くしておかなくちゃ。

「そうなんですか?」
「杏奈さん……」

 私が口をはさんだので、佐伯さんが顔をしかめた。

「そうなんですよ。良い伴侶に恵まれると、職務にも張り合いが出るってものなので。もちろん不在がちな仕事ですから、伴侶になった女性には苦労をかけますけどね。あ、ちなみに俺はこいつの付き添いとして行きはしましたが、既婚者なので御安心を。何かあったら相談に乗りますよ」
「奥様がいらっしゃるんですか」

 てっきり、寺脇さんもお見合いに参加していたんだと思っていたのでビックリ。

「はい。うちのはなかなか根性のある嫁なので、きっと良い相談相手になると思いますよ。今度こいつに嫁の連絡先を教えときますから、何かあったらいつでも相談してください」
「ありがとうございます」
「じゃあ自分はこれで。ああ、そのうちウチの嫁共々でお食事でも」
「はい、ぜひに!」

 寺脇さんを見送りながら、佐伯さんの同僚の人とお知り合いになれたと嬉しくなる。だけど佐伯さんは違ったようで、見上げるとやれやれとため息をつかれてしまった。

「ダメだった?」
「いや、かまわないけど。これで休み明けに、また根掘り葉掘り聞かれるのかと思うとね……」

 ちょっと憂鬱ゆううつかな。そう言いながら、佐伯さんは苦笑いをした。
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