桃と料理人 - 希望が丘駅前商店街 -

鏡野ゆう

文字の大きさ
17 / 56
本編

第十七話 一日早く夫婦になりました

しおりを挟む
 結婚式を挙げる前日の今日、ちょうど二人ともお休みだったので一足先に婚姻届を提出してきた。

 何故かその窓口にニコニコ顔の鏡野課長さんが座っていて二人してちょっとビックリ。課長さんって偉い人だから窓口に座っているのっておかしくない?なんて商店街の住人に言うのは野暮ってものなのかなって最近では思えてきた。

「僕が商店街のメンバーで一番最初に夫婦になったお二人を目にすることが出来るなんて、こういう時は市役所に勤めていてよかったと思いますよ。お幸せに♪」

 そう言うと婚姻届を受理してくれた。

 既に二ヶ月は新居で一緒暮らしているし、その前だってお互いの部屋に行ったり来たり(殆ど私が嗣治さんの部屋に行ってた)していたから今更どうってことない筈なんだけど、法的にちゃんと夫婦になってから一緒に自宅に戻ったら何だか気まずいと言うか照れちゃうと言うか、なんとも妙な気分になってしまった。もちろん明日になれば式を挙げるわけで周囲からも正式な夫婦として見られることになるんだけど……。

「これで晴れて千堂桃香だな」

 何気ない口調の嗣治さんの言葉を聞いて、これで西脇桃香じゃなくなっちゃったんだなあって改めて実感する。それからちょっと現実的な問題も。

「カードの名義とかパスポートの書き換えが色々と面倒くさいね……」

 私の呟いた言葉にガックリとうな垂れている嗣治さん。

「モモ……」
「なに?」
「こう、もう少し感慨深いとか改めて夫婦になった事を実感したとかそういうのは無いのか?」
「あ、ごめんなさい。それはあるんだけど、そっちの方に気がいっちゃった」
「まったくお前ってやつは……」
「ごめんなさい……」
「いや、桃香らしいといえばらしいんだが」

 頭をくしゃくしゃと撫でられてちょっと反省。なかなか気の利いたことが言えないのってちょっとやそっとじゃ治りそうもないなあ……。そのうち嗣治さんに愛想つかされなきゃ良いんだけど。

「心配するな」
「え?」

 まるでこっちの気持ちを読んだかのように嗣治さんは片腕で私のことを抱き締めてきた。

「モモは今のままでいいんだよ。無理して変わる必要なんて無いさ、俺が惚れたのは今のモモなんだから」

 それはそれで困るよ? 行き倒れになるような女子を好きになるって一体どんな人なのって。

「それから……なあ、桃香」
「なあに?」
「今まで話し合わなかったが、子供のことはどうする?」
「急にどうしたの?」
「いや、桃香は科捜研で働いているだろ? 前に仕事は続ければ良いとは言ったが、結構ハードだし子供ができたら続けるのが難しくなるんじゃないかと思ってな。そうなると暫くは子供は待った方が良いのかなと」

 少し困ったような顔をしながら言葉を続ける嗣治さんを見上げた。ちょっと顔が赤い? 確かに話題にしにくい話ではあるよね。

「私は一日でも早く嗣治さんとの赤ちゃんがほしいな。魚住のお父さんやお兄さん達は家族みたいなものだけど、やっぱり自分達だけの家族を作りたい」
「そうか」
「駄目?」
「いや、そんなことない。ただ仕事も好きだろ? だからどうしたものかなと」
「産休も育休もあるし嘱託職員になるという選択肢もあるから、続けたい気持ちがあるならそれなりに続けられると思うよ。なかなか続かない人が多いから待遇だけは良いの、うちの職場」

 それもこれも全ては一課の人達のせい。これでも他の地域に比べて人をどんどん補充している方なのに、何故か全体の仕事量が減らないのはどうして? 確かに毎年毎年新しい技術が生まれ新しい装置が開発され、それにかかりっきりになってしまい人が出たりしているけどそれにしてもやっぱりおかしい。日本って平和な国じゃなかったっけ?といつも疑問に思う。ほんと、嗣治さんがいなかったら私、絶対に飢え死にしていたと思う。

「そうか。だったら、これ、もう要らないかな」

 いつの間にか嗣治さんが手にしてるのは、予防措置をするモノ。一体いつのまに?

「え、幾らなんでも気が早くない?」
「そうか?」
「えっと、せめて新婚旅行の時からとか……そんな感じじゃないのかな、普通」
「なるほど」

 ちょっと無念そうにその箱をポイッとテーブルの上に投げ置いた。ちょっといくら二人だけとは言え、そんなものをリビングのテーブルに置かないでぇ~。慌てて箱を手にすると元々片づけてあったであろう洗面所の引き出しの方へと向かった。そこでふとあることが思い浮かぶ。

「もしかして嗣治さん、今夜からでもなんて考えてた?」
「いや、今日はさすがに。明日、桃香は朝が早いんだろ?」

 そう、桜子さん達が仕立ててくれた振袖の着付けと、その前に髪のセットもあるから明日は6時には起きて出かける準備をしなくちゃけいない。仕事をしている時と大して変わらないとは言え、やっぱり人生の一大イベントでもあるのだから緊張しちって今夜は眠れるのかなって気分だ。あ、だからと言って眠れないのと眠らないのでは違うわけで。

「ねえ嗣治さん、式が終わったら髪、切っていい?」
「ん? 長いのも似合ってるのに」
「だって仕事する時に結構じゃまになるんだよ。せめてこの辺りまで切りたい」

 そう言って顎の辺りで手を振る。結婚式に振袖を着ると決めた時から伸ばしはじめた髪の毛は既に肩の線より長くなっていた。ここまで伸びたら後ろで束ねていれば問題は無いけど、やっぱり邪魔。前みたいにせめて顎のラインで揃えるボブカットにしたい。

「短いのも可愛いから俺はどっちでもいいぞ?」
「じゃあ切る。旅行に行く時はシャンプーするのも楽な方が良いし」
「ああ、それは言えてるな」

 頷きながらも嗣治さんはちょっと残念そう。実のところ今している編みこみ、嗣治さんがやってくれたもの。伸び始めの頃に髪が邪魔だとブツブツ言っていたら何処で覚えてきたのか、毎日のように編みこみをしてくれるようになった。もう何でこんなに手先が器用なのかと言いたい。せめてその半分でも器用さが私も欲しい!!

 で、旅行っていうのは新婚旅行のことね。私はここ暫く溜め込んでた(自主的に溜め込んでいた訳ではなく何処かの一課のせいで溜め込む羽目になったもの、ここ重要)有給を一気に消化するするチャンスよって言われたんだけど、嗣治さんはそんなに長くとうてつを休むことも出来ないからそこそこ近い台湾に行こうってことになった。

 籐子さんや徹也さんは遠慮すること無いって言ってくれたんだけど、嗣治さん自身がそんなに長く仕事をしないでいるのが嫌だったみたいで。ま、その辺の気持ちは私にも分かるからお互いにそれで納得したって訳。それで何で新婚旅行定番のハワイでなく台湾なんだ?って言われると困っちゃうんだけど敢えて言うならマンゴーが美味しい? 小籠包が美味しい? あと担仔麺は絶対に食べたい! あれ、色気より食い気って丸分かりだ!

 とにかく、商店街を離れて二人っきりで旅行するのは初めてのことだから、新婚旅行というのを差し引いてもワクワクドキドキ。出発は一週間後、近場の温泉とかスキーならともかく海外旅行なんて初めてで今から凄く楽しみ♪ とうてつの店先で行き倒れていたのを拾ってもらってから実のところまだ一年足らず。あの時はまさか嗣治さんと結婚するなんて思ってなかったし、人生って何が起こるか分からないって改めて実感する。

 そんなわけで明日のお昼、昌胤寺で仏前結婚式を挙げて嗣治さんと私は夫婦になります。



 そしてこの時、二人ともまさか嗣治さんのお父さんが号泣するとは思ってなかったんだよね。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

お花屋さんとお巡りさん - 希望が丘駅前商店街 -

鏡野ゆう
ライト文芸
国会議員の重光幸太郎先生の地元にある希望が駅前商店街、通称【ゆうYOU ミラーじゅ希望ヶ丘】 少し時を遡ること十数年。商店街の駅前にある花屋のお嬢さん芽衣さんと、とある理由で駅前派出所にやってきたちょっと目つきの悪いお巡りさん真田さんのお話です。 【本編完結】【小話】 こちらのお話に登場する人達のお名前がチラリと出てきます。 ・白い黒猫さん作『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 こちらのお話とはコラボエピソードがあります。 ・篠宮楓さん作『希望が丘商店街 正則くんと楓さんのすれ違い思考な日常』 https://ncode.syosetu.com/n3046de/ ※小説家になろうでも公開中※

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️

高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。

【光陵学園大学附属病院】鏡野ゆう短編集

鏡野ゆう
ライト文芸
長編ではない【光陵学園大学附属病院】関連のお話をまとめました。 ※小説家になろう、自サイトでも公開中※

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

報酬はその笑顔で

鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。 自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。 『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...