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本編
第六話 お互いのルーツ
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それから数日後。相変わらず、霧島さんにリードされたポイント差は取り戻せていない。
「何をしても上手を取られるのを何とかしたいと思ったら、どれぐらい思い切ったことをしたら良いのかしらね?」
「はい?」
移動中の車の中で思わず呟いてしまった言葉に、|杉下《すぎした」さんが首をかしげる。
「ああ、ごめん。ちょっとした独り言」
「もしかして、甥っ子さんとの対戦型オンラインゲームのことですか?」
甥っ子さんとは、兄の幸斗君のところの長男、つまり私の甥っ子のこと。最近オンラインゲームなるものにはまっていて、休みの日になると一緒にしようと、何故か私を誘ってくるのだ。
相手は幼稚園児だというのに、いとも簡単にすごい技を繰り出してくるので、パーティを組んで何処かのグループと対戦する時はとても心強いんだけど、一対一で戦うととんでもなく無慈悲な相手となる。義姉の繭子さん曰く、これでも|結花《ゆいか』ちゃんだから優しくしているのよだとか。最近の子供って、いろいろな意味で恐ろしい。
で、私が呟いたのは、もちろんそのことについてではない。れいの銀縁眼鏡のお兄さんのことだ。
「抜きつ抜かれつの僅差から、相手を相当突き放した状態にまでしたいのであれば、かなりの荒技を使わないと難しいでしょうね。裏技的な何かを。特に相手が上手を取るのが上手い人なら、えーと、こういう場合は課金とかいうのでしたっけ? オンラインゲームにそこまでするのもどうかとは思いますけど、先生がどうしても勝ちたいと言うのであれば、そういう手もあるのではないかと思いますよ?」
杉下さんは手帳に何か書き込みながら言った。私が黙ったままその横顔を見つめていると、彼女は「ん?」という顔をしてこちらに視線を向けてくる。
「うちの甥っ子姪っ子達も好きなんですよ、あのゲーム。たまに幸斗さんのお子さんから誘ってもらっているようですし……あの、ゲームの話なんですよね?」
「うん、そうなの」
「ですよね」
ここは下手に藪をつつかない方が良いわよね。彼女なりに気を遣って、素知らぬふりをしながらも助言をしてくれているのかもしれないし……多分。
「かなりの荒技と課金ねえ……」
溜め息をつきながら外を眺める。
「あ……」
「なんでしょう?」
「今夜はもう何も予定は入ってないわよね?」
「そうですね。突発的なことが起きない限り、明日の午後まで特には」
「久し振りに行ってみようかな、あそこに」
そう言って車窓から見える建物をさした。
+++++
そして私は今、都内の某ホテルのスカイラウンジの窓際のカウンター席に座っている。
最上階から眺めるオフィス街の明かりはなかなか素敵だけれど、こんな時間までそれぞれのフロアに灯りがついているってことは、こんな時間まで残業している人がいるってことよね?などと、余計なことを考えてしまった。
「まったく君と言う人間は」
溜め息混じりの声がすぐ後ろでしたので、飛び上がりそうになる。振り返れば、霧島さんが腹立たしげな顔をして立っていた。
「なによ、いきなり。カクテルをこぼすところだったじゃない。このスーツ、結構なお値段したんだからやめてちょうだいよね、驚かすのは」
「今夜は一体どんな手を使ったんだ?」
「どんな手ってなんの手?」
わざとらしく首をかしげてみせる。
「伊勢谷議員が週末なのに、何処に出掛けることもせず早く帰宅することになって、仕事が思いのほか早く終わったんだが」
「それは良かったじゃない。うちの父親が大臣をしていた時は、なかなかその日のうちに帰ることができなくて、大変だったって聞いていたわよ? 伊勢谷先生もそろそろお年なのかしら? で、それと私と何の関係があるの?」
「こういうのが増えたのが、君の宣戦布告からなんだがな」
「あら、すごい偶然」
「しらばっくれるな」
そう言いながら横の椅子に座った。
「良かったじゃない、余計な残業が減って。私も助かるわ。貴方と会うたびに帰るのが深夜すぎになるのは、ちょっと困りものだわねって思っていたから」
「やっぱり君の差し金なんだな?」
「だから何のこと?」
あれから私と霧島さんは、こんな具合にお互いの仕事が終わってから、何となく私が利用するバーで落ち合うことが増えていた。行くお店はその日の私の気分によって色々。だけど彼は、連絡をしなくても迷うことなく、私のいるお店に顔を出す。その的中率が一体何処から来るのかはいまだに良く分からない。
普通のデートをしないのかって? 国会の会期中の今は私がそんな時間が取れないし、伊勢谷先生を警護している彼もそうそう休める立場にないから、今はこんな感じで落ち着いている。お互いにお互いの仕事をちゃんと理解できる者同士で良かったじゃないの、というのが私の考えだ。
「本当に伊勢谷議員に何も言ってないのか?」
「私は何も言ってないわよ。あの先生がどう考えているかは知らないけれど」
やれやれと首を振る。つまるところ、私は何もしていないれど、伊勢谷先生が勝手なお節介をしているらしいってことに、考えが至ったみたい。私にならあれこれお説教ができるけど、伊勢谷先生相手にそれは難しい。ここは諦めてもらうしかないわね。
「ところで今夜は何を飲んでる? っと……聞くだけ無駄だったか」
「失礼ね」
霧島さんは、私の前に置いてあるグラスを見て溜め息をついている。しばらくして黒服のお兄さんが霧島さんの横に来ると、ウィスキーの入ったグラスを置いて行った。どうやら、ここに来てすぐに頼んでおいたらしい。さすがに「同じものを」は懲りたようだ。
「ここね、私が二十歳のお誕生日に、初めて父に連れてきてもらったところなの」
黙って夜景を見下ろしながらお酒を飲み続けてしばらくして、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
「お母さんじゃなくて?」
「それが不思議なことに父なのよね。母があまりお酒を飲まない人だからっていうのもあったみたい。その時に自分で選ばせてもらったのが、このカクテルってこと」
こんな風に眼下に広がる街の景色を見ながら、時間を忘れてあれこれ父親と話をしたっけ。そしてその時に、政治家を志すのは結構だが、その前にちょっとでも社会にもまれてこいというアドバイスを受けたことを思い出した。
「この灯りの中で生活している人のために働くつもりなら、一度はその中で働いてみるべきだって」
「そう言えば重光先生も、最初から秘書でも議員ではなかったんだよな?」
「そうよ、父親もしばらくはサラリーマン生活をしていたの。短い間だったけど、その時の経験は役に立っているって言ってたわ」
「なるほど」
「二世議員だからって、ボンボン先生ってわけでもないのよ、うちの父親」
まあ嫁ラブすぎて、娘の自分でさえ馬鹿なの?って突っ込みたくなることは多々あるけれど、おおむね人当たりの良い議員だと思う。
「そう言えば、今までちゃんと聞いたことはなかったな。君はどうして政治家を志したんだ?」
「ありきたりな話よ。仕事をしている父親の背中を見てきたから」
私の言葉を霧島さんは鵜呑みにはしていないようで、疑わしげな眼を向けてくる。外向けの話では通用しない相手だってことを忘れていた。
「子供ながらにね、テレビのワイドショーでああだこうだと父親が言われているのを見て、ものすごく腹が立ったのよね。貴方達は本当のお父さんのことを知らないくせに、勝手な事ばかり言ってって」
今でもそうだけど私が小さい頃も、テレビの政治コーナーで父親を含めた議員先生達は、あれこれと無責任なことを言われていた。テレビの前で激怒している私に対して、母親は「それだけお父さんが優秀だからなのよ」と、内心でどう思っていたかは別として、ほがらかに笑っていたものだ。
「だから、本当の父の姿を知っている自分が、味方としてそばにいてあげようって思った。まあ子供だったから最初のうちは、パパを守ってあげるって単純な気持ちだったのかもしれないわね」
「それだけなら秘書でもかまわないよな?」
「そこが不思議なところなのよね。秘書という選択肢は私の中にはまったく存在しなかったの。で、気がついたら本気で政治家になりたいと考えていて、そのために勉強をしてた。これで納得した?」
「随分と父親思いなんだな」
霧島さんは私の問い掛けにうなづきながらそう言った。
「その頃はね」
「今はそうじゃないのか?」
「今の私じゃ父を守るどころか、あの人の足を引っ張らないように頑張るだけで精一杯。父親孝行をするには、もう少し時間がかかりそう」
それも、父親が引退してしまえばできなくなるのが寂しい気分だ。できることなら、もう少し政界に身を置いていて欲しいけれど、こればかりは強制できる問題でもない。伊勢谷先生達が引き留めるのに失敗して父親が本当に引退してしまったら、別の方法で父親孝行する方法を見つけなければ。
「そういう霧島さんは? お父さんは県議会議員だったわよね? そんな話は出なかったの?」
「議員にって話か?」
「ええ」
「うちの父親も、最初は兄貴に継がせたいと考えたこともあったらしいが、俺にそんな話は一度もしなかったな。最初から、自分の好きなようにすれば良いって話していた。兄は父親の跡を継ぐのがイヤで、さっさと家を出て自衛官になったし、俺の双子の片割れは医者になって下の弟も現在進行形の研修医だ。我が家の政治家は、父親の代でおしまいってことだな」
父が無理に後継者になれと言わないのは、自分の姉が政治家と結婚して、不幸になったのを見ていたからかもしれないなと霧島さんは呟いた。霧島さんの伯母、つまりは森永さんの奥さんである奈緒さんのお母さんのことだ。
政治の世界が綺麗ごとだけではすまされないことを分かっている私でさえ、奈緒さんのお母さんの苦労と、その旦那である議員がいかにヒトデナシかという話を聞いてムカついたのだから、当事者の肉親としてそれを目の当たりにしていたら、とても息子を同じ世界に進ませたいとは思わないかもしれない。
「じゃあ、どうして警察官になる道を選んだの?」
その質問に少し考え込んでいた。
「兄貴とは違った立場で、国民を守る仕事につきたいと考えたから、かな。そしてSPを志したのは、実のところ成り行きではあったんだ」
「え?! そうなの?」
意外だった。最初からSPを目指していたと思っていたのに。
「上から、君は身体能力も優れているし語学もいける、もしその気があるなら、候補者として特別訓練を受けてみないかと言われたのが始まりだった。最初は、交番のお巡りさんか刑事になろうと思っていた」
「意外だわ。絶対に最初から、SPを目指していたんだと思ってた」
「もちろん今は後悔もしていないし、職務に誇りは持っているが」
「まさか成り行きでSPになった人に、うちの父親が警護されていたなんてね」
その言葉に霧島さんは顔をしかめた。
「おい、それはどういうことだ。これでも優秀なんだぞ」
「それは認めています。重光先生もそうおっしゃっていましたから」
ヒラヒラと手を振りながらその話はおしまいねと、何か言いたげだった霧島さんの反論を封じる。
―― さて、そろそろ特別なアイテムを取り出す頃合いかしら? ――
そんなことを考えながら、バッグの中に入れてあるもののことを考えていると、霧島さんが急に真面目な顔をして質問してきた。
「明日のご予定は、先生?」
「私? たしか、午後から他の先生達との、ちょっとした会合が入ってるぐらいだったかしら」
「なるほど。じゃあ、ゆっくりはできるわけだ。だったらこれ、使う気はあるか?」
そう言って、霧島さんが二人の間で揺らして見せたのはルームキー。それを見て思わず笑ってしまった。
「あら、偶然。明日は霧島さんがお休みだって聞いていたから、私も用意していたの。ほら」
バッグの中に入れておいたルームキーを取り出して、霧島さんの前で軽く振る。それを見た霧島さんが驚いた顔をしてから、少しだけ残念そうな顔をして笑った。
「これで絶対的なリードを奪おうと思っていたんだがな」
「私も同じこと考えてた」
二人の間で揺れている二つのルームキー。
「さて……」
「さて?」
「どちらのキーを使うべきか悩むところだな」
「そりゃあ、先に宿泊予約を入れた方のキーに決まってるじゃない。霧島さんはいつ?」
「ここに来た時だから二十分ほど前」
その言葉に、ニンマリした笑みを浮かべてしまった。
「なら私の勝ちね。私は一時間前には部屋をとったもの。これで私のリードよね?」
「ちょっと待て。俺だってこうやって持ってきたんだぞ」
「言い訳は認めません。勝ちは勝ち、負けは負け。諦めなさい」
私が得意げにキーを揺らすと、彼は無念そうに唸り声をあげた。
「何をしても上手を取られるのを何とかしたいと思ったら、どれぐらい思い切ったことをしたら良いのかしらね?」
「はい?」
移動中の車の中で思わず呟いてしまった言葉に、|杉下《すぎした」さんが首をかしげる。
「ああ、ごめん。ちょっとした独り言」
「もしかして、甥っ子さんとの対戦型オンラインゲームのことですか?」
甥っ子さんとは、兄の幸斗君のところの長男、つまり私の甥っ子のこと。最近オンラインゲームなるものにはまっていて、休みの日になると一緒にしようと、何故か私を誘ってくるのだ。
相手は幼稚園児だというのに、いとも簡単にすごい技を繰り出してくるので、パーティを組んで何処かのグループと対戦する時はとても心強いんだけど、一対一で戦うととんでもなく無慈悲な相手となる。義姉の繭子さん曰く、これでも|結花《ゆいか』ちゃんだから優しくしているのよだとか。最近の子供って、いろいろな意味で恐ろしい。
で、私が呟いたのは、もちろんそのことについてではない。れいの銀縁眼鏡のお兄さんのことだ。
「抜きつ抜かれつの僅差から、相手を相当突き放した状態にまでしたいのであれば、かなりの荒技を使わないと難しいでしょうね。裏技的な何かを。特に相手が上手を取るのが上手い人なら、えーと、こういう場合は課金とかいうのでしたっけ? オンラインゲームにそこまでするのもどうかとは思いますけど、先生がどうしても勝ちたいと言うのであれば、そういう手もあるのではないかと思いますよ?」
杉下さんは手帳に何か書き込みながら言った。私が黙ったままその横顔を見つめていると、彼女は「ん?」という顔をしてこちらに視線を向けてくる。
「うちの甥っ子姪っ子達も好きなんですよ、あのゲーム。たまに幸斗さんのお子さんから誘ってもらっているようですし……あの、ゲームの話なんですよね?」
「うん、そうなの」
「ですよね」
ここは下手に藪をつつかない方が良いわよね。彼女なりに気を遣って、素知らぬふりをしながらも助言をしてくれているのかもしれないし……多分。
「かなりの荒技と課金ねえ……」
溜め息をつきながら外を眺める。
「あ……」
「なんでしょう?」
「今夜はもう何も予定は入ってないわよね?」
「そうですね。突発的なことが起きない限り、明日の午後まで特には」
「久し振りに行ってみようかな、あそこに」
そう言って車窓から見える建物をさした。
+++++
そして私は今、都内の某ホテルのスカイラウンジの窓際のカウンター席に座っている。
最上階から眺めるオフィス街の明かりはなかなか素敵だけれど、こんな時間までそれぞれのフロアに灯りがついているってことは、こんな時間まで残業している人がいるってことよね?などと、余計なことを考えてしまった。
「まったく君と言う人間は」
溜め息混じりの声がすぐ後ろでしたので、飛び上がりそうになる。振り返れば、霧島さんが腹立たしげな顔をして立っていた。
「なによ、いきなり。カクテルをこぼすところだったじゃない。このスーツ、結構なお値段したんだからやめてちょうだいよね、驚かすのは」
「今夜は一体どんな手を使ったんだ?」
「どんな手ってなんの手?」
わざとらしく首をかしげてみせる。
「伊勢谷議員が週末なのに、何処に出掛けることもせず早く帰宅することになって、仕事が思いのほか早く終わったんだが」
「それは良かったじゃない。うちの父親が大臣をしていた時は、なかなかその日のうちに帰ることができなくて、大変だったって聞いていたわよ? 伊勢谷先生もそろそろお年なのかしら? で、それと私と何の関係があるの?」
「こういうのが増えたのが、君の宣戦布告からなんだがな」
「あら、すごい偶然」
「しらばっくれるな」
そう言いながら横の椅子に座った。
「良かったじゃない、余計な残業が減って。私も助かるわ。貴方と会うたびに帰るのが深夜すぎになるのは、ちょっと困りものだわねって思っていたから」
「やっぱり君の差し金なんだな?」
「だから何のこと?」
あれから私と霧島さんは、こんな具合にお互いの仕事が終わってから、何となく私が利用するバーで落ち合うことが増えていた。行くお店はその日の私の気分によって色々。だけど彼は、連絡をしなくても迷うことなく、私のいるお店に顔を出す。その的中率が一体何処から来るのかはいまだに良く分からない。
普通のデートをしないのかって? 国会の会期中の今は私がそんな時間が取れないし、伊勢谷先生を警護している彼もそうそう休める立場にないから、今はこんな感じで落ち着いている。お互いにお互いの仕事をちゃんと理解できる者同士で良かったじゃないの、というのが私の考えだ。
「本当に伊勢谷議員に何も言ってないのか?」
「私は何も言ってないわよ。あの先生がどう考えているかは知らないけれど」
やれやれと首を振る。つまるところ、私は何もしていないれど、伊勢谷先生が勝手なお節介をしているらしいってことに、考えが至ったみたい。私にならあれこれお説教ができるけど、伊勢谷先生相手にそれは難しい。ここは諦めてもらうしかないわね。
「ところで今夜は何を飲んでる? っと……聞くだけ無駄だったか」
「失礼ね」
霧島さんは、私の前に置いてあるグラスを見て溜め息をついている。しばらくして黒服のお兄さんが霧島さんの横に来ると、ウィスキーの入ったグラスを置いて行った。どうやら、ここに来てすぐに頼んでおいたらしい。さすがに「同じものを」は懲りたようだ。
「ここね、私が二十歳のお誕生日に、初めて父に連れてきてもらったところなの」
黙って夜景を見下ろしながらお酒を飲み続けてしばらくして、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
「お母さんじゃなくて?」
「それが不思議なことに父なのよね。母があまりお酒を飲まない人だからっていうのもあったみたい。その時に自分で選ばせてもらったのが、このカクテルってこと」
こんな風に眼下に広がる街の景色を見ながら、時間を忘れてあれこれ父親と話をしたっけ。そしてその時に、政治家を志すのは結構だが、その前にちょっとでも社会にもまれてこいというアドバイスを受けたことを思い出した。
「この灯りの中で生活している人のために働くつもりなら、一度はその中で働いてみるべきだって」
「そう言えば重光先生も、最初から秘書でも議員ではなかったんだよな?」
「そうよ、父親もしばらくはサラリーマン生活をしていたの。短い間だったけど、その時の経験は役に立っているって言ってたわ」
「なるほど」
「二世議員だからって、ボンボン先生ってわけでもないのよ、うちの父親」
まあ嫁ラブすぎて、娘の自分でさえ馬鹿なの?って突っ込みたくなることは多々あるけれど、おおむね人当たりの良い議員だと思う。
「そう言えば、今までちゃんと聞いたことはなかったな。君はどうして政治家を志したんだ?」
「ありきたりな話よ。仕事をしている父親の背中を見てきたから」
私の言葉を霧島さんは鵜呑みにはしていないようで、疑わしげな眼を向けてくる。外向けの話では通用しない相手だってことを忘れていた。
「子供ながらにね、テレビのワイドショーでああだこうだと父親が言われているのを見て、ものすごく腹が立ったのよね。貴方達は本当のお父さんのことを知らないくせに、勝手な事ばかり言ってって」
今でもそうだけど私が小さい頃も、テレビの政治コーナーで父親を含めた議員先生達は、あれこれと無責任なことを言われていた。テレビの前で激怒している私に対して、母親は「それだけお父さんが優秀だからなのよ」と、内心でどう思っていたかは別として、ほがらかに笑っていたものだ。
「だから、本当の父の姿を知っている自分が、味方としてそばにいてあげようって思った。まあ子供だったから最初のうちは、パパを守ってあげるって単純な気持ちだったのかもしれないわね」
「それだけなら秘書でもかまわないよな?」
「そこが不思議なところなのよね。秘書という選択肢は私の中にはまったく存在しなかったの。で、気がついたら本気で政治家になりたいと考えていて、そのために勉強をしてた。これで納得した?」
「随分と父親思いなんだな」
霧島さんは私の問い掛けにうなづきながらそう言った。
「その頃はね」
「今はそうじゃないのか?」
「今の私じゃ父を守るどころか、あの人の足を引っ張らないように頑張るだけで精一杯。父親孝行をするには、もう少し時間がかかりそう」
それも、父親が引退してしまえばできなくなるのが寂しい気分だ。できることなら、もう少し政界に身を置いていて欲しいけれど、こればかりは強制できる問題でもない。伊勢谷先生達が引き留めるのに失敗して父親が本当に引退してしまったら、別の方法で父親孝行する方法を見つけなければ。
「そういう霧島さんは? お父さんは県議会議員だったわよね? そんな話は出なかったの?」
「議員にって話か?」
「ええ」
「うちの父親も、最初は兄貴に継がせたいと考えたこともあったらしいが、俺にそんな話は一度もしなかったな。最初から、自分の好きなようにすれば良いって話していた。兄は父親の跡を継ぐのがイヤで、さっさと家を出て自衛官になったし、俺の双子の片割れは医者になって下の弟も現在進行形の研修医だ。我が家の政治家は、父親の代でおしまいってことだな」
父が無理に後継者になれと言わないのは、自分の姉が政治家と結婚して、不幸になったのを見ていたからかもしれないなと霧島さんは呟いた。霧島さんの伯母、つまりは森永さんの奥さんである奈緒さんのお母さんのことだ。
政治の世界が綺麗ごとだけではすまされないことを分かっている私でさえ、奈緒さんのお母さんの苦労と、その旦那である議員がいかにヒトデナシかという話を聞いてムカついたのだから、当事者の肉親としてそれを目の当たりにしていたら、とても息子を同じ世界に進ませたいとは思わないかもしれない。
「じゃあ、どうして警察官になる道を選んだの?」
その質問に少し考え込んでいた。
「兄貴とは違った立場で、国民を守る仕事につきたいと考えたから、かな。そしてSPを志したのは、実のところ成り行きではあったんだ」
「え?! そうなの?」
意外だった。最初からSPを目指していたと思っていたのに。
「上から、君は身体能力も優れているし語学もいける、もしその気があるなら、候補者として特別訓練を受けてみないかと言われたのが始まりだった。最初は、交番のお巡りさんか刑事になろうと思っていた」
「意外だわ。絶対に最初から、SPを目指していたんだと思ってた」
「もちろん今は後悔もしていないし、職務に誇りは持っているが」
「まさか成り行きでSPになった人に、うちの父親が警護されていたなんてね」
その言葉に霧島さんは顔をしかめた。
「おい、それはどういうことだ。これでも優秀なんだぞ」
「それは認めています。重光先生もそうおっしゃっていましたから」
ヒラヒラと手を振りながらその話はおしまいねと、何か言いたげだった霧島さんの反論を封じる。
―― さて、そろそろ特別なアイテムを取り出す頃合いかしら? ――
そんなことを考えながら、バッグの中に入れてあるもののことを考えていると、霧島さんが急に真面目な顔をして質問してきた。
「明日のご予定は、先生?」
「私? たしか、午後から他の先生達との、ちょっとした会合が入ってるぐらいだったかしら」
「なるほど。じゃあ、ゆっくりはできるわけだ。だったらこれ、使う気はあるか?」
そう言って、霧島さんが二人の間で揺らして見せたのはルームキー。それを見て思わず笑ってしまった。
「あら、偶然。明日は霧島さんがお休みだって聞いていたから、私も用意していたの。ほら」
バッグの中に入れておいたルームキーを取り出して、霧島さんの前で軽く振る。それを見た霧島さんが驚いた顔をしてから、少しだけ残念そうな顔をして笑った。
「これで絶対的なリードを奪おうと思っていたんだがな」
「私も同じこと考えてた」
二人の間で揺れている二つのルームキー。
「さて……」
「さて?」
「どちらのキーを使うべきか悩むところだな」
「そりゃあ、先に宿泊予約を入れた方のキーに決まってるじゃない。霧島さんはいつ?」
「ここに来た時だから二十分ほど前」
その言葉に、ニンマリした笑みを浮かべてしまった。
「なら私の勝ちね。私は一時間前には部屋をとったもの。これで私のリードよね?」
「ちょっと待て。俺だってこうやって持ってきたんだぞ」
「言い訳は認めません。勝ちは勝ち、負けは負け。諦めなさい」
私が得意げにキーを揺らすと、彼は無念そうに唸り声をあげた。
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