旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう

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本編

第十話 結花先生の一大事 side-霧島

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「そりゃあお前、あの結花ゆいか先生に、口と行動力で勝てるわけないだろう」

 伊勢谷いせたに議員を自宅に送り届け、装備を返却する為に職場に戻ってからロッカーでここ最近の彼女の攻めっぷりを愚痴っていると、総理の警護についている同僚の瀧山たきやまがおかしそうに笑った。

「?! なんでそこで重光しげみつ議員の名前が出てくるんだ?」

 これまで、付き合っている相手のことを友人同士でそれなりに話してはいたが、決して彼女の名前を出すことはなかった。どういう人物かと質問されても、霞が関かすみがせきで働く公務員キャリアだとごまかしていた筈なのだが。

 そんな俺の動揺した様子に、あれ?と首をかしげる瀧山。

「おい、それマジで言ってんの? もしかして、結花先生と付き合っていることを隠してるつもりだったのか? って、その顔は本気で隠してたつもりだった? そうなの? そうなのか……そうだったのかあ……ごめんな霧島きりしま、多分ここだけの話、うちの連中は全員知ってると思う」

 その言葉に愕然がくぜんとなった。全員? 全員と言ったか?!

「……なんでだ」
「まあ多分、パパ先生の方の、先生ネットワークってやつのせいだろうな。俺は、講演会に行く総理夫人を送迎する時に聞いた。柳沢やなぎさわ国分こくぶ先生から昼飯をおごってもらいながら聞いたと言っていた。うちのボスは桜井さくらい官房長官から、トイレで用を足しながら話を聞いたとか言ってたぞ」

 誰が何処からその話を聞いたのかという、余計な情報とともに教えてくれた。

「なんでだ……なんでなんだ……」

 ガンガンとロッカーに頭を打ち付ける。こういう話はもっと密やかに囁かれるものではなかったのか? なんでそこまで大っぴらになっている?!

「まあ隠すこともないだろうよ。お互いフリーなんだし別に不倫でも何でもないんだから、周りからだってとやかく言われることはないだろ?」
「それはそうだが……」
「伊勢谷先生なんて、お前をどうやって効率よく休ませようかなんてことを考えているらしいぞ。ああ、もちろんお前のためではなく、結花先生のためにな」
「一体なんなんだ……あの人達は」
「残念だな、霧島。完全に外堀を埋められて、退路は断たれたってやつだ。惚れた相手が悪かったと、潔く諦めて大人しく重光家に婿に行け」

 ガックリしている俺の肩を、瀧山が慰めるように叩いているところへ、もう一人の同僚、柳沢が飛び込んできた。

「おい、一大事だぞ」
「なんだ? 国会でなにか騒動か?」
「重光議員が暴漢に襲われたって速報が出てる」


+++++


 予想通り、彼女が運び込まれた病院の前は報道陣で大変なことになっていた。これは中に入るのには骨が折れそうだ。

「……」

 しばらくその様子を眺めてから、その場を離れるとスマホを取り出す。かける相手はシシャモ同好会会長。そう、重光夫人だ。

 最近は病院の中でも電話はつながるがこんな時だ、うまく夫人と連絡が取れれば良いのだが。

冬吾とうご君?』

 三コール目で夫人が電話に出た。

「ニュースを観ました。今、病院の近くまで来ているんですが」

 夫人が電話の向こうで溜め息混じりの笑い声を漏らした。

『ああ、報道陣が凄くて入れないんでしょ? えっとそうね……病院に隣接している大学の敷地の西角にカフェがあるの分かる? えっと、お店の名前はなんだったかしら、ああそうそう、眠りネコってお店だったわ。今日は定休日ってなってると思うけど、インターホンを鳴らして私に行くように言われたって言えば入れてもらえるから、そこで待っていてちょうだい、迎えに行くから』
「奥様が来られて大丈夫なんですか?」
『ううん、行くのはうちの知り合い。彼女がちゃんと病院に入る手筈を整えてくれるから大丈夫よ。名前は三ツ矢みつやさんっていう子だから』
「分かりました、そこで待機します」

 定休日の木札が下がっているカフェを見つけると、奥まったところにあるインターホンを鳴らした。どうやら夫人が連絡を入れてくれていたようで、すぐに店主らしき男性が顔を出して招き入れてくれた。

「すみません、お休み中に」
「いやいや、奥さんにはいつも御贔屓ごひいきにしてもらっているから、気にしないでください」

 店主はカウンター席に座るように案内してくれると、今日は定休日でインスタントしかないけれどと言って、アイスコーヒーを出してくれた。

 そして十五分ほど経ったところで、見知らぬ女性が店の裏口からそっと入ってきた。

「どうも。すみません、お休みの時に」

 そう言って店主に頭を下げる。

「結花先生は大丈夫かね?」
「今は激怒しておられますね。お気に入りのスーツが血塗れだって」
「やれやれ、まったく元気だね、相変わらず」

 呆れたような安堵したような微妙な顔で笑う店主をよそに、女性はこちらを見て軽くうなづいた。

「霧島さんですね、三ツ矢です。どうぞ、こちらへ。マスター、お騒がせしました」

 彼女は店主らしき男性に礼を言うと、ついて来いとばかりに裏口から出て行く。止まっていたのは病院の名前が書いてある白いバンだった。

「普段は、ショートステイのお爺さんお婆さんが利用されているんですけどね。少しの間だけお借りしました。後ろに乗ってください」

 後ろはプライバシーを守るという名目から、カーテンが引かれていて中が見えないようになっている。これなら万が一マスコミ関係者とすれ違っても、窓に齧りついてカメラを回さない限りは、中が写りこむことはないだろう。

「彼女の容体は?」
「さっきも言った通り、激怒していますよ」
「つまりは意識はしっかりしていると。怪我の程度は?」
「何針か縫ったようですが、その辺のことは本人か秘書、もしくは重光夫人に尋ねてください」

 さっきまでのマスターへの愛想のよさは何処へやらで取りつく島もない。

「君は議員家族とはどういった関係なんだ?」
「無関係者です」
「つまりは聞くなということか」
「そういうことです」

 以後はお互いに一言も喋ることなく、病院の職員通用口の方へと車は進んだ。病院側の警備がしっかりしているためか、こちらにはまったく人影は見えない。

「そこの通用口から入れば重光夫人がお待ちです」
「君は?」
「私は仕事に戻りましたとお伝えください、それで通じます」
「分かった、助かった」
「これも仕事ですから」

 俺が車を降りると、白いバンはそのまま走り去る。足早に建物の中に入ると夫人が立っていた。

「三ツ矢さんは仕事に戻ると」
「そう。それより来てくれてありがとう。娘もきっと、冬吾君の姿を見たら落ち着くと思うわ。しつこくワガママを言うようなら、いつも通りにガツンと言ってやってね」
「ガツン、ですか?」

 一体どんな状態なのやら。心配して取るものも取りあえず駆け付けたのだが、どうやら俺が思い描いている状況とは微妙に違っているようだ。

 夫人と共に救命救急へと急ぐと、処置室の前の廊下に立っていた重光議員が、怪訝な顔をしてこちらを見た。

「どうして霧島君がここに?」
「お見舞いに決まってるでしょ?」

 夫人は当然のように言うが、議員は納得していない様子だ。そりゃそうだろう。

「霧島さんが来たの? こっちに入ってもらってくれる?」

 カーテン越しに彼女の声が聞こえた。取り敢えず声だけは、いつものように元気そうで安心する。

「なんで結花が霧島君のことを知ってるんだ?」
「そりゃあ、霧島さんは貴方のことを警護したこともあるし、奈緒なおさんのイトコだもの当然でしょ?」
「いやしかし、なんで彼がここ……」

 夫人が重光議員の腕をとる。

「はいはい、言いたいことがたくさんあるのは分かったわ。それは私がゆっくり聞いてあげるから、幸太郎こうたろうさんはこっちに来てなさい。じゃあ冬吾君、結花のこと頼むわね。何かあったら呼んでくれる? あっちに病院側から借りた会議室があるの。私達はそこで杉下すぎしたさんと一緒に、記者向けのコメントを考えているから」
「と、冬吾君? いつのまにそんな風に呼ぶようになった?」
「はいはい、その話もあっちでね」

 まだ何か言いたそうな議員をなだめながら夫人は俺にニッコリと微笑むと、有無を言わさず彼女の夫を引き摺ってその場を離れた。議員はこちらを気にしつつも、夫人には逆らえないらしくそのまま連行されていく。

「ねえ、霧島さんいるんでしょ? お父さんはあっちに行ってくれた?」

 少しばかり苛立った口調が飛んできた。やれやれ、この口振りからして俺の先生はかなり御立腹のようだ。

「ああ、議員は夫人と共に、マスコミ向けのコメントを会議室で考えるそうだ」
「本当にまったく! そこでウロウロしていてもお医者さんの邪魔になるだけだし、逆に私の血圧が上がって血が止まらなくなるじゃないって言っているのに、離れようとしないんだから困ったものよ。引き摺って行ってくれたお母さんに感謝しなくちゃ」
「そりゃあ、自分の娘が暴漢に襲われたと聞けば、心配するのが当然だろう?」

 処置室に入って、彼女が治療されているであろう場所に向かう。

 ベッドの上に座っている彼女の状態は、元気な口調とは正反対になかなか悲惨なものだった。頭は血が滲んだガーゼと包帯でとんでもない事になっているし、消毒されたのか薬とおぼしき液体と血痕が顔半にこびりついている。そして着ているスーツの上着は、首から肩にかけては血塗れだ。

「こう言っちゃなんだが先生、なかなか凄いことになっているな」
「まったくよ。見て! お気に入りのスーツが台無し!」

 横で処置をしている医者が動かないでくださいと注意をしているが、果たしてその言葉が耳に入っているかどうか。彼女の横にまで行くとじっくりと様子を観察する。

「何よ」
「元気そうで安心したよ。意識不明の重体ってテレビでは言っていたから」

 そう言って苛立たしげにブラブラさせている彼女の手を握ると、彼女の方もそっと握り返してきた。

「ああ、そのこと。意識不明になったのは巻き込まれた警備員さんなの。お気の毒に。私に襲いかかってきた相手を止めようとしてもみ合って、郵便ポストに頭をぶつけちゃってね、脳震盪で一時的に意識不明になったのよ。そのことと私の怪我のことがごちゃ混ぜになったみたいね」
「それで? 君のことをこんな色とりどりな状態にした不届き者はどうなった?」
「どうやら逃亡中らしいわ。ムカつくったらありゃしない。一発ぐらい反撃できたら良かったのに。もう終わり? 帰っても大丈夫かしら?」

 その一言に処置室内で「とんでもない少なくとも一晩は入院ですよ」の大合唱が起きた。彼女はその声に憮然ぶぜんとしている。

「ちょっと切れたぐらいなのに大袈裟おおげさなんだから」
「頭の怪我は油断できないんだ。気の毒だがしばらくは入院生活だな」

 その場で彼女を治療していた医師も、俺の言葉に同意するようにうなづいているが、彼女の意見は違うらしい。

「冗談じゃないわよ、向こう一週間は予定が詰まっていて忙しいっていうのに」
「これの何処が冗談だと思ってる。予定より怪我を治すことが先決だろ。そんな状態で出て行ったら相手が驚いて逃げ出すぞ。ハロウィンの仮装じゃないんだからな?」
「このままとは言ってないじゃない。ちゃんと着替えてから行くわよ、当然でしょ?」

 膨れっ面をして抗議するが、そんな顔にほだされるような俺でもなければ医師達でもない。背後では既に入院の手続きがどうのこうのという話になっていて、看護師の一人が御両親に伝えてきますと言って処置室から出て行った。

「頭はどうするんだ? 包帯がとれるまで着ぐるみでもかぶって隠すか? たしか君の事務所の近くに、変なゆるキャラがいたよな? あれを着て出掛けるか?」
「……」
「だったら大人しくここで世話になることだ。駄々をこねて先生達を困らせるな」
「……」
「返事は? 先生?」
「……た」
「聞こえないぞ、いつも国会で発言をしている時のような元気はどうした」
「分かりました! ちゃんと病院にお世話になります!」

 やけくそな口調で返事をした彼女だったが、自分の声が頭の傷に響いたのか、傷口に手を当てて顔をしかめた。こんな時に不謹慎だと思いつつ、なんとも可愛らしいことだと笑ったらそれが気に障ったらしく、思いっ切り脛を硬い革靴で蹴り飛ばされてしまった。
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