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本編
第二十話 花婿衣裳も大事
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「……白」
「そうよ、白」
私の前で霧島さんは、目の前に爆弾か何かが現れたような顔をして、杉下さんが届けてくれたカタログを見つめている。
「黒じゃダメなのか? あるいはグレーとか」
「ダメ。白って決めてたから」
「誰が?」
「私が」
私達が見ているのは、花嫁の衣裳ではなく花婿の衣裳のカタログ。私の方は夏前に決まっていて、先週末に試着したばかり。サイズに関して夏前からほとんど変動がなかったので、そのまま進めることになった。
すでに招待状も送り出欠の返事も届き始めている。披露宴のテーブル席の、何処にどの先生が誰と座るかという問題もなんとかおさまった。新婚旅行の行き先も日程も決まったことだし、結婚式関係で残った問題は、霧島さんが当日に着る衣裳だけ。
「だが白というのは……」
「たまには良いんじゃないかしら。だっていつも黒っぽいスーツばかりなんだもの。そろそろ別の色のスーツを着た貴方を見たいわ。もちろんプライベートの服装とは別でっていう意味よ?」
「仕事中に白なんて無理だろ。それに黒ばかり着ているわけじゃないんだがな」
「そうね。濃紺の時もあるし、よーく見たらグレーかしら?みたいな黒の時もあったわね。でも総じて黒っぽい」
「……」
反論できないのも当然。だって私が言っていることは事実なんだから。
「だから結婚式は白よ。もう決めたんだから。それ以外の色は認めません。だからここから好きなのを選んで」
そう言ってカタログの写真を指でさす。
そこにはハンサムなお兄さん達が、様々なタキシードを着てこちらに微笑みかけていた。だけど私にはこの整った顔と体のモデルさん達よりも、目の前で顔をしかめている目つきの悪い霧島さんの方が、ずっとハンサムだと思えるんだから不思議だ。これが世にいう、恋は盲目的な惚気というやつだろうか?
「選べと言われてもだな……」
どれも一緒に見えるぞとぼやきながら、ページをめくり出した。だけどページを進めていくだけで、写真をちゃんと見ていないのは丸分かりだ。
「ちょっと。そんな投げやりにしないでちゃんと見て。結婚式当日に貴方が着るタキシードなのよ?」
「そんなこと言っても、どれも同じに見えるんだから仕方ないじゃないか」
「嘘おっしゃい。貴方、自分のスーツや靴はちゃんとしたものを選んでるじゃない。選ぶ目の無い人なら今の言葉を信じてあげるけど、貴方の場合はそうじゃないのは分かってる。だからちゃんと見て」
そう言ってから、カタログの開いた部分を最初のページに戻す。
「色のことはさておき、レンタルじゃダメなのか? 俺の同僚達もレンタルだったぞ? そりゃウェディングドレスをオーダーメイドする気持ちは分かるんだが、男の俺までわざわざ作ることはないだろ……」
「なに言ってるの。借り物とオーダーメイドじゃ、着た時に全然違うのも分かっているでしょ? だからきちんと作って」
霧島さんが仕事中に着ているスーツだって、パッと見は分からないけれど、よーく見てみると良いものを着ているし靴も同様だった。だからこそ結婚式のタキシードも借り物ではなく、ちゃんとしたものを身につけてほしいのだ。
「ドレスを残しておくってのは聞いたことあるが、タキシードを作って残すというのはどうなんだ……」
「別に結婚記念日のたびに着ろっていうんじゃないのよ? そんな顔しないで」
とんでもないという顔をしたので思わず笑ってしまった。
「とにかく、私のためだと思って諦めてちょうだい。見栄とかそういうので言っているわけじゃないの。私が選んだドレスがとても素晴らしいものなんだもの、貴方にも素敵なタキシードで横に立ってもらわなくちゃ、私の気がすまないの。写真も撮ってずっと残るのよ? ここで安易な妥協はしたくない」
「分かった。だが正直言って、どれがどうなんてのは俺にはさっぱり分からない。だからそれに関しては、君が選んでくれ。俺は君が選んだものを着る」
「そんなこと言って良いの? 今度の休み、試着で一日が潰れるわよ?」
「……君がやれたんだ。俺もなんとか乗り切れるだろ」
溜め息まじりにそう言った。どうやら観念したみたいだ。良かった。場合によっては、こっそり彼のスーツを持ちだして、衣裳づくりを依頼しなければならないんじゃないかって、密かに心配していたんだもの。これで大手を振って、気がすむまで彼に試着をさせることができる。
「それと、当日は眼鏡は無しね」
「どうして?」
「だってもともとダテ眼鏡でしょ? だったら必要ないじゃない。少なくとも結婚式でははずして。これも私の希望」
「やれやれ。分かったよ、眼鏡は無しな」
「そろと白いタキシードね」
「白いタキシード、か。俺に似合うとは思えないんだがなぁ……」
「大丈夫。私の目を信じなさい。似合わないなら無理に勧めたりしないんだから」
半信半疑な様子の彼にそう言うと、まずは候補を選んでおかなくちゃねと、目星をつけていたものにボールペンで丸印をつけていく。その印を五つほどつけたところで、霧島さんは恐る恐るといった感じで口を挟んできた。
「おい、そんなに試着させるつもりなのか?」
「だから言ったでしょ? 一日が潰れるわよって。もしかして冗談だと思ってたの?」
「大袈裟に言っているんだとばかり思ってた」
まさかまさか。気になっているものに関しては、すべて試着してもらうつもりでいるから。だけどあまり多いのも可哀想だから、十着ぐらいに候補を絞ってあげよう。私が三十着ぐらい試着したんだもの、その三分の一程度なら大丈夫よね?
「安心して。私みたいに、三日連続で試着三昧なんてことにはしないから」
「まったく女性というのは凄いな、尊敬する」
「当り前でしょ? 誰の結婚式だと思ってるの?」
私が少しだけ怖い顔でにらむと、彼は降参しましたとばかりに両手をあげた。
「そうだった。俺達の結婚式だな」
「その通り。だから妥協はしません。試着、頑張って」
今年のメインイベントまであと少し。エステに通って、夏の選挙で日焼けしてしまったお肌のケアと、自分磨きを念入りにしなくては。これからは休みの日も大忙しだ。杉下さんには今まで以上に、スケジュール調整を頑張ってもらわなくちゃいけない。
え? メインイベントは夏の総選挙だったんじゃなかったのかって?
たしかに父の選挙区から出馬したことは、私の人生の中で大きなポイントだったかもしれない。だけど重光結花としての今年最大のイベントは、やっぱり目の前で唸っている銀縁眼鏡のお兄さんとの結婚式だと思う。それは今年のというよりも、人生最大のイベントと言った方が正しいかな。
もちろん根っからの政治家集団である偉い先生達には、こんなことを考えているなんて内緒なんだけれど。
「そうよ、白」
私の前で霧島さんは、目の前に爆弾か何かが現れたような顔をして、杉下さんが届けてくれたカタログを見つめている。
「黒じゃダメなのか? あるいはグレーとか」
「ダメ。白って決めてたから」
「誰が?」
「私が」
私達が見ているのは、花嫁の衣裳ではなく花婿の衣裳のカタログ。私の方は夏前に決まっていて、先週末に試着したばかり。サイズに関して夏前からほとんど変動がなかったので、そのまま進めることになった。
すでに招待状も送り出欠の返事も届き始めている。披露宴のテーブル席の、何処にどの先生が誰と座るかという問題もなんとかおさまった。新婚旅行の行き先も日程も決まったことだし、結婚式関係で残った問題は、霧島さんが当日に着る衣裳だけ。
「だが白というのは……」
「たまには良いんじゃないかしら。だっていつも黒っぽいスーツばかりなんだもの。そろそろ別の色のスーツを着た貴方を見たいわ。もちろんプライベートの服装とは別でっていう意味よ?」
「仕事中に白なんて無理だろ。それに黒ばかり着ているわけじゃないんだがな」
「そうね。濃紺の時もあるし、よーく見たらグレーかしら?みたいな黒の時もあったわね。でも総じて黒っぽい」
「……」
反論できないのも当然。だって私が言っていることは事実なんだから。
「だから結婚式は白よ。もう決めたんだから。それ以外の色は認めません。だからここから好きなのを選んで」
そう言ってカタログの写真を指でさす。
そこにはハンサムなお兄さん達が、様々なタキシードを着てこちらに微笑みかけていた。だけど私にはこの整った顔と体のモデルさん達よりも、目の前で顔をしかめている目つきの悪い霧島さんの方が、ずっとハンサムだと思えるんだから不思議だ。これが世にいう、恋は盲目的な惚気というやつだろうか?
「選べと言われてもだな……」
どれも一緒に見えるぞとぼやきながら、ページをめくり出した。だけどページを進めていくだけで、写真をちゃんと見ていないのは丸分かりだ。
「ちょっと。そんな投げやりにしないでちゃんと見て。結婚式当日に貴方が着るタキシードなのよ?」
「そんなこと言っても、どれも同じに見えるんだから仕方ないじゃないか」
「嘘おっしゃい。貴方、自分のスーツや靴はちゃんとしたものを選んでるじゃない。選ぶ目の無い人なら今の言葉を信じてあげるけど、貴方の場合はそうじゃないのは分かってる。だからちゃんと見て」
そう言ってから、カタログの開いた部分を最初のページに戻す。
「色のことはさておき、レンタルじゃダメなのか? 俺の同僚達もレンタルだったぞ? そりゃウェディングドレスをオーダーメイドする気持ちは分かるんだが、男の俺までわざわざ作ることはないだろ……」
「なに言ってるの。借り物とオーダーメイドじゃ、着た時に全然違うのも分かっているでしょ? だからきちんと作って」
霧島さんが仕事中に着ているスーツだって、パッと見は分からないけれど、よーく見てみると良いものを着ているし靴も同様だった。だからこそ結婚式のタキシードも借り物ではなく、ちゃんとしたものを身につけてほしいのだ。
「ドレスを残しておくってのは聞いたことあるが、タキシードを作って残すというのはどうなんだ……」
「別に結婚記念日のたびに着ろっていうんじゃないのよ? そんな顔しないで」
とんでもないという顔をしたので思わず笑ってしまった。
「とにかく、私のためだと思って諦めてちょうだい。見栄とかそういうので言っているわけじゃないの。私が選んだドレスがとても素晴らしいものなんだもの、貴方にも素敵なタキシードで横に立ってもらわなくちゃ、私の気がすまないの。写真も撮ってずっと残るのよ? ここで安易な妥協はしたくない」
「分かった。だが正直言って、どれがどうなんてのは俺にはさっぱり分からない。だからそれに関しては、君が選んでくれ。俺は君が選んだものを着る」
「そんなこと言って良いの? 今度の休み、試着で一日が潰れるわよ?」
「……君がやれたんだ。俺もなんとか乗り切れるだろ」
溜め息まじりにそう言った。どうやら観念したみたいだ。良かった。場合によっては、こっそり彼のスーツを持ちだして、衣裳づくりを依頼しなければならないんじゃないかって、密かに心配していたんだもの。これで大手を振って、気がすむまで彼に試着をさせることができる。
「それと、当日は眼鏡は無しね」
「どうして?」
「だってもともとダテ眼鏡でしょ? だったら必要ないじゃない。少なくとも結婚式でははずして。これも私の希望」
「やれやれ。分かったよ、眼鏡は無しな」
「そろと白いタキシードね」
「白いタキシード、か。俺に似合うとは思えないんだがなぁ……」
「大丈夫。私の目を信じなさい。似合わないなら無理に勧めたりしないんだから」
半信半疑な様子の彼にそう言うと、まずは候補を選んでおかなくちゃねと、目星をつけていたものにボールペンで丸印をつけていく。その印を五つほどつけたところで、霧島さんは恐る恐るといった感じで口を挟んできた。
「おい、そんなに試着させるつもりなのか?」
「だから言ったでしょ? 一日が潰れるわよって。もしかして冗談だと思ってたの?」
「大袈裟に言っているんだとばかり思ってた」
まさかまさか。気になっているものに関しては、すべて試着してもらうつもりでいるから。だけどあまり多いのも可哀想だから、十着ぐらいに候補を絞ってあげよう。私が三十着ぐらい試着したんだもの、その三分の一程度なら大丈夫よね?
「安心して。私みたいに、三日連続で試着三昧なんてことにはしないから」
「まったく女性というのは凄いな、尊敬する」
「当り前でしょ? 誰の結婚式だと思ってるの?」
私が少しだけ怖い顔でにらむと、彼は降参しましたとばかりに両手をあげた。
「そうだった。俺達の結婚式だな」
「その通り。だから妥協はしません。試着、頑張って」
今年のメインイベントまであと少し。エステに通って、夏の選挙で日焼けしてしまったお肌のケアと、自分磨きを念入りにしなくては。これからは休みの日も大忙しだ。杉下さんには今まで以上に、スケジュール調整を頑張ってもらわなくちゃいけない。
え? メインイベントは夏の総選挙だったんじゃなかったのかって?
たしかに父の選挙区から出馬したことは、私の人生の中で大きなポイントだったかもしれない。だけど重光結花としての今年最大のイベントは、やっぱり目の前で唸っている銀縁眼鏡のお兄さんとの結婚式だと思う。それは今年のというよりも、人生最大のイベントと言った方が正しいかな。
もちろん根っからの政治家集団である偉い先生達には、こんなことを考えているなんて内緒なんだけれど。
応援ありがとうございます!
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