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序章:死神先生と死学の時間

さあ、授業を始めようか 5

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死学が学校教育に取り入れられ、まともに授業として扱えるまで施行から数年ほどかかった。

死生観学習授業は言うなれば、個人の意見に過ぎない。

それを誰かに教え、それが正しいか否かを判断しなければならない。

ディスカッション。
死について考え、どう向き合うか、それが死学の目的でもある。


「死神先生、その青年は今は何をしてるんですか?」

1人の女子生徒が薫に聞いた。
国会前の大規模な抗議デモとは言え、テレビではあまり扱われなかった。

情報としては国会前で政策に反対する国民による抗議デモが行われて、1人の青年により事態は収束した、その程度に過ぎなかった。


「ん、まあ、俺自身あの時は忙しかったしなぁ。抗議デモにも参加はしなかったし。案外、意外なことをしてるかもしれねえな」


クッククとニヒルに笑う薫は自分が当事者であることを明かしたりしない。
まあ、大々的に名前を名乗りはしたが、あの話の直後、あの青年の名を覚えている者は誰1人として居なかった。


死を語る者、死学の時間を行う者、それを聴く者。
そこには目に見えないナニカの力が働いているのかもしれない。

死に愛された青年、神代 薫。
大々的に名乗った彼の名は見えないナニカによって人々の記憶から消されたのかもしれない。

死神先生。
それがこの世における彼の名だ。


「そーいやーその抗議デモってたった6年前なんだよなぁ。それにしちゃ、あんま話題にならなかったよな?」

とある男子生徒が隣の生徒に話しかける。

「抗議デモ自体、政策緩和を促すパフォーマンスだったって噂だったよな。反対政治家によるさ」

「じゃあ、その青年って若手政治家?まあ、死神先生の死学はおもしれえし、先生以外には教わりたくねえかも、俺」

だよなぁーと話す生徒たちを注意したりしない。
それが薫のやり方。

死に向き合って、死を恐れない、死を受け入れる。
それが、死学のあり方。

そう、ほんの数分前までは思っていた。
薫が死を察知するほんの数分前まで。
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