その手は離したはずだったのに

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番外編 マーク・エヴァンス

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クラリスは懐妊が分かってから元気を取り戻したかのように見えたが、それは一時的なものだった。

「マーク、行かないで」

1人になるのが不安なのか、本邸へ帰ろうとすると涙目で訴えてくる。
その姿を見ると、あの日睡眠薬を過剰摂取した青白い顔色が浮かんだ。

「わかった。朝までそばにいるよ」

クラリスのお腹には生命が宿っている。
体は辛いかもしれないが、できるだけ穏やかな気持ちで過ごして欲しい。

「クラリス、愛してる」

安心できるように、優しく抱きしめながら眠りについた。


気づけば別邸での生活が中心になり、ミラとは夜会出席時に顔を合わせるくらいになっていた。

「旦那様、私は喉が渇きましたので果実水をいただいてきます」

「それなら、私が取ってこよう」

「・・・いえ、旦那様はご友人とお話があるでしょうし、お気になさらずに」

ミラがいつにも増して余所余所しい。
遠ざかって行くミラの後ろ姿を見つめながら怪訝に思っていると、クスクス笑う声と共に、まるでミラが私とクラリスの仲を引き裂いた邪魔者かのような噂話が耳に入ってきた。

クラリスが懐妊してから、ミラには夜会に出席してもらっている。
いや、本来ならば本妻であるミラこそが夜会に出席するのが当たり前なことだ。
陛下が『クラリスを気にかけてくれ』と言い出してから、あるべき形が崩れていっただけ。

ここのところ、クラリスが不安定な日はお腹の子にもしもの事があったら。と、ミラには1人で夜会に出席してもらうことがあった。

私が夜会に出席できなかった翌日には、『愛する方の大切な時期におそばに付いていられるなんて、素敵ですわ』声をかけられた。

陛下の口癖を思い出し、面倒だから適当に頷いていたが、こんな意味だったのか?

この女達は、わざわざ私の耳に入るようにミラを貶す話をして、私が喜ぶとでも思っているようだが・・・もしかしてミラはひとりで夜会に出席した時、この手の悪意に晒されていたというのか?

だとすれば、あまりに余所余所しいミラの態度に納得がいく。

カァッと熱いものが身体中に広がって行くのを、拳を握り締めて落ち着かせる。

近寄ってきた友人を躱し、噂話をしていた夫人の方へ向かった。

「何やら楽しそうに愛する妻の話をしていたようだが、詳しく聞かせてくれるだろうか?
ベリー伯爵夫人にサイラス子爵夫人?」

私の言葉が予想外だったのか、女達の顔色がみるみる引き攣ったものに変化する。

「こ、公爵様、決してそういう意味ではございません。
ただ、愛する方を大切に思い続けるお姿が素敵でしたので・・・ヒッ!」

最後は頭を下げてを逃げるように去って行った。

愛する方を大切に思い続ける姿ーー
鈍器で頭を殴られたような気分だった。


ミラは帰りの馬車で、危なっかしく頭を前後に揺らしながらうとうとしていた。
公爵夫人として淑女の姿勢を崩さないミラのこんな姿を見るのは初めてだった。
少しお尻を浮かせて距離を縮め、ミラを自分に寄りかからせる。

一瞬ふわっと広がる懐かしく優しい香りに胸が苦しくなり、罪悪感が押し寄せる。

己の行動が原因でミラを傷つけた。
自分はいったい、何をしているのか。

ミラは公爵夫人としての仕事を完璧にこなし、工房にも通って忙しい日々を過ごしている。
工房の品物は今や貴族女性の間でも話題となり、皆が手に入れようと予約で一杯と聞く。
そうなるまでに、どれだけ勤しんだことか。

自分自身に嫌気がさす。

でも、自分勝手な私はミラを手放す気なんて全くなかった。

たとえ形だけでも、ミラと夫婦でいることで気持ちが満たされていた。

ミラが目を覚さないように、柔らかい髪に、長い睫毛に、もう長いこと触れていない唇にそっと自分のを重ねた。


翌日、ミラを悪く言っていた2人の女の家に速やかに抗議文を提出。
ミラが出席するお茶会、夜会では周囲に目を光らせ、怪しい者はしばらく表に出られないよう手を回した。

そうして数ヶ月が経ち、クラリスによく似た男児が誕生。
ヘンリーと名付けた。

小さな清らかな存在と一緒に居ると、不思議と嫌なことを忘れられた。
クラリスも自分がそばに居ないと不安になる。
心の中で言い訳をしながら、別邸で過ごすことが当たり前になっていた。

だから、離婚を提案されてもしょうがない。
今なら分かる。

だが、ミラを失いたくない私はミラの口から離婚という言葉が出ただけで、冷静さを失った。

「離婚はしない。いや、絶対にしたくない。
ミラだって、離婚はロージーが結婚後だと言ったじゃないか」

ロージーが王女殿下から気に入られている事まで引き合いに出して、離婚には応じないと一方的にまくし立てた。 
ミラはロージーの話に弱い。
私の話を最後まで聞くと、小さく息をはいて部屋から出て行った。

小さく頼りなく感じる背中に胸がグッとなる。

優しくしたいのに、愛してると伝えたいのに、全てが上手く行かなくなっていた。


「旦那様、工房の投資家の方からブルージェ王国にロージーと招待されています。
ロージーとひと月、ブルージェ王国に旅行へ行って宜しいでしょうか?」

ほぼ別邸生活で、ロージーの様子を見るくらいしか出来ていないのに、ひと月もの間ミラとロージーに会えないなんてあり得ないと、反論の言葉が口をついて出る。

「駄目だ。
公爵夫人が実家でもない場所に、ひと月も旅行で家を空けるんて聞いたことがない。
それに、その間ロージーの勉強をどうするつもりだい?」

ロージーの話を出せばミラは引く。
でも、この時のミラはいつもと違い、私の問いかけに淀みなく答える。
真っ直ぐに向けられる知的な瞳に釘付けになった。
途中から、ミラの話よりもこの状況を楽しんでいる自分に気がついた。


結果、ミラとロージーはひと月の間、ブルージェ王国へ旅立った。

ミラの従兄、宰相であるディクソン侯爵は今はちょうど多忙期にあたる。
会うことは難しいはずだ。

そう思っているのに、なせか胸はざわついた。


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