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戦闘モード

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 煙草のフィルターを噛んで、その文章が何を意味しているのか、直ぐには分からなかった。

 だってそうだろ?
  存 在 し な い  って意味を考えた事あるか?




 定期的に父さんから送ってもらうタツノオトシゴが描かれた沖縄限定の煙草を放り投げて(特にニコチン中毒って訳じゃない、でもタバコがなきゃ俺と父さんの接点ってなくてさ)煙草の先端に火を点ける。
 目が覚めるようにタールを肺いっぱいに染み込ませて少しむせながら白い息を吐いた。
 寝起きだったのもあってヤニが視界に来た、ぐらっとするけど脳が冴えてくる、また煙草を咥えて画面をリロードした。








【このアカウントは存在しません】



 ねえ、これはどういう意味だ?


「あっち」

 火の点いた灰が手の甲に落ちて、嫌でもここが現実だって思い知らされた。

 時刻は夜中の三時だ。
 それなのに皆起きていた。

「にゃんにゃんさんのアカウントが消去されています。何があったのでしょう、どなたか知りませんか」

 アリアさんの十分前の投稿、それに数人が返信していた。
 他のコスプレサイトでにゃんにゃんさんを検索してみる。
 結果は同じ…………彼女は消えていた。

 俺達は何が起きてるのか分からなかった。
 彼女がいないというこの現実を受け止めるには度胸が無さ過ぎた。

 だって、何も誰も本当の彼女を知らない。
 本名も素顔も普段の声もウィッグの下の髪の色もコンタクトの奥の目の色も住んでる所も何も何も知らない。


 そして明日も明日も彼女は存在しなかった。








 朝起きて、二日酔いでもないのに頭痛で頭が割れそうだ。

 そんなのコピペだろって皆は言うのかもしれない、それでも毎朝七時に呟かれる「おはにゃ」の挨拶に今日も一日頑張ろうって思えた。 

 仕事でイライラしても夜十時の「おにゃすみにゃさい」の夜の合言葉に体の芯から癒された。

 この世ににゃんにゃんさんがいてくれれば、それだけでいいって思ってた。



 でももう彼女の何もかもがこの世にない。


 この空虚感に失望感に喪失感に孤独感は失恋以外にないと思った。
 過去にない感情、勝手に涙が頬を伝って心臓が止まってしまいそうだった体が引きちぎれたような感覚、心にポッカリ開いた穴、礎が崩れ去った。
 そりゃそうだよ、彼女と会ったのは中学生……ラブリスに至っては幼児にまで遡る。
 今俺は社会人だよ、こんな長い時間を積み重ねてきたのに、ああ気持ち悪くてごめん、そうさネットの中だけどね。

 それでもにゃんにゃんさんは俺の全てだった。

 俺の初恋は呆気なく散った。


 数か月経って、今までにゃんにゃんさんが参加していたイベントに顔を出してみたけど彼女はいなかった。
 いないのなんて当り前なのに、そこには私服で茫然と立ち尽くすアリアさんがいた。

 いつも写真を撮っていたスペース、遠目からでも彼女がいるんだってわかる人だかり、中心にいるにゃんにゃんさんの眩しい笑顔に明るい声、目をつぶれば声くらい聞こえてきそうだった。


 と言ったってにゃんにゃんさんとしていた会話なんて……そうだな、寒いですね、暑いですね、今期の推しアニメは? いつもありがとうございます。

 そんなんで、正直中身のない会話ばかりだ、でもそれでも良かったんだ彼女が笑ってくれれば。
 また涙が勝手に出て帽子を深く被った、それで彼女はもう本当にいないんだって皆途方にくれていた時、アリアさんの前に一人の男が現れた。






「憎きにゃんにゃんさんを追放してやりましたよ!」






 俺達が戦闘モードに切り替わった瞬間だった。


















 でも、結局何の意味もなかった。
 そいつが排除されようが、事の真相が明かされようが無意味だった、だって俺達の前に彼女はいないのだから。





 ただただ、願う事しか出来なかった。
 どうか傷付いたであろう彼女がこの世界のどこかで生きてますように。
 どうか彼女がこれ以上傷付きませんように、笑ってますようにって。


 そのまま月日は流れた。
 それでも一日だって彼女を忘れた日はなかった。
 たまに構えるカメラの被写体には常ににゃんにゃんさんの笑顔が幻影のように現れた。

















 寂しい、苦しい、もう死にたい。
 救ってくれる彼女はもういない。









 太陽を失ったはずなのに、また日は昇り明日が来る。


 それで、場面は会長室。
 俺がタバコを取り出すとじーちゃんもタバコを咥えた。
 取り出したジッポでじーちゃんに先に火を点けて俺も火を灯した。

 高層ビル、火気厳禁に決まってるのにばか高い天井と最新の空調システムが何本タバコを吸ったってそれを帳消しにしてくれた。



「皆俺とは心持ちが違うんだよな」
「そんなの初めから分かってた事だろう」
「そーだっけ?」
「お前には目標がない、仕事をすればいいだけ、契約取れればいいだけ、偉くなれればいいだけ。で? 偉くなった後雄太はどうするんだ?」
「偉くなった……後……」

 じーちゃんの煙を見つめて、んーどうすんだろうな。

「じゃあさ、雄太は何でカメラやってた?」
「カメラは……まあちょっと口に出すのは恥ずかしいけど、俺の写真見た人が笑顔になればいいなって、笑顔を撮るのも好きだったし感動させたりとかさ」
「同じだよ、会社だって同じだお前は人にありがとうと言われるような仕事をしているか」
「…………」
「隣に席を置く人間すら笑顔にできないお前なんか何をやったって成功しないよ。おもいやりがない、志がない全く人というものを分かってない」
「この年でクソジジーの説教聞けるなんてありがたいね」
「が、そんなお前になってしまったのは俺達親の責任だからな」
「もういいよ思春期のガキじゃないんだし」
「そうか、ならば反抗せずに直す所は直せよな」
「はいはい」
「とりあえず、一度営業は辞めだな辞め」
「え? 俺が辞めんの?! なんかそれついに袴田さんが首になったみたいで格好悪いんだけど!」
「何だ雄太お前会社に格好つけにきてるのか? 今度はお前が辞めた子達の気持ちを味わう番だよ」

 舌打ちしてタバコ揉み消して、皆に悪いとご好評の目付きでじーさん見てやったら笑ってやがるクソムカつく。

「で? 俺首にしてどーすんだよ、ああカメラの専門行っていーの?」
「何言ってんだ秘書だ秘書、俺の側で仕事見てろ」
「はあ? 家でもじじーの世話会社でもじじーの世話って拷問かよ」
「お前に世話された覚えなんてないがな、引っ越しはしなくていいから事務作業は営業の席でやりなさい」
「待てよ、あの中で俺だけ違う仕事しろって?」
「そう、周りから好奇な視線を感じて色々言われてこい、愛の試練ってヤツだな。環境は変えられないんだよ、お前のような非力な人間は人も環境も変えられない、なら自分が変わるしかないんだ。逃げるなよ」
「ご高説痛み入りますよ、あーあ本当におじいちゃんの言葉はためになるな! すっげームカつくまた胃潰瘍になんないの?」
「残念ながら健康だ、可愛い孫も側にいてタバコが旨いよ幸せだなぁ」
「少し位弱ってろよ老害」
「口を慎め雄太、内心は言葉に出る言葉に出れば行動に出る。悪い言葉を吐くな善は退き悪が寄ってくるぞ」
「説法かよ気持ちわりーな」

 ニヤニヤしながらタバコ吸いやがってクソジジー。

 頭かきむしってドア蹴り飛ばして開けたら社長が居た。

「しゃっちょさんの兄貴殿は性格極悪ですね、昔は何でも買ってくれる孫にいいなりの優しいおじいちゃんだったのに! あの大好きだった昔のおじいちゃんに戻ってくんねえかな」
「おお雄太君、ふふふ目付きも態度も昔の兄にそっくりだね」
「ああそうかよ、じゃあ胃に穴開かねえように気を付けとくわ!」

 扉蹴って閉めて、ああもう、何もかもが嫌すぎて逃避行でもしたい。
 でもこの空の下のどこかで、彼女も息をして頑張ってると思ったら…………不思議と気持ちが落ち着いた。




「あ、袴田さんお帰りなさい、何の話だったんスか」
「俺営業首だって」
「ええ?!」
「嬉しすぎて声も出ない?」

 皆目が点になって、課長もさっきの子も俺をガン見だよ。
 頭掻いて、深呼吸して、

「まあそんなんで、皆さんには色々ご迷惑お掛けしてチームの輪を乱す言動ばかりすみませんでした。席は変わらないとの事なので引き継ぎ後も何かあったら直ぐ対応します、これからも宜しくお願いしますね」

 にっこり笑ったけど、誰も笑ってくれなかった。
 笑えよ、ここ一番面白いだろこの状況。


 で、俺は次の日から車の運転手、スケジュール管理、現役秘書に仕事教わりながら日々を過ごすようになった。










 仕事にも慣れてきたある日の朝。
 乗ってきた車を警備員に引き継いでじーちゃんの横を歩いていた。


「袴田君、午前中の会議私は少し遅れるからその旨伝えといてもらっていいかな」
「はい」
「それで……」

 と話の途中でじーちゃんの前に手をやって進行を遮ると一歩前に出た。
 前方から並みならぬ剣幕でこちらにやってくる男がいたからだ。

「おはようございます会長」

 やっぱりじーちゃんに用がある訳で、がたいもいいし何かされたらヤバイな。

「失礼ですが、会長に用がある場合はまず」
「朝から不躾で申し訳ありません。わたくし御茶ノ水事業所で営業をしております、桐生 陸と申します」


 その桐生と名乗った男は真っ直ぐじーちゃんを見てて俺なんか眼中にない様子だった。
 御茶ノ水……事業所……? あまり記憶にない場所だ。

 じーちゃんはそれで? と一言返した、通勤時間帯、周囲は通勤者で溢れ警備員がこちらに気付いて走って来る。
 皆彼に釘付けだった、けれどそいつは人目を憚らず膝を折ると胸ポケットから封書を出して、それを地面に置いた。




 そして膝の前に手をついて彼は額を地面に擦りつけた、封書には遺書と書かれていた。



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