前略、僕は君を救えたか

文字の大きさ
41 / 49

生と死と11

しおりを挟む

「お兄ちゃんお兄ちゃん」
「大丈夫、父さんと再婚した人だよ」
「梧君は一度会ったけど、妹さんは初めまして」


「は、初めまして、兵藤 桜です」

 桜が声を頼りに手を差し出せば、瀬戸さんはほっと安心した顔でその手を両手で握った。

「ごめんね? 私も兵藤です。 兵藤美鳥、嫌でなければ仲良くしてね」
「私は嫌じゃないですが」
「そんな言い方……僕達もう子供じゃないですよ」

 言っても、瀬戸さんは困った顔で首を横に振るだけだった。
 車に乗ってシートベルトを締めながら、瀬戸さんは、父さんは具合が悪いので私が来たと教えてくれた。

 駅を出て数分で辺りは真っ暗になる。都会と違って街路灯がなく、ライトがなければ道路が見えない程で、対向車もまばらでこういう地形に慣れていないから正直怖い。
 でも瀬戸さんは普通にアクセルを踏みながら、時々ラジオのボリュームを調整して会話を続ける。

 桜は僕の腕を握りながら、車のエンジンとブレーキに耳を傾け時折返事をし、真っ暗な森を見えない目でじっと見つめていた。
 僕が初めて瀬戸さんにあった時、僕は十二歳で父さんは四十二歳、瀬戸さんは二十五歳だった。数年経って瀬戸さんは今三十九歳だって。

「でも、なんだろう……お姉さん、からの印象は変わってないですよ」
「ありがとう、でももうおばさんだよ。周りは子供子供ってうるさくて、別に収入関係なくここなら育てられるんだけどね? 色々頭の中じゃ整理できてても、彼の考えもあるだろうし……それに」


 ルームミラーで目が合う、大樹さん……そっか、父さんの名前、もう父さんを名前で呼んでくれる人ってこの世に瀬戸さんくらいじゃないのかな、そして子供がネックになってるのって僕等のせい? 沈黙してたら、急に桜が。


「止めて、もう私達は成人してる。自分の迷いを私達のせいにしないで? 連絡だってほとんどしてなかった。お金だって迷惑かけてない、私達に逃げないで、これ以上嘘つかれたらあなたが嫌いになりそう」
「おい、桜」
「ごめんなさい、その通りね。うん、その通りあなた達は関係ないの」

 家に着いた、昔来た時と変わらない日本家屋の平屋建て、暗くて奥まで見えない。瀬戸さんに誘導されて中に入って、挨拶は……お邪魔しますだった。

 瀬戸さんは先に玄関に上がって、僕等に振り返ると長い指先を唇に当てて、しぃっと言った。父さんが寝ているって意味かな?
 薄暗い障子の向こう側は何も聞こえない、桜は僕の肘を掴みながらじっと耳を澄ませていた
 居間に通されて、そこにはもう布団が敷かれてる。


 「お腹は空いてる?」
 「いえ、桜は?」
 「空いてない」
 「なら、今日は遅いから寝て? もしお風呂に入りたいなら……」
 「場所はわかります」
 「さっきトイレの前も通った」
 「朝は……八時位に覗きにくるね。もしそれより先に起きてたらキッチンに来て? 私は六時から起きてるから」
 「ありがとうございます」
 「それじゃあ私はこれで……」


 瀬戸さんはニコッと笑って出て行こうとするから、呼び止める。


 「あの、一つ聞いてもいいですか」




 「はい?」

 ためらっていたら、桜が先に言う。









 「お父さんどこが悪いの? 昔はいびきがうるさかったのに何も聞こえなかった。それと変な匂いがした」









 「…………」
 「瀬戸さん?」

 瀬戸さんは僕らから目を逸らして、廊下の方を見た、そしてまたこっちを見て肘をかきながら。

 「明日、大樹さんから話してもらうつもりだったんだけど、口止めされてる訳じゃないから」
 「何? 知りたい」

 桜がかぶせるように言うと、瀬戸さんは頷いて。








 「春の終わり体調を崩して病院に行ったの、検査してもらった結果、癌だった」





 「癌?」

 全く知らされてない情報だった、春? ……最後に父さんに連絡したのはいつだっけ、桜が首を傾げる。


 「癌って? どのくらい悪いの?」
 「先月から緩和ケアに移行したの、ホスピスへの入所も考えたんだけど大樹さんが最後は家がいいって言うから」


 具体的な病状は聞かなかった。僕達は緩和ケアの意味を知っていたから。
 それはある日、隣のお兄さんの姿が見えなくなったと思ったら、癌になったって母さんが言ってた。それで一ヶ月後、緩和ケアで自宅療養になったと帰ってきた。

 僕らはその意味がよく分からなくて、病気が治って戻ってきたのかと思っていた。だって以前と同じように庭でバイクの掃除をしてたし、会社にも行ってた。
 それなのに梅雨に入った日曜日、救急車が来て突然死んだ。

 母さんに元気だったのにどうして? と聞いたら、もう手の施しようがないから、帰ってきてたのよって。
 今、父さんもその状態なのか、信じられない。
 心の準備が整う前に瀬戸さんは続ける。


 「検査を受けた時点ですでにステージはⅣ。リンパへ転移してた。抗がん剤を使って落ち着いたら手術する予定だったけれど、効果はなかった。放射線治療に切り替えたけど、今度は肝臓にも転移してて」


 ゆっくり首が項垂れて、瀬戸さんは嘆息した、深く息を吐いて。


 「でもね、あれもこれもやってダメでヘトヘトになってた時より、受け止めた今の方が落ち着いてるし笑顔も増えたかな」
 「そう、ですか」
 「さっきはごめんね? あなたたちのせいにして、本当にそんなつもりはなかったの」




 桜は何も言わずに瞬きをしていた。瀬戸さんはおやすみなさいとこっちを見ないで言って戸を閉めた。



 「桜?」


「謝らなきゃ。直にごめんなさいって言わなきゃいけなかったのに、言えなかった。嫌われるのは私の方、怒ってよ、お兄ちゃん。私を叱って」


「怒らないよ、明日一緒にごめんなさいって謝ろう。僕もあの時強く桜を止めなかった」
 「どうしよう、なんて声かけよう」
 「大丈夫。僕からかけるよ、だから今日は寝よう」
 「うん」

 布団に入っておやすみを言うのも忘れて目をつぶった。僕は何で父さんに会いに来たんだっけ? 会ったらなんて言おうと思ってたんだっけ? 


 昔伝えられなかった言葉はなんだったっけ。





 静かな部屋に虫の音が響いた。桜は背を向けて寝ていた。僕が見ているのを知ってるかのように呟いた。







 「いいとこだね、こういう所で暮らしてみたかったな」





 「…………うん、暮らしたかったよな? ごめんな」 


 「何で謝るの」
 「わからない」




 それっきり僕らはしゃべらなかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...