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170.パウパウと普通の日4
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昼過ぎから降り出した雨は夕方には止んだ。
山の後ろに沈もうとする残光が茜色に広がり、露が鈍く光るのが見える時分に、グーリシェダは転移で赤いレンガの屋敷に現れた。
ちょうど、昼寝のあとの遅いオヤツをで食べていたパウパウは、魔道人形達が
「お帰りなさいませ、グーリシェダ様」と挙って出迎えに向かったことで、彼女の到着に気づいた。
座面の高い自分用の椅子からポンッと飛び降り、玄関ホールへと小走りになる。
「グー姉さま!」
弾む声と小走りのトテトテに応じるように、グーリシェダは真紅の瞳を細め、膝を付くと両手を広げた。
パウパウはその胸へ迷わずに飛び込む。
「おかえりなさい!グー姉さま!」
「おぉ、お出迎えありがとうパウ坊。元気だったかの」
「うん!あのね、友達できたの、あとね、舟に乗ったよ、あ、レトケレスも見たしねぇ、あとね、あとね……」
十数日間、離れていた間の出来事を一生懸命に聞かせようとするパウパウにグーリシェダは微笑む。
「そうか。では後でゆっくりと聞かせておくれ。……で、マールとウルジェドは?」
立ち上がってパウパウと手を繋いだグーリシェダは、控えていた魔道人形に尋ねた。
そこへ、奥の広間から廊下を通ってミッちゃんが戻って来た。
どうやら、繋いである扉を使ってウネビの雑貨屋へ行っていたようだ。
「パウパウ、ギルマスの言っていた『幻獣図鑑』、あっちにあったよ。……ばぁちゃん、おかえり!早かったね」
「ただいま、ウルジェド。マールは?」
「パウパウがお昼寝した時は、屋敷に居たけれど……魔道人形さん、知っているかな」
尋ねられた魔道人形は、単眼を明滅させ、
「申し訳ございません。予定を伺っておりません」と答えた。
──逃げたな。
ミッちゃんは直感したが、マールジェドの行く先などバレバレだ。
基本、引きこもり体質の叔父が動く範囲は、自分の宮か、研究工房。あるいはガルデンの工房である。
あとは精々、帝都の学府の温室だ。捕縛は容易い。
身内を捕縛。
割と酷い事をサラッと考えているハイエルフである。
「ねぇ、グー姉さま、ガルデンおじちゃんは?」
いざとなったら、ガルデンを餌にして──と、黒い思考を読んだかのように、パウパウが尋ねた。
「ガルデン殿も元気じゃぞ」
「こんな場所でなく、あちらで話そうか。ばぁちゃん、泊っていけるだろう?」
夕食には、ペルナさんに教わった棒鱈のコロッケを出そう。
パウパウが作ったコーンミールマフィンの種もある。
孫としてはグーリシェダにプタフォタンの海産物を食べて欲しいところだが、漁が始まっていないので、加工品でしか出せないのが残念だった。
ダイニングテーブルの一番奥の席にグーリシェダが座ると、ポンっと黒い猫が卓上に現れた。
「おぉ、精霊猫ではないか」
リヨスアルヴァで働いてくれた褒美に、パウパウと遊ぶことを是としたのはグーリシェダ自身だ。
だから、ここに精霊猫がいても驚きはしない。
だが。
「あ、バステトちゃん!おかえり」パウパウも声を掛けると、黒猫は二本の尻尾をピンと立てて「にゃあ!」と鳴き、窓際の桟に飛び乗った。
「……バステト?」
グーリシェダが怪訝そうな顔でミッちゃんを見る。
「あ。あぁ……うん。パウパウが呼んじゃったようでね……」
気まずそうにミッちゃんが、目を泳がせた。
「……そうか、精霊猫に名を付けたか」
グーリシェダは信じられないものを見る目で、プリンの残りに集中しているパウパウを凝視する。
「──さて、パウ坊、双頭魚の宝玉が濁ったそうじゃの?何があったのじゃ」
魔道人形の淹れた薬草茶を一口して、グーリシェダはパウパウに問いかけた。
「うん……あのねぇ……」
パウパウは、このプタフォタンに来てからの出来事の話をした。
サリレの三人が依頼で自分にレトケレスを見せてくれたこと、舟の競争に誘ってくれたこと。
そして、海の怪異に遭遇したことを。
ミッちゃんがちょうど、探し出してくれた『幻獣図鑑』の骨鎧魚の項を開いて、グーリシェダに見せる。
「……なんと、まぁ」
その挿絵を覗き込み、グーリシェダは重い溜息を吐いた。
「この魚に呑み込まれそうになった時にね、この石が光って……小ぃちゃい光の魚が、ティ……ティレリの目を……」
グシュっと鼻をすすって、パウパウは首から下げていたナイナイ袋を外し、差し出した。
「そうか…パウ坊のことを助けてくれたのだな」
グーリシェダは呟きながら濁った二つの石を白い指先で優しく撫ぜる。
その様子を、潤んだ瞳でパウパウは心配そうにじっと見守った。
隣のミッちゃんは、いつ涙が零れても大丈夫なように、小さなタオルを持って待機中だ。
「──ふむ。パウ坊、中の魚は無事じゃ。が……疲れているようでな、前の色に戻るほど元気になるには、少し時間が必要じゃ」
無事だと聞いてパウパウは安堵の息を吐いた。
けれど、時間がかかるとの言葉に、少し項垂れる。
「……そっかぁ」
ミッちゃんからナイナイ袋を貰ってから、ずっと一緒にいた宝玉の中の小さな魚。
前世の知識だと”コーナゴ”とか”チリメンジャコ”とか、それくらいの大きさしかない魚の影。
それが緑の石の中で泳いでは「元気だせ」と伝えてくれているように思えていたのだ。
ミッちゃんに会えない日も、独りぼっちで遊んでいた時も、いつも一緒だった小さな魚。
「そっかぁ……」
「それでの、パウ坊。この魚たち、それぞれに名を付けてはどうじゃ?」
「えっ!」
弾かれたように顔を上げたパウパウが、一縷の望みをかけた眼でグーリシェダを見た。
「ほら、パウ坊は元気のなかったハヤツにも名を付けたであろう?だからの、これらも名を呼んでやれば、元気になるのは早いと思うぞ」
「グー姉さま!」
パァっと周りが明るくなるような笑顔を浮かべ、パウパウはグーリシェダからナイナイ袋を受け取った。
……けれど、すぐに躊躇う。
「……姉さま、どっちも同じ」
双頭魚の頭部から出た二つの魔石は、まったく同じ色、形をしている。
「そうじゃの……ふむ。マールジェド!どうせ見て居ろう?」
グーリシェダの言葉の意味が分からずパウパウが首を傾げていると、ダイニングの入口からマールジェドが入って来た。
いつもなら直接、転移をしてくるくせに、わざわざ廊下を歩いて来たようだ。
「……わ、わぁ!母上ぇ、おかえりなさーい」
──めっちゃ棒読み。
パウパウもミッちゃんも、その演技の下手くそさに思わず半眼になった。
これでは、たとえ何もしていなかったとしても前科が付くほどの棒読みっぷりだ。
「……マールよ。お前が何をしたのかは、後で尋ねよう。ゆっくりとな。今はパウ坊の双頭魚に、目印となる物を出してはくれぬか?」
「め、目印しデスネ!うん。はい。ワカリマシタ!メジルシニナルモノ、デスネ~」
──叔父上!なんでバレたんだ!みたいな驚愕の顔でこっちを見るなっ!
もはや棒読みを通り越して片言で、自分の収納空間から雑多な物を撒き散らかし始めたマールジェド。
そんな息子を後目にかけてグーリシェダはパウパウへ向き直った。
「では、パウ坊。今のうちに名前を考えておくとしようかの」
己の息子へかけた言葉とは、正反対の蕩けるような優しい響きでパウパウに微笑む。
「名前……」
両手のひらに濁った沼の色の石を乗せて、パウパウは考える。
真剣な眼差しで石を見つめる子供に、グーリシェダもミッちゃんも、優しい眼差しと笑みを向けていた。
その横で、マールジェドの撒き散らかしは続く。
「これは飛び蜘蛛の試作品だし……これはカニのハサミの予備パーツ。あ!こんな所にセミの抜け殻!わぁ、懐かしぃ~♡。この螺子は……」
見かねた魔道人形が陶器の飾り大皿を何枚か卓上に並べると、マールジェドは気にも留めずにガラクタを盛り上げ始めた。
柔らかな布を皿に敷いた、魔道人形の気遣いなど目に入らぬ様子で、金属の部品や鉱石の欠片、裸石をドンドン出している。
その姿を見るハイエルフ二人の視線は、途轍もなく冷たい。
「……叔父上」
──よくもこれで、私の事を「片付けが出来ない男」などと揶揄できたものだ、とミッちゃんは内心で毒づく。
「マールジェド……」
グーリシェダはといえば、息子と孫、揃いも揃ってどちらも掃除、整理整頓、片付けの出来ないことに、どこで育て方を間違えたのだろうと悲しみさえ覚えていた。
ミッちゃんは完全に、とばっちりである。
ふうっ、と肩の力を抜いてパウパウが顔を上げて、グーリシェダを見つめた。
「あのね、姉さま、こっちの子がザルガ。こっちの子はガルガ!」
ニパッと浜の子供のように得意気な顔で宣言した名前に、グーリシェダもミッちゃんも頷いた。
「ふむ、良い響きじゃの。煌めきと轟き、か」
「じゃあパウパウ、一つずつ手に持って。ハヤツの時みたいに呼びかけてごらん」
「うん!」
あの白い砂漠の月光の下で白い小さな死にかけの砂漠オオネコに名前を付けた時のように……
──あの夜は、ただハヤツに生きて欲しかったんだ。
パウパウは思い出す。
自分のように弱い生き物には、なってほしくなかったことを。
ハヤツ……それは頭の中で浮かんだ前世の言葉だ。
ハヤトあるいはハヤツ。
それは奇しくも、この世界で同じ命の意味を持っていた。
パウパウは魔石を、きゅっと握って願う。
──どうか、小さな魚が元気になりますように、と。
あの骨鎧魚に立ち向かった、あの緑の閃光の輝きを取り戻してほしい。
「……ザルガ」
吐く息とともに、紡ぐ言葉は微かな息吹。
「元気にな~れ」
マールジェドのガラクタを弄る音が、ぴたりと止まった。
グーリシェダもミッちゃんも、固唾を吞んでパウパウが握り拳を見つめている。
指の隙間から、ぼんやりと光が漏れた。
パウパウがそうっと手を開くと、沼のように濁った魔石の一箇所が、まるで汚れた硝子を丸く拭いたように奇麗な緑色を取り戻して見せている。
そこから垣間見える石の中で、小さな魚影がひらりと動いた。
小いちゃな胸鰭が、挨拶をしたように一度だけ揺れる。
「……ふふ、ザルガ」
パウパウがホッとして笑う。
「……ふむ、疲れていないかの、パウ坊?」
案じたグーリシェダに首を振り「ぼく、元気!」と応えると、パウパウはもう一つの石を手に取った。
「ガルガ……」
──あの魚に立ち向かってくれた勇敢な光。あの海の泡立つほどの波の白と、轟きを突き抜けて、ぼくたちを守ってくれた鮮烈な存在。
どうか、お願い。これからも一緒にいて。
「元気になぁれ」
ハイエルフ三人が静かに見守る中で、濁った魔石は内から鈍く光を宿していく。
そっとパウパウが開いた手の上には、ザルガの時と同じように、丸く透き通った緑色の窓ができた魔石があった。
パウパウが笑って覗き込むと、石の中のガルガも此方を見ていたらしい。
小さな魚影は、どことなく満足気にくるりと弧を描いて離れていった。
「ガルガ……ふふ、おかえり」
手のひらのガルガを撫でると、返事をするように、ぼんやりと光る。
「……パウちゃん。目印にこれなんて、どうかしらね?」
我に返ったマールジェドが差し出したのは、奇麗な金と銀の留め玉だった。
「精霊合金の糸を編んでるの。私の小さい頃の作だから、あまり上手じゃないけど……良かったら使って?」
上手じゃないというのは、あくまでもハイエルフの基準だろう。
繊細な金線細工には所々に小さなビーズが編み込まれ、見事な宝飾品の気品を湛えている。
「ありがと!マールちゃん。ザルガとガルガにぴったり!」
「いいのよぉ。良かったねぇ、ザルガとガルガ、元気になって」
二人がニコニコしている間に、ミッちゃんはナイナイ袋の結び目を解いて、ザルガには金細工を、ガルガには銀の細工の留め玉を付け足してくれた。
「光のザルガは金。轟きのガルガは銀色だよ」
「ミッちゃん、ありがと!」
「ふむ。パウパウと一緒にいるうちに、早くに元気になるからの」
グーリシェダの言葉にパウパウは、ますます嬉しくなって笑みを深めた。
「よかったねぇ、パウちゃん!」
「うん!うれしい。ありがとねっ」
本当にマールジェドも心から嬉しそうに、目の前の大皿に盛られた自分の宝物を見つめて尋ねた。
「ねぇ!セミの抜け殻、あげよっか?」
「え……」
「叔父上?」
「マールよ……」
なぜ、この素敵な雰囲気のなかで、セミの抜け殻。
三人は心の底から、とても可哀そうな生き物を見る目を、同時にマールジェドに向ける。
「え?欲しくないの?セミよ?セミの抜け殻!」
──誰かっ!
パウパウは心の中で絶叫した。
帝国の花とか言われている美貌が、全力でセミの抜け殻を推して来るんですけど~!
パウパウは遠い目をする。
いや、心底、善意の塊感を出しているマールジェドから、物理的に焦点をずらした。
虫はキライじゃあない。
前世の言い回しの……なんだっけ?
アリよりの蟻?くらいにはキライじゃない。
けれども、その前世の記憶のせいかもしれないが、セミの抜け殻を貰ったところで、どうしていいか分からない位の分別はあるのだ。
──カーテンに何匹も付けて飾り、怒鳴られた記憶が頭を過る。
今日も役に立たない前世の知識が絶好調である。
──ガ、ガルデンおじちゃん、マールちゃんのコト、引き取りに来てくれないかなぁ……。
セミの抜け殻を並べて、色と種類と形の美しさを熱弁するマールジェドの前で。
パウパウはザルガとガルガを撫ぜながら、割と酷い事を考えていた。
山の後ろに沈もうとする残光が茜色に広がり、露が鈍く光るのが見える時分に、グーリシェダは転移で赤いレンガの屋敷に現れた。
ちょうど、昼寝のあとの遅いオヤツをで食べていたパウパウは、魔道人形達が
「お帰りなさいませ、グーリシェダ様」と挙って出迎えに向かったことで、彼女の到着に気づいた。
座面の高い自分用の椅子からポンッと飛び降り、玄関ホールへと小走りになる。
「グー姉さま!」
弾む声と小走りのトテトテに応じるように、グーリシェダは真紅の瞳を細め、膝を付くと両手を広げた。
パウパウはその胸へ迷わずに飛び込む。
「おかえりなさい!グー姉さま!」
「おぉ、お出迎えありがとうパウ坊。元気だったかの」
「うん!あのね、友達できたの、あとね、舟に乗ったよ、あ、レトケレスも見たしねぇ、あとね、あとね……」
十数日間、離れていた間の出来事を一生懸命に聞かせようとするパウパウにグーリシェダは微笑む。
「そうか。では後でゆっくりと聞かせておくれ。……で、マールとウルジェドは?」
立ち上がってパウパウと手を繋いだグーリシェダは、控えていた魔道人形に尋ねた。
そこへ、奥の広間から廊下を通ってミッちゃんが戻って来た。
どうやら、繋いである扉を使ってウネビの雑貨屋へ行っていたようだ。
「パウパウ、ギルマスの言っていた『幻獣図鑑』、あっちにあったよ。……ばぁちゃん、おかえり!早かったね」
「ただいま、ウルジェド。マールは?」
「パウパウがお昼寝した時は、屋敷に居たけれど……魔道人形さん、知っているかな」
尋ねられた魔道人形は、単眼を明滅させ、
「申し訳ございません。予定を伺っておりません」と答えた。
──逃げたな。
ミッちゃんは直感したが、マールジェドの行く先などバレバレだ。
基本、引きこもり体質の叔父が動く範囲は、自分の宮か、研究工房。あるいはガルデンの工房である。
あとは精々、帝都の学府の温室だ。捕縛は容易い。
身内を捕縛。
割と酷い事をサラッと考えているハイエルフである。
「ねぇ、グー姉さま、ガルデンおじちゃんは?」
いざとなったら、ガルデンを餌にして──と、黒い思考を読んだかのように、パウパウが尋ねた。
「ガルデン殿も元気じゃぞ」
「こんな場所でなく、あちらで話そうか。ばぁちゃん、泊っていけるだろう?」
夕食には、ペルナさんに教わった棒鱈のコロッケを出そう。
パウパウが作ったコーンミールマフィンの種もある。
孫としてはグーリシェダにプタフォタンの海産物を食べて欲しいところだが、漁が始まっていないので、加工品でしか出せないのが残念だった。
ダイニングテーブルの一番奥の席にグーリシェダが座ると、ポンっと黒い猫が卓上に現れた。
「おぉ、精霊猫ではないか」
リヨスアルヴァで働いてくれた褒美に、パウパウと遊ぶことを是としたのはグーリシェダ自身だ。
だから、ここに精霊猫がいても驚きはしない。
だが。
「あ、バステトちゃん!おかえり」パウパウも声を掛けると、黒猫は二本の尻尾をピンと立てて「にゃあ!」と鳴き、窓際の桟に飛び乗った。
「……バステト?」
グーリシェダが怪訝そうな顔でミッちゃんを見る。
「あ。あぁ……うん。パウパウが呼んじゃったようでね……」
気まずそうにミッちゃんが、目を泳がせた。
「……そうか、精霊猫に名を付けたか」
グーリシェダは信じられないものを見る目で、プリンの残りに集中しているパウパウを凝視する。
「──さて、パウ坊、双頭魚の宝玉が濁ったそうじゃの?何があったのじゃ」
魔道人形の淹れた薬草茶を一口して、グーリシェダはパウパウに問いかけた。
「うん……あのねぇ……」
パウパウは、このプタフォタンに来てからの出来事の話をした。
サリレの三人が依頼で自分にレトケレスを見せてくれたこと、舟の競争に誘ってくれたこと。
そして、海の怪異に遭遇したことを。
ミッちゃんがちょうど、探し出してくれた『幻獣図鑑』の骨鎧魚の項を開いて、グーリシェダに見せる。
「……なんと、まぁ」
その挿絵を覗き込み、グーリシェダは重い溜息を吐いた。
「この魚に呑み込まれそうになった時にね、この石が光って……小ぃちゃい光の魚が、ティ……ティレリの目を……」
グシュっと鼻をすすって、パウパウは首から下げていたナイナイ袋を外し、差し出した。
「そうか…パウ坊のことを助けてくれたのだな」
グーリシェダは呟きながら濁った二つの石を白い指先で優しく撫ぜる。
その様子を、潤んだ瞳でパウパウは心配そうにじっと見守った。
隣のミッちゃんは、いつ涙が零れても大丈夫なように、小さなタオルを持って待機中だ。
「──ふむ。パウ坊、中の魚は無事じゃ。が……疲れているようでな、前の色に戻るほど元気になるには、少し時間が必要じゃ」
無事だと聞いてパウパウは安堵の息を吐いた。
けれど、時間がかかるとの言葉に、少し項垂れる。
「……そっかぁ」
ミッちゃんからナイナイ袋を貰ってから、ずっと一緒にいた宝玉の中の小さな魚。
前世の知識だと”コーナゴ”とか”チリメンジャコ”とか、それくらいの大きさしかない魚の影。
それが緑の石の中で泳いでは「元気だせ」と伝えてくれているように思えていたのだ。
ミッちゃんに会えない日も、独りぼっちで遊んでいた時も、いつも一緒だった小さな魚。
「そっかぁ……」
「それでの、パウ坊。この魚たち、それぞれに名を付けてはどうじゃ?」
「えっ!」
弾かれたように顔を上げたパウパウが、一縷の望みをかけた眼でグーリシェダを見た。
「ほら、パウ坊は元気のなかったハヤツにも名を付けたであろう?だからの、これらも名を呼んでやれば、元気になるのは早いと思うぞ」
「グー姉さま!」
パァっと周りが明るくなるような笑顔を浮かべ、パウパウはグーリシェダからナイナイ袋を受け取った。
……けれど、すぐに躊躇う。
「……姉さま、どっちも同じ」
双頭魚の頭部から出た二つの魔石は、まったく同じ色、形をしている。
「そうじゃの……ふむ。マールジェド!どうせ見て居ろう?」
グーリシェダの言葉の意味が分からずパウパウが首を傾げていると、ダイニングの入口からマールジェドが入って来た。
いつもなら直接、転移をしてくるくせに、わざわざ廊下を歩いて来たようだ。
「……わ、わぁ!母上ぇ、おかえりなさーい」
──めっちゃ棒読み。
パウパウもミッちゃんも、その演技の下手くそさに思わず半眼になった。
これでは、たとえ何もしていなかったとしても前科が付くほどの棒読みっぷりだ。
「……マールよ。お前が何をしたのかは、後で尋ねよう。ゆっくりとな。今はパウ坊の双頭魚に、目印となる物を出してはくれぬか?」
「め、目印しデスネ!うん。はい。ワカリマシタ!メジルシニナルモノ、デスネ~」
──叔父上!なんでバレたんだ!みたいな驚愕の顔でこっちを見るなっ!
もはや棒読みを通り越して片言で、自分の収納空間から雑多な物を撒き散らかし始めたマールジェド。
そんな息子を後目にかけてグーリシェダはパウパウへ向き直った。
「では、パウ坊。今のうちに名前を考えておくとしようかの」
己の息子へかけた言葉とは、正反対の蕩けるような優しい響きでパウパウに微笑む。
「名前……」
両手のひらに濁った沼の色の石を乗せて、パウパウは考える。
真剣な眼差しで石を見つめる子供に、グーリシェダもミッちゃんも、優しい眼差しと笑みを向けていた。
その横で、マールジェドの撒き散らかしは続く。
「これは飛び蜘蛛の試作品だし……これはカニのハサミの予備パーツ。あ!こんな所にセミの抜け殻!わぁ、懐かしぃ~♡。この螺子は……」
見かねた魔道人形が陶器の飾り大皿を何枚か卓上に並べると、マールジェドは気にも留めずにガラクタを盛り上げ始めた。
柔らかな布を皿に敷いた、魔道人形の気遣いなど目に入らぬ様子で、金属の部品や鉱石の欠片、裸石をドンドン出している。
その姿を見るハイエルフ二人の視線は、途轍もなく冷たい。
「……叔父上」
──よくもこれで、私の事を「片付けが出来ない男」などと揶揄できたものだ、とミッちゃんは内心で毒づく。
「マールジェド……」
グーリシェダはといえば、息子と孫、揃いも揃ってどちらも掃除、整理整頓、片付けの出来ないことに、どこで育て方を間違えたのだろうと悲しみさえ覚えていた。
ミッちゃんは完全に、とばっちりである。
ふうっ、と肩の力を抜いてパウパウが顔を上げて、グーリシェダを見つめた。
「あのね、姉さま、こっちの子がザルガ。こっちの子はガルガ!」
ニパッと浜の子供のように得意気な顔で宣言した名前に、グーリシェダもミッちゃんも頷いた。
「ふむ、良い響きじゃの。煌めきと轟き、か」
「じゃあパウパウ、一つずつ手に持って。ハヤツの時みたいに呼びかけてごらん」
「うん!」
あの白い砂漠の月光の下で白い小さな死にかけの砂漠オオネコに名前を付けた時のように……
──あの夜は、ただハヤツに生きて欲しかったんだ。
パウパウは思い出す。
自分のように弱い生き物には、なってほしくなかったことを。
ハヤツ……それは頭の中で浮かんだ前世の言葉だ。
ハヤトあるいはハヤツ。
それは奇しくも、この世界で同じ命の意味を持っていた。
パウパウは魔石を、きゅっと握って願う。
──どうか、小さな魚が元気になりますように、と。
あの骨鎧魚に立ち向かった、あの緑の閃光の輝きを取り戻してほしい。
「……ザルガ」
吐く息とともに、紡ぐ言葉は微かな息吹。
「元気にな~れ」
マールジェドのガラクタを弄る音が、ぴたりと止まった。
グーリシェダもミッちゃんも、固唾を吞んでパウパウが握り拳を見つめている。
指の隙間から、ぼんやりと光が漏れた。
パウパウがそうっと手を開くと、沼のように濁った魔石の一箇所が、まるで汚れた硝子を丸く拭いたように奇麗な緑色を取り戻して見せている。
そこから垣間見える石の中で、小さな魚影がひらりと動いた。
小いちゃな胸鰭が、挨拶をしたように一度だけ揺れる。
「……ふふ、ザルガ」
パウパウがホッとして笑う。
「……ふむ、疲れていないかの、パウ坊?」
案じたグーリシェダに首を振り「ぼく、元気!」と応えると、パウパウはもう一つの石を手に取った。
「ガルガ……」
──あの魚に立ち向かってくれた勇敢な光。あの海の泡立つほどの波の白と、轟きを突き抜けて、ぼくたちを守ってくれた鮮烈な存在。
どうか、お願い。これからも一緒にいて。
「元気になぁれ」
ハイエルフ三人が静かに見守る中で、濁った魔石は内から鈍く光を宿していく。
そっとパウパウが開いた手の上には、ザルガの時と同じように、丸く透き通った緑色の窓ができた魔石があった。
パウパウが笑って覗き込むと、石の中のガルガも此方を見ていたらしい。
小さな魚影は、どことなく満足気にくるりと弧を描いて離れていった。
「ガルガ……ふふ、おかえり」
手のひらのガルガを撫でると、返事をするように、ぼんやりと光る。
「……パウちゃん。目印にこれなんて、どうかしらね?」
我に返ったマールジェドが差し出したのは、奇麗な金と銀の留め玉だった。
「精霊合金の糸を編んでるの。私の小さい頃の作だから、あまり上手じゃないけど……良かったら使って?」
上手じゃないというのは、あくまでもハイエルフの基準だろう。
繊細な金線細工には所々に小さなビーズが編み込まれ、見事な宝飾品の気品を湛えている。
「ありがと!マールちゃん。ザルガとガルガにぴったり!」
「いいのよぉ。良かったねぇ、ザルガとガルガ、元気になって」
二人がニコニコしている間に、ミッちゃんはナイナイ袋の結び目を解いて、ザルガには金細工を、ガルガには銀の細工の留め玉を付け足してくれた。
「光のザルガは金。轟きのガルガは銀色だよ」
「ミッちゃん、ありがと!」
「ふむ。パウパウと一緒にいるうちに、早くに元気になるからの」
グーリシェダの言葉にパウパウは、ますます嬉しくなって笑みを深めた。
「よかったねぇ、パウちゃん!」
「うん!うれしい。ありがとねっ」
本当にマールジェドも心から嬉しそうに、目の前の大皿に盛られた自分の宝物を見つめて尋ねた。
「ねぇ!セミの抜け殻、あげよっか?」
「え……」
「叔父上?」
「マールよ……」
なぜ、この素敵な雰囲気のなかで、セミの抜け殻。
三人は心の底から、とても可哀そうな生き物を見る目を、同時にマールジェドに向ける。
「え?欲しくないの?セミよ?セミの抜け殻!」
──誰かっ!
パウパウは心の中で絶叫した。
帝国の花とか言われている美貌が、全力でセミの抜け殻を推して来るんですけど~!
パウパウは遠い目をする。
いや、心底、善意の塊感を出しているマールジェドから、物理的に焦点をずらした。
虫はキライじゃあない。
前世の言い回しの……なんだっけ?
アリよりの蟻?くらいにはキライじゃない。
けれども、その前世の記憶のせいかもしれないが、セミの抜け殻を貰ったところで、どうしていいか分からない位の分別はあるのだ。
──カーテンに何匹も付けて飾り、怒鳴られた記憶が頭を過る。
今日も役に立たない前世の知識が絶好調である。
──ガ、ガルデンおじちゃん、マールちゃんのコト、引き取りに来てくれないかなぁ……。
セミの抜け殻を並べて、色と種類と形の美しさを熱弁するマールジェドの前で。
パウパウはザルガとガルガを撫ぜながら、割と酷い事を考えていた。
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