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第三話「香炉の雫」
しおりを挟むカナンの手は、まだ震えていた。
手のひらに載せた白布を握る指は細く、血の気が引いている。だが、彼女の中で確かに決意が灯っていた。
香を生むには――命のしるし、若き男の精を、彼女自身の手で受け取らねばならない。
命を与える香。その要は、生きた体から生まれたばかりの熱い滴。
彼女は震えるまま、シリウスの寝室を訪れた。
「……ご準備、整いました」
か細い声で、彼に告げる。
シリウス・イシュタル。十九の王弟殿下は、静かに寝台から起き上がると、灯りのない部屋の中で、上衣を脱いだ。
白い肌が月光に照らされる。鍛えられた肉体。その下腹部に巻かれていた布を、彼は自らの手で解いた。
何も言わない。だが、指の動きはわずかに緩慢で、僅かに喉が上下している。
平静を装っている。
だが、その静寂の裏に、若い男としての戸惑いと羞恥、そして身体の確かな“反応”が宿っていた。
カナンは、膝をついて彼の前に座る。
「……始めます。どうか……そのままでいてください」
彼女の指が、そっとそこに触れた瞬間――
シリウスは、眉をわずかに動かし、息を止めた。
カナンは、彼の中心にあるものに初めて触れた。
それは、肌よりも熱く、脈を打ち、すでに膨らみ始めていた。
「……あ……」
思わず、彼女が小さな声を漏らす。
指先に感じる、重み、鼓動、そしてじんわりと滲む体温。香材には決して宿らぬ“生”の感触。
彼女の手がわずかに動くたびに、それはさらに硬さを増し、形を変えていった。
シリウスはその間、一言も声を発さなかった。
だが、その顔には冷や汗が滲み、肩がうっすらと震えている。
(……くそ……落ち着け……)
心の中で己を叱咤する。
だが無垢な少女の指先が、何の経験もなくそれに触れ、確かめるように動かすたび、彼の理性はわずかずつ崩れていった。
柔らかく、湿った手のひら。
香を作るため。材料を得るため。
その純粋さが、かえって彼を苦しめる。
「……カナン……君は、本当に……」
「はい……」
少女は真っすぐ彼を見上げていた。
瞳に欲はない。ただ、香を完成させるための誠意と決意。
その瞳を見た瞬間、シリウスは堪えきれず、吐息をもらした。
「……そんな目で見ないでくれ……」
彼の身体はすでに限界に近づいていた。純白の手が動くたび、彼の中心は跳ね、ひくひくと震えている。
その時だった。
「っ……!」
熱が、ひとつの頂に達した。
反射的に、シリウスの腰がわずかに浮き、カナンの掌に熱い滴が――いくつも、弾けるように飛び散った。
それは彼の身体から搾り出された、生の証。
香の核となる、最も濃い“命の精”。
カナンは慌てて両手を合わせ、白布で覆うことも忘れ、そのまま手のひらに受け止めた。
熱い。粘つく滴が指の間を伝い、手首にかかる。
だが彼女は動揺を見せず、目を閉じたまま、両手を包むように握った。
「……いただきました」
彼女はそのまま、掌を香材の小壺に添える。
滴が流れ落ち、香木に吸われていく。
「……すまない」
初めて、シリウスが言葉を漏らした。
「……俺の方が……乱れてしまった」
それは謝罪ではない。むしろ、己の男としての理性が、少女の純粋さに負けたことへの、敗北の告白だった。
だがカナンは、かすかに微笑み、首を横に振る。
「……いいえ。これで、香ができます」
その笑顔には、もはや羞恥はなかった。
魔女として、“命の香”を完成させる使命を果たすという誇りがあった。
「……これで、王妃様の元へ……“授かり香”をお届けできます」
彼女は静かに立ち上がり、香炉のもとへ戻っていく。
香が、焚かれる準備は整った。
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