暁の秘薬と森の乙女

もちもち

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番外編 メルナという女

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 ――はじめてこの手で、王弟殿下の汗を拭ったのは、わたくしが十七のとき。

 まだご幼少だった殿下は、扉の外でじっと立ち尽くしていた。
 熱を出し、王妃様にも遠慮し、兄王にも言えず……ただ、小さく震えていた。

 「どうして、こんなに我慢なさるのです?」

 問うと、殿下は少しだけ唇を動かし、こうおっしゃった。

 「ぼくが我慢しなきゃ、母上がまた泣く」

 そのとき――わたくしの胸の中で、何かが“決まった”のです。
 この方を守らねばならない。
 たとえ、身分が違っても。
 たとえ、想いを返されずとも。



 それから幾年。
 殿下はすくすくと成長し、やがて剣を取り、国を背負える若者になられた。

 あの少年が、“男”になる。

 喜びと……恐ろしさがあった。

 わたくしの知らぬ香を纏い、他の女の目を引くようになられたあの頃。
 夜会では、貴族令嬢の話題に殿下の名がのぼる。

 “目を見て話してくれる”
 “笑った顔が、少年のまま”
 “どの姫に嫁ぐのかしら”

 ――違う。
 わたくしの殿下は、あの頃のままでなければならない。

 誰かの男になってしまえば、わたくしは、ただの侍女になってしまう。



 そして、香が現れた。

 噂を耳にしたのは、奥の間でのこと。
 「媚香」と呼ばれる不思議な香が、王妃を懐妊へ導いた、と。

 それを作ったのは、“あの魔女”。

 あの者が、殿下の隣に立っていた。
 森に篭もっていたはずなのに、いまや王弟殿下の隣に――まるで、妃のように。

 わたくしは……
 いても立ってもいられなかった。

 香の出所を探し、裏の市場へ通い、偽物かもしれぬと分かっていながら、似た香を買い集めた。

 ――そして、手に入れた。
 “強制香”と呼ばれるものを。



 「もう、手を伸ばしてはいけない」
 心のどこかで分かっていました。

 でも、あの方が、自分の手の中にいた頃の記憶がどうしても消えなかった。

 すこし熱を持った肌。
 おやすみの挨拶に向けられる、少年の声。

 “ありがとう、メルナ”

 ――あの声音を、もう一度、欲しかった。



 そしてその日。
 香を焚き、殿下を部屋にお迎えしてからのことは……夢のようでした。

 殿下の吐息。
 恥じらいと怒りを押し込めながらも、香に抗えず軋む喉。
 熱を帯びた中心の脈動が、わたくしの指の中で確かに存在していた。

 「……ああ、これが、あの方の、男としての……」

 全身が痺れるようでした。

 ああ、なぜ、あなたは私を見ない。
 なぜ、何もかも捧げた私に、一度たりとも……。



 そのとき、扉が開いた。
 バルト隊長の剣が抜かれ、怒声が響き、わたくしの幻想は――砕かれた。

 地に伏せたとき、涙が止まりませんでした。

 わたくしは、何をしていたのだろう。
 手に入れたかったのは、身体だったのか。
 それとも――あの方の「記憶」の中にいた自分だったのか。



 あの後、わたくしは城を去るよう命じられました。
 処罰ではなく、「療養」という名の追放。

 けれど、香の余韻が、いまでもわたくしの中に残っています。

 あの時、触れてしまった“彼の男”としての在り方。
 そして、私が二度と戻れぬ“ただの侍女”でしかないという現実。

 ――メルナという女は、王弟の「少年」を愛していました。
 でも、いつしか「男の肉」に惹かれ、それを汚すことでしか、自分の存在を確かめられなかった。



 それでも、最後に見た殿下の瞳には、確かに――

 **怒りと、哀しみと、かすかな“哀悼”**がありました。

 それだけで、いまは十分。

 香を手にしても、
 心までは、得られなかったから。
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