17 / 21
番外編 メルナという女
しおりを挟む
――はじめてこの手で、王弟殿下の汗を拭ったのは、わたくしが十七のとき。
まだご幼少だった殿下は、扉の外でじっと立ち尽くしていた。
熱を出し、王妃様にも遠慮し、兄王にも言えず……ただ、小さく震えていた。
「どうして、こんなに我慢なさるのです?」
問うと、殿下は少しだけ唇を動かし、こうおっしゃった。
「ぼくが我慢しなきゃ、母上がまた泣く」
そのとき――わたくしの胸の中で、何かが“決まった”のです。
この方を守らねばならない。
たとえ、身分が違っても。
たとえ、想いを返されずとも。
⸻
それから幾年。
殿下はすくすくと成長し、やがて剣を取り、国を背負える若者になられた。
あの少年が、“男”になる。
喜びと……恐ろしさがあった。
わたくしの知らぬ香を纏い、他の女の目を引くようになられたあの頃。
夜会では、貴族令嬢の話題に殿下の名がのぼる。
“目を見て話してくれる”
“笑った顔が、少年のまま”
“どの姫に嫁ぐのかしら”
――違う。
わたくしの殿下は、あの頃のままでなければならない。
誰かの男になってしまえば、わたくしは、ただの侍女になってしまう。
⸻
そして、香が現れた。
噂を耳にしたのは、奥の間でのこと。
「媚香」と呼ばれる不思議な香が、王妃を懐妊へ導いた、と。
それを作ったのは、“あの魔女”。
あの者が、殿下の隣に立っていた。
森に篭もっていたはずなのに、いまや王弟殿下の隣に――まるで、妃のように。
わたくしは……
いても立ってもいられなかった。
香の出所を探し、裏の市場へ通い、偽物かもしれぬと分かっていながら、似た香を買い集めた。
――そして、手に入れた。
“強制香”と呼ばれるものを。
⸻
「もう、手を伸ばしてはいけない」
心のどこかで分かっていました。
でも、あの方が、自分の手の中にいた頃の記憶がどうしても消えなかった。
すこし熱を持った肌。
おやすみの挨拶に向けられる、少年の声。
“ありがとう、メルナ”
――あの声音を、もう一度、欲しかった。
⸻
そしてその日。
香を焚き、殿下を部屋にお迎えしてからのことは……夢のようでした。
殿下の吐息。
恥じらいと怒りを押し込めながらも、香に抗えず軋む喉。
熱を帯びた中心の脈動が、わたくしの指の中で確かに存在していた。
「……ああ、これが、あの方の、男としての……」
全身が痺れるようでした。
ああ、なぜ、あなたは私を見ない。
なぜ、何もかも捧げた私に、一度たりとも……。
⸻
そのとき、扉が開いた。
バルト隊長の剣が抜かれ、怒声が響き、わたくしの幻想は――砕かれた。
地に伏せたとき、涙が止まりませんでした。
わたくしは、何をしていたのだろう。
手に入れたかったのは、身体だったのか。
それとも――あの方の「記憶」の中にいた自分だったのか。
⸻
あの後、わたくしは城を去るよう命じられました。
処罰ではなく、「療養」という名の追放。
けれど、香の余韻が、いまでもわたくしの中に残っています。
あの時、触れてしまった“彼の男”としての在り方。
そして、私が二度と戻れぬ“ただの侍女”でしかないという現実。
――メルナという女は、王弟の「少年」を愛していました。
でも、いつしか「男の肉」に惹かれ、それを汚すことでしか、自分の存在を確かめられなかった。
⸻
それでも、最後に見た殿下の瞳には、確かに――
**怒りと、哀しみと、かすかな“哀悼”**がありました。
それだけで、いまは十分。
香を手にしても、
心までは、得られなかったから。
まだご幼少だった殿下は、扉の外でじっと立ち尽くしていた。
熱を出し、王妃様にも遠慮し、兄王にも言えず……ただ、小さく震えていた。
「どうして、こんなに我慢なさるのです?」
問うと、殿下は少しだけ唇を動かし、こうおっしゃった。
「ぼくが我慢しなきゃ、母上がまた泣く」
そのとき――わたくしの胸の中で、何かが“決まった”のです。
この方を守らねばならない。
たとえ、身分が違っても。
たとえ、想いを返されずとも。
⸻
それから幾年。
殿下はすくすくと成長し、やがて剣を取り、国を背負える若者になられた。
あの少年が、“男”になる。
喜びと……恐ろしさがあった。
わたくしの知らぬ香を纏い、他の女の目を引くようになられたあの頃。
夜会では、貴族令嬢の話題に殿下の名がのぼる。
“目を見て話してくれる”
“笑った顔が、少年のまま”
“どの姫に嫁ぐのかしら”
――違う。
わたくしの殿下は、あの頃のままでなければならない。
誰かの男になってしまえば、わたくしは、ただの侍女になってしまう。
⸻
そして、香が現れた。
噂を耳にしたのは、奥の間でのこと。
「媚香」と呼ばれる不思議な香が、王妃を懐妊へ導いた、と。
それを作ったのは、“あの魔女”。
あの者が、殿下の隣に立っていた。
森に篭もっていたはずなのに、いまや王弟殿下の隣に――まるで、妃のように。
わたくしは……
いても立ってもいられなかった。
香の出所を探し、裏の市場へ通い、偽物かもしれぬと分かっていながら、似た香を買い集めた。
――そして、手に入れた。
“強制香”と呼ばれるものを。
⸻
「もう、手を伸ばしてはいけない」
心のどこかで分かっていました。
でも、あの方が、自分の手の中にいた頃の記憶がどうしても消えなかった。
すこし熱を持った肌。
おやすみの挨拶に向けられる、少年の声。
“ありがとう、メルナ”
――あの声音を、もう一度、欲しかった。
⸻
そしてその日。
香を焚き、殿下を部屋にお迎えしてからのことは……夢のようでした。
殿下の吐息。
恥じらいと怒りを押し込めながらも、香に抗えず軋む喉。
熱を帯びた中心の脈動が、わたくしの指の中で確かに存在していた。
「……ああ、これが、あの方の、男としての……」
全身が痺れるようでした。
ああ、なぜ、あなたは私を見ない。
なぜ、何もかも捧げた私に、一度たりとも……。
⸻
そのとき、扉が開いた。
バルト隊長の剣が抜かれ、怒声が響き、わたくしの幻想は――砕かれた。
地に伏せたとき、涙が止まりませんでした。
わたくしは、何をしていたのだろう。
手に入れたかったのは、身体だったのか。
それとも――あの方の「記憶」の中にいた自分だったのか。
⸻
あの後、わたくしは城を去るよう命じられました。
処罰ではなく、「療養」という名の追放。
けれど、香の余韻が、いまでもわたくしの中に残っています。
あの時、触れてしまった“彼の男”としての在り方。
そして、私が二度と戻れぬ“ただの侍女”でしかないという現実。
――メルナという女は、王弟の「少年」を愛していました。
でも、いつしか「男の肉」に惹かれ、それを汚すことでしか、自分の存在を確かめられなかった。
⸻
それでも、最後に見た殿下の瞳には、確かに――
**怒りと、哀しみと、かすかな“哀悼”**がありました。
それだけで、いまは十分。
香を手にしても、
心までは、得られなかったから。
0
あなたにおすすめの小説
肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです
沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる