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番外編 侍女メルナという女(シリウス視点)
しおりを挟む――メルナは、いつもそこにいた。
俺がまだ「子ども」で、王宮の空気に怯えていた頃。
王妃は体調を崩しがちで、兄は王位継承の重圧でいつも険しい顔をしていた。
使用人や侍女たちは、どこか遠慮がちで、誰も真正面から「俺」を見ようとしなかった。
ただ、メルナだけが違った。
「殿下は……今日も、お独りでいらしたのですね」
その声は、あたたかく、ひどく穏やかで――
俺は、“気づかれた”ことに、安堵したのを覚えている。
夜中に熱を出したとき。
稽古で膝を擦りむいたとき。
兄の言葉に傷ついたとき。
彼女は、何も言わず、ただ黙って布団の端を直し、濡れ布を換え、湯を差し出してくれた。
あれは、たしかに「救い」だった。
⸻
――けれど、俺が十七を越えた頃。
どこかで、彼女の目が変わったことに気づいていた。
視線が、やけに“じっと”するようになった。
言葉の端々に、妙な間ができた。
俺の剣の稽古を、離れた場所から見つめていたこともある。
物陰に、彼女の影を感じたことも、何度か。
けれど、それでも俺は――無理に気づかないふりをした。
メルナは、かつての“居場所”だったから。
疑うことが、申し訳なかった。
変わったのは彼女ではなく、俺の方だと思いたかった。
……けれど、それは甘えだったんだ。
⸻
あの夜、香に身体を縛られ、力も入らず、喉奥に熱がこもったとき。
あの指先が、“子どもだった頃の俺”を撫でていたのではないと――はっきり分かった。
「私だけが、あなたを見ていたのに」
その囁きに、背筋が凍った。
憐れみでも、怒りでもない。
俺の過去が、彼女の中で“歪んだまま美化されていた”ことに、絶望した。
少年だった頃の“俺”を、閉じ込めたまま、彼女はずっと自分の世界を生きていたのだ。
それは、愛ではなかった。
欲望でさえなく、“記憶”を支配したいという執念。
――俺を、過去に縛りつけようとしたその手が、
今、俺の下腹部に触れている。
かつては姉の様に、母の様に感じていた、その手で己の雄の部分を弄られ、反応してしまうことへの恐れと嫌悪。
その矛盾と冒涜が、俺を本当の意味で傷つけた。
⸻
どれくらいの時間が経ったかー
メリナにすっかり勃ちあがった陰茎を弄られ続け、息も絶え絶えに喘ぐしかできない己に絶望していた。
バルトが部屋へ踏み込んだとき、俺は、情けない声を上げたと思う。
王族としての威厳も、男としての尊厳も――香と、女の執着の前に崩されかけていた。
だが、バルトの腕に抱えられ、乱れた衣のまま廊下を抜けたとき。
俺は初めて、心の底から――カナンに会いたいと思った。
彼女の香が欲しかったんじゃない。
**「俺が俺でいられる場所」**が、そこにあると知っていたから。
⸻
メルナは、追放された。
……当然だと思う。
けれど、不思議と俺の中には、「怒り」は残っていなかった。
代わりにあったのは――哀しみだった。
もし、彼女があのまま、“侍女”としての立ち位置を貫いていたなら。
今でもきっと、俺は心から彼女に感謝していただろう。
でも、彼女は――
“思い出”を愛しすぎた。
俺の隣にいたかったのではない。
自分の記憶の中の「王弟シリウス」に、永遠に寄り添いたかったのだ。
それが、哀しかった。
⸻
もう、彼女の香は残っていない。
彼女の手も、声も、いまは届かない。
けれど、たまに思い出す。
――あの夜、寝台の端で冷えた額を拭ってくれた手のことを。
それは、嘘じゃなかった。
たしかに“救い”だった。
でも、今の俺は、
過去ではなく、未来に手を伸ばしていたい。
カナンと共に、香の先にある“誰かの願い”を、見届けたい。
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