死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ ──絶望から始まる再生の物語──

タイハクオウム

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反抗の種

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 男たちのうち何人かは、見張りと称して起きているふりをしているが、背中を壁に預けたまま、首の角度が徐々に落ちていた。完全に油断しているわけではないが、最初の頃ほどの緊張感はもうない。

 今しかない。

 階段の途中で立ち上がり、足音を殺す。一段ずつ下りていく。硬い床に靴底が触れる感触はあるのに、反響が極力出ないよう、膝を柔らかく使う。

 一層に出ても、中央へは向かわない。壁際、影の濃いルートを選び、黒髪の女性がいる場所を目指す。

 彼女は、まだ起きていた。

 少女を抱き寄せたまま、背中を壁に預けて座っている。薄暗い光の中でも、その瞳だけはしっかりと開いていた。中央の刺青の男たちのほうを、油断なく見張っている。

 俺は距離を測り、刺青の男たちから死角になる位置を探した。ここなら、ギリギリ見えない。深く息を吸い、一度だけ吐く。

「……起きてますか」

 できるだけ小さく、しかし確実に届く声量で囁いた。女性の肩がびくりと震えた。瞬間、少女を庇うように腕を回し、こちらを振り向く。

 闇の中で目が合った。警戒心が、そのまま形になったような瞳。俺は両手を軽く上げ、敵意がないことを示す。

「驚かせてすみません。同じ、ここに連れてこられた人間です」

「……」

 女性は、視線を俺と中央のほうの間で何度か行き来させた。声を出していいのかどうか、迷っているのが伝わってくる。

「騒ぐつもりはありません。長居もしません」

 ささやくように続ける。

「今日は……渡したいものがあって、降りてきました」

「渡したい、もの……?」

 ようやく、彼女の口から小さな声が出た。その声にも、警戒が混じっている。

 当然だ。ここでは、親切の顔をした刃なんていくらでもあり得る。

「あなたのことは、一度だけ見ました。あの子を庇っていたときに」

 少女が俺の声に反応して、小さく身じろぎする。女性――黒髪の彼女は、少女の耳元にそっと囁き、落ち着かせていた。

「……それで?」

 言葉を選びながら、マジックバックの口を少しだけ開く。内部から漂う違和感に、彼女の視線が引き寄せられた。

「三層で手に入れました。重量をあまり感じないタイプの……まあ、こういう世界仕様のバックです」

「三層……?」

 彼女の瞳が一瞬だけ揺れる。

「このバックの中に、飲み物と武器があります」

 俺はバックの中に手を入れ、エナジードリンクをあるだけと、青のナイフを二本取り出した。ボトルが、白い光をぼんやり反射する。

 少女の喉が、小さく鳴るのが聞こえた。黒髪の彼女は、ボトルとナイフを順番に見つめ、視線を俺に戻す。

「……罠ではないんですね?」

「ここであなたを傷つけるつもりなら、もっと目立たない形ですると思います」

 自分で言って少しだけ自嘲の色が混じる。

「あなたにこれを渡すことで、あいつらに対抗しろとは言いません。ただ、全てをあいつらに握らせないための、一手を置いておきたい」

 彼女はしばらく黙ったまま、俺の目を見つめてきた。疑い、測り、そしてわずかに、何かを確かめるような視線。

 やがて、息をひとつ吐いた。

「……分かりました。受け取る前に、教えてもらえますか」

「順番に説明します」

 声をさらに落とす。

「二層は、スライムが出る階層です。あまり速くないですし、弱点も分かりやすい。中心にある赤い石を壊せば倒せます」

「……ゲームみたいですね」

「倒すと、たまにこれが落ちます」

 青のナイフを一本、彼女に手渡す。彼女は両手でそれを受け取った。刃先を慎重に避け、重量を確かめるように持ち替える。

「軽い……」

「それなりに切れます。素手よりは、ずっとマシです」

 次に、エナジードリンクのボトルを見せる。

「三層には蛇がいます。そいつらを倒すと、これがドロップします。飲むと、疲労が少し軽くなって、腹もある程度満たされる」

 説明しながらも、彼女の視線がどこか現実感を失っているのが分かった。パンと水しかない世界で、突然現れる、見慣れたコンビニ商品のような回復アイテム。

 普通なら、信じがたい話だろう。

「試しに一本、今すぐ飲んでみてもらって構いません。毒ではないと自分の体で確認しました」

 彼女はしばらくボトルを見つめていたが、やがて小さく頷き、少女のほうに目を向けた。

「少しだけ、飲む?」

 少女は遠慮がちに頷く。

 蓋を静かにひねる音がして、甘い匂いがわずかに漏れた。彼女は少女の唇にボトルを当て、ほんの少しだけ喉を潤させる。

 少女の表情が、ほんのりと緩む。

「……変な味」

 それでも、その声にはわずかな安堵が混じっていた。黒髪の彼女も、ほんの一口だけ飲む。その目が、かすかに見開かれた。

「身体の重さが……少し、楽になりました」

「そういうものです」

 俺はボトルを彼女の足元に置き、二本目のナイフも渡した。

「ただ、それ以上に大事なのは、これです」

 胸元から、収納のスキルオーブを取り出す。淡い黄緑色の光が、指の隙間から漏れる。彼女が息を呑む気配がした。

「……それも、モンスターから?」

「三層の蛇の中でも、少し大きい個体から出ました」

 オーブを彼女の目の前に掲げる。

「スキルオーブというらしいです。握りつぶすと、自分のスキルになります」

「スキル……?」

 指先だけに意識を集中させる。皮膚の下で密度が増し、色が鈍く変わる。拳を握ると、骨ごと鋼に変わったような重みが宿る。

 彼女が小さく息を呑むのが聞こえた。

「今のは……」

「これが、スキルです。」

 硬質化を解き、オーブに視線を戻す。

「これは『収納』というスキルです。多分、物をどこかにしまって隠せるタイプの力だと思います。俺が使っても便利でしょうけど……」

 彼女の瞳を真っ直ぐ見返す。

「一層で配られるパンや水、手に入れたエナジードリンクやナイフ。そういうものを、あいつらに見つからない場所に隠せる人間が、一人くらいいたほうがいい」

 彼女はオーブから目を離せなくなっていた。指先が、わずかに震えている。

「……そんな大事なもの、どうして私に?」

「あなたが、その少女を守ろうとしていたからです。俺はここを出るつもりです。二層にも、三層にも、もっとその先にも進む。」

「でも、この階層を完全に見捨てることもできない。だから、俺の代わりにここで誰かを守る可能性のある人に、それを託したい」

 彼女は、しばらく何も言わなかった。

 オーブを見つめ、少女の顔を見つめ、中央の刺青の男たちを一瞬だけ見やり、そして再び俺に視線を戻す。

「……使い方は」

「強く握って、砕くだけでいいはずです。頭の中で『収納』と唱えるか、しまうイメージを浮かべれば、おそらく発動します」

 彼女は小さく頷き、慎重にオーブを両手で受け取った。少しだけ、彼女の表情から硬さが消えていた。

「……ありがとうございます」

 掠れた声で、そう言った。驚いたように自分で口元に触れ、言葉を飲み込むような仕草をする。

 思わず笑いそうになって、喉の奥で押し込む。

「これは俺の都合です。ここで何もせずに階段を上がったら、きっとどこかで後悔する」

 妻と息子を守れなかった自分を、少しでも上書きするために。そう続けかけて、口をつぐんだ。

 そのとき、彼女がふと視線を斜めにそらす。

「……まだ、あなたの名前を聞いていませんでした」

「中川和真です。ここに来る前は、ただのプログラマーでした」
 
 彼女の瞳が、名前を反芻するように揺れる。それから、自分の胸元に手を当てた。

「私は、黒川比奈と言います」

 彼女は辺りの気配を探るように視線を走らせ、少女の髪をそっと撫でる。

「黒川さん。これは勝手なお願いです。どうか、生き延びてください。あなただけじゃなく、その子も」

 比奈はオーブを抱きしめるように胸元に寄せ、短く息を吸う。

「中川さんこそ。……きっと、ここには戻ってこないわけじゃないですよね」

「一度は戻ってくるつもりです。十層を越えて、この箱庭の仕組みを少しでもひっくり返せる手札を手に入れたら」

 そのとき、自分がどうなっているのかは分からない。だが、戻ると決めておくことはできる。

「中川さん」

「はい」

「……ありがとうございます」

 今度の礼は、先ほどよりもはっきりした声だった。俺はそれに、短く「どういたしまして」とだけ返し、壁際の影に身を戻す。

 刺青の男たちは、まだ気づいていない。俺がこの広場に一瞬戻り、彼らの手が届かない場所に、小さな「反抗の種」を置いていったことに。

 薄暗い一層の隅で、黒川比奈が少女を抱きしめ、その胸元にオーブの光を隠すように身を丸めていた。

 その光景を目に焼きつけ、俺は再び、闇の奥――二層と三層へ続く通路へと足を向けた。
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