死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ ──絶望から始まる再生の物語──

タイハクオウム

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支配の気配

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 三層で蛇を狩り、一層に持ち帰ると決めたところで、俺は第二層へと戻ってきた。

 湿った土の匂いと、べったりとした闇。

 三層の生臭い湿気に比べれば、ここ二層の空気はまだ乾いているほうだ。視界を覆う淡い灰色の光も、すでに目に馴染んでいる。

 足音を殺しながら、通路を進む。気配が近づくたびに足を止め、闇の向こうで形を崩しながら蠢く塊を確認する。

 スライムだ。

 最初にここへ来たときは、あの鈍重な動きでさえ恐ろしく感じた。だが今は違う。レベル4に上がった身体は、筋肉の反応も、視界の広さも、明らかに別物だった。

 スライムがゆっくりと近づいてくる。中心に埋まった赤い石が、ぼんやりと光る。俺は肩の力を抜き、距離を詰めた。

 硬質化は使わない。

 伸びてきた粘性の塊を半歩だけ外に踏み出してかわし、その横腹――と呼ぶべき部分に回り込む。足で軽く体を押し返しながら、中心の赤を正面から見据える。

 脇腹あたりに固まる肉の厚みを足裏で確かめる。重心の位置を把握した瞬間、踵を軸に体を回転させ、つま先で弱点を抉るように踏み込んだ。

 ぐにゃりとした抵抗が、すぐに崩れる。赤い石がわずかに沈み、スライムの輪郭がほどけ、地面へと溶けていく。

 一歩も下がらずに、息を整える必要もなく、次の気配を探る余裕があった。

 二体目、三体目。

 今度は硬質化を指先だけに限定して起動し、刃の代わりに使う。石を探していたあの頃が嘘のように、肉に触れた瞬間に弱点へ届く。

 動きは単調だ。パターンはほとんど同じ。俺はスライムを狩続けていった。

 崩れたスライムの残骸から残ったのは、短い刃を持つ青いナイフ。

 一本、また一本。

 拾い上げるたびに、手に吸い付くような馴染み方が心地いい。刃の部分は液体のような光沢を帯びていて、これがただの金属ではないことを示していた。

「これで……三本目、か」

 通路の壁に背を預け、まとめて視線を落とす。

 掌の中に乗ったのは、計五本のナイフだった。柄の部分や刃の長さに微妙な個体差はあるが、どれも同じ「青のナイフ」と呼んでいい造りだ。

 マジックバックの口を開く。

 蛇の皮を思わせる深緑色のバックの内部は、暗いのに不思議と見通せる。さっきまでエナジードリンクを詰めていたはずなのに、まだまだ余裕がある。

「……頼りになるな」

 呟きながら、ナイフを一本ずつ放り込んでいく。金属が当たる音はほとんどしない。底に触れている感触があるのに、重さは増えた気配がなかった。

 マジックバックの口を閉じ、肩に背負う。背骨に沿って重みが乗るはずなのに、足取りは軽いままだ。スライムをもう数体狩れば、ナイフの予備も十分だろう。

 そう判断し、階段の位置を頭の中で反芻する。それからしばらく、通路を円を描くように巡回する。

 スライムの気配をいくつか拾い、先ほどまでと同じ要領で片付けた。青のナイフは合計で七本。それ以上増やしても、今の俺には持て余すだけだ。

 十分な数を確保できたところで、俺は二層の入口――一層へと続く階段のほうへ向かった。

 階段を降りきる手前で足を止める。最後の一段を下りる前から、一層の空気がわずかに漏れ出していた。

 乾いた石の反響音と、人の声。暴力的な笑いと、抑え込まれたすすり泣き。喧噪は、相変わらずそこにあった。

 視界だけをそっと下げる。

 一層のドーム状の広場が、階段から見える範囲に広がる。天井の白い光はまだ明るく、床に影はほとんど落ちない。中央の台座の周囲には、数人の男たちが陣取っていた。

 その中心に、見覚えのある背中がある。肩から腕にかけて、粗い刺青が這うように刻まれた男。二層で見かけた、あの刺青の男だった。

 台座の上の水とパンは、完全に奴らの手の届く範囲に収まっている。壺から水をすくい上げるのも、パンを分けるのも、すべて刺青の男の気分ひとつだ。

 その周囲に、従うように座り込む男たちが何人か。少し離れたところで、遠巻きに様子を窺う者たち。

 階段から見える一層の構造は、「支配」と「従属」が色濃い。視線を端へと滑らせる。

 壁際、薄汚れたマットの上。そこに、小さな少女を抱き寄せる黒髪の女性。

 肩あたりで切り揃えられた黒髪。どこか病院で見かけるようなシンプルなシャツとパンツ姿。その姿勢は、周囲の誰よりも疲れたように見えるのに、抱きしめた少女を包む腕だけはしっかりと力を込めていた。

(……無事か)

 胸の奥で、何かが少しだけほどける。だがその安堵は、すぐに別の感情に塗りつぶされた。

 刺青の男が、ゆっくりとそちらへ視線を滑らせる。パンを噛みながら、笑いながら、黒髪の女性の顔から胸元へ、腰のラインへと、先ほど二層で聞いたのと同じ、いやらしい眼差しを送っている。

 隣の取り巻きがそれに気づき、下卑た笑いを漏らした。

「例の女、まだ素直になってねぇんすか?」

「焦るなよ。飢えさせときゃ、そのうちこっちから頭下げてくる」

 刺青の男は、水の入ったコップを軽く揺らしながら答える。

「パンと水は、ここじゃ命より価値がある。腹が減れば、正義もプライドも簡単に捨てる。時間の問題だ」

 その言葉に笑い声が重なる。黒髪の女性は、その視線から目をそらすように、少女の頭を抱き寄せた。

 俺の歯が、無意識に噛み合わさる。拳に、硬質化の感覚がじわりと集まりかける。

 だが――二層で自分に言い聞かせた言葉を、必死に思い出す。

 今ここで飛び出しても、俺一人ではこの支配構造を壊せない。

 刺青の男を殴り倒せたとしても、そのあとどうする? 周囲の全員を敵に回して、ここで死ねば、俺はレベルを失って一層に放り出されるだけだ。そのとき、暴力の矛先は真っ先に、力のない者たちへと向かうだろう。

 強くなる。生き延びる。その間に、一層に少しでも「別の手」を残す。

 そのために、三層で収納スキルを拾ったのだ。階段の影に身を引き、腰を下ろす。一層の様子を、しばらく観察することにした。

 どれくらい時間が経ったのか。

 天井の白い光が、ほんのわずかに弱まっていく。完全な暗闇になるわけではないが、輪郭は曖昧になり、顔の表情は読み取りづらくなる。その変化を、人間は「夜」と呼ぶしかない。

 中央の台座では、刺青の男たちがパンと水を確保したまま、輪になって座り込んでいた。下品な話題と、誰かを笑い者にする声だけが、いつまでも続く。

 一方で、広場のあちこちでは、疲れ切った者たちがマットの上に体を横たえ始めていた。

 泣く声も、怒鳴り声も、少しずつ小さくなっていく。死に戻った者たちも、目を閉じ、時折うなされながらも動かなくなっている。

 空気が、少しだけ静かになる。
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