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第一部 邂逅
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しおりを挟む「知らん‼」
『視えている』という言葉に明らかに動揺した男はじりじりと後退りながら叫ぶ。今にも逃げ出しそうなほどの警戒だ。しかし、それでも逃げ出さないのはやはりそれだけ体調が良くないということだろう。
「あ、別に隠さなくても大丈夫だよ? 僕も視えているからね。それに……僕たちの会話が聞こえたんでしょ? 声まで聞こえているならもう隠しようがないよねぇ」
フフッと蒼司は楽しそうに笑う。そんな蒼司の姿にきなこは呆れているが、銀子は先程からずっと楽しそうだ。口元を着物の袖で隠しながら、目を細めクスクスと喉を鳴らす。
「なんせ銀子さんときなこさんは普通の人には見えないはずだからね」
「……」
まるで「残念でした」とでも言い出しそうな口調で言われ、男は苦々しい顔をした。
「とりあえず少し休んで。冷たい麦茶くらいなら出せるよ?」
いらない、と断るかと蒼司は思っていたが、余程消耗しているのか男は断ることもなく店を見上げた。相変わらず眉間に皺を寄せているが、どうやら深く刻まれた眉間の皺を見るに、この男は常にこういった表情なのだな、と蒼司はクスッと笑う。
「彌勒堂? ここはなんなんだ。それにお前たちは一体……」
「おぉ、店の看板の字も読めるんだね! 凄いね、君」
漢字が読めない、という意味ではない。本来この店の看板は煤汚れて読むことは出来ないのだ。『普通の人』ならば。
看板はなにやら異様な気配を漂わせ、読むことすら叶わないはずの文字。しかし男はそれに気付かず、看板の文字を読んでしまった。そのことに男は再び深く眉間に皺を寄せ、酷く嫌そうな顔となる。余計な一言を言ってしまったとばかりに、この場から早く立ち去ろうと試みるが、蒼司は嬉しそうに男の目の前までズイッと近寄り、顔を覗き込んだ。男はたじろぎ引き攣った顔。
「ここはね、『八百万妖貸し屋 彌勒堂』。『妖』って文字と『貸し』をかけてみたんだ! 上手いと思わない⁉」
文字を説明しながら蒼司はさも自慢げににこにことしながら言った。まるで褒めて欲しい子供のように目を輝かせながら男を見る。男はそんな蒼司の様子にたじろぎながら、再び看板を見上げた。『彌勒堂』という文字の横には確かに小さく『八百万妖貸し屋』とも書いてあった。
「あやかし……」
「そう! 僕が店主ね。で、こっちは銀子さんと、きなこさん。ふたりともあやかしだよ。そしてあやかしたちのちょっとしたいたずらで看板の文字は普通の人には見えないんだよね」
フフッと笑いながら楽しそうな蒼司とは正反対な態度の男。あからさまに嫌そうな顔となり、眉間の皺が再び深く刻まれる。
看板の文字の周りではなにやら黒い影が蠢いている。蛇のように細長くはあるが、実体がないのか霞のようなものがもやもやと這っているだけだ。個体として識別出来るような物体ですらないはずの靄は、しかし、男の視線を感じると動きを止め、なにやら男を見据えた。
「‼」
男は息を飲み、身体を強張らせた。靄に顔と呼べるようなものはない。それなのになぜか視線を向けられているような感覚となる。ぞわりと全身に悪寒の走った男は身体を強張らせたまま後退った。
「あぁ、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。あの子は特になにもしない。ああやってちょっといたずらをして文字を隠しているだけだからね。銀子さんが気に入るくらいだから、きっと君は力が強いんでしょ? なら大丈夫!」
「は?」
ウキウキと目を輝かせながら男の顔を覗き込む蒼司。しかし、男は蒼司の言葉の意味が分からない。期待する目を向け、顔を覗き込む蒼司に男はたじろぐ。
「蒼司、こいつは自分の力など分かっちゃいないよ」
「え?」
今までただ愉快なものを見るように蒼司と男のやり取りを見ていた銀子は、口元を袖で隠したまま怪しげな笑みを浮かべた。
そんな銀子の言葉に蒼司はきょとんとし振り向き銀子を見るが、クスクスと笑う銀子に答えを求めるようにじっと見詰めた。
「こいつは私の気にあてられて倒れるくらいだからねぇ。今はただ『視える』だけなんだろう」
「視えるだけ? 僕と同じ?」
きょとんとしたまま再び男に振り向いた蒼司は首を傾げながら残念そうな顔をする。男はそんな蒼司の態度にまたしても眉間に皺を寄せ、酷く不機嫌そうな顔となった。勝手に期待をされ、勝手に失望される。そのことに男の苛立ちはピークを迎えた。
「はっ、視えたからといってなんなんだ! さらには『力』だと⁉ お前たちに関係ねぇだろうが! あやかしだかなんだか知らんが、俺にはそんなもの視えたとして嬉しくともなんともねぇんだよ!」
怒りに任せ叫んだ男は荒い呼吸を繰り返し、くるりと踵を返したかと思うと足早に去って行った。体調が悪かったのではないのか、と蒼司は唖然としたが、やれやれといった顔で店先にある縁台に腰かける。
来るもの拒まず去る者追わず。蒼司は基本的には淡白な性格だと認識されている。物腰柔らかく誰にでも親切だ。親身になって話を聞いてやり、助けになってやる。しかし、それだけなのだ。それ以上深く付き合うつもりは毛頭ない。いや、付き合うつもりがない、というよりも深く付き合えないのだ。
他人に対して興味は持つが、自分が気になること以外はどうでもよい。女性に好かれても、相手の気持ちが分からない。相手が蒼司を想う気持ちと同じ想いを求められてもなぜそう思うのかが理解出来ないのだ。拒絶にすら近い。
親切でありながらも自身が踏み込まれることには拒絶する。一見矛盾しているようにも見えるが、蒼司は物心つくころにはこのような性格だった。それには理由があることを銀子は気付いていたが、銀子もまたそんな蒼司の性格を否定することもなく、どちらかと言えば気に入っていた。だからこそ、そんな蒼司を否定したことなど一度もない。きなこもまたそうだった。
銀子ときなこは相変わらずの蒼司の姿に苦笑しながらも、男の去った方向へと目をやった。そこにはなにやら黒い影が男を追うように揺らめき立つ――――
『姐さん、あれ……』
きなこがぼそりと呟いた言葉に銀子は目を細め口角を上げる。
「フフ、なにやら面白くなりそうだ」
なにやら意味深な笑みを浮かべる銀子に、きなこは『またか』と言わんばかりに辟易した表情を浮かべた。
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