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第一部 邂逅
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「変に期待して申し訳ないことをしちゃったかもねぇ」
男が去って行った方向を見詰めながら蒼司はぼそりと呟いた。勝手に期待をされ、勝手に失望される、ということは蒼司自身も経験のある忌まわしい感情であるにも拘わらず、今現在自身がそれをあの男に向けていたのだということに苦笑する。
『ソージ、誰か来たのぉ? お客さん?』
蒼司が珍しくもそんな物思いにふけ、ぼんやりと縁台に座り込んでいると、店の奥から声が聞こえて来る。それは子供のような高い声。ギラギラとした暑い日射しの元へと出て来るのが嫌なのか、声の主は店から外へと出て来る様子はない。そんな様子に蒼司はクスッと笑い、縁台から立ち上がり店のなかへと戻った。先程までの男とのやり取りですっかり忘れていた箒を店の隅へと立てかけ、店内を見回す。
店先であろう場所は土間になっているため、土足のままだ。綺麗に掃除はしてあるが、何畳あるのか広い土間にはなにもない。店と名乗っている割には店先である土間にすらなにも置いていないのだ。いや、なにもない訳ではない。古惚けた家具が置いてある。年季の入った箪笥に大きな振り子時計。煤汚れている壺や汚れているのかなにも写さない鏡やら、取り留めもない古惚けたものが土間の隅に置かれている。しかし、それらが商品であるとは到底思えない代物だ。
一見店とは思えない、というよりも、一見したあとにすら店だとは分からない『彌勒堂』。
「やあ、珠子さん、残念ながらお客さんじゃないんだよね」
箒を立てかけ振り向く先には、紅い小袖の着物に山吹色の帯をした小さな女の子。黒く艶やかな真っ直ぐ伸びた髪は、肩で綺麗に切り揃えられ、頭を揺らすたびにさらさらと髪が揺れる。珠子と呼ばれたその子供は式台に腰かけ、足をプラプラとさせている。そんな珠子の傍に歩み寄った蒼司は珠子の頭に手を置いた。ふわりと優しく頭を撫でる蒼司の手に一瞬嬉しそうな顔となる珠子だが、しかし、ハッとした顔となりじとっとした目で蒼司を見上げる。
『お客さんじゃなかったの? つまんない。今日も誰も来ないじゃない』
口を尖らせ拗ねる仕草をする珠子に蒼司は笑いながら隣に腰かけた。そのときひょっこりと蒼司の頭の上になにかが乗った。
『珠子殿の言う通り、最近ひとの出入りがありませんなぁ』
蒼司の頭の上に乗った小さなひと。見た目は初老の男。白髪だが綺麗に整えられ、後ろに撫でつけられた髪。紳士然としたきっちりと着こなされたスーツのような姿。すらりとしたその姿ではあるが、ただ――小さい。蒼司の頭からするりと降りたかと思うと、脚を組んだ膝へと降り立った。それは蒼司の手のひらに乗れるほどの背丈。
「トキさん、痛いとこつかないで……」
まるで打撃でも喰らったかのように腹を抱えながら見悶える蒼司はトキと呼んだ小さな紳士をじとっとした目で見た。
『痛いもなにも、事実ではないですか』
「グサッ……そんなはっきり言わなくても」
よよよ、と泣き真似をするように顔を両手で覆った蒼司に、トキはいつものことだとばかりにスンとした表情のまま、項垂れる蒼司を見ていた。それを見ていた珠子は項垂れる蒼司の脇腹をツンツンと突く。「はうっ」といった変な奇声を上げながら悶えた蒼司に、珠子はケラケラと笑い、きなこはプッと噴き出した。
「さてと、そんな泣き言を言っていても仕方ないしね。晩ご飯の準備でもしておこうか」
『え、それはいらない!』
「えぇ、なんで? 晩ご飯いらないの?」
『食べるけど買ってきたので良い!』
意気揚々と立ち上がり、伸びをしながら言った蒼司に珠子はぎょっとし、蒼司の袖を引っ張った。きなこもあわあわとなり、トキはやれやれと呆れている。
『私は食事は結構ですので』
トキがスンとしたままそう言う。蒼司はあからさまに拗ねた顔となりトキを見た。
「えぇ、トキさん、食べないの? せっかく料理がんばろうと思ったのに」
『結構です』
きっぱりと言い切ったトキに対し、あからさまにシュンとした蒼司だが、そんな姿を見せたところでトキは自分の意見を変えたりしないことを知っていたため、蒼司は小さく溜め息を吐いた。そもそもあやかしたちは特になにかを食べたりしなくとも生きていけるのだ。どちらかと言えば『人間の精気』を食う。精気はあやかしの妖分となるのだ。人間の食事と同じようなものだった。
精気とは人間や動物、生物と呼ばれるものが必ず持っている命の根源。それを失った人間は廃人同然となる。すぐさま死に至ることはないが、しかし精気を失い、廃人となれば次第に死に向かって行くことは必然だった。
だからと言ってあやかしたちも手当たり次第人間を食う訳ではない。あやかしにも様々な考え方を持つものたちがいる。元々精気を好まないあやかしもいる。彌勒堂にいるあやかしたちは蒼司の手前ということもあるのだろうが、あえて人間の精気を食うことはしなかった。蒼司はその行為を止めている訳ではない。あやかしたちには必要なことだと認識しているからだ。だからと言って手放しで食って良いと宣言する訳にもいかない蒼司は、ただ黙ってなにも言わないようにしているだけだった。
だからなのか彌勒堂のあやかしたちはあえて人間の精気を食うこともなく、どちらかと言えば人間の食事に興味津々で蒼司といつも食事を共にしているのだった。
珠子ときなこが蒼司の料理を嫌がった理由、それは蒼司の家事能力が壊滅的だったからだ。洗濯や掃除などは何度も失敗を繰り返し、ようやくまともに出来るようになってきてはいたが、料理だけはどうにも上達しない。蒼司自身はやる気に満ち溢れているのだが、如何せん料理センスが壊滅的な上にさらには要領も悪い。失敗するのは当たり前だった。皿は割る、料理をするとあちらこちらに使った調理器具が乱雑に放置される、料理は苦かったり焦げていたり、と、まともな料理にならない。だから夕食は買って来たものか出前でやり過ごすことがほとんどだった。
「私はちょいと出て来るよ」
そう言って銀子は突然姿を消した。いつも前触れなく突然現れたり消えたりする銀子。もうすっかり見慣れてはいる蒼司だが、いつもどこに消えているのだろう、とたまに気になるのだった。
「銀子さんまでどこか行っちゃうし……仕方ないから出前でも取ろうか……」
しゅんとしたままの蒼司はがっくりと肩を落としつつ、小さく溜め息を吐いた。そんな蒼司だったが翌朝懲りもせず朝食を作ろうとして、真っ黒な目玉焼きとなぜか真っ黒のトーストが登場した。ただトースターで焼くだけのトーストまでも失敗するのはなぜなのだ、と、珠子ときなこから猛烈に怒られた蒼司だった。
男が去って行った方向を見詰めながら蒼司はぼそりと呟いた。勝手に期待をされ、勝手に失望される、ということは蒼司自身も経験のある忌まわしい感情であるにも拘わらず、今現在自身がそれをあの男に向けていたのだということに苦笑する。
『ソージ、誰か来たのぉ? お客さん?』
蒼司が珍しくもそんな物思いにふけ、ぼんやりと縁台に座り込んでいると、店の奥から声が聞こえて来る。それは子供のような高い声。ギラギラとした暑い日射しの元へと出て来るのが嫌なのか、声の主は店から外へと出て来る様子はない。そんな様子に蒼司はクスッと笑い、縁台から立ち上がり店のなかへと戻った。先程までの男とのやり取りですっかり忘れていた箒を店の隅へと立てかけ、店内を見回す。
店先であろう場所は土間になっているため、土足のままだ。綺麗に掃除はしてあるが、何畳あるのか広い土間にはなにもない。店と名乗っている割には店先である土間にすらなにも置いていないのだ。いや、なにもない訳ではない。古惚けた家具が置いてある。年季の入った箪笥に大きな振り子時計。煤汚れている壺や汚れているのかなにも写さない鏡やら、取り留めもない古惚けたものが土間の隅に置かれている。しかし、それらが商品であるとは到底思えない代物だ。
一見店とは思えない、というよりも、一見したあとにすら店だとは分からない『彌勒堂』。
「やあ、珠子さん、残念ながらお客さんじゃないんだよね」
箒を立てかけ振り向く先には、紅い小袖の着物に山吹色の帯をした小さな女の子。黒く艶やかな真っ直ぐ伸びた髪は、肩で綺麗に切り揃えられ、頭を揺らすたびにさらさらと髪が揺れる。珠子と呼ばれたその子供は式台に腰かけ、足をプラプラとさせている。そんな珠子の傍に歩み寄った蒼司は珠子の頭に手を置いた。ふわりと優しく頭を撫でる蒼司の手に一瞬嬉しそうな顔となる珠子だが、しかし、ハッとした顔となりじとっとした目で蒼司を見上げる。
『お客さんじゃなかったの? つまんない。今日も誰も来ないじゃない』
口を尖らせ拗ねる仕草をする珠子に蒼司は笑いながら隣に腰かけた。そのときひょっこりと蒼司の頭の上になにかが乗った。
『珠子殿の言う通り、最近ひとの出入りがありませんなぁ』
蒼司の頭の上に乗った小さなひと。見た目は初老の男。白髪だが綺麗に整えられ、後ろに撫でつけられた髪。紳士然としたきっちりと着こなされたスーツのような姿。すらりとしたその姿ではあるが、ただ――小さい。蒼司の頭からするりと降りたかと思うと、脚を組んだ膝へと降り立った。それは蒼司の手のひらに乗れるほどの背丈。
「トキさん、痛いとこつかないで……」
まるで打撃でも喰らったかのように腹を抱えながら見悶える蒼司はトキと呼んだ小さな紳士をじとっとした目で見た。
『痛いもなにも、事実ではないですか』
「グサッ……そんなはっきり言わなくても」
よよよ、と泣き真似をするように顔を両手で覆った蒼司に、トキはいつものことだとばかりにスンとした表情のまま、項垂れる蒼司を見ていた。それを見ていた珠子は項垂れる蒼司の脇腹をツンツンと突く。「はうっ」といった変な奇声を上げながら悶えた蒼司に、珠子はケラケラと笑い、きなこはプッと噴き出した。
「さてと、そんな泣き言を言っていても仕方ないしね。晩ご飯の準備でもしておこうか」
『え、それはいらない!』
「えぇ、なんで? 晩ご飯いらないの?」
『食べるけど買ってきたので良い!』
意気揚々と立ち上がり、伸びをしながら言った蒼司に珠子はぎょっとし、蒼司の袖を引っ張った。きなこもあわあわとなり、トキはやれやれと呆れている。
『私は食事は結構ですので』
トキがスンとしたままそう言う。蒼司はあからさまに拗ねた顔となりトキを見た。
「えぇ、トキさん、食べないの? せっかく料理がんばろうと思ったのに」
『結構です』
きっぱりと言い切ったトキに対し、あからさまにシュンとした蒼司だが、そんな姿を見せたところでトキは自分の意見を変えたりしないことを知っていたため、蒼司は小さく溜め息を吐いた。そもそもあやかしたちは特になにかを食べたりしなくとも生きていけるのだ。どちらかと言えば『人間の精気』を食う。精気はあやかしの妖分となるのだ。人間の食事と同じようなものだった。
精気とは人間や動物、生物と呼ばれるものが必ず持っている命の根源。それを失った人間は廃人同然となる。すぐさま死に至ることはないが、しかし精気を失い、廃人となれば次第に死に向かって行くことは必然だった。
だからと言ってあやかしたちも手当たり次第人間を食う訳ではない。あやかしにも様々な考え方を持つものたちがいる。元々精気を好まないあやかしもいる。彌勒堂にいるあやかしたちは蒼司の手前ということもあるのだろうが、あえて人間の精気を食うことはしなかった。蒼司はその行為を止めている訳ではない。あやかしたちには必要なことだと認識しているからだ。だからと言って手放しで食って良いと宣言する訳にもいかない蒼司は、ただ黙ってなにも言わないようにしているだけだった。
だからなのか彌勒堂のあやかしたちはあえて人間の精気を食うこともなく、どちらかと言えば人間の食事に興味津々で蒼司といつも食事を共にしているのだった。
珠子ときなこが蒼司の料理を嫌がった理由、それは蒼司の家事能力が壊滅的だったからだ。洗濯や掃除などは何度も失敗を繰り返し、ようやくまともに出来るようになってきてはいたが、料理だけはどうにも上達しない。蒼司自身はやる気に満ち溢れているのだが、如何せん料理センスが壊滅的な上にさらには要領も悪い。失敗するのは当たり前だった。皿は割る、料理をするとあちらこちらに使った調理器具が乱雑に放置される、料理は苦かったり焦げていたり、と、まともな料理にならない。だから夕食は買って来たものか出前でやり過ごすことがほとんどだった。
「私はちょいと出て来るよ」
そう言って銀子は突然姿を消した。いつも前触れなく突然現れたり消えたりする銀子。もうすっかり見慣れてはいる蒼司だが、いつもどこに消えているのだろう、とたまに気になるのだった。
「銀子さんまでどこか行っちゃうし……仕方ないから出前でも取ろうか……」
しゅんとしたままの蒼司はがっくりと肩を落としつつ、小さく溜め息を吐いた。そんな蒼司だったが翌朝懲りもせず朝食を作ろうとして、真っ黒な目玉焼きとなぜか真っ黒のトーストが登場した。ただトースターで焼くだけのトーストまでも失敗するのはなぜなのだ、と、珠子ときなこから猛烈に怒られた蒼司だった。
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