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⑫ こんな“初めて”って!

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 で、どうやっておびき寄せるかなぁ。男性の声色を使ってなんとか…と思っていたけれど、エルネスト様が大人しく腹話術人形になってくれるわけないのよ。ここは、素直に協力をお願いして……。

「あの、ゾーエを誘惑していただけないでしょうか……」
「はぁ?」

 私は彼に、彼女を舞台の方に誘い出し、おだてて気を引くことをお願いした。そしてそれをアルフレッド様が見つけたというていを、私が声色変化チョークを使って演じてみせる。婚約者の声でその浮気現場を責めて、どうにかして私に対する悪事までも自白誘導してやる……というつもりだ。

「冗談じゃない。一度吸い付いたらヒルのように離れない女じゃないか。そんな奴に気を持たせるなんて、ろくな結果にならん」
「嫌だと思いますが、そこをなんとか……。あ、もしかしてゾーエが怖いのですか?」
「そういう煽りは俺に効かん。怖いんじゃない、底抜けにめんどくさい」

 ちっ。彼はそんな簡単に操れない。でも、ひとりで何もかもというわけにもなぁ。

「じゃあ協力していただけたら何か、お礼を」
「は? お前すでにカーテンが出世払いになってるだろ。出世払いがボウル勘定になるだけだ。そのうちボウルも底が抜けるな」
「…………」

 呆れて顔を逸らす彼を、私は上目に──

「私は聖女ですっ!!」
 唐突に、自分でも驚くほどの声を上げていた。

 彼は面食らったようで、黙ってしまった。

「どんな病も怪我も治します。あなたのお父様でもお母様でも、大事な人が病床に就かれたらいつでも駆け付けますから、それで支払わせて!」

 彼は私の言葉を頭の中で処理しているようで、少し黙り込み、そしていつもの大きな溜め息をつく。

「俺はそのようなことを求めない。お前の命はお前のものだ」
「だって、私にはそれしかないのだものっ……」

 やっぱり彼は途方もない顔で、私から目を逸らした。

 どうすれば彼にお礼や支払いができるの? 彼が求めるものは何? この人は金銭が欲しいのでもない。たいていのものは当たり前に、手に入れられる人。私は何も対価となるものを提示できない、家族の治療でもダメなんて言われたら。

 本当に何もないのだろうか。父母の治療と言っても、人はいつか必ず天に召されるものだし、子どもは最終的には受け入れるべきこと。それなら歳の近い家族とか……ああ、そうだった。この方は──……。

「……ん? どうした、お前。涙が……」

 この方は大事な婚約者を亡くしている。3年たってもまだ夢の中で抱きしめるほど、大切な人を。

「私が、婚約者の方の命を救ってあげられていたら……。私は瀕死の人なら助けられても、もう亡くなっている人はどうにもできないんです。3年早くこのことを知っていたら……」
「何言ってるんだ、そういうのはダメだって言っただろ」

 指で涙をぬぐってくれているのだけど、なぜか止まらないの。自分でも分からないんだけど。

「だってあなたはきっと、地位にも財産にもそれほど執着していなくて……。そうよ、王位に就くとかそんな野心なんてなくて、ただ愛しい方と仲良く暮らしていればいいんだろうなって思ったから。なのにそんな大事な人が逝ってしまったなんて、哀しすぎる……」

「ああ分かった、いいから、もう泣くな」
「私、あなたにしてあげられることが何もないから~~!」

 涙が止まらなくなった。“誰かのために何かをしてあげる”なんて誰にでも易々やすやすとできることではないのに、私は何を言っているんだろう。

 彼ももう、私が泣き止むまでただ隣にいて、そしてたぶん泣き止みそうなところを見計らって頭を撫でた。

 それからメイド服を着た私を、まるで人形でも片付けるかのようにふわっと持ち上げ、椅子にすとんと置く。

「急に脇を抱えないでください」
「お前どうして、俺に王位への欲がないと?」

「え? それは……、私、あまり好ましくない欲や野望を持っている人の目は、うっすらくすんで見えるのです」
 集中して人の目を見た時に限るけれど。きっと聖女の血がそうさせる。だから初対面の人と挨拶をする時はしっかり見ている。

「王太子に紹介された男性方はみな多かれ少なかれ、目が曇っていて……」
「…………」

「でもあなたは、生まれたばかりの子猫の目のように素直で混じり気がなくて、それは王太子もそうでしたが、彼は生まれた時から王位も保証されて、何もかも手に入れられることが当たり前の方なので、生まれたての目なのは当然ですよね。そう思ったら、あなたはきっと、手元にある幸せを大事にできる人で……」

 私は今話をしている真っ最中なので、口を半分くらい開けていたのだが。

「?」
 その口に彼の口が覆いかぶさってきたというか……?

「…………」
 口が塞がっているので、もう言葉が口から出ない。というか何を話していたのか忘れた。

 たった今話していたのに、忘れてしまった。人が喋ってるところを邪魔をするのはよくないと思います。あ、口が離れた。

「仕方ない。今回はそれで手を打とう。あれの気を引くのか、骨が折れるな」

「!!?」
 私は両てのひらで口元にバツを作った。

「いっ、今、何を?」
「あ? 分かり切ったこと聞くな」
「いやいやいや! 初めてのキスは結婚相手とするからって言ったでしょう!」
「知らねえ」
「しかもここ、花の咲いたガーデンでもなくて、私着てるのドレスじゃなくてこんなメイド服でっ!」
「じゃあ次はガーデンでドレス着て」
「つっ、次ぃ!?」
「で、もうあいつのところに行けばいいのか?」

 しばらく会話が成り立たなかった。

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