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【 第一章 】 時の河を超える聖女
⑮ 連れて帰って刑に処しましょう
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「ただしそれにはもちろん代償が。殺意をもって他者を攻めた者は、心身を蝕まれ不幸の底に沈むのだと……」
「不幸?」
「悲劇の中で命を落とすとか?」
アリアンロッドはそれを完全に信じ込んで真っ青になった。イナンナはこれで一矢報いてくすりと笑う。
「ま、本当かどうかもね。今はただの古美術品として、3部屋に分けて飾っているだけよ」
ここでふと、アリアンロッドの脳裏をかすめる、ある一場面が。
「あれっ、ちょっと待って。その武器のひとつって……鎌よね?」
「そうよ。向こうの部屋に飾ってあ」
「あなたの主、昼間振り回してたわよね!?」
アリアンロッドがイナンナの言葉を遮った。
ふたりの時が一瞬止まる。
「あっ。そうね」
「そうねじゃないでしょ、蝕まれて死ぬって!」
本気で祟りを案じているアリアンロッドを横目に、イナンナは大きな溜め息をついた。
「まぁ、信心なければただの鎌だもの。私もそれほど信じちゃいないわ」
しかしアリアンロッドは、あの鎌から禍々しい何かを感じた。説明はできないものだが。
「……ねぇ、私に付いてこられないのは、やっぱりあの男のそばを離れられない? それとも私が信用できない?」
その問いに、イナンナはか細い声でこぼす。
「こんな脚になったのを良いことに、あの人は奴隷の女と同様に私を廃棄するわ。もう飽きられているの。私の努力やその成果なんて、彼にとってなんの価値もなかった」
「そこまで分かってるなら!」
「でも祖国の土は踏めない……。こんな恥知らずな裏切り者に、この先も生きる道理はない。私の命はもう詰んでいる」
アリアンロッドには彼女が泣いているように見えた。
「でもどうせ死ぬなら、一時でも長く、好きになった人のそばにいる方を選ぶ。だから私はここを動かない」
「……そう……」
アリアンロッドは立ち上がる。
「ならもういいわ。説得できそうにないし、私、行くね。ヴァルのところに帰らなきゃ」
そう寂し気な目でイナンナを見る。
「いろいろ話してくれてありがとう。楽しかった。でも、もう会うことはなさそうね」
「屋敷から無事抜け出せそう?」
部屋を出ようとするアリアンロッドの背に、イナンナは気遣うような心をのぞかせる。
「夜明け前に兵舎まで逃げればいいのでしょ。護衛兵同士の喧嘩は大目に見てよね。ま、どうせこれから戦争になるのかな。交渉決裂だし」
振り返り、最後の一言を向けた後、
「じゃあね」
扉をそっと閉めた。
そして邸を出てすぐに、心の中でこう叫ぶのだった。
──ああ~~引き過ぎちゃったかなぁ──……
とはいえ、押そうが引こうが今は説得できないのに変わりない。これからやるべきことの方向も、会話を経て定まった気がしたので、これは前向きな撤退だった。
西側の川辺に戻ると、アンヴァルが屋敷の壁を背もたれにして仮眠をとっている。
日の出前のまだ暗い空の下で、アリアンロッドも少々眠気に誘われる。彼の隣に腰を下ろし、その逞しい肩にコテンと横頭を置いて寝入った。
夜明け前、目覚めたアンヴァルはギョッとした。自身の肩にぴたりと寄り添い、すぅすぅ寝息を立てているアリアンロッドのせいである。
反対側の腕が機械的に作動し、彼女の額をぺしっとはたいた。
「ん~~。なによもう~~あと1刻~~」
と寝ぼけた彼女は二度寝に入るので、彼は5連続ではたいてみた。
「っいた! った! った!」
「勝手に人の肩を枕にするな!」
「もうなにするの――……。まだ眠いのに……」
「っいた! った! った!」
ようやく目覚めたアリアンロッドは、一連の報告をした。
辺りが徐々に明るくなってくる。東の空に朝日が昇ったようだ。
「なら、説得はやっぱり無理だったわけだ」
それなら、とアンヴァルは帰る努力をする方向で動き出す。
「あ、待って。だからもう力づくで連れ帰るしかないなって」
アンヴァルの挙動は止まった。
「なんでそうなるんだ! 本人が嫌だと言ってるんだからほっとけ!」
アリアンロッドはどうしても、あんなに尽くしている彼女をわざと傷付け人質とした男を許せないこと、一刻も早く卑劣な人間から彼女を引き離したいことを、切々と訴えた。
「彼女はもう先を諦めている。どうせ死ぬなら好きな人の元でと言ってた……だから私としては、望みどおりになんてさせないわ。国で刑に処しましょう。それが川に突き落とされた私の意趣返しよ」
長い付き合いのアンヴァルは、アリアンロッドのこういった時の心情を嫌というほど汲めてしまう。「どうせ死なれるなら僅かでも逃がせる可能性のあるほうを、だろ。それで失敗して落ち込むまでがいつものやつ」と彼は面倒に思ったが、それでも彼女の思いには逆らえない。
「じゃあ、あの男をボッコボコの再起不能にして、その隙にイナンナを拉致するでいいな?」
「あなた武器がないでしょう? あの男は伝説の武器を手にしてる。近寄れないよ」
その上ふたりとも丸1日なにも食べていないので、体力に自信がもてない。
「まぁ武器は欲しいな。警備兵の槍でも一本、そこらに転がってないかな」
「あの道具倉庫に棒があるくらい……」
「ん。伝説の武器? なんだそれ」
と、脳内巻き戻ったアンヴァルが聞いたと同時に、アリアンロッドが声を張り上げた。
「あ、あった! 使い手を待ってる武器が」
「ん?」
「でも私は使ったことないから、使い方が分からない……」
「何の武器だ?」
「クロスボウ!!」
「ん──?」
アンヴァルの脳裏に魚の輪郭をした武器が泳ぐ。
アリアンロッドは書斎の壁に掲げられていた武器について説明した。
「俺も実際に使用したことはないが、俺に扱えない武器はない。やってみる価値はあるか」
「私が囮になって男を広間の中心に引き付けるから、あなたは書斎に潜んで、そこから男の脚を撃って!」
「お前が囮?」
そのようなこと、アンヴァルがあっさり了承するわけはない。
「あくまで引き付けるだけ。戦わないから!」
「む……」
ひとまず彼女の策を聞くことにした。
それはこういったものだ。
まずアンヴァルが綱を使って書斎に窓から侵入する。そこにいるイナンナはなんとしてでも黙らせる。
アンヴァルの準備が整うまでに、アリアンロッドが男をできるだけ部屋の中央に寄せる。
「書斎から、というのは?」
「書斎の扉を開けるのでは不意打ちできないから、壁上部の欄間から撃つの。脚を撃って動けなくなったら捕らえる。そしたらイナンナも諦めるでしょ」
「奇襲か。しかし扉の上って、高すぎるだろ」
「書斎に脚立があった」
「ほう」
アンヴァルも存外気分が乗ってきた。
「あっ!」
「今度はなんだ」
「やっぱりダメだわ……」
「?」
アリアンロッドは、その武器が力を引き出してくれる最強の武器であるのと同時に、使用者を不幸にする呪いのそれであることを話した。
「そんなの信じるのか? 現にあいつは伝説の武器のひとつ、鎌を使っていたじゃないか。まるで死神のようだったが」
「殺意を持って使った場合、って話だったから、あの時はどうだろう。死闘はしてない」
「そういえばあいつ、あのとき様子がおかしかったな。まさかそのせいで?」
「それはどうだろう。呪いってあんな騒々しいもの? くしゃみに鼻水って……」
アリアンロッドも思い返してみた。あれの出だしはヨモギが散らばった折りか、と一応は思い出したが、アンヴァルは話を進める。
「とにかく、俺は力を引き出すという利点は信じるが、呪いは信じない。こっちは任せろ。でもお前が危なくなったら中断だからな」
「うん……」
ふたりは準備に入った。
綱を用意し終えたら、アンヴァルは昨晩アリアンロッドが行ったように、窓からの侵入を試みるのだった。
「不幸?」
「悲劇の中で命を落とすとか?」
アリアンロッドはそれを完全に信じ込んで真っ青になった。イナンナはこれで一矢報いてくすりと笑う。
「ま、本当かどうかもね。今はただの古美術品として、3部屋に分けて飾っているだけよ」
ここでふと、アリアンロッドの脳裏をかすめる、ある一場面が。
「あれっ、ちょっと待って。その武器のひとつって……鎌よね?」
「そうよ。向こうの部屋に飾ってあ」
「あなたの主、昼間振り回してたわよね!?」
アリアンロッドがイナンナの言葉を遮った。
ふたりの時が一瞬止まる。
「あっ。そうね」
「そうねじゃないでしょ、蝕まれて死ぬって!」
本気で祟りを案じているアリアンロッドを横目に、イナンナは大きな溜め息をついた。
「まぁ、信心なければただの鎌だもの。私もそれほど信じちゃいないわ」
しかしアリアンロッドは、あの鎌から禍々しい何かを感じた。説明はできないものだが。
「……ねぇ、私に付いてこられないのは、やっぱりあの男のそばを離れられない? それとも私が信用できない?」
その問いに、イナンナはか細い声でこぼす。
「こんな脚になったのを良いことに、あの人は奴隷の女と同様に私を廃棄するわ。もう飽きられているの。私の努力やその成果なんて、彼にとってなんの価値もなかった」
「そこまで分かってるなら!」
「でも祖国の土は踏めない……。こんな恥知らずな裏切り者に、この先も生きる道理はない。私の命はもう詰んでいる」
アリアンロッドには彼女が泣いているように見えた。
「でもどうせ死ぬなら、一時でも長く、好きになった人のそばにいる方を選ぶ。だから私はここを動かない」
「……そう……」
アリアンロッドは立ち上がる。
「ならもういいわ。説得できそうにないし、私、行くね。ヴァルのところに帰らなきゃ」
そう寂し気な目でイナンナを見る。
「いろいろ話してくれてありがとう。楽しかった。でも、もう会うことはなさそうね」
「屋敷から無事抜け出せそう?」
部屋を出ようとするアリアンロッドの背に、イナンナは気遣うような心をのぞかせる。
「夜明け前に兵舎まで逃げればいいのでしょ。護衛兵同士の喧嘩は大目に見てよね。ま、どうせこれから戦争になるのかな。交渉決裂だし」
振り返り、最後の一言を向けた後、
「じゃあね」
扉をそっと閉めた。
そして邸を出てすぐに、心の中でこう叫ぶのだった。
──ああ~~引き過ぎちゃったかなぁ──……
とはいえ、押そうが引こうが今は説得できないのに変わりない。これからやるべきことの方向も、会話を経て定まった気がしたので、これは前向きな撤退だった。
西側の川辺に戻ると、アンヴァルが屋敷の壁を背もたれにして仮眠をとっている。
日の出前のまだ暗い空の下で、アリアンロッドも少々眠気に誘われる。彼の隣に腰を下ろし、その逞しい肩にコテンと横頭を置いて寝入った。
夜明け前、目覚めたアンヴァルはギョッとした。自身の肩にぴたりと寄り添い、すぅすぅ寝息を立てているアリアンロッドのせいである。
反対側の腕が機械的に作動し、彼女の額をぺしっとはたいた。
「ん~~。なによもう~~あと1刻~~」
と寝ぼけた彼女は二度寝に入るので、彼は5連続ではたいてみた。
「っいた! った! った!」
「勝手に人の肩を枕にするな!」
「もうなにするの――……。まだ眠いのに……」
「っいた! った! った!」
ようやく目覚めたアリアンロッドは、一連の報告をした。
辺りが徐々に明るくなってくる。東の空に朝日が昇ったようだ。
「なら、説得はやっぱり無理だったわけだ」
それなら、とアンヴァルは帰る努力をする方向で動き出す。
「あ、待って。だからもう力づくで連れ帰るしかないなって」
アンヴァルの挙動は止まった。
「なんでそうなるんだ! 本人が嫌だと言ってるんだからほっとけ!」
アリアンロッドはどうしても、あんなに尽くしている彼女をわざと傷付け人質とした男を許せないこと、一刻も早く卑劣な人間から彼女を引き離したいことを、切々と訴えた。
「彼女はもう先を諦めている。どうせ死ぬなら好きな人の元でと言ってた……だから私としては、望みどおりになんてさせないわ。国で刑に処しましょう。それが川に突き落とされた私の意趣返しよ」
長い付き合いのアンヴァルは、アリアンロッドのこういった時の心情を嫌というほど汲めてしまう。「どうせ死なれるなら僅かでも逃がせる可能性のあるほうを、だろ。それで失敗して落ち込むまでがいつものやつ」と彼は面倒に思ったが、それでも彼女の思いには逆らえない。
「じゃあ、あの男をボッコボコの再起不能にして、その隙にイナンナを拉致するでいいな?」
「あなた武器がないでしょう? あの男は伝説の武器を手にしてる。近寄れないよ」
その上ふたりとも丸1日なにも食べていないので、体力に自信がもてない。
「まぁ武器は欲しいな。警備兵の槍でも一本、そこらに転がってないかな」
「あの道具倉庫に棒があるくらい……」
「ん。伝説の武器? なんだそれ」
と、脳内巻き戻ったアンヴァルが聞いたと同時に、アリアンロッドが声を張り上げた。
「あ、あった! 使い手を待ってる武器が」
「ん?」
「でも私は使ったことないから、使い方が分からない……」
「何の武器だ?」
「クロスボウ!!」
「ん──?」
アンヴァルの脳裏に魚の輪郭をした武器が泳ぐ。
アリアンロッドは書斎の壁に掲げられていた武器について説明した。
「俺も実際に使用したことはないが、俺に扱えない武器はない。やってみる価値はあるか」
「私が囮になって男を広間の中心に引き付けるから、あなたは書斎に潜んで、そこから男の脚を撃って!」
「お前が囮?」
そのようなこと、アンヴァルがあっさり了承するわけはない。
「あくまで引き付けるだけ。戦わないから!」
「む……」
ひとまず彼女の策を聞くことにした。
それはこういったものだ。
まずアンヴァルが綱を使って書斎に窓から侵入する。そこにいるイナンナはなんとしてでも黙らせる。
アンヴァルの準備が整うまでに、アリアンロッドが男をできるだけ部屋の中央に寄せる。
「書斎から、というのは?」
「書斎の扉を開けるのでは不意打ちできないから、壁上部の欄間から撃つの。脚を撃って動けなくなったら捕らえる。そしたらイナンナも諦めるでしょ」
「奇襲か。しかし扉の上って、高すぎるだろ」
「書斎に脚立があった」
「ほう」
アンヴァルも存外気分が乗ってきた。
「あっ!」
「今度はなんだ」
「やっぱりダメだわ……」
「?」
アリアンロッドは、その武器が力を引き出してくれる最強の武器であるのと同時に、使用者を不幸にする呪いのそれであることを話した。
「そんなの信じるのか? 現にあいつは伝説の武器のひとつ、鎌を使っていたじゃないか。まるで死神のようだったが」
「殺意を持って使った場合、って話だったから、あの時はどうだろう。死闘はしてない」
「そういえばあいつ、あのとき様子がおかしかったな。まさかそのせいで?」
「それはどうだろう。呪いってあんな騒々しいもの? くしゃみに鼻水って……」
アリアンロッドも思い返してみた。あれの出だしはヨモギが散らばった折りか、と一応は思い出したが、アンヴァルは話を進める。
「とにかく、俺は力を引き出すという利点は信じるが、呪いは信じない。こっちは任せろ。でもお前が危なくなったら中断だからな」
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