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前編
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もう、いつだったか忘れてしまった。ただ覚えているのはそれが幼い頃だったということだけだ。幼馴染だった俺たちは、いつも俺の家の屋根裏部屋でその本を眺めるのが好きだった。
いつも、いつも、水面の向こうに焦がれた幼馴染の少女は楽しげに瞳をきらめかせて語る。
ただ、ただそれだけが忘れられない。
ーーーーーーーーーーーー
水面の向こう側がどうなっているかなんて知らない。
書物にはあの向こうに空というものがあって、水の果てに陸というものがあるのだと記されているけれど。
それが、本当かなんて誰も知らないんだから。
けれども。
ただ焦がれる。
見たことも無い 空に。海に。
皆、何故だか焦がれてしまうんだ。
知ってのとおり、僕らは水底に住んでいる。水面の向こうに輝く太陽が差し込んで青く煌めく水底の街。それが僕らが今いる場所なんだ。
こんなに美しい場所で、平穏に暮らしているはずなのに僕らはなぜか満たされない。
なぜって?
いつだろうか。もう忘れてしまったほど遠い昔。人間は水面の向こうに住んでいたという。水面の向こうに煌めく光を沢山浴びて りく という場所で生きていたそうなんだ。僕らの遺伝子はその記憶を覚えている。
「だから僕たちは、そらとかもりとかそういう言葉に惹かれてしまうんだ。程度の差はあるけれど。」
「そういうものなのか?俺たちは見たことも無いのに?」
「そういうものなのさ、僕たちは。」
そう言って、スカイはふんぞり返る、動いた拍子に長い銀の髪が水の中でふわりと揺れて、光を受けて煌めいた。
「ふうん。」
「なんだい?その気の無い返事は....だいたい君は何故そんなに水面の上に興味が無いんだ。」
「さあね。秘密だ。」
「秘密なのか。」
「まあね。」
まだ何かを聞きたそうにしている彼女を傍目にロワンは目の前に広げていた本をぺらりぺらりとめくった。
水底と同じかそれ以上に蒼いと云う そら。
森という言葉のもととなった藻の仲間がたくさん集まった本当の森。珊瑚みたいに美しいと云う花。
四つ足の不思議な生き物たち。
昔々、人間たちが水底に逃げる前にせめて記録だけでもと持ってきた挿絵が沢山載っていた。この街、いや水底に棲む皆の誰もが見たことがあるほどに有名な本だ。
「あ.......」
「ん?どうした?」
唐突に彼女は声を漏らす。この本が大好きなスカイのことだ、大抵はじっと見入って静かになるはずなのに珍しい。
「ちょっと、貸して.....」
「うん」
そう言って、本を奪いとると彼女はあるページを開いた。蒼い蒼いそら、と真っ白なふわふわとした雲、そして空を泳ぐという鳥という生き物が描かれた絵だ。
正直、ロワンにとってはどうでも良い話だ。見たことも存在する確証も無いのに焦がれるのは非合理的だ。なのに、彼女はその絵を愛おしそうに指でなぞる。
「僕の名前は旧時代の言葉で空を意味するんだって。瞳の色がまるで空みたいだから スカイ。」
「ふうん?それがどうした?」
「だからいつか、いつか僕は水面の向こうに行きたいんだ。この空という奴を見にさ。」
そう言って、彼女は蒼い蒼い瞳を細めて笑った。そんな彼女が眩しくて、ロワンは目を細めて微笑んだ。
「いけるといいな。」
「うん。」
彼自身にとってはどうでもいい話だけれども、彼女の焦がれる様子はあまりにまっすぐで、綺麗で、心からそう思った。
それから、しばらくしてスカイは死んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
それから、どれくらい経っただろうか。
ロワンは大人になった。
「お前、なんでこんな研究してんだ?」
仕事場である水面の向こうに行くための研究をする研究所で、時たま同僚の研究者たちにそう聞かれる。呆れたように、信じられないように見つめて。
水面の向こうに焦がれて、研究者になった人がほとんどの中、冷めた目で水面の向こうを見つめて淡々と研究を進める彼は異質だった。
そんな時はロワンは笑って答えてやる。
「別に、ただ割が良かったから。」
強いて言うなら、誰かの幻影を追いかけているだけだ。そんなことを他者に言う義理は無いが。
ただわかっているのは。
「何かに焦がれてるのは俺も、あいつらも同じか。」
自嘲気味に嗤う。
彼らはいつか届くかもしれないものに焦がれ、
ロワンが焦がれるモノはもう手は届かない。
二度と。永遠に。
きっとこの虚は消えやしない。
いつも、いつも、水面の向こうに焦がれた幼馴染の少女は楽しげに瞳をきらめかせて語る。
ただ、ただそれだけが忘れられない。
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水面の向こう側がどうなっているかなんて知らない。
書物にはあの向こうに空というものがあって、水の果てに陸というものがあるのだと記されているけれど。
それが、本当かなんて誰も知らないんだから。
けれども。
ただ焦がれる。
見たことも無い 空に。海に。
皆、何故だか焦がれてしまうんだ。
知ってのとおり、僕らは水底に住んでいる。水面の向こうに輝く太陽が差し込んで青く煌めく水底の街。それが僕らが今いる場所なんだ。
こんなに美しい場所で、平穏に暮らしているはずなのに僕らはなぜか満たされない。
なぜって?
いつだろうか。もう忘れてしまったほど遠い昔。人間は水面の向こうに住んでいたという。水面の向こうに煌めく光を沢山浴びて りく という場所で生きていたそうなんだ。僕らの遺伝子はその記憶を覚えている。
「だから僕たちは、そらとかもりとかそういう言葉に惹かれてしまうんだ。程度の差はあるけれど。」
「そういうものなのか?俺たちは見たことも無いのに?」
「そういうものなのさ、僕たちは。」
そう言って、スカイはふんぞり返る、動いた拍子に長い銀の髪が水の中でふわりと揺れて、光を受けて煌めいた。
「ふうん。」
「なんだい?その気の無い返事は....だいたい君は何故そんなに水面の上に興味が無いんだ。」
「さあね。秘密だ。」
「秘密なのか。」
「まあね。」
まだ何かを聞きたそうにしている彼女を傍目にロワンは目の前に広げていた本をぺらりぺらりとめくった。
水底と同じかそれ以上に蒼いと云う そら。
森という言葉のもととなった藻の仲間がたくさん集まった本当の森。珊瑚みたいに美しいと云う花。
四つ足の不思議な生き物たち。
昔々、人間たちが水底に逃げる前にせめて記録だけでもと持ってきた挿絵が沢山載っていた。この街、いや水底に棲む皆の誰もが見たことがあるほどに有名な本だ。
「あ.......」
「ん?どうした?」
唐突に彼女は声を漏らす。この本が大好きなスカイのことだ、大抵はじっと見入って静かになるはずなのに珍しい。
「ちょっと、貸して.....」
「うん」
そう言って、本を奪いとると彼女はあるページを開いた。蒼い蒼いそら、と真っ白なふわふわとした雲、そして空を泳ぐという鳥という生き物が描かれた絵だ。
正直、ロワンにとってはどうでも良い話だ。見たことも存在する確証も無いのに焦がれるのは非合理的だ。なのに、彼女はその絵を愛おしそうに指でなぞる。
「僕の名前は旧時代の言葉で空を意味するんだって。瞳の色がまるで空みたいだから スカイ。」
「ふうん?それがどうした?」
「だからいつか、いつか僕は水面の向こうに行きたいんだ。この空という奴を見にさ。」
そう言って、彼女は蒼い蒼い瞳を細めて笑った。そんな彼女が眩しくて、ロワンは目を細めて微笑んだ。
「いけるといいな。」
「うん。」
彼自身にとってはどうでもいい話だけれども、彼女の焦がれる様子はあまりにまっすぐで、綺麗で、心からそう思った。
それから、しばらくしてスカイは死んだ。
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それから、どれくらい経っただろうか。
ロワンは大人になった。
「お前、なんでこんな研究してんだ?」
仕事場である水面の向こうに行くための研究をする研究所で、時たま同僚の研究者たちにそう聞かれる。呆れたように、信じられないように見つめて。
水面の向こうに焦がれて、研究者になった人がほとんどの中、冷めた目で水面の向こうを見つめて淡々と研究を進める彼は異質だった。
そんな時はロワンは笑って答えてやる。
「別に、ただ割が良かったから。」
強いて言うなら、誰かの幻影を追いかけているだけだ。そんなことを他者に言う義理は無いが。
ただわかっているのは。
「何かに焦がれてるのは俺も、あいつらも同じか。」
自嘲気味に嗤う。
彼らはいつか届くかもしれないものに焦がれ、
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二度と。永遠に。
きっとこの虚は消えやしない。
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