Vivid Blood Rabbit

狐島 秋

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1話 南雲 悠里①

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ガラガラと開け放った網戸は、空いたままだった。

靴も、カバンも放ったまま。

少年はいつも通りのルーティーンでソファーにもたれかかっていく。

「はぁー…………」

今日何度目かのため息。

赤く腫れた擦り傷が扇風機でしみた。ソファーに座ったまま救急箱に手を伸ばし、絆創膏と消毒液、ティッシュと手鏡を拾う。

脚に手鏡を挟み、ティッシュを消毒液で濡らし、傷を拭いてから、絆創膏を貼る。手慣れたものだ。

「悠里(ゆうり)ぃーー!帰ったぞぅー!!」

ソファに座った悠里の前を通り、スーパーの袋に入った2、3ケースのビールを抱えているのは、彼の養父。

「おいコラ、ジジイ。酒飲みに行って酒買ってくんじゃねーよ」

ジジイと呼ばれた白髭の男は、けらけらと笑うだけだ。


顔だけでなく、至るところに痣を作った学生服の少年──南雲 悠里(なぐも ゆうり)は、飲んだくれている白髭の男──拝島 譲(はいしま じょう)の一人息子だ。

息子といっても血は繋がっていないし、直接的な養子縁組もない。

が、彼らはまぎれもなく親子だ。二人ともがそう思っていた。

「うるせーなクソガキぃ。俺の金で買った酒だ。…………てかお前ェ、またやったのか」

拝島の視線は、悠里の絆創膏に注がれている。

「…………うるせーよ」

悠里は目をそらして小さく呟くと、ソファを離れ、リビングを出ていってしまった。

「……治らねぇ傷じゃないだけマシか」








悠里は現在、私立の普通科高校に通っている。
昨晩の絆創膏よろしく、傷を繕った後の多いブレザーに袖を通して家を出た。拝島は早朝から家を出てしまい、帰ってくるのは悠里よりも遅いため、鍵の管理は悠里が担っていた。

家を出てから数分後、ちょうど住宅街の外れあたりで『宇島 隆秀』と出会う。彼のトレードマークは短く切り揃えられた金髪。染髪が自由というだけでこの高校を選んだ変わり者だ。

毎朝会うたびに、傷の増える悠里を見て隆秀は笑い、色の抜けかけた金髪の隆秀を悠里が茶化し、通学路に戻る。

クラスに着けば、中学からのクラスメイトの寺内や秋葉もいる。

今さら彼が養父と二人暮らしだという事を気にかける者はいなかった。
それは彼自身の人柄ゆえであり、その人柄に惹かれて集まった者たちだからなのかもしれない。

「おっす悠里。今朝は顔か。寺内との賭けは俺の勝ちだな」

「だから言ったろ。じゃ、俺メロンパンな」

「人の傷賭けてんじゃねーよバカヤロウ。俺はコロッケパンな」

「はいはーい!俺ツナサンド!」

「お前らの分は買わねーよ!」

そんな折、彼らの談笑を遮るように、スピーカーから声がした。

『あー、あー、緊急連絡です。本日の授業、課外活動は、全面中止とします。各クラスでホームルームを終えた後、速やかに帰宅して下さい。各クラスでホームルームを終えた後、速やかに帰宅して下さい』

それだけ言って、ブツリと切れた。

「……中止ぃ?」

「また随分と突然だな」

「何かあったのか?特になにも言ってなかったけど」

悠里たち同様に、他のクラスメイトも一様に怪訝な表情だった。

それも当然だ。事前連絡も詳細もいっさい無いままの突然の授業中止。何かあったと思う他ない。

「授業も部活もやらずに今すぐ帰れ、ってどういう事だよ」

「じゃ学食も空いてねーのか!?ツナサンドどうすんだよ!」

「買わねーっての!」

普段なら授業中止と聞いて生徒の大部分が喜ぶところだろうが、言い訳程度の理由すらないと、喜ぶに喜べないのだろう。怖いといった台詞を口に出す者までいる。

「おーい、席につけ!5分も時間とらずに帰してやるから座れー!」

焦り気味に教室へ来た担任が、教卓について話したのは然したる事もない定型的な事務連絡程度のものだった。


「いやー、ラッキーだわ。とっとと帰ってDVDでも見るかな」

「俺のツナサンド明日だかんな!」

「そんなに食いたきゃ自分で買えよ!?」

ふと、悠里が開いた下駄箱から1枚の紙切れが舞った。

「ん?」

「お?ラブレターか!?隅におけない奴やのー」

「なわけねーだろ。こんな達筆のラブレター見た事ねぇよ。大方昨日の連中だろ」

昨日の連中、つまりは顔の傷の原因となった一団の事だ。

「あ、本当だ。手の込んだ事するねぇ…………微妙に惜しいなこいつ」

「随分ご執心な事で」

悠里は『体育館裏で待つ  首を長くしておくんだな』と書かれた間抜けな果たし状を、ぶっきらぼうにポケットにつっこんだ。




「来たな南雲悠───ぐぼぁ!?」

数分後、体育館裏。
そこで待っていたのが昨日襲いかかってきた一団だと気づくやいなや、悠里は先制で拳を打ち込んだ。

「な!?てめぇ卑怯だろうが!?」

「先ぱぁぁい!?」

周りの取り巻きが倒された一人に群がっていく。
背中を見せたのが好機と、回し蹴り、肘打ち、顔面パンチと、流れ作業のように一人一人処理していった。

「おいこら!?まだ何もやってねぇだろうが!!」

「うるせぇ、どうせ昨日の報復とかなんとかするつもりだったんだろーが!こちとらとっとと帰りたいんじゃボケ!!」

現状、倒れているのは四人。残っているのは五人。昨日襲ってきたのは確か三人だったから数の暴力でなんとかしようと思ったのだろう。
有無を言わせず半数近く倒されてしまった状況に、連中はすでに及び腰だ。

「帰っていいか?」

余裕そうに言った悠里だが、5対1で真っ正面からやり合うのは流石に厳しいといった所だ。

すでに囲まれ初めてすらいる。

「い、いい訳あるかぁ!!」

奥の大柄な奴が声を上げた。
確か昨日もいた奴だ。おそらく番長というかリーダーというか、連中の中心人物であろう。

(昨日もアイツ強かったしな……こりゃ勝てそうにないか……)

隙を見て逃げよう、そう決心して臨戦態勢に移ろうとした時──


───ゴアアァァァァァッッッ!!!!!!



「っ!?」

「な、なんだぁ!?」

耳をつんざく、いや、鼓膜すら貫くような轟音が辺り一帯に響き渡った。
体育館のガラスがガタガタと揺れているように見える。

そして、彼らが辺り一面を見回すよりも早く、周囲がフッと暗くなった。

それが上空から迫る巨大な影だと気づく前に、『それ』は彼らの前に現れたのだ。

 
────ゴアアァァァァッッ!!!!!



眼前に現れた『それ』に、彼らは目を奪われた。

鰐の如く開かれた巨大な口と巨大な鱗、三日月型の大きな爪、コウモリのような翼。

パーツごとに見ればよく見知った形をしている『それ』は、しかし巨大な体躯と子供がノートの上で組み上げたような異形さに包まれ、抗いがたい畏怖を覚えさせられた。

サッカーボールほどもある瞳が彼らを写し出す。『それ』の荒い息づかいと視線が自身の脚をその場に留めてしまう。


彼らの脳裏に浮かんだのは、一様に───

─理不尽な、絶望と死の予感だった。
 

──アァァァ……

唸り、ゆっくりと歩を進める『それ』は確実に彼らに迫ってくる。

──ファァァ…

風が『それ』に向かって流れていく。空気が開かれた口腔に向かって呑まれていく。

刹那。

──ゴアアァァァァァァッッ!!!!!

体育館の窓ガラスが砕け、粉のように降り注ぐ。もはやそれは音ではなく衝撃であった。その怒号そのものが質量を持ったかのように全身に叩きつけられ、彼らはなす術なくその場に押し倒されてしまった。

ただでさえ巨大なその躯は、見上げると凄まじい迫力を有した。
そして、未だにその瞳はこちらを捉え続けている。

──死ぬ。


予感は揺るがざる確信へと変わり、脳が意識を奪いさろうとする寸前────現れた。

『それ』の開かれた口、頭部が地面に叩きつけられる。状況が飲み込めずにいる悠里の前で、巻き上げられた砂煙が徐々に霧散し、人の姿が浮かび上がってきた。

「は…………?」

黒一色の軍服のようなものをまとっている上に、その顔はフードに覆われていて人物を特定する事は出来ない。
かろうじて、そのがっしりとした体格から男性であろうという事は推察できるが、それ以上はさっぱりだ。

だが、その手に握られた巨大な剣が、異形のそれをたったの一打で叩き伏せたのだと分かる。

空想の物語の中でしか見ないような機械的なバスターソードを突き立てる先は、何倍もある巨躯を有する怪物。まさに絵空事と言わんばかりだった。

あの体躯と怒号が見かけ倒しで、その肉体は貧弱だったのか、
はたまた、剣を握る男性がそれほどまでに強靭だったのか、

その答えを得るよりも前に、首筋に感じたかすかな痛みと共に、悠里の意識は闇の中に沈んでいった。











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