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第1章:赴任

閑話:ドッグ・フォン・カマセ子爵

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 ゴブリン討伐に行ったまま行方不明だった息子が、ある日突然嫁を連れて帰ってきた。

 意味が分からないけど、キラキラした目で紹介された女性はちょっと変わっていた。
 絶世の美女と形容することに戸惑いがないほどに、見目麗しい女性ではあるのだが。
 耳が尖っている。
 そして、肌の色が緑色だったりする。
 エルフとは違うけど、エルフより森の民っぽいと思ってしまった。

 私の名前はドッグ・フォン・カマセ。
 カマセ子爵領の、領主でもある。
 そして、目の前にいるイッヌの父だ。
 
 そんな、息子であるイッヌから衝撃発言。
 息子が連れてきた嫁……
 なんと、ゴブリンだった。
 最初は条件反射で反応して、暴言を吐いてしまった。
 
 息子に思いっきり殴られて、我を忘れてこちらも殴りかかってしまった。

 ふっ……イッヌよ、しばらく会わないうちに強くなった。
 息子の成長を嬉しく思うが、殴られたことは忘れん。
 いつかやり返すために、しばらく行っていなかった武術訓練を再開しようと心に決めた。

 しかし、予定ではミレーネ殿下を嫁として紹介してもらえると思ったのに。
 白馬の王子様作戦はどうなったのだ?
 いや、新しい嫁の前でそんなことは、聞けもしないが。
 失敗したのか、このゴブリンに目が眩んだのか。

「お義父様は、努力家なのですね。今の地位に甘んじることなく、なお上を目指すなんて」

 義娘の言葉に、思わず頬が緩んでしまう。
 ミレーネ殿下などどうでもよくなるほどの、出来た女性。
 いや、雌か?
 女性だな。
 雌と呼ぶイメージがまったく沸かない。

「身の程知らずなだけですよ」

 横で妻が鼻で笑って、乏してくる。
 妻よ……もう少し、言い方があるのではないか?
 その妻だが、出会った当初のように若さを取り戻している。
 いや、あの時以上の輝きを放っている。

 義娘が持ってきた化粧を施されてから。
 その化粧が入っていた入れ物からして、すでにおかしなものだったのだが。
 袋はテカテカとした黒い表面に、何やら見慣れない金色の文字のようなものが描かれていたのだが。
 中に入っていたのは四角い箱だった。
 驚くべきことに、この袋の持ち手以外と箱は植物紙でできているとのこと。
 パピルスとも違う変わった質感。

 ものすごい敗北感があったが、その四角い箱から出てきた円筒状の容器もおかしかった。
 木材でも金属でもない、不思議な入れ物。

 他には板状のメイクパレットとか、回すと先が丸い槍の穂先みたいなのが出てくる口紅とか……
 唇だけで、どれだけ化粧をするのか。
 リップライナーだとか、口紅だとか、リップグロスだとか言われてもさっぱりわからん。

 しかし、唇にグロスを塗った妻を見て、思わず吸い込まれそうになった。
 それを塗った妻の唇は、ゴブリナさんと同じように艶と光沢のある魅惑的な色味をしている。
 あれよあれよという間に妻が別人のように綺麗になっていく様子に、魔法のようだと思った。
 そして、これは詐欺ではないのかと思ったりしたが。
 それを口にするような愚は侵さない。

 ちなみにこれだけおかしな変貌を遂げることができる、この変わった化粧品の数々。
 身体に悪い物はほとんど入っていないとのこと。
 メイク落としなるものも渡されていたが、しっかりと化粧を落としたあとで、保湿美容液をぬることで肌荒れも防げるとか。
 妻が油を顔に塗っているのを見たことがあるが、あれと似たようなものだろうか?

 詳しく説明されたが、私は半分も理解できなかった。
 妻やメイドたちの目が輝いていたところを見るに、女性にしか分からない言語が使われていたのだろう。

 国滅のアスマと恐れられるエルダーリッチが、それらの化粧品の追加資料もつけていてくれた。
 それ、本物なのかな?
 いや、なんでエルダーリッチが化粧品の注意書きなんか……

 私も手に取って、読んでみた。
 色々と衝撃的なことが書かれているんだけど……
 いわゆる貴族婦人病と言われる、貴族の女性に起こっている謎の体調不良。
 浄化の魔法と解毒魔法で改善はされるが、定期的に受けないといけない謎の病気だ。
 贅沢病ともいわれているが女性にしか発症しないことから、運動量や性別による男女の差異が原因ではないかと言われていた。
 
 しかし、アスマが書いたとされる注意書きには、貴族の女性が使う肌を白く見せる化粧品にこそ原因があるとのこと。
 ……妻が、凄い顔をしていた。
 亜鉛や水銀という素材が、身体に凄い悪いと。
 ただ、浄化魔法と解毒魔法で処理はできるため、定期的に治療を受けることで命を脅かされるほどのことではないとのこと。
 短いスパンで定期的に治療を受けないと、その限りではないと書かれていた。
 その日の夜、妻は持っていた肌を白くするための化粧品を、感情を灯さない目で見つめながら全て燃やしていた。
 そして煙を吸い込んで咳き込みながら、キャーキャー言ってた。
 何をやってるんだ。

 いや、それが本当にアスマが書いたものだとして、エルダーリッチが化粧について言及する書を残すだろうか?

 それから瀉血しゃけつも体調を崩すだけで何も意味がないと……
 ある特定の病等の緊急時の対応や、接合手術を魔法を用いなかった場合に必要となるとも。
 妻の顔が青ざめている。
 妻も、やっていたようだ。

 歯茎の黒ずみや肌荒れの原因が、肌荒れを隠すための化粧だったと知った時は泣き崩れていたけど。
 とりあえず、それらは全て焼却したようなので、私も安心した。

 しかし、なんといったらいいか。
 妻も、子供達もゴブリナさんを受け入れているが。
 確かにあの潤んだ瞳で上目遣いをされると、贖えない気持ちになる。
 もしかして魅了のスキルかとも思ったが、そのようなスキルは持ち合わせていないとのこと。
 あの容姿だ。
 魅了のスキルなんか必要ないだろう。
 しかし、化粧をした妻を見て思った。
 もしかして、彼女も化粧を落としたら……
 
 風呂からあがったスッピンの彼女を見て、思わず頭を抱えてしまった。
 化粧をしているときは凄く綺麗だったが、化粧を落とした彼女はどことなく幼さがあり可愛いかった。
 いや、可愛すぎた。
 娘として心から接してしまうほどに。
 あどけない表情でおねだりされたら、なんでも買ってしまいそうだ。
 傾国の美女が、傾国の美少女になってしまった。

 しかも料理の腕はうちのシェフよりも、遥かに上だし。
 娘が服に料理のソースを落としてしまったが、簡単に消してしまうし。
 掃除の手際も……
 これなら確かに、イッヌも使用人がいなくても彼女と暮らすことに不自由はないだろう。
 むしろ、羨ま……横から殺気を感じたため、これ以上は何も言わない。

 下の息子たちも懐いているが、下の息子の方はどちらかというとゴブエモン殿に憧れを抱いているようだ。
 このゴブリンも、なんというか。
 息子が可哀そうになるほどの、美丈夫だ。
 足も長いし、スタイルもいい。
 妻も娘も、メイドたちも気が付けば目で追っている。
 
 グヌヌ……まあ、ゴブリナさんに目を奪われてしまった私が、何か言う資格はないが。
 寂しさはある。
 そして、イッヌに対して少し同情してしまわなくもない。

 ロイ殿というゴブリンも、ゴブエモン殿とは違う方向性の違う美男子であるあし。
 そもそも、この2人。
 おそらく、屋敷中の戦力を集めても適わないだろうと言われてしまった。
 息子に。
 そう、父を脅すでない。
 
 ちなみにゴブエルさんは、癒し系のほんわかした美人だった。
 これまた、絶世の美女と……
 このゴブリンの集落はどうなっているのだろうか?
 ゴブリン達や息子曰く、これがその村では標準的な容姿とのこと。
 
 その話をしたあとに、その村で息子の世話係に立候補するメイドや、護衛に立候補する騎士が出てきそうな雰囲気だったが。
 自分のことは自分である程度できるようになったし、手が届かないところはゴブリナさんがやってくれるからと断っていた。
 ちなみに護衛はいらないと。
 外敵の脅威はまずない村らしい。
 しいていうなら自分を含めて、人間がちょっかいを出しにくるのが鬱陶しいくらいと。
 お前も、そのうちの一人だったのだがな。
 そういえば、バハムル殿下も騎士を引き連れて……

 ふーむ……ぜひ一度、父も行ってみたい。
 まあ、いまは妻や子供たちと向き合う日々を大事にしよう。

 ゴブリナさんになぜそこまで上を目指すのか聞かれたときに、心の中を見透かされたような気がした。
 すっかり忘れていた。
 最初は出世することが、貴族としての意義だと答えたが。
 ジッと見つめられて、違う気がしてしまった。

 そして、思い出した。
 伯爵家の至宝であった妻が、子爵家である私の元に嫁いできてくれた。
 私が望んだ結婚だ。
 一目見た時から、彼女しかいないと思ってしまったのだ。
 彼女を娶るために彼女の父の元に通いつめ、無理難題を言われても全てを乗り越えてきた。
 そんな彼女が子爵家に来たことで、惨めな思いをしないよう。
 伯爵に陞爵しょうしゃくしようと、決めたのだった。

 ……妻に不憫な思いをさせないようにと頑張ったのだが、妻の態度はどんどん冷たいものになっていった。
 私が不甲斐ないから……いつまでたっても出世しないからだと思っていたが。
 どうやら違ったようだ。
 あそこでゴブリナさんに愚痴っている妻の話を聞いて、反省した
 立場だとかそういったものを考えず、心から恋した相手と結婚したのに愛を示す方法を間違えたようだ。
 その話もゴブリナさんが、私に聞こえるように誘導していた節がある。

 ……うーん、あれは本当にゴブリンなのだろうか?
 感謝している。
 色々と感心も。
 しかし……ゴブリンというのが、どうも引っかかる。
 私の知っているゴブリンとは違いすぎるし、本当にゴブリンだとしたら結婚は認められないはずだが。
 認めてしまう流れになってしまっているし。
 どこでどう間違えたか分からないのに、正解のような気がしているのが一番悩ましい。

 あと、もっと引っかかってるのが、国滅のアスマが色々と彼の手書きの書類をゴブリナさんに持たせていたことだ。
 彼の研究成果らしいが、これを彼の名前で発表しても良いと言われたが。
 ところどころ、リッチが考える必要のない研究もあった。

 まあ、そんななかでも化粧品に添えられていた注意書きが、いまもずっと私の中でしこりとして残っている。
 なんで伝説の国を亡ぼすようなアンデッドの王が、化粧品について真面目に考察した内容の紙を……
 骨に化粧は必要ないだろうが!
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