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第3章:奴隷と豚

閑話5:ネオゴブリンのイアーソン(後編)

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「本当に1人で行くのか?」
「うん、皆には早めに避難するように伝えておいてくれるかな?」
「わしだけでも「いやいや、ロビンさんが来たら誰が村に伝言に行ってくれるのさ」

 イアーソンの出した結論は、早朝に1人でオーガの率いるスタンピードを抑えにいくということ。
 狩人のロビンに、村の人達の避難を任せつつ。
 そのロビンが着いてくると言い出したが、それを手で制してため息を1つ。
 
「それに、僕の実力は知ってるでしょ?」
「だからこそだ。お前のようなやつを、ここで失うのは惜しい」
「だから、僕1人ならなんぼでも足止めしつつ、逃げられるから」
「……」

 自身に満ちた表情で断言するイアーソンをジッと見つめるロビン。
 今度は、ロビンが大げさなため息を吐く番だ。

「お前がこれで死んだら、俺はガーラやニーナに顔向けできん……というか、ニーナに殺されるな」
「杞憂だよ。生きて帰るのは確定だから」
「呆れた……そんな大言壮語を吐けるのは、お前くらいのもんだ」

 イアーソンの意思が変わらないことを悟ったロビンが、表情を変える。
 村をジッと見つめたあとで、イアーソンを見て力なく微笑む。

「村人たちの避難が済んだら、すぐに向かう……だから、死んでも生き延びろ」
「死んだら生き延びられないでしょ」

 ロビンの言葉に、イアーソンが苦笑しつつ大きく頷く。
 
「じゃあ、村の皆を宜しく」
「うむ」

 そしてロビンに手を振ると、森に向かってゆっくりと歩き出す。
 その足取りは軽く、本当にちょっと行ってくるといった感じだ。
 
「あいつなら、あるいは……」

 そう呟いて振り返ると、目の前に昨日の会議に参加した老人たちが並んでいる。

「えっ?」

 音も気配も感じさせずに集まっていたことに、ロビンが思わず目を見開く。

「ふん、年寄りってのは無駄に早起きなのさ……ほれ、とっとと自分の役割を果たしにお行き」

 最初に口を開いたのは、灼眼のアルバ。
 と若かりし頃に呼ばれていた老婆。
 ダボっとしたローブを身に纏っているが、腰には剣を下げている。
 
「イアーソンのことはわしらに任せろ」

 そう言ってロビンの肩に手を置いたのは、皆殺しのレガシー。
 こちらも黒いローブを纏い、大きな樫の杖を持っている。
 他にも数人の老人方が、戦えそうな装備に身を包んで決意を秘めた強い眼差しを森の奥に向ける。
 覚悟を決めたのか、穏やかな表情を浮かべ全員がロビンに対して頷く。

「若いもんに後は託すさ」
「といっても、あんたももう棺桶に片足突っ込んだくらいの年齢になったんだねぇ」
「ガーラとニーナには、スタンピードが起こるかもしれないことは伝えてある。そしてイアーソンが向かったことも」
「あの2人は家で待つってさ……だから、他の皆のことは頼んだよ」

 各々が1人ずつロビンに声を掛けたあと、森を睨みつける。
 ロビンやガーラ夫妻もそれなりの年齢を重ねているが、この老人たちは村の長老。
 ほぼ、棺桶で寝泊まりをしているような歳に差し掛かっていた。
 戦闘に参加する以前の状態だ。

「いや、無茶だろう。ミネルバ婆さんなんか足も手も震えてんじゃん」
「……」

 その発言に全員が、ロビンを睨みつける。
 その後もロビンがあれこれと説得を試みるが、彼の制止にも全く耳を傾けず、全員が逝く気満々であった。
 いや、行く気満々であった。

 その瞬間まで。
 森で魔力が可視化されるほどに濃密な状態で、空に立ち上るのを見るまで。

「う……うそじゃろ」
 
 さあ行くぞといった段階で、その魔力の奔流を見てレガシーが固まって呟く。
 他の老人方も、ピタリとその場に止まって動けなくなっている。

「どうしたんだ、じいさん」
「キング……いや、ロード級の魔物に匹敵する魔力……」
「じゃが、これはイアーソンの色……」

 魔法職のレガシーともう1人の老人が、瞳孔を大きく開いた状態で森を見ている。
 ゴブリンロードと同等のランクで、さらにユニーク種のイアーソン。
 彼の変態な気配探知が、老人たちの気配を見逃すわけがなかった。
 例え彼らが全力で気配を消していたとしても。
 
「わしらじゃ、足手まといにすらならんな」
「うむ、わしらを庇いながら戦ったとしても、なんの障害にもなるに足らんじゃろう」
「化け物……いや、あのものの心根を鑑みるにこれが英雄となるものの資質か」

 老人たちの呟きにロビンが首を傾げる。
 魔力の奔流というか、森から何やら光るものが立ち上ったのは彼も見ていたが。

「先ほどの光……あれは、イアーソンの魔力じゃよ」
「わしらに、心配無用じゃと示してくれたのじゃろうな」
「えっ? はっ? ちょっと、言ってる意味が分からん」

 老人たちの言葉に、ロビンが慌てている。
 だがもはや、ロビンなど眼中にない。
 ただただ、笑みを浮かべて老人たちは森を眺めるだけだった。

***
 当のイアーソンは、老人たちが森に踏み入る気配がなくなったことで、安心した様子で疾走する。
 1人の美丈夫と一緒に。
 
「なんでランドール様がここに居るんですか?」
「ふん、鈴木がな……」

 身の丈にあった年齢の顔に変化することのできるようになった、ランドールだ。
 といっても、その技術を手に入れて10年近く経っているが。
 そのランドールの手には、1本のボロボロの錆びた剣が。

『いや、まあ……ね』

 鈴木が念話で2人の会話に割って入る。
 まったくの身の無い言葉で。
 歯切れも悪い。

「僕1人でもなんとでもなりますよ」
『いやいや、俺剣に生まれ変わったのにさ……最後に切ったのって2年くらい前のリンゴだぜ? そろそろ何か斬りたくてさ』
 
 しばらく振るわれてなかったのか、生き物を斬りたくなったらしい。
 まるで妖刀や魔剣の類の発言である。
 露骨に眉を寄せて、ランドールを見るイアーソン。

「ほれ、お主が振るえ」
『ちょっ、投げんな』
「えぇ」
『嫌そうにするなし!』

 ランドールにとっては先輩で、イアーソンにとっては主にあたる鈴木だが。
 思った以上に、ぞんざいな扱いである。
 これもかれも、鈴木の日ごろの行いのせいだろうか。

「ふふ」

 しかし普段は存在を感じることしかできない主に触れることで、イアーソンが自然と笑みをこぼす。
 鈴木に触れたことで、多幸感に襲われているようだ。
 従魔の性か。

「しかしロードでユニークといえ、所詮はゴブリンか」
「えっ?」
「もう少し早く走れんもんかと思っての」

 そんなイアーソンの心地よい時間を、無粋にも台無しにするのが安定のランドールクオリティ。
 有無を言わさずイアーソンを小脇に抱えると、一気に加速して森を走りぬける。
 木々などの障害物を文字通り無視して。
 正面から破壊しつつ。
 踏み込まれた地面はあり得ない硬さにまで、踏み固められ。
 ぶつかった枝や木は粉砕される。
 風圧で周囲の木々や草も倒され。
 大きな1本道を作りながら。

 そしてすぐに、オーガの群れに遭遇する。
 そこにいるのはオーガだけでなく、二本の角を持つ馬のバイコーンや巨大な熊であるアルクトドゥスまでいる始末。
 体重1tを超える、巨大熊。
 人が遭遇すれば文字通り、死を覚悟するだけではすまないだろう。
 運が良ければ1撃で頭を吹き飛ばされたり、身体を潰されて一瞬で死ねるだろう。
 運が悪ければ手足を引きちぎられ、少しずつ身体を食いちぎられ苦痛の中で死ぬことになるだろう。
 絶望という言葉ですらあまりある、恐怖の体現。 

「グヒィッ」

 その巨大な熊が、190cm程度の人に殴り飛ばされる。
 190cmの人を程度と表現してしまうほどの体格差。
 にも関わらずだ。

「ほう? 力を抜きすぎたか? 頭を吹き飛ばすつもりだったが」
『おまっ、俺がやるつったのに! イアーソン!』
「えっ?」

 イアーソンが反応するより先に、鞘から飛び出す錆びた剣。
 そのまま彼の手に収まると、気持ちが逸っているのか前へ前へと飛び出そうとしているのが見て分かるほどに、不自然な動きをしている。
 
「わしだって、たまには暴れた……おい、鈴木! 魔法はずるいだろう!」

 イアーソンが剣をどうにか構えようとした瞬間、切っ先が光ってレーザーのようなものが飛び出す。
 それが熊や馬を貫いて、オーガにも襲い掛かる。

「うぐ、なにやつ!」

 オーガを除くほとんどの魔物がその光に貫かれていたが、オーガ達は咄嗟に武器や腕で防ごうとしていた。
 そして1番体格のいいオーガが、どうにかその光をはじき返してイアーソンを睨みつける。
 どうやら、ボスのようだ。

「囀るな。所詮は人だろう」
「頭領」

 違った。
 集団の後ろから重厚な振動を伴った低音の声で、たしなめる鬼が。
 こっちが、ボスのようだ。

『オーガロードか……俺の配下以外にもいたとはな』
「わしが相手してやろう」
「いや、あの……」

 イアーソンそっちのけで盛り上がる鈴木とランドール。
 イアーソンが、思わずオロオロとしてしまうのも仕方ないだろう。

『下がってろ駄龍』
「ぬぅ、錆びた剣がぬかしよる」
『あっ?』
「いや、そんな本気ですごまなくても……」

 なんだかんだでランドールは、いまだに鈴木に頭が上がらないようだ。
 ちょっと脅されてひよる程度には。

「我を無視……してください」

 目の前のやり取りに、鬼の頭領が重い腰を持ち上げて……何かに気付いたのかすぐに土下座を始める。
 
「頭領?」
「あほ、あれは竜だ! どう考えても竜だろう!」
「いや、人にしては大きいい程度かと……」
「馬鹿、お前! 人化してるに決まってるだろう! そもそも、あの小さい人間も人間じゃない!」
「ええ?」
「ゴブリンロードだが、ただのゴブリンロードじゃない」
「そんな……」

 本人たちは小声でやり取りしてるつもりだろうが、聴覚も規格外の3人。
 丸聞こえである。
 いや、剣に聴覚がどうのというのもおかしな話だが。

「でも誇り高き鬼族が、相手が格上だからと「お前、馬鹿なの! 死ぬの?」
「頭領?」
「わたしは誇り高き鬼族、しかもロードに至った」
「はい……」
「そのわたしが、誇りを捨てて恥を受け入れて土下座する意味を考えろ!」
「えっと……」
「戦って散るのがあほらしいレベルってことだよ馬鹿! 誇りある死じゃない! 無謀な愚か者、むしろ自殺志願者レベルの力量差だ、このバカ」

 そのやり取りを聞いて、だんだんと不機嫌になる鈴木。

『斬らせてくれないの?』

 だから、どこの妖刀だと。
 そんなことを思っても口にはできなランドールとイアーソン。
 
 すでに錆びは全て消え落ち、周囲が歪むほどの負のオーラを漂わせる鈴木。 
 いや不機嫌のオーラか?

 これは、下手に絡むと斬られると思ったのだろう。
 ランドールは、少しだけ鈴木を握るイアーソンから距離を取る。

 結局、このスタンピードの被害は、森の木が100本斬られるだけで終わった。
 鬼を斬れなかった鈴木が、腹いせにイアーソンに木に八つ当たりさせた結果だ。
 勿論、建築に適した木材となる木だけだが。
 腹を立てても、冷静だった。

「あんれまあ、変わったお友達が出来たんだねぇ」
「うん、色々とあってね」

 その後、村に戻ったイアーソンは新しく友達になった鬼を紹介した。
 森で色々と悪さをしようとしていたけど、話し合って思いとどまってもらったということにして。

 老人方は最初、殺る気満々だったが。
 勿論、オーガロードの方が強いのだが。
 イアーソンの為なら、命と引き換えにと。
 実際には先走ったレガシーの範囲炎魔法で、ちょっとしたボヤ騒ぎが起こったりもしたが。
 
 結局オーガ達は森に戻っていった。
 オーガロードだけは、イアーソンについて村に来たが。
 説明責任を果たすという理由もあったが、1番の理由は……

「この村に住まわせていただきたい」
「しかしのう……」
「うむ……いくら、言葉が通じるとはいえのう」

 ロードの懇願に、渋る老人たち。
 そのうち、村の他の住人達も集まってくる。
 ロビンが、スタンピードのことを伝えていなかったため、何が起こっていたか詳しく理解していないものがほとんどだが。

 いや、ロビンは伝えようとしたのだが、老人方に止められていたのだ。
 あのイアーソンが抜かれるなら、逃げ切れるような相手じゃないと。
 実際は、ランドールと鈴木が参戦したことで、抜かれるどころか戦闘にすらならなかったが。

「イアーソン殿に惚れ申した! 是非、彼の傍で共に生きることをお許しいただきたい」
「そういうこと……そういうことか……」
「ひっ!」
「婆さん?」
「爺は黙ってなさい!」

 本心を村人達にぶつけたところ、1人の老婆が覇気を放つ。
 そう、イアーソンの育ての親であり、祖母でもあるニーナだ。
 そのあまりの迫力はオーガロードを怯ませて余りある。

「それはどういう意味かな?」
「あの、えっと……」

 ニーナにずいっと顔を寄せられて、思わず涙目でイアーソンを見るオーガロード。
 イアーソンは他の村人たちに、森でのことを話していて気付かない様子。
 いや気付いていて、祖母の空気を読んでの行動かもしれないが。
 
「ねえ、あのお姉さん誰?」
「きれいなひと」
「でもつのがあるよ?」

 そこに家にいなさいと言われていたであろう子供達が、村の騒ぎに我慢できずに出てきたようだ。
 彼らは新たな住人候補を見て、キャッキャとはしゃぎながらお話を始める。
 そう……
 今回のスタンピードの首謀者たるオーガロードは、雌だったのだ。

 その後、イアーソンの家に同居することとなりあれこれと、家事から何やらを叩き込まれたオーガロードは立派な女性となり、ここに史上最強の夫婦が誕生することとなったのは別のお話。
 子宝にも恵まれ、家族単位で様々な伝説を残すこととなるのも……

 
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