あの世からのお迎えを待つばかりのおばあちゃんが、異世界の悪役令嬢と入れ替わったら

白柿

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残ライフ5

03.

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「なっ、何を……義姉上っ……!?」

 何って──じいさんが、私の夢の中で、生き返ったのだ。それも、ずいぶんと若返って。そんなの、抱きしめてもうどこにも行かせないしか手はなかろう。

「じいさん、会いたかった……もう決して、離すもんか……」
「っブフォッ!」

 まるで誰かが吹き出すような雑音が聞こえてきたが──そんなの構うものか。
 冷たくなっていない、あたたかい身体。
 ──満鶴さんだ。間違いなく、満鶴さんだ。
 私の背中に、その腕が回されることはなかろうとも──もう決して、離してやるものか。

「……ゲールズ」
「っは、はい」
「あっ、義姉上……早く離れてください!」

 すると、無粋にもゲールズとやらと仮の弟が、二人がかりで引き剥がそうとしてくるが──絶対に、何がなんでも、離すものか。
 生涯連れ添ったじいさんを亡くして、もうあんな辛い思いはごめんだ。

「……もう、私をおいて逝かないでくれ」

 私がそう呟いた、その瞬間──突然、頭から全身をサーッと何か冷たい液体が流れ落ちていく感覚に、思考が止まった。
 吃驚して思わず満鶴さんから離れるが──衣装に少しだけかかってしまっている。
 私はといえば頭からつま先まで濡れそぼっているが──目の前の顔を見たとき、そんなことはどうでもよくなった。
 ──赤い。
 ほっぺただけでなく、耳まで、赤く染まっている。
 それに見開かれたその目は、ゆらゆらと動揺で揺れている。
 満鶴さんのこんな顔は、見たことがない。

「……ジル?」

 しかし、そのたった一言ですぐに、その身体はサッと離れていってしまった。

「あろうことか、婚約者の騎士にとは……」

 その下品な台詞に、見上げれば──嘲笑うように歪んだ唇。
 氷のように冷え切った碧色の瞳。

「……かの公爵家に一人、気狂いが紛れこんでいるようだ」

 その右手には傾けられた水差し。
 その侮辱の言葉──この冷たさ──だんだんと震えていく身体──逆に熱を帯びていく身体──頭から水をかけられ、辱められたという屈辱。
 すべてが本物だった。
 静まり返った部屋に、ドアのノック音がやけに響く。
 
「入れ」

 ドアが開く音がして、誰かが入ってきた。

「……これは王太子様。いらっしゃったとはつゆ知らず、失礼いたしました」
「よい。おまえの娘に、用があるのだろう」

 王太子はそう言いながら笑みを深くする。
 その視線の先を辿れば、おれと同じ燃えるような赤毛に、そっくりの吊り上がった目。
 これまた高級そうな、小洒落た衣装を身に纏い、口髭を生やした壮年の男。
 どうやらこれが私の父親らしいが、びしょ濡れになっている娘を見て何か言うことはないのか──?
 王太子様のお手元を見て、何か察したのかもしれないが。

「……苦渋の決断だった」

 私を真っ直ぐに見据えて放たれたそのただ一言が、どうやらこれは夢ではないらしいと悟った今──ひどく心をざわめかせる。

「ポーラルガスト家の当主として、おまえを勘当する。一時間だけおまえに与えよう。その間に荷物を纏め、この屋敷から出て行くのだ」

 ──何を言われているのか、よくわからない。

「それならば、手切金が欲しかろう」

 王太子はカランと水差しを捨て、胸ポケットから何かを取り出した。

「たっぷり弾んでやろう。さあ、これだ」

 何かを投げつけられ、それは私の目の前に落ちた。

「……。」

 それは一輪の──たぶん、薔薇だった。なんか、枯れているが。

「くくっ……はーっはっは!」

 そして王太子は大袈裟なくらいに腹を抱えて、大笑いしている。
 とにかく一言言わせてくれ──解せぬ。







 夜の帳が下りた道を、一人歩く。
 ハンドバッグを一つだけ携えて。
 わけも分からぬまま、知らない男との交わした覚えのない婚約を破棄され、見覚えもない父親に勘当を言い渡され、路上に放り出された。
 家族という面目らしいのに、父親も弟も、おそらくいるのだろう母親も、最後に誰も顔を見に来なかったし──一体この世はどうなってるんだ。
 本当ならば、じいさんの葬式を終えて、今晩だけはわが家に泊まれることになっていたはずなのに、一体全体、どうしてこんなことになった?
 こんな世にも奇妙な目に合うとは──まるで自分にだけ、他の人には見えないお化けが見えているかのようだ。
 奇妙で恐ろしくて、心細い。
 でもそれと同時に、嬉しかった。
 私は自由だ。
 丈夫な足があり、若さも元気もある。
 だから、どこへでも行けるだろう。
 それだけで万々歳だ。
 それに今の私は器量が良い──これは儲けものだ。
 宿屋だってすぐに見つかるだろう。
 そこで、これからどう出るか作戦を練ろう。
 すべてはあの、若かりし頃の満鶴さんと再び結ばれるためだ。
 とりあえず、通りがかった人たちに手当たりしだい、まちまでの道を聞いたので、この道で合っていると思うのだが──まだ、ひとつの灯りも見えてこない。
 あの屋敷を出る前に一度時間を確認したら、夕方の6時10分だった。
 あれから一時間ほど歩いている気がするから、今は夜の7時頃か?
 もはや人通りもなくなり、月明かりだけが頼りだ──と思っていたら、後ろのほうから足音が聞こえてきた。
 異様に早い足音だ。だんだん近付いてくる。先を急いでいるのだろうか──いやでも、申し訳ないが、この道で本当に合っているのか確かめておきたい。
 そう思い、振り返ろうとした瞬間、息が出来なくなった。
 まるで大蛇が巻きつくように、何かが──恐らく人の腕が、巻きつけられ、締めつけられ──
 追い剥ぎか?!
 その腕を振り解こうと必死にもがくが、相手の力が強すぎる──!

「ゔっ……ガッ……」

 苦しい──息が出来ない──!
 遠のいていく意識の中、足が引き摺られ、どこかへと移動させられていることだけが分かった。
 もう駄目だ、気絶している内に身ぐるみ全部剥がされる──と思ったとき、突然、首の圧迫がなくなった。
 解放された。
 必死で呼吸するが、思わず咳込んでしまう。
 とにかく、逃げなくては──そう思い足を踏み出した瞬間、暗くて見えなかったが、「シュッ」という、何か、まるで──時代劇で侍が鞘を抜くときのような音が響き渡り、まだ目の前に誰かいるのだと悟った。
 ──咳き込んでいたときハンドバッグくらい奪えたはずなのに、それはまだ手元にある。
 これは追い剥ぎではない。

 私を、殺すつもりで──

 そう理解した瞬間、恐怖だけがあった。
 逃げる隙も、後退る隙さえも与えられなかった。
 何かが切り裂かれる音と共に、瞬時に強烈な痛みに襲われていた。
 痛い、痛い、痛い。
 左胸が痛くて熱い。
 どくどくと血が脈打っては、噴き出していく感覚。
 死にたくない──
 まだ死にたくない──

「っア゛……」

 じいさんが死んで、私も早くそっちに連れていってくれだなんて思っていたのに──死に際になって、これだ。
 とんだ馬鹿だな、私。

「ま、まだ……っカハッ……」

 まだ私は死ねないんだ、と威勢を張るつもりが、吐き出されたのは濃密な鉄の味だった。
 全身の痺れと、薄れゆく意識の中で、私はあのぬくもりをもう一度だけ、と願った。
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