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第三章 勇者ああああと壊れた城の灰かぶり

3-16 終わりの始まり

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 いつもの日常とは明らかに違う、けたたましい観衆の声で目が覚めた。

 東側に設けられた窓からは日光が入ってこない。既に昼を越しているらしい。

 体に重くのしかかる毛布を払い、ベッドから足を垂らして腰かけた。

 未だ眼は冴えず、ぼんやりとした視界の中央に、これぞ魔女帽といったものを被っている女の人がいるのが分かった。そして寝起きの頭でも、この人物が誰かは簡単に理解ができた。



「……ふあぁ……おはようございますヒリアさん」

 大きなあくびをしながら挨拶をする。

「もう朝はとっくに過ぎてるんだけどね。ほら、準備しな」

 ヒリアさんは私の間違った挨拶を訂正すると、私の着替えを投げてきて急かしてくる。

 一体何処へ向かうのだろうか。それは外の様子と今日の日付を確認したところで漸く合点が付いた。



 着替えが終わり、簡単なご飯を済ませ、いつもの三人で目的の場所へ向かう。出発の際に宿屋の主人がいつも通りの元気そうな声で見送ってくれた。

 店が立ち並ぶストリートはお祭り騒ぎで、外の国からやってきた人も合わさって人込みでごった返している。

 いろんな文化圏の人間が入り乱れてこんなに楽しそうに笑っているなんて、私にとっては初めて見る光景かもしれない。この時代には、逃れられない絶望など無かったからだ。

 人込みのストリートから更に人口密度が増した広場へ移動すると、中央には大きな台が設置されていた。ここが本日のメインイベントの会場だ。しかしこんなに大人が集まっていると、背の低い私では埋もれてしまって全く見えない。



 困っている私を見かねてか否か、突然お兄ちゃんが私とヒリアさんを抱え、高い建物の屋根へと飛び乗ったのだ。

 不意の衝撃でヒリアさんは咳き込んで動けなくなってしまっている。

 私は彼女の背中を摩りながらも、先ほどまでいた広場の方へと目を向けた。

 地上からは見ることが叶わなかったが、台の上には見覚えのある人物が立っている。

 フランク・ローランス王国の王子。そして、その隣には、あの日エラちゃんが希望と共に置き去りにしたガラスの靴が置かれていた。



 そう、今日この場所で行われるのは、そのガラスの靴がぴったりとはまる人物を探し出すためのイベント。そしてその人はこの場で王子との婚約が交わされるというのだ。

 参加者は、あの晩の舞踏会に参加した貴族たち。

 即席で作られた柵の中に貴族たちが入っており、その外から民衆たちが見ているという形になっている。

 まるで犯人探しのようでもあるが、趣きとしては真逆だ。罪人は受け入れられない人物であり、ガラスの靴を履くことができる人物は誰しもが憧れる、王子の妃となるのだから。



 既にイベントは始まっており、係の人に促され、一人ずつ台へと上がっていっては降ろされる。

 なんで私までと疑問に思いながら上がる人や、あわよくばと靴を履こうとして上手くいかずに降ろされる人など様々な人間模様が垣間見える。

 その中には、あの家族も混じっていた。



 エラちゃんの家の、あの三人。母親と、その娘二人。当然、エラちゃんの姿は含まれていなかった。

 彼女たちは先ほど挙げた者の前者か後者か。表情や仕草から察するに、後者と見受けられる。

 しかし当然の如く靴は合わず、台から降ろされることとなった。

 そんな娘たちを見た母親は、あろうことか係の人に対して文句をつけ始めたのだ。

 モンスターペアレントというものだろうか。あまりの剣幕に係の人もたじろいでいる。こんな喧騒の中でさえも、あの母親の声が聞こえてきそうなくらいの勢いだ。



 その時、一つの大きな声が響いた。

 何と言ったか聞き取れなかった。しかしその効果は絶大で、先ほどまで喋っていた民衆と貴族全員が私語を止めたのだ。そしてそれほどの圧力を発揮できる人物は、この中にただ一人。

「これは正式な祝いの場だ。荒らすようなら帰ってもらうぞ!」

 王子。二言目は、少し離れたこの屋根の上からでもはっきりと聞き取れた。



 流石に王子に言われてはどうしようもない。母親は沈黙を作り、静かに元の位置へと帰ろうとする。しかし彼女は愚かしくも王子にまで向かって口答えしようとしている……!?

 歪んだ顔と振り返ろうとする仕草。刹那の内に理解した私は咄嗟に目を瞑った。

 怖かった。例え残酷無比なあの母親でも、恐ろしい仕打ちを受けると思うと肝が冷えたのだ。或いは自分がその仕打ちを受ける姿を想像してしまったのかもしれない。

 だが次の瞬間、新たな少女の声が場に響いた。



「止めてください。その人は私の母です」

 誰もが息を飲んだ。

 私はその声に驚いて会場に目を向ける。

 心臓が止まりそうだった。来るって信じてはいたけど、心のどこかでは不安だったせいもあるかもしれない。

 見慣れたみすぼらしい服を着た少女の貌は、いつも見る物とは違っていた。



 少女の名はエラ。傷だらけの肌は跡形もなく消え、その子は、とても、とても、綺麗だった。

「君だ……! 間違いない!」

 先ほどまで不機嫌だった王子の表情はみるみる緩んでいき、係の人を押しのけて少女の元へ向かっていった。



 反面、義母の顔は急激に青ざめ、エラちゃんに向かって指を指すとこう言った。

「…………貴女、誰? 貴女は私の娘なんかじゃない!」

 その言葉は場の雰囲気を盛り下げる要因となるだろう。しかしこの程度の言葉だけで、これだけ爆発寸前の空気には太刀打ちできない。ただ、周りから白い目で見られるだけだ。



 目を凝らすと、エラちゃんの片方の足が輝いていた。もう片方のガラスの靴だ。

「係員! 例の物を持ってこい!」

 王子がそう命令すると、係の人がガラスの靴と、もう一つ何かの箱のようなものを持ってこさせた。



「さあ、靴を履いて」

 王子が優しくエスコートし、王子自らが片方のガラスの靴をエラちゃんの足にはめる。

 その光景を見た近くの観衆たちが沸き立ち始め、それにつられてよく見えていないはずの外周の人たちも盛り上がり始めると、場はお祭りのピークかのように雰囲気が変わった。

 そんな歓声をさらにヒートアップさせる為、王子が声を上げた。



「聞け! 私は今日この時を持って、彼女を妃として迎え入れる!」

 彼の言葉が発せられた瞬間、さっきまで大騒ぎしていた群衆たちが一斉に押し黙る。まるで魔法でも使っているのではないかとも思えるほどのカリスマ性だ。

「そして彼女の名は……」

 そうだ、王子はまだ彼女の名を知らない。

 今まで耐えがたい苦しみを味わい、それでも希望を信じ、遂に幸せを叶える――少女の名を。



「エラ……」

「エラ・ローランス――それが君の、今日からの名前だ」

 そう言うと王子はエラちゃんの手を取り、先ほど持ってこさせた箱から何かを取り出した。

 きらきらと輝くそれはエラちゃんの薬指へとはめられる。――結婚指輪だ。

 エラちゃんは王子の顔を見上げ潤んだ眼を向ける。その時の彼女の表情はこの世の誰よりも美しく、カメラがあったのなら至高の一枚として美術館に飾れるほどの写真となったのだろう。

 まるで時が止まったかのようだった。音もなく。風もなく。ただ、美男美女の二人が見つめ合う。



 数秒後、遂に我慢できなくなった群衆たちが声を上げた。

「祭りだああああああ!」

 その誰かの一言とともに、一方ではビールかけが始まり、一方では乱闘が始まった。

 私にとっては初めて見るほどの大騒ぎ様で、つい参加したくなるほどであった。



 だが、私には一つ気になることがあったのだ。

 さっきまであんなに突っかかっていたエラちゃんの家族たちがいなくなっている。

 プロポーズの際は何事も起きなかったのでホッとはしているが……何か嵐の前の静けさのようなものを感じて不気味な感覚を覚えた。



 王子とエラちゃんは幸せそうに手を繋ぎながらどこかへと行ってしまう。

 彼らが見えなくなったところで、またあの感覚に襲われた。

 時間が飛ぶ。今度はどれくらいの時が過ぎるのだろうか。

 しかしこんなに幸せな光景を目にしたというのに、私の胸の中にはもやもやとした雲が詰まっている。

 だが私ができることはもう終わったのだ。

 ……でも。



 ――――もう一度、もう一度だけエラちゃんに会ってから旅の続きを始めよう。

 単純に会いたかったからではない、何かがそうさせるように、私はそう決意した。

 真白の光はどんどん強くなり、私たちは消えるようにこの時を後にした。
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