好きになんてならないからな!

朔弥

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 電話の相手は会長だろうが、話しの内容までは分からない。



「───···では、そのように」
 電話を終えた新井が再び高瀬の元へとやってきた。そしてビジネスバックから薬袋やくたいを取り出すと、高瀬に受け取るよう差し出した。
「···これは?」
 何の薬が入っているのだろうか。
 受け取りながら高瀬は恐る恐る尋ねた。だが新井は薄い笑みを浮かべただけでの答えない。その笑みが余計な事は聞かない方がいいと物語っている。
「彼が抑制剤が欲しいのはヒートが来るまでであれば、通常の薬を渡せばいい。もし、番になる気がないようであれば、会長から抑制剤だと言って渡されたこちらの薬を彼に渡すように」
「······」
 わざとらしく抑制剤の言葉を強調しながら新井は言った。自分もただの抑制剤だと聞かされていたと逃げ道を作っているように聞こえる。
 更に新井は、そういえば···と言葉を続けた。
「いつも飲まれている薬ではないから、躰に合わない事もあるかもしれないな。もし、体調に変化があれば常務に連絡をしてお前は部屋を出ろ」
 薬が合わずに体調に変化があれば連絡するのは常務ではなく病院ではないのか。しかも部屋から出ろと言うのは、αである自分が近くに居ては不味い状態に彼はなるという事なのだろう。
 これがただの抑制剤の筈がない事は安易に想像がつく。このまま受け取ってしまっていいのだろうか、と手にした袋を見つめていると、
「会長も早く二人が番になる事を望んでいるんだ。余計な事は考えるな」
 と、言いながら新井は高瀬の肩に手をかけた。
 会長の意向に背けば解雇クビ。その二文字が高瀬から考え判断する事を奪う。
「会長の方針に従っていれば間違いはないさ。常務だってすぐに気づかれる。西園寺グループのトップに立とうとする者がたった一人のΩに振り回されるなんて事、あってはならないとな」
 ぽんぽんと二度肩を叩き、新井は高瀬の耳元に顔を寄せた。
「会長はお前の行動に期待しているそうだ」
 そう囁くと、新井は去っていった。
 一人残された高瀬は黙って薬袋を鞄の中へとしまった。





 言われた通りに動くだけだ···


 
 
 高瀬は地下駐車場で新井から渡された抑制剤である筈の薬袋に手を伸ばした。だが、袋に指が触れる直前で手にするのを躊躇った。

 これを渡してしまっていいのだろうか。
 
 心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。会長の判断に間違いはないと言った新井の言葉が脳裏から離れない。たが、本当にこのまま従っていいのだろうか。本人の意志に関係なく番に···。
 高瀬はいつの間にか止めていた呼吸を大きく吸い込んだ。そして新井に渡された方ではなく、常務に言われ用意した抑制剤の薬袋を手にする。
 無理に番にさせる為に薬を盛る役目なんて出来るはずがない。新井には常務が御自分で渡されてしまったとでも言って誤魔化せばいい、と高瀬は心を決めた。

「今、飲んでいる薬がなくなったら、こちらを服用して下さい。本社の方で用意してもらった抑制剤なので、柚月さんが飲んでいる抑制剤とは異なるかもしれませんが···」
 柚月に差し出す。
「ありがとうございます」
 柚月は抑制剤を手にできた事にホッとした表情を浮かべながら受け取った。
「いえ···。では、私は他の階に用意されている部屋で仕事をしていますので、何かあれば昨日お渡ししたスマホでご連絡下さい。本社に出向いている時でも20分もあれば戻れますので」
 そう伝えると高瀬は柚月に軽く頭を下げドアへと向かった。


「高瀬さん」
 部屋を出ようとリビングのドアのレバーハンドルに手をかけた高瀬に向かって柚月は呼び止めた。
 柚月に呼ばれた高瀬は足を止め振り返る。
「何か?」
「さっきは伝えてもらう事はないって言いましたが···」
 柚月は少し迷いながら言葉を続けた。
「あの···やっぱり、退職を取り消して貰えないか聞いて欲しいんですが···。この部屋を出るなと言うなら、リモートワークで出来る仕事があれば···」
 柚月の言葉に高瀬は眉を顰める。
 退職の手続きを進めたのは会長だと昨日、説明した筈だ。その会長の意思に背くように柚月が仕事を出来るようにする事は、会長の不興を買ってもおかしくない行為だと分かっているのだろうか、と高瀬は益々ますます眉間の皺を深くさせた。
「会長の決められた事に常務が背くとは思えませんが···」
「それでもいいです。聞いてみて下さい」
 無駄な事は···と言う高瀬に対し、柚月ははっきりと答えた。

 いちいち突っかかってくる面倒な奴だと思われた方がいい。会長に逆らえず出来ないと言うのであれば、それに対して文句が言える事が増えるだけだ、と柚月は考えながら視線を手渡された薬袋に落とした。


 ただ ───···


 もし、会長に逆らってまで仕事をしても良いと言われてしまったら。その時、自分は斗真に今のままの感情でいられるだろうか。


 そんな揺れる柚月の気持ちを知らない高瀬は、抑制剤を渡した判断を誤ったのかもしれない、と少し後悔していた。
 抑制剤を常務が用意した事で自分の意のままに常務が動くと勘違いしているのではないだろうか。
 万が一にもないとは思うが、もし···Ωひとりの為に会長の意見に逆らうなんて判断を常務がされでもしたら···。
 高瀬は手にしている鞄をチラリと見る。
 鞄の中に入っているもう一つの薬の存在がやけに大きく感じられた。
 

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