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彼の笑顔はあまりにも穏やかだった
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「お前の初めての仕事だ。管理番号ヲ-697。」
「はい。」
人は、死んだらこの世界にやってくる。
ここは所謂『死後の世界』で、人はここで、生前の全てを忘れ、また輪廻を巡るのだ。
それはこの世の理であり、必然で、そして決して避けられぬ無情なものでもある。
僕はそれを、管理するために生まれた『神の造り者』だった。
そして、
「おいおい、お前の感情プログラムはどうなっているんだ?」
「感情プログラム……?」
「バグかぁ?しまったなぁ、何百年ぶりだ?こんなこと起こるの。」
失敗作でもあった。
【01,そして僕らは家族になった】
死者の心に寄り添い、しかし感情を入れすぎてはいけない。
管理人にはその微妙な匙加減を求められる。
だけど僕は、そもそもその心が理解できなかった。
そのため、僕に任された仕事は門の管理だった。
門の仕事はやってくる死者をデータと照らし合わせ、その人が本来の予定通りに亡くなっているかをチェックしていく事や死者の整理などだ。
まあ、産まれたばかりの僕がやることなど、ただ門を潜る人間が現世に逃走しないように見張る位なのだけれど。
そんな中、1人の女性が死んでこちらの世界にやってきた。
彼女は本来の運命通りに死んだ人間ではなかった。
彼女は神の定めた予定では事故で意識不明になるも、1週間後には意識を取り戻し、そして1人の子供を産み、その後に老衰で亡くなる予定になっていた。
何があって彼女が誤ってこちらに来てしまったのかはわからない。ただの門番である僕が知る必要があるとも思えなかった。
しかし、死んでしまったものは仕方がない。
彼女の代わりに1人の死者がやってこないし、彼女はこのまま死者としてここで暮らすことになるだろう。
「お前の初めての仕事だ。管理番号ヲ-697。」
「はい。」
「管理人として、神の造り者として、彼女が何故運命より先に死んだのか、それが周りに及ぼす影響を調査しろ。」
「わかりました。」
本来の『魂の管理人』としての初めての仕事。
それを任せると言った先輩は少し目を細めて、僕の頭にその大きな手を乗せた。
「697……いや、ロクナ。お前は決して心が無いわけじゃない。それを、忘れるなよ。」
と、ポンポンと何度か僕の頭を撫で、そして、死者のプロフィールの書かれた資料を手渡してきた。
「お前にとって、いい出会いになるといいな。」
それでも僕は、先輩の言葉がよく分からなかった。
****
「貴女の死についてお尋ねしたいのですが。」
「ふふ、死後の世界がこんなにも現代的だなんて驚きですね。」
「……そうなんですか?」
目の前で朗らかに笑う女性、九条菫という女性の言葉に、僅かに首を傾げる。
驚くことなのだろうか。
僕はこの世界しか知らない。だから、彼女の言う驚く感情が分からなかった。
「九条菫さん、貴女は運命よりも先に死にました。原因に心当たりは?」
そう尋ねると、彼女はその目を緩ませて嬉しそうに「欲しいものが手に入ったから。」と告げた。
「欲しいもの?」
「ええ、欲しいもの。奏多さんがくれたの。」
まるで事故死したなんて思えないほど、スッキリとした面持ちでそして、とても晴れやかな顔で笑う彼女は僕にとってあまりにも未知の存在だった。
「……わからない。わからないです。どうして欲しいものをくれたのに、死んでしまったのですか。」
「……欲しいものをくれたから、死んだのよ。ずっと欲しかったものをくれたの。決して手に入らないと思っていたものを。」
あまりにも穏やかに笑うのだ。
春のそよ風のような温かさと、動かぬ水面のような静けさ。
机の上には彼女の運命より先に死んだ理由などの詳細を記す調書がある。
けれども、僕はそこに何も書けなかった。
彼女の言う理由がよく分からなかったからだ。
「おい、ヲ-697!いつまでやってるんだ!早く門の仕事に戻れ!」
「あ、はい、すみません。すぐ戻ります。」
僕は管理人としての仕事を請け負ったものの、他の者達と違い、1人しか担当していない。そのため、門の仕事も並行してすることになっていた。
「貴方の名前は?」
「え?」
「貴方の名前です。私の名前は知っていると思いますが、改めて自己紹介しますね。九条菫、享年27歳で事故で昏睡状態になり、そのまま亡くなりました。」
そのため、席を立ち上がった僕に、貴方は?と何故か名を尋ねる彼女。状況が上手く飲み込めなくて何度か目を瞬かせながら彼女を見やる。
「えっと、管理番号ヲ-697です。」
と、なんとか応えると、彼女はその微笑みに少し眉を寄せた。
「……ほかの方は呼び名があるようでしたが。」
「僕は産まれたばかりですし、失敗作ですので……」
そう答えれば、今度はどこか泣きそうな顔になってしまう目の前の女性に、「すみません、不快でしたか?僕は感情がないのでわからなくて。」と、謝れば何故か余計に泣きそうに顔をクシャリと歪めた。
どうしたらいいのだろうと、とりあえずもう一度席に座り直し、目の前の女性を見ていると、ふいに、先輩の手を思い出した。
『697……いや、ロクナ。』
と、思えば僕の数字をわざわざ言い直していた。あれはもしかして、呼び名を与えてくれたのだろうか。
「……そう言えば、1度だけ『ロクナ』と呼ばれたことがあります。」
「ロクナ?」
「697番なので、多分。」
ふと思い出したそれを告げれば、再び門の方から僕番号を呼ぶ声が聞こえた。
「すみません、また明日お話伺いますね。」
机上の資料をまとめ、再び席を立てば、彼女もそれにつられるように立ち上がった。
「わかりました。ロクナさん。また明日。」
「……また明日。」
なんとなく復唱した彼女のその一言。
(……他の死者は嫌がるって聞いてたんだけどな……)
自殺者などは自分の運命より先に死んだことに関して調書をとる時、喚き散らして叫んだり、ただこちらに人生について苦情を申したりと、調書をとること自体を嫌う者が多いらしい。
(……やっぱり変な人だ。)
彼女は凄く変だ。
自分の死をあんなにも穏やかに受け入れて、そして理由もよく分からない。
(……僕はやっぱり、存在する意味が無いのかもしれない……)
分からないことが多すぎた。
感情が存在しない僕には、人間という生き物がとても難しい存在に思える。
「遅いぞ、ヲ-697。さっさと門を見張れ。」
「はい。すみません。」
僕は所詮『失敗作』なのだ。
****
「……奏多さんという方が本来はここに来るはずだったんですね。」
「ええ、恐らく。」
「……欲しいものって、何だったんですか?」
「気になりますか?」
「いえ、具体的にどのような物で運命が曲げられたのか、書かなければいけないので。」
あれから数日、九条菫の話で何となくではあるが、彼女が何故運命より先に死んだのか、その全貌の朧気な輪郭が浮かび上がってきていた。
本来この世に訪れる予定であった1人の死者は彼女の夫であった。
お見合い結婚で、2度目に会った時はもう結婚式。彼女の人生の資料には、淡々とした事実だけがそこに並べられていた。
それでも、その夫のことを話す彼女の顔はとても朗らかで、そして花のようだった。
「……愛ってどんなものなんですか。」
「気になりますか?」
「……貴女はいつもそれを聞きますね。」
「ふふっ、だって気になるのであればそれは『興味がある』ということですから。心がない人間は気になったりしませんよ。」
だから、貴方にはちゃんと心があるのだ、と彼女は笑った。
「……貴女はやっぱり不思議な人ですね。」
そうかしら?とくすくす笑う彼女に、頷き返しておく。
そして、大凡の内容が書かれた調書を彼女に向け、内容を確認してもらう。
彼女自身に起きる気がなく、意識不明の状態の時に死を受けいれてしまい、そのまま昏睡状態になったこと。
そこから運命が綻び、本来干渉できるはずのない夫の死に、彼女が関与してしまったこと。
そしてその夫の代わりに門を潜ったこと。
それらが簡潔にまとめられ、文字として白い紙に座っている。
それにザッと目を通した彼女は「はい、大丈夫です。」と調書を僕に返した。
「奏多さんは、まだ死んでいませんか?」
「……いつもお答えしている通り、僕は失敗作故に貴女しか関わる死者がいません。あとはただの門番ですので、本日亡くなられた方がその奏多さんであるかどうかは分かりません。」
彼女はいつも、調べが終わる頃、そう尋ねる。そして僕もいつもと同じ回答を彼女に返した。
2日目以降、同じやり取りを何度もしている。それでも彼女はその問いかけを辞めることはなく、そして同じ答えを返すだけの僕に彼女は微笑んで「貴方は私にとてもよく似ている。」と言うのだ。
似ているはずがない。
僕は彼女のように穏やかに笑うことも出来ない。
彼女のように誰かを愛すどころか好ましく思う感情すら存在しない。
それに、彼女は人間で、そして僕は神によって造られた失敗作だ。
似ているわけが無い。
「……一応、何故貴女が死んだのか、代わりに死ななかった人間が誰なのか分かりましたのでこれで調書を取るのは終わりです。あとはここで徐々に生前を忘れ、まっさらになった後、転生をします。」
そう言えば彼女はそうですか、とやはりあっさりと受け入れ、ひとつ頷いた。
「奏多さんは、あとどのくらい生きていくんですか?それまで私は、彼のことを覚えていられるでしょうか?」
「わかりません。九条奏多の運命は予定から逸れました。明日死ぬかも知れませんし、何十年と死なないかも知れません。」
そう、本来死ぬ筈であった九条奏多の運命は、神が描いたシナリオはそこまでしかない。
その先は本当に誰にもわからないのだ。
「そう言えば、ロクナさん、貴方は最初に会った時、産まれたばかりだと仰っていました。貴方は何歳なんですか?」
「1週間です。」
「……え?」
聞かれた事を素直に答えたのに何故か動きを止め、こちらを凝視する九条菫に「どうしました?」と問いかける。
すると何故か「ふふっ」と笑いを零したかと思えば、「あははっ」と大声を上げて笑い始めた。
「ごめ、ごめんなさいっ……!ふふっ、だって、まさか1週間だなんて……!子供みたいとは思っていたのだけれど、本当に子供……いえ、赤ちゃんだったなんて。」
「僕は人ではないので赤ちゃんではありません。」
抑えきれていない笑いの中、いきなり僕のことを赤ちゃんだと言い出した彼女。
それに訂正を入れれば、彼女は笑ったまま、首を振った。
「いいえ、貴方はまだ赤ちゃんよ。だから、これから関わっていく人によって貴方はいくらでも変われる。何にでもなれる。」
そう言って彼女は立ち上がり、ゆっくりと僕の頭を撫でた。
僕や先輩とは違う、小さな手だった。
それでも、その手はとても暖かい。
「今は心が分からないかもしれないけれど、きっと母親のような色々を教えてくれる誰かが現れれば、貴方もいつか、心がわかるようになるわ。」
私がそうだったのだから、と彼女はいつもよりも柔らかく微笑んだ。
「奏多さんがいたから、奏多さんが『愛』をくれたから、私はあの人に生きて欲しいと思った。勿論、私なんかより彼の方がっていう思いもあったわよ?それでもね、」
僕はそこで初めて、彼女がずっと欲しくて、それでも手に入らなかったものが『愛』なのだと気がついた。
彼女の人生の記録には事柄しか書かれていない。
そこで彼女が何を思ったのか。
どんなことを諦めて、どんなことに絶望したのかも、そこには何も書かれていない。
ただ起きたことが、書かれているだけだ。
「あの瞬間、私は確かに『生きていてよかった』って思えたの。ずっと死んだように生きていた。心なんて死んだものだと思っていた。でも、生きていたからあの人に会えたの。生きていたから私は最期、笑って逝けたの。」
だからだろうか。
彼女がそう告げた『生』が何よりも眩しくて、彼女のその『心』が何よりも尊いものに思えた。
「じゃあ、貴女が僕のお母さん?」
「えっ!?」
「だって、僕が関われる『人』は貴女だけだから。」
そう僕が言えば、ぽかんと口を開けてこちらを凝視し、再び笑いだした彼女に、なんだか胸の中がホカホカしたような気がした。
それからだった、僕が彼女を『母さん』と呼び、そして門を訪れる男性に、名前を尋ねるようになったのは。
「奏多さんはまだ死んでいませんか?」
「うん、母さん。まだ来てないよ。」
「こんにちは、ロクナ。今日はどうだった?」
「こんにちは、母さん。まだ奏多さんは来てないよ。」
「ねぇ、ロクナ。」
「何?母さん。まだ奏多さんは来てないよ。」
あれから、何十年経ったのか。
母さんはどんどん生前の記憶を無くしていった。
母さんの顔がどんどん薄れていく。
そうやって顔を忘れ、名前を忘れ、自分を忘れて人はただの白い魂となって転生していく。
「ねぇ、母さん。まだ来てないよ。まだ来てないんだ。母さんの、九条菫の旦那さん。」
僕は、何故か母さんに忘れて欲しくなくて、母さんと呼ぶ傍ら『九条菫』という名前を事あるごとに教え続けた。
それは、管理人として、やってはいけないことだとわかっていた。
わかっていても、何故か辞められなかった。
母さんに名を教え続けることも。
門の前で名前を尋ねることも。
そんなある日の事だった。
「貴方は九条奏多さんですか?」
「ちげぇよ!てかなんだよここ!俺はなんでこんなとこにいんだよ!?」
「あ、違うならいいんです。そのまま進んでください。」
「はぁ!?俺の質問に答えろよクソ野郎が!」
いつものように名前を尋ねていた時だった。
生きていればもうそれなりの年齢であろう奏多さんを探していれば、1人、自分の死を受け入れられていない人がいたのだ。
そして、そのまま大声で喚き、何も反応しない僕に余計に腹を立てたのかその拳を振り上げた目の前のお爺さん。
ご高齢で亡くなった割に元気だな、と思いながら抵抗することなく自分に振り下ろされるその拳を眺めていると、
「こらこら、殴るのは感心しませんな。」
「なんだてめぇ!?」
横から伸びてきた手が、その拳を受け止めた。
目の前で怒鳴る男性と同じくらいの歳の男性は、柔らかい目元を更に弛め「ここは私に免じて引いては頂けませんか?」と諭すように語りかける。
拳を止められた男は「チッ!」と舌打ちをし、それでもそのまま素直に受付の方へと進んでいった。
「すみません、ありがとうございます。」
「いえいえ、どうやら私を探していたようでしたので。」
「え……?」
目の前の男性は今なんと言っただろうか。
僕が目の前の男性を探していた?
僕が探していた人は1人しかいない。
「……まさか……」
「私が九条奏多です。」
まるで母さんのような柔らかい表情だった。
死んだばかりとは思えない、穏やかなその表情は、来たばかりの母さんと同じで。
「あ、あ、あの!!母さん知ってますか!?あ、違う。あの九条菫知ってますか!?35年前に亡くなった九条菫です!」
食いつくように言葉を投げて、まるで掴みがかる位にグイッと身を寄せてしまう。
やっとだ。
やっと見つけたのだ。
「……ちょっと待ってね。ちょっと待って。」
「あ、待てないです!来てください!」
「嘘でしょ君!?というより『母さん』ってなに!?僕そこがすごく気になるんだけど!!?」
思わず彼の腕を掴んで、走り出す。
後ろで「おい697!どこへ行くんだ!?」という先輩の怒鳴り声が聞こえるが、そんなのは最早僕にはどうでもよかった。
とにかく早く、彼を母さんに会わせたかった。
覚えているうちに。
母さんが、自分を九条菫だと覚えているうちに。
「母さんはもう自分の顔も覚えてません!でも確かに奏多さんの事を覚えています!」
「うん、だからその母さんっていうのが気になるかなぁ!?」
「ずっと僕は貴方を待っていたんです!早く母さんに会ってください!」
「ホント君人の話聞かないねぇ!?」
ご老体だろうが、そんなの死後の世界には関係ない。
無理やり引っ張って母さんのいる居住区に向かう。
「母さん!」
振り向いた母さんの顔はもうほとんど薄れてしまっていた。
それでも確かに、あの時、母さんは微笑んだのだと、僕には分かった。
九条奏多さんは、母さんの言うようにとても穏やかで、そして優しい人だった。
何故、九条菫を母さんと呼ぶのかも説明すれば彼は笑って「菫の子供なら私の子供でもあるね。」と僕の頭をいつの日かの母さんのように、優しく撫でてくれた。
その日から僕は彼のことを『父さん』と呼ぶようになった。
偽物だとはわかっていた。
そもそも僕は人間ではない。
彼らを管理する側の、神の造り者であって、『家族』になんて到底なれる筈がない。
それでも、母さんが優しく僕の名前を呼ぶその声を聞く度に、母さんに聞かせるために死の間際まで色々な場所を旅していた父さんの話を聞く度に、無性に胸が暖かくなるのだ。
カッコつけて私とか言ってるくせにたまに慌てて一人称が僕に戻ってしまう父さんも、父さんのストレートな惚気に照れて慌てる母さんも、全てが暖かい。
全てが笑顔に変換されていく。
偽物でもいい。
それでも、確かに僕達は__……
「管理番号ヲ-697!神の御意思に叛いた罪で拘束する!」
「待ってくれ!ロクナが何をしたって言うんだ!?」
「ロクナはちゃんと門番の仕事をしていたわ!」
身体を拘束する縄がかけられた途端に、力が入らなくなる。
ああ、これはまずいかもしれないな、と思いながらも何とか母さん達の方を見る。
「父さん。母さんの名前、呼んであげてね。」
来た時よりも薄れた父さんの顔が歪む。
そして僕の意識は暗転した。
神の造り者でありながら神の御意思に叛いた。
その罪はとても重いものだろう。
「ははっ……」
拘束されたまま投げ込まれた何も無い狭い部屋で笑いをこぼす。扉は鉄格子で、自分が罪人であるという現実を嫌という程伝えてくる。
不思議だ。
すごく不思議なんだ。
心がこんなにも軽いなんて。
これがきっと『後悔していない』っていうことなのだろう。
「おい、バカロクナ。なんでこんな事してたんだ。」
「先輩……」
いつの間にか格子の向こうに、僕が産まれた時にあった『ロクナ』という呼び名を与えた先輩が立っていた。
「お前わかってやってたんだろ?あの仏さんに自分の名前を教え続ければ、転生時期をずらすことになるって。いや、むしろ転生時期をずらす事が目的だったんだろ?」
「はい。」
間髪入れずに肯定すれば「清々しい顔して認めやがって……」と苦々しい顔で自身の後頭部を荒く掻いた先輩。
「お願いします。先輩。母さ……九条菫さんと、九条奏多さんの転生時期を揃えて欲しいんです。」
「おいおい……この期に及んでまだ神に叛く気か?」
「どうせ消滅処分を待つ身です。最期の願い、聞いて頂けませんか?神に進言するだけでいいんです。」
お願いしますと拘束されたまま、頭を下げる。
僕はいい。僕はどうなっても所詮は神の造り者だ。神の意思によって造られ、そして消されるだけの存在。
それでも、それでもただ、母さんと父さんには、次の生では一緒に笑いあって、歳をとって、共にその人生を歩いていって欲しい。それだけでいい。
今回の生で、叶わなかった分も2人が笑って過ごしてくれたのならそれでいいのだ。
「……本来なら、九条菫はもう転生の準備に入っている。まあ、だからこそ、今回のお前の件が明るみに出たんだが……お前が九条菫の転生を歪めた期間は約30年。お前の目論見通り、このまま行けばあと何十年かすれば九条菫と九条奏多はそれなりに近い年齢で転生できるだろうさ。」
その先輩の言葉に、僕は下げていた頭を上げた。
真っ直ぐ向けた視線の先にいる先輩は、気まずそうな顔をしながら「お前が九条奏多に余計なこと教えたせいだからな。」と更に言葉を続ける。
「……無理やり転生とかは……」
「できねーし、させねーよ。あんだけまだしっかり自分を覚えてるからな。」
ありがとうございます、と再び頭を下げれば、「お前のためじゃねーよ。」とぶっきらぼうな答えが返ってくる。
思えば、感情プログラムのバグが存在した僕に、一番最初に『心』を教えようとしてくれたのは先輩だけだった。
きっとぶっきらぼうに言いながらも、今回の件で目を瞑ってくれた部分も多いのだろう。
「ありがとうございます。先輩。」
僕は今、とても心が軽い。
無かったはずの心が、とても。
「……初めて見たお前の笑顔が、格子越しだなんてな。」
そんな先輩の声はどこか震えているような気がした。
****
それから、どれ程の月日が経ったのかはわからない。
たまに訪れる先輩から、母さんと父さんが無事に転生を迎えたことを知った。
そして今日は、
「……お前の処分が決まった。管理番号ヲ-697。『管理人』としての存在地位を剥奪。この世界に、お前の居場所はなくなった。」
僕の処刑の日だ。
「……どうして泣くんですか、先輩。」
「泣いてねぇよ、バカロクナ。」
「そうですか?でも凄い顔面が濡れてますけど。」
「これは雨のせいだ。」
「この世に天気なんて存在しないじゃないですか。」
そう、この世に天気なんて存在しない。
どこまでも澄んだ青が自分の上に広がっている。
久々に見た、外の光景だった。
「……ねぇ、先輩。」
「なんだよ。」
「最期まで、僕の処分を軽減しようと頑張って下さったんでしょう?ありがとうございます。」
「……やめろよ、俺は結局お前の『存在地位』を守れなかった。神に俺の声は届かなかった。」
「それでも、ありがとうございます。」
存在地位の剥奪。それは存在の消滅である。
神に与えられた、存在を許された地位を奪われるということは、神の造り者である僕達は存在できなくなるということ。
僕の死が、迫っているということだ。
「生まれてきてよかったです、僕。」
感情の無い、欠陥品の僕は上手く笑えていただろうか。
笑えていたのならいいな。
……ああ、全てが黒く、黒く染まっていく。
****
どこかで声が聞こえる。
暖かいそこで、誰かが「頑張れ」と言っている。
(行かなきゃ……)
声がする方へと。
あの暖かい光の元へと。
彼らの元へと。
「生まれましたよ!菫さん!」
誰かの「オギャア」と叫ぶような泣き声が聞こえる。
違う、これは『僕の声』だ。
僕の『産声』だ。
「産まれたよ!産まれたよ菫!」
「ええ……!ねぇ、奏多さんも、抱っこしてあげて……」
ねぇ、先輩。
先輩の声は確かに神に届いていたのかもしれないよ。
「ああ、やっと会えたわ……!」
「ああ、やっとだ。やっと会えたな、私たちの息子に。」
【そして僕らは家族になった】
「はい。」
人は、死んだらこの世界にやってくる。
ここは所謂『死後の世界』で、人はここで、生前の全てを忘れ、また輪廻を巡るのだ。
それはこの世の理であり、必然で、そして決して避けられぬ無情なものでもある。
僕はそれを、管理するために生まれた『神の造り者』だった。
そして、
「おいおい、お前の感情プログラムはどうなっているんだ?」
「感情プログラム……?」
「バグかぁ?しまったなぁ、何百年ぶりだ?こんなこと起こるの。」
失敗作でもあった。
【01,そして僕らは家族になった】
死者の心に寄り添い、しかし感情を入れすぎてはいけない。
管理人にはその微妙な匙加減を求められる。
だけど僕は、そもそもその心が理解できなかった。
そのため、僕に任された仕事は門の管理だった。
門の仕事はやってくる死者をデータと照らし合わせ、その人が本来の予定通りに亡くなっているかをチェックしていく事や死者の整理などだ。
まあ、産まれたばかりの僕がやることなど、ただ門を潜る人間が現世に逃走しないように見張る位なのだけれど。
そんな中、1人の女性が死んでこちらの世界にやってきた。
彼女は本来の運命通りに死んだ人間ではなかった。
彼女は神の定めた予定では事故で意識不明になるも、1週間後には意識を取り戻し、そして1人の子供を産み、その後に老衰で亡くなる予定になっていた。
何があって彼女が誤ってこちらに来てしまったのかはわからない。ただの門番である僕が知る必要があるとも思えなかった。
しかし、死んでしまったものは仕方がない。
彼女の代わりに1人の死者がやってこないし、彼女はこのまま死者としてここで暮らすことになるだろう。
「お前の初めての仕事だ。管理番号ヲ-697。」
「はい。」
「管理人として、神の造り者として、彼女が何故運命より先に死んだのか、それが周りに及ぼす影響を調査しろ。」
「わかりました。」
本来の『魂の管理人』としての初めての仕事。
それを任せると言った先輩は少し目を細めて、僕の頭にその大きな手を乗せた。
「697……いや、ロクナ。お前は決して心が無いわけじゃない。それを、忘れるなよ。」
と、ポンポンと何度か僕の頭を撫で、そして、死者のプロフィールの書かれた資料を手渡してきた。
「お前にとって、いい出会いになるといいな。」
それでも僕は、先輩の言葉がよく分からなかった。
****
「貴女の死についてお尋ねしたいのですが。」
「ふふ、死後の世界がこんなにも現代的だなんて驚きですね。」
「……そうなんですか?」
目の前で朗らかに笑う女性、九条菫という女性の言葉に、僅かに首を傾げる。
驚くことなのだろうか。
僕はこの世界しか知らない。だから、彼女の言う驚く感情が分からなかった。
「九条菫さん、貴女は運命よりも先に死にました。原因に心当たりは?」
そう尋ねると、彼女はその目を緩ませて嬉しそうに「欲しいものが手に入ったから。」と告げた。
「欲しいもの?」
「ええ、欲しいもの。奏多さんがくれたの。」
まるで事故死したなんて思えないほど、スッキリとした面持ちでそして、とても晴れやかな顔で笑う彼女は僕にとってあまりにも未知の存在だった。
「……わからない。わからないです。どうして欲しいものをくれたのに、死んでしまったのですか。」
「……欲しいものをくれたから、死んだのよ。ずっと欲しかったものをくれたの。決して手に入らないと思っていたものを。」
あまりにも穏やかに笑うのだ。
春のそよ風のような温かさと、動かぬ水面のような静けさ。
机の上には彼女の運命より先に死んだ理由などの詳細を記す調書がある。
けれども、僕はそこに何も書けなかった。
彼女の言う理由がよく分からなかったからだ。
「おい、ヲ-697!いつまでやってるんだ!早く門の仕事に戻れ!」
「あ、はい、すみません。すぐ戻ります。」
僕は管理人としての仕事を請け負ったものの、他の者達と違い、1人しか担当していない。そのため、門の仕事も並行してすることになっていた。
「貴方の名前は?」
「え?」
「貴方の名前です。私の名前は知っていると思いますが、改めて自己紹介しますね。九条菫、享年27歳で事故で昏睡状態になり、そのまま亡くなりました。」
そのため、席を立ち上がった僕に、貴方は?と何故か名を尋ねる彼女。状況が上手く飲み込めなくて何度か目を瞬かせながら彼女を見やる。
「えっと、管理番号ヲ-697です。」
と、なんとか応えると、彼女はその微笑みに少し眉を寄せた。
「……ほかの方は呼び名があるようでしたが。」
「僕は産まれたばかりですし、失敗作ですので……」
そう答えれば、今度はどこか泣きそうな顔になってしまう目の前の女性に、「すみません、不快でしたか?僕は感情がないのでわからなくて。」と、謝れば何故か余計に泣きそうに顔をクシャリと歪めた。
どうしたらいいのだろうと、とりあえずもう一度席に座り直し、目の前の女性を見ていると、ふいに、先輩の手を思い出した。
『697……いや、ロクナ。』
と、思えば僕の数字をわざわざ言い直していた。あれはもしかして、呼び名を与えてくれたのだろうか。
「……そう言えば、1度だけ『ロクナ』と呼ばれたことがあります。」
「ロクナ?」
「697番なので、多分。」
ふと思い出したそれを告げれば、再び門の方から僕番号を呼ぶ声が聞こえた。
「すみません、また明日お話伺いますね。」
机上の資料をまとめ、再び席を立てば、彼女もそれにつられるように立ち上がった。
「わかりました。ロクナさん。また明日。」
「……また明日。」
なんとなく復唱した彼女のその一言。
(……他の死者は嫌がるって聞いてたんだけどな……)
自殺者などは自分の運命より先に死んだことに関して調書をとる時、喚き散らして叫んだり、ただこちらに人生について苦情を申したりと、調書をとること自体を嫌う者が多いらしい。
(……やっぱり変な人だ。)
彼女は凄く変だ。
自分の死をあんなにも穏やかに受け入れて、そして理由もよく分からない。
(……僕はやっぱり、存在する意味が無いのかもしれない……)
分からないことが多すぎた。
感情が存在しない僕には、人間という生き物がとても難しい存在に思える。
「遅いぞ、ヲ-697。さっさと門を見張れ。」
「はい。すみません。」
僕は所詮『失敗作』なのだ。
****
「……奏多さんという方が本来はここに来るはずだったんですね。」
「ええ、恐らく。」
「……欲しいものって、何だったんですか?」
「気になりますか?」
「いえ、具体的にどのような物で運命が曲げられたのか、書かなければいけないので。」
あれから数日、九条菫の話で何となくではあるが、彼女が何故運命より先に死んだのか、その全貌の朧気な輪郭が浮かび上がってきていた。
本来この世に訪れる予定であった1人の死者は彼女の夫であった。
お見合い結婚で、2度目に会った時はもう結婚式。彼女の人生の資料には、淡々とした事実だけがそこに並べられていた。
それでも、その夫のことを話す彼女の顔はとても朗らかで、そして花のようだった。
「……愛ってどんなものなんですか。」
「気になりますか?」
「……貴女はいつもそれを聞きますね。」
「ふふっ、だって気になるのであればそれは『興味がある』ということですから。心がない人間は気になったりしませんよ。」
だから、貴方にはちゃんと心があるのだ、と彼女は笑った。
「……貴女はやっぱり不思議な人ですね。」
そうかしら?とくすくす笑う彼女に、頷き返しておく。
そして、大凡の内容が書かれた調書を彼女に向け、内容を確認してもらう。
彼女自身に起きる気がなく、意識不明の状態の時に死を受けいれてしまい、そのまま昏睡状態になったこと。
そこから運命が綻び、本来干渉できるはずのない夫の死に、彼女が関与してしまったこと。
そしてその夫の代わりに門を潜ったこと。
それらが簡潔にまとめられ、文字として白い紙に座っている。
それにザッと目を通した彼女は「はい、大丈夫です。」と調書を僕に返した。
「奏多さんは、まだ死んでいませんか?」
「……いつもお答えしている通り、僕は失敗作故に貴女しか関わる死者がいません。あとはただの門番ですので、本日亡くなられた方がその奏多さんであるかどうかは分かりません。」
彼女はいつも、調べが終わる頃、そう尋ねる。そして僕もいつもと同じ回答を彼女に返した。
2日目以降、同じやり取りを何度もしている。それでも彼女はその問いかけを辞めることはなく、そして同じ答えを返すだけの僕に彼女は微笑んで「貴方は私にとてもよく似ている。」と言うのだ。
似ているはずがない。
僕は彼女のように穏やかに笑うことも出来ない。
彼女のように誰かを愛すどころか好ましく思う感情すら存在しない。
それに、彼女は人間で、そして僕は神によって造られた失敗作だ。
似ているわけが無い。
「……一応、何故貴女が死んだのか、代わりに死ななかった人間が誰なのか分かりましたのでこれで調書を取るのは終わりです。あとはここで徐々に生前を忘れ、まっさらになった後、転生をします。」
そう言えば彼女はそうですか、とやはりあっさりと受け入れ、ひとつ頷いた。
「奏多さんは、あとどのくらい生きていくんですか?それまで私は、彼のことを覚えていられるでしょうか?」
「わかりません。九条奏多の運命は予定から逸れました。明日死ぬかも知れませんし、何十年と死なないかも知れません。」
そう、本来死ぬ筈であった九条奏多の運命は、神が描いたシナリオはそこまでしかない。
その先は本当に誰にもわからないのだ。
「そう言えば、ロクナさん、貴方は最初に会った時、産まれたばかりだと仰っていました。貴方は何歳なんですか?」
「1週間です。」
「……え?」
聞かれた事を素直に答えたのに何故か動きを止め、こちらを凝視する九条菫に「どうしました?」と問いかける。
すると何故か「ふふっ」と笑いを零したかと思えば、「あははっ」と大声を上げて笑い始めた。
「ごめ、ごめんなさいっ……!ふふっ、だって、まさか1週間だなんて……!子供みたいとは思っていたのだけれど、本当に子供……いえ、赤ちゃんだったなんて。」
「僕は人ではないので赤ちゃんではありません。」
抑えきれていない笑いの中、いきなり僕のことを赤ちゃんだと言い出した彼女。
それに訂正を入れれば、彼女は笑ったまま、首を振った。
「いいえ、貴方はまだ赤ちゃんよ。だから、これから関わっていく人によって貴方はいくらでも変われる。何にでもなれる。」
そう言って彼女は立ち上がり、ゆっくりと僕の頭を撫でた。
僕や先輩とは違う、小さな手だった。
それでも、その手はとても暖かい。
「今は心が分からないかもしれないけれど、きっと母親のような色々を教えてくれる誰かが現れれば、貴方もいつか、心がわかるようになるわ。」
私がそうだったのだから、と彼女はいつもよりも柔らかく微笑んだ。
「奏多さんがいたから、奏多さんが『愛』をくれたから、私はあの人に生きて欲しいと思った。勿論、私なんかより彼の方がっていう思いもあったわよ?それでもね、」
僕はそこで初めて、彼女がずっと欲しくて、それでも手に入らなかったものが『愛』なのだと気がついた。
彼女の人生の記録には事柄しか書かれていない。
そこで彼女が何を思ったのか。
どんなことを諦めて、どんなことに絶望したのかも、そこには何も書かれていない。
ただ起きたことが、書かれているだけだ。
「あの瞬間、私は確かに『生きていてよかった』って思えたの。ずっと死んだように生きていた。心なんて死んだものだと思っていた。でも、生きていたからあの人に会えたの。生きていたから私は最期、笑って逝けたの。」
だからだろうか。
彼女がそう告げた『生』が何よりも眩しくて、彼女のその『心』が何よりも尊いものに思えた。
「じゃあ、貴女が僕のお母さん?」
「えっ!?」
「だって、僕が関われる『人』は貴女だけだから。」
そう僕が言えば、ぽかんと口を開けてこちらを凝視し、再び笑いだした彼女に、なんだか胸の中がホカホカしたような気がした。
それからだった、僕が彼女を『母さん』と呼び、そして門を訪れる男性に、名前を尋ねるようになったのは。
「奏多さんはまだ死んでいませんか?」
「うん、母さん。まだ来てないよ。」
「こんにちは、ロクナ。今日はどうだった?」
「こんにちは、母さん。まだ奏多さんは来てないよ。」
「ねぇ、ロクナ。」
「何?母さん。まだ奏多さんは来てないよ。」
あれから、何十年経ったのか。
母さんはどんどん生前の記憶を無くしていった。
母さんの顔がどんどん薄れていく。
そうやって顔を忘れ、名前を忘れ、自分を忘れて人はただの白い魂となって転生していく。
「ねぇ、母さん。まだ来てないよ。まだ来てないんだ。母さんの、九条菫の旦那さん。」
僕は、何故か母さんに忘れて欲しくなくて、母さんと呼ぶ傍ら『九条菫』という名前を事あるごとに教え続けた。
それは、管理人として、やってはいけないことだとわかっていた。
わかっていても、何故か辞められなかった。
母さんに名を教え続けることも。
門の前で名前を尋ねることも。
そんなある日の事だった。
「貴方は九条奏多さんですか?」
「ちげぇよ!てかなんだよここ!俺はなんでこんなとこにいんだよ!?」
「あ、違うならいいんです。そのまま進んでください。」
「はぁ!?俺の質問に答えろよクソ野郎が!」
いつものように名前を尋ねていた時だった。
生きていればもうそれなりの年齢であろう奏多さんを探していれば、1人、自分の死を受け入れられていない人がいたのだ。
そして、そのまま大声で喚き、何も反応しない僕に余計に腹を立てたのかその拳を振り上げた目の前のお爺さん。
ご高齢で亡くなった割に元気だな、と思いながら抵抗することなく自分に振り下ろされるその拳を眺めていると、
「こらこら、殴るのは感心しませんな。」
「なんだてめぇ!?」
横から伸びてきた手が、その拳を受け止めた。
目の前で怒鳴る男性と同じくらいの歳の男性は、柔らかい目元を更に弛め「ここは私に免じて引いては頂けませんか?」と諭すように語りかける。
拳を止められた男は「チッ!」と舌打ちをし、それでもそのまま素直に受付の方へと進んでいった。
「すみません、ありがとうございます。」
「いえいえ、どうやら私を探していたようでしたので。」
「え……?」
目の前の男性は今なんと言っただろうか。
僕が目の前の男性を探していた?
僕が探していた人は1人しかいない。
「……まさか……」
「私が九条奏多です。」
まるで母さんのような柔らかい表情だった。
死んだばかりとは思えない、穏やかなその表情は、来たばかりの母さんと同じで。
「あ、あ、あの!!母さん知ってますか!?あ、違う。あの九条菫知ってますか!?35年前に亡くなった九条菫です!」
食いつくように言葉を投げて、まるで掴みがかる位にグイッと身を寄せてしまう。
やっとだ。
やっと見つけたのだ。
「……ちょっと待ってね。ちょっと待って。」
「あ、待てないです!来てください!」
「嘘でしょ君!?というより『母さん』ってなに!?僕そこがすごく気になるんだけど!!?」
思わず彼の腕を掴んで、走り出す。
後ろで「おい697!どこへ行くんだ!?」という先輩の怒鳴り声が聞こえるが、そんなのは最早僕にはどうでもよかった。
とにかく早く、彼を母さんに会わせたかった。
覚えているうちに。
母さんが、自分を九条菫だと覚えているうちに。
「母さんはもう自分の顔も覚えてません!でも確かに奏多さんの事を覚えています!」
「うん、だからその母さんっていうのが気になるかなぁ!?」
「ずっと僕は貴方を待っていたんです!早く母さんに会ってください!」
「ホント君人の話聞かないねぇ!?」
ご老体だろうが、そんなの死後の世界には関係ない。
無理やり引っ張って母さんのいる居住区に向かう。
「母さん!」
振り向いた母さんの顔はもうほとんど薄れてしまっていた。
それでも確かに、あの時、母さんは微笑んだのだと、僕には分かった。
九条奏多さんは、母さんの言うようにとても穏やかで、そして優しい人だった。
何故、九条菫を母さんと呼ぶのかも説明すれば彼は笑って「菫の子供なら私の子供でもあるね。」と僕の頭をいつの日かの母さんのように、優しく撫でてくれた。
その日から僕は彼のことを『父さん』と呼ぶようになった。
偽物だとはわかっていた。
そもそも僕は人間ではない。
彼らを管理する側の、神の造り者であって、『家族』になんて到底なれる筈がない。
それでも、母さんが優しく僕の名前を呼ぶその声を聞く度に、母さんに聞かせるために死の間際まで色々な場所を旅していた父さんの話を聞く度に、無性に胸が暖かくなるのだ。
カッコつけて私とか言ってるくせにたまに慌てて一人称が僕に戻ってしまう父さんも、父さんのストレートな惚気に照れて慌てる母さんも、全てが暖かい。
全てが笑顔に変換されていく。
偽物でもいい。
それでも、確かに僕達は__……
「管理番号ヲ-697!神の御意思に叛いた罪で拘束する!」
「待ってくれ!ロクナが何をしたって言うんだ!?」
「ロクナはちゃんと門番の仕事をしていたわ!」
身体を拘束する縄がかけられた途端に、力が入らなくなる。
ああ、これはまずいかもしれないな、と思いながらも何とか母さん達の方を見る。
「父さん。母さんの名前、呼んであげてね。」
来た時よりも薄れた父さんの顔が歪む。
そして僕の意識は暗転した。
神の造り者でありながら神の御意思に叛いた。
その罪はとても重いものだろう。
「ははっ……」
拘束されたまま投げ込まれた何も無い狭い部屋で笑いをこぼす。扉は鉄格子で、自分が罪人であるという現実を嫌という程伝えてくる。
不思議だ。
すごく不思議なんだ。
心がこんなにも軽いなんて。
これがきっと『後悔していない』っていうことなのだろう。
「おい、バカロクナ。なんでこんな事してたんだ。」
「先輩……」
いつの間にか格子の向こうに、僕が産まれた時にあった『ロクナ』という呼び名を与えた先輩が立っていた。
「お前わかってやってたんだろ?あの仏さんに自分の名前を教え続ければ、転生時期をずらすことになるって。いや、むしろ転生時期をずらす事が目的だったんだろ?」
「はい。」
間髪入れずに肯定すれば「清々しい顔して認めやがって……」と苦々しい顔で自身の後頭部を荒く掻いた先輩。
「お願いします。先輩。母さ……九条菫さんと、九条奏多さんの転生時期を揃えて欲しいんです。」
「おいおい……この期に及んでまだ神に叛く気か?」
「どうせ消滅処分を待つ身です。最期の願い、聞いて頂けませんか?神に進言するだけでいいんです。」
お願いしますと拘束されたまま、頭を下げる。
僕はいい。僕はどうなっても所詮は神の造り者だ。神の意思によって造られ、そして消されるだけの存在。
それでも、それでもただ、母さんと父さんには、次の生では一緒に笑いあって、歳をとって、共にその人生を歩いていって欲しい。それだけでいい。
今回の生で、叶わなかった分も2人が笑って過ごしてくれたのならそれでいいのだ。
「……本来なら、九条菫はもう転生の準備に入っている。まあ、だからこそ、今回のお前の件が明るみに出たんだが……お前が九条菫の転生を歪めた期間は約30年。お前の目論見通り、このまま行けばあと何十年かすれば九条菫と九条奏多はそれなりに近い年齢で転生できるだろうさ。」
その先輩の言葉に、僕は下げていた頭を上げた。
真っ直ぐ向けた視線の先にいる先輩は、気まずそうな顔をしながら「お前が九条奏多に余計なこと教えたせいだからな。」と更に言葉を続ける。
「……無理やり転生とかは……」
「できねーし、させねーよ。あんだけまだしっかり自分を覚えてるからな。」
ありがとうございます、と再び頭を下げれば、「お前のためじゃねーよ。」とぶっきらぼうな答えが返ってくる。
思えば、感情プログラムのバグが存在した僕に、一番最初に『心』を教えようとしてくれたのは先輩だけだった。
きっとぶっきらぼうに言いながらも、今回の件で目を瞑ってくれた部分も多いのだろう。
「ありがとうございます。先輩。」
僕は今、とても心が軽い。
無かったはずの心が、とても。
「……初めて見たお前の笑顔が、格子越しだなんてな。」
そんな先輩の声はどこか震えているような気がした。
****
それから、どれ程の月日が経ったのかはわからない。
たまに訪れる先輩から、母さんと父さんが無事に転生を迎えたことを知った。
そして今日は、
「……お前の処分が決まった。管理番号ヲ-697。『管理人』としての存在地位を剥奪。この世界に、お前の居場所はなくなった。」
僕の処刑の日だ。
「……どうして泣くんですか、先輩。」
「泣いてねぇよ、バカロクナ。」
「そうですか?でも凄い顔面が濡れてますけど。」
「これは雨のせいだ。」
「この世に天気なんて存在しないじゃないですか。」
そう、この世に天気なんて存在しない。
どこまでも澄んだ青が自分の上に広がっている。
久々に見た、外の光景だった。
「……ねぇ、先輩。」
「なんだよ。」
「最期まで、僕の処分を軽減しようと頑張って下さったんでしょう?ありがとうございます。」
「……やめろよ、俺は結局お前の『存在地位』を守れなかった。神に俺の声は届かなかった。」
「それでも、ありがとうございます。」
存在地位の剥奪。それは存在の消滅である。
神に与えられた、存在を許された地位を奪われるということは、神の造り者である僕達は存在できなくなるということ。
僕の死が、迫っているということだ。
「生まれてきてよかったです、僕。」
感情の無い、欠陥品の僕は上手く笑えていただろうか。
笑えていたのならいいな。
……ああ、全てが黒く、黒く染まっていく。
****
どこかで声が聞こえる。
暖かいそこで、誰かが「頑張れ」と言っている。
(行かなきゃ……)
声がする方へと。
あの暖かい光の元へと。
彼らの元へと。
「生まれましたよ!菫さん!」
誰かの「オギャア」と叫ぶような泣き声が聞こえる。
違う、これは『僕の声』だ。
僕の『産声』だ。
「産まれたよ!産まれたよ菫!」
「ええ……!ねぇ、奏多さんも、抱っこしてあげて……」
ねぇ、先輩。
先輩の声は確かに神に届いていたのかもしれないよ。
「ああ、やっと会えたわ……!」
「ああ、やっとだ。やっと会えたな、私たちの息子に。」
【そして僕らは家族になった】
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