人に恋した白い狐

奏穏朔良

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春物語

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その後、小春の怪我は治り、無事に山へと帰って行った。
「‥‥大和、これから町に行ってくるわ。薬湯、置いておくわね。」
「ああ、小百合。ありがとう。」
大和は日に日に弱っている。
(急がなくては‥‥)
農民にしてはよく、稼いだと思う。
だが、まだ足りない。もう少し、もう少しで薬が買える‥‥!

「そこの女ぁ。」
山道、明らかに怪しい男二人に話しかけられた。
(なんだろう?農民じゃないし、関わらない方が‥‥)
「おぉっと、なんだぁ?俺達が話しかけてやってんのに無視かよ?」
「きゃあっ!?」
突然肩を掴まれ、後ろの木に叩きつけられる。
(この人達、お酒臭い‥‥!相当、飲んでる。)

そのとき、カチャンッと懐から落ちた物が音を鳴らす。
「お?なんだぁ?金じゃねぇか。なあ、嬢ちゃん。まだ持ってんだろう?ほら、出せよ。」
「か、返してっ!」
手を伸ばすが、もう一人の男により突き飛ばされた。
「‥‥っ。」
腰に走る痛みにうめく。
「仕方ねぇ‥‥おい。」
「ああ、素直に出さねぇ方がわりぃ。」
「な、なにをっ‥‥!」
一人が小百合を押さえ、一人が懐を漁り始めた。
「離してっ!返してっ!私のよ!」
必死に暴れても動けない。
「よく見りゃあ可愛い顔してんじゃんか。」
「ひいっ‥‥!」
「おっ!やるか!?」
「は、離してっ!」
帯に手がかかる。
嫌だ。
掴まれている手も、触られている箇所全てが気持ち悪い。


「‥‥離せ‥‥」


「「ひぃぃっ!!」」

次に悲鳴を上げたのは男達だった。
「ば、化け物だっ!」
「妖怪だっ!!」

怒りを露にした狐程、恐ろしいものはない。
小百合の姿は妖怪呼ばわりされても可笑しくはない。

赤く光る目。
露になった狐の耳と尾。
男達は慌てて山を下っていった。
「‥‥っ、あぁっ‥‥」
小百合は声を押し殺し、泣いている。
押し倒された時に切った足が痛いからじゃない。
怖かったからでもない。

‥‥ああ、どうしよう!

「小百合ちゃん!?」
「み、三和子さん‥‥!」
「どうしたんだい!?あぁあ、こんなに着物着崩して。何があったの!?」
「うわあぁぁぁっ!」
「ちょっ‥‥!?小百合ちゃん!?」
三和子に抱きつき小百合は声を上げ泣いた。


‥‥あぁ、どうしよう‥‥!大和が死んでしまう‥‥!

三和子に支えられながら小百合は村に戻った。
そのまま、家に帰れず、三和子の家にあがった。
村長や近所の人が心配して声をかけにきたが小百合は反応を示さなかった。
小百合は口を開けば、泣きながら
「どうしよう‥‥!大和が‥‥大和が死んでしまう‥‥!」
と、言うばかりだ。
「小百合ちゃん‥‥あれだけの金額、また稼ぎ直すのは大変だけど、私も手伝うから、ね?いつまでも、泣いていないで、前を向きましょう?」
と、三和子がなだめる。
「‥‥」
小百合は無言で頷いたが、目はうつろだ。
その後、三和子に付き添われ、帰宅した。大和には、山道を踏み外し、枝で足を切ってしまった、と三和子が説明した。



「ねぇ、小百合ちゃんの所に毛皮なんて無いわよねぇ。」
次の日、町に布を売りに行こうとすると、三和子に呼び止められた。
「毛皮ですか?」
「ええ。白い毛皮。」
「無いです。でも、どうしてですか?」
「何でもね、あの薬屋の当主の内谷正時うちやまさときさんがね、ある令嬢に結婚を申し込んだんだって。でもねぇ、ほらぁ、内谷さんってあんなんじゃない。だから、その令嬢が『美しい白い狐の毛皮を一月以内に持ってくれば、考える』って言ったらしいの。白い狐なんて、冬にならないと居ないじゃない。今はまだ、初夏過ぎた頃でしょう?だから、内谷さんは白い毛皮を血眼になって探してるらしいの。もし、あれば大和君の薬と交換とか出来るんじゃないかと思って村のみんなに聞いてたのよ。やっぱり無理かねぇ?」
小百合は微笑んだ。
「三和子さん‥‥一緒に町に行って欲しいの‥‥」
「さ、小百合ちゃん‥‥?」









「貴様のような小汚ない娘が白い狐を連れてきただと?貴様は前から薬代は後で絶対に返すから薬をくれとか土下座までしていた娘じゃないか?」
まさか、本人がお出ましとは。
「‥‥ええ。白い狐は来ました。ですが、ただでは渡せません。前からお願いしている薬と交換です。」
小百合は民衆が集まるなか、堂々と答える。内谷は分厚い手を顎におきジロジロと品定めでもするかの様に小百合を眺める。
「本当に狐がいるのか?貴様はその小汚ない手には何も無いじゃないか。」
内谷は鼻で馬鹿にしたように笑った。
「先に薬を。そうすれば白い狐を見えるようにしましょう。」
小百合の言葉に民衆は口々に囁く。「まさか、妖魔を町に?」「騙しているんじゃないのか?」と小百合の耳にも届く。

「ならば先に狐をよこせ。」

「先に薬を。」

「先に狐だ!」

「先に薬を下さらなければ狐はお渡ししません!」


小百合はいい放つ。
その気迫に、内谷は情けない程に肩をビクリと震わせた。
「‥‥ちっ。おいっ。」
内谷は近くの男に顎で合図した。男はバタバタと慌ただしく店の奥に行き、薬の入った袋を片手に戻ってきた。
「四十日分だ。足りないとは言わせないぞ。さあ、早く狐を出せ。」
小百合は男から薬を受け取ると中を確認し、三和子に渡した。
「確かに。‥‥では、白い狐はあなたにお渡しいたします。」

「‥‥!」

その場にいた全員が息を飲んだ。

有り得ない光景が目の前で繰り広げられている。

人が獣へと変化する瞬間だ。

光輝く娘の体は徐々に小さくなり、尾が現れ、耳も現れ、眩い光が消えたとき、そこにいたのは白よりも白銀に近い、素晴らしく美しい狐だった。

白く美しい狐は後ろをちらりと見る。はっとして三和子が慌てて民衆の間を通り町をあとにした。


   白く美しい狐は『人』に捕らえられた。
   愛する『人』を助ける為に‥‥






(本当にこれでいいの‥‥?小百合ちゃんがあの時言ったことの意味はわかったけど‥‥)

小百合は山道で三和子に
「これからは何があっても驚かないこと。何があっても大和に薬を届けること。約束して。」
と言っていた。

(私は‥‥私はあなたを殺す為に白い狐の話をしたわけでは無いのに‥‥!)

もし、私があの話をしなければ。もし、私が町に行くのを止めていたなら。

(私はっ‥‥!私はなんて事をっ‥‥!)

三和子は罪悪感にさいなまれていた。
涙が止まらなくて溢れて零れて。
少しでも狐に変わった彼女を恐ろしいと思った自分を情けなく思った。

「私はっ‥‥!私はっ‥‥!」

村に続く山道を半分以上進んだ時、三和子は泣き崩れた。

「泣いて歩みを止めるくらいなら姉さんの所に戻りなさいよ。間に合わないとわかっていても。」

「だ、誰っ!?」
近くの木陰から現れた若い娘は狐のふさふさした尾を揺らしながら三和子に近づいた。
「私は小百合姉さんの妹、小春よ。姉さんは大和って人を助けたかったの。姉さんの願いを叶えてよ。姉さんはやっと幸せになれたんだから。」
「やっと‥‥?」
「姉さんは私達、狐の中でも異質だったの。狐は夏は夏毛に、冬は冬毛になる。それは人間も知ってるでしょ?」
こくんと三和子は頷いた。
「姉さんは夏毛が生えないの。年がら年中冬毛なの。だから、親に捨てられたの。私達姉妹も離れ離れになっちゃったの。わかる?生まれて一歳の子供が親に軽蔑された目で見られて捨てられた気持ちがわかる?」
「‥‥なんて残酷な‥‥」
「でも姉さんは大和っていう伴侶に出会えた。だから姉さんは狐の短い寿命でも幸せになれた。その姉さんの最期の願いを叶えてよ!‥‥ねえ!姉さんを幸せにした人助けてよ!諦めないでよ!」
「‥‥!」
ぽろぽろと涙をこぼす小春。
「わかった‥‥!絶対に‥‥絶対に届けるからっ‥‥!」
「‥‥ありがとう‥‥でも私が家まで届けてあげるよ。」
小春は巻物を取りだし、口の中でぼそぼそと何かを唱えた。次の瞬間、三和子は大和と小百合が暮らしていた家の庭に立っていた。かたんと音がして戸が開いた。

「‥‥あれ?三和子さん‥‥?」
「や、大和君っ‥‥!あ、あのこれ、さ、小百合ちゃんから‥‥」
「‥‥薬‥‥?」
手渡された袋を見つめる目がさっと陰った。
「‥‥小百合は‥‥?」
「‥‥」
黙り込む三和子に大和は言い募る。
「三和子さん!小百合は!?小百合はどうしたんですか!?」
「‥‥ごめんなさいっ‥‥!私っ‥‥!」


「姉さんなら死んだわ。」


「こ、小春さんっ‥‥!」

小春ともう二人、同じく尾を生やした者が立っていた。

「小百合の姉、小夜さよと申します。」

「小百合の弟、小浪こなみです。」

ぺこりと二人は頭を下げた。
「小百合の姉妹‥‥!?‥‥小百合が死んだってどういう‥‥?」
「小百合姉さんは狐だったの。薄々気づいてはいたんでしょう?私と小百合姉さんの会話も聞いてたみたいだし。」

「‥‥やっぱり君はあの時小百合が見つけた‥‥」
「そう。小百合姉さんは寿命が短かったの。狐だから。狐ってのはね、化ければ化けるだけ寿命が縮まるの。姉さんなんて常にだからもってあと半年くらいだったわね。」
「そんなっ‥‥!」
次に小夜が話始めた。
「その薬は小百合の最期の願いよ。飲まないで死のうなんて私達狐が許さないわ。」
小浪も頷き続けた
「姉さんは貴方が生き延びる事を望んだ。だから生きてもらわなくちゃ困る。」

言われた愛する者の死。

それが自らのためと知った。

胸の中は失った喪失感と何もしてやれなかった自分の無力さを悔やむ思いと全てがごちゃごちゃに混ざって涙が溢れた。





__小百合、ずっと愛している__‥‥






その、半年後。大和は狐達の看病もあり、すっかり健康になっていた。
だが
「‥‥なんのために‥‥」
今だ、愛する者を犠牲にしてしまったという思いに駆られていた。
「‥‥小百合っ‥‥」
生き延びたのに、一人しかいない家は余りにも広くて寂しくて‥‥

「すみませーん!」
「あ、はい!」
慌てて縁側から立ち上がり、玄関へと急ぐ。戸をあけるとがっしりとした大男と抱えられた赤子がいた。
「大和殿のお宅でありましょうか?」
「はい。大和は俺ですが。」
そう言うと大男は懐から文を二通取り出した。
「これは先々月、内谷に嫁がれた佳代かよ様の文にございます。もう1つ、これは小百合殿からの文にございます。」
「小百合から!?」
大和は男から半分奪うようにして文を受けとった。
本当なら小百合からの文を最初に読みたかったがお偉いさんの使者がいるのにそんな無礼は出来ない。


大和殿へ。この度は私の我が儘により大変申し訳ない事をしました。内谷に毛皮を剥ぐことを止めさせようとはしたのですが力及ばず間に合いませんでした。しかし、小百合殿から任された彼女だけは約束通り貴方に届けます。何か困ったことがあれば申し出てください。佳代の出来る限りの事はやります。これで許されるなどとは思っておりません。どうか恨んでください。本当に申し訳ありませんでした。


「‥‥彼女‥‥?」
「この子です。」
男は赤子にまかれた布を少しずらした。まだうっすらとしか生えていない頭には白い獣の耳がピクピクと動いていた。
「まさか‥‥」
男は深く頷いた。
「大和殿と小百合殿のお子様にございます。」
すっと出された赤子を大和は恐る恐る抱き上げる。ふと胸に熱いものが込み上げてきた。
「‥‥本当に申し訳ありませんでした。‥‥小百合殿をお助けする事が出来ず‥‥小百合殿は彼女を産むと同時に御亡くなりになりました‥‥」
男は深々と頭を下げた。
「頭を上げてください。確かに小百合は死んでしまったけれど‥‥彼女の生きていた証(子供)をちゃんと届けてくれた‥‥」

男は一度頭をあげ、また深々と頭を下げてから帰っていった。


大和へ。
勝手な事をしたと怒っているでしょうね。ご免なさい。私は狐だから貴方の傍にずっと居ることが出来ないの。だから貴方を守りたかった‥‥
私は今日、佳代様に頼んで貴方との子を産みます。多分半獣になると思います。我が儘を言って申し訳ないのだけれど子供の名は男の子なら小柄さがら、女の子なら小鈴こすずにしてください。狐の一族には『小』の字を名前につけるから。
最後に今までありがとう。親に捨てられ、人にも見放された私を愛してくれて‥‥ずっと愛しています__‥‥










「小百合‥‥小鈴はちゃんと育っているよ‥‥」

古い文から目を離し、遠くに居る少女に目を向けた。

「お父さーん!」

佳代からもらった鞠を大事そうに抱え走ってくる少女のゆれる黒髪の隙間から白い獣の耳が光りに当たり綺麗に輝いていた。
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