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冬物語
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狐とは人を嫌がるものである。
普通は人の匂いを嗅ぎつければその場から離れるだろう。
しかし、この白い狐は人間というものが面白くて仕方なかった。
何故、二本足で歩くのだろう。
何故、手と言うもので物が作れるのだろう。
何故、笑ったり泣いたり怒ったりするのだろう。
不思議で不思議で仕方なかった。
ある時、白い狐は小さな子供に化けた。女童に化けた狐は、近くの村の子供達と一緒に遊んだ。
毎日、毎日遊んだ。
そして、楽しさ、嬉しさを知った。
ある時、自分の本当の姿を知って欲しくなって、狐の姿のまま、村に下りた。
いつも仲良く遊んでいた子供達は叫び、石を投げてきた。いくつもいくつも石を投げ、いくら鳴いても気づいてくれなかった。
白い小さな体に幾つもの傷ができ、狐は逃げ出した。
そして泣いた。
小さな子狐にとっては、腹に当たった大きな石の事よりも、自分が認められなかったことに泣いた。
そして、雪が降り始めたある野で倒れた。
ある冬の物語
(‥‥あれ?)
白い狐が再び瞼を開けた時、真っ先に目に飛び込んだのは、人の家にある『いろり』とかいうやつだった。パチパチと音をだしながら赤々と燃える炎に、思わず毛を逆立てた。『しょうじ』とかいうやつが開いて、人が入ってきた時には掛かっていた布ごと後ろに飛び退いた。腹に鋭い痛みを感じ、足元がふらつき、倒れてしまった。それでも、近づいてくる少年に対して毛を逆立て続け、唸った。
「大丈夫。なにもしないからね。薬草を傷口に塗るだけだから。」
少年が手をこちらに伸ばしてきた。
カプリッと、
「‥‥っ!」
その指を力一杯噛んでやった。少年は顔をしかめたが、狐を殴ろうとも、振り放そうともしなかった。小さく笑って
「大丈夫。なにもしないから。」
と、そのまま指を噛ませていた。
なんだか悪い気がしてきて、流石に口を指から離した。
小さな赤い粒が点々と湧いて出た。一応、怪我をさせたのはこちらなので、止血のつもりでペロッと赤い粒を舐めた。少年はそれを見て嬉しそうに笑った。それは、白い狐にとって大好きな人の顔だった。
「傷口を見せてね。薬草を塗るから。」
腹に巻かれた布を取ると白い毛は赤い毛になっていた。いやな匂いの薬草を傷口に塗られると、しみて痛かった。
やがて手当てが終わると、少年は狐を抱き上げ、座布団の上にそっと乗せ、暖かい布を掛けてくれた。
なんだか、心まで温かくなった気がして、ぐっすり眠れた。
次の日、薬草のおかげが不思議なくらいに腹の痛みはひいていて、大分楽になった。
少年は暖かい煮物をくれた。最初は熱すぎて食べられなかったが、冷めてから食べると、味のしみた鳥肉とホクホクしている芋がおいしかった。時々、遊びに行ったときに子供が餅をくれることはあったが、こんな料理を食べたのは初めてだった。
人はこんなおいしいものを毎日食べているのだろうか。
昼になると少年は何かを籠に詰め、どこかへ出掛けていった。
『わらじ』とかいうやつとか『かさ』とかいうやつを売りに行くらしい。
やはり、人は見ていて飽きない。
夕方、少年は帰ってきた。
あまり、売れなかった、と苦笑しながら居間に上がった。
夕食が済むと、少年は色々話してくれた。
大和という名。両親が病でなくなったこと。好きな食べ物。好きなこと。とにかく、色々話してくれた。
こちらの事も話したかったが、人に化けて嫌われるのが怖かった。
囲炉裏の近くで大和の膝の上で丸くなるのが好きになった。
やはり、人は大好きだ。
笑う顔はもっと大好きだ。
春がもうすぐに訪れる頃、腹の傷が完治した。
なんだか嫌な予感がした。
予感は的中した。
大和は、雪の降らない日に外の林に狐を放し、さよなら、と言って、行ってしまった。
狐はまた、大和の所に戻りたかった。
実は、白い狐は年がら年中白かった。夏の茶色の毛が生えないのだ。
そのため、親狐は他の兄弟を連れて、去ってしまった。白い狐は孤児なのだ。行く宛がない。
狐はある事を思いついた。
春が近いとはいえ、雪の多いこの村なら後一回くらいは雪が降るだろう。その日に、人の姿で道に迷ったと言えば、しばらくは大和といれるかもしれない。
べつに一生傍に、などとは思わない。願わない。
もう少しだけ、もう少しだけ傍に居たいのだ。
狐は少し離れたそれなりの町に着物を買いに行った。
魚を売って手に入れたお金で十五、六歳の少女が着るような着物を買った。
小さな女童が若者の着物を買うもんだから、店の人に「誰に買うんだい?」と聞かれた。とっさに、「姉さんに贈るんだ。」と嘘をついた。
店主には怪訝そうな顔をされたがが、着物は無事に手に入った。
しかし問題が起きた。
待ちに待った雪は横殴りの吹雪だった。
この中を少女の姿で歩くのはかなり大変だろう。
さて、どうしたものか。
けれども、この機を逃したら、もう雪は降らないかも知れない。
白い狐は十五、六歳の少女に化け、着物を着て、林から歩き始めた。
(歩きにくい‥‥)
雪は深く積もり、足を踏み出すことすら苦労だ。そして、横殴りの風と雪は容赦なく、体を叩く。
やっとの思いで、大和の家についた。
かじかんだ手で戸を叩こうとしたら、かじかんだ足がカクンッと崩れ、手ではなく、体が戸にぶつかった。
戸が開いた。
「どうなさったのですか?」
懐かしい声が雪の中座り込む少女に尋ねた。
「‥‥この吹雪で、道がわからなくなってしまったのです。一晩でも、ここに居させては貰えませんか?」
「‥‥え、ええ。もちろん。」
大和は、少女を雪の中から立たせて、囲炉裏の前に座らせた。
「あ、あの‥‥お名前は‥‥」
「‥‥小百合と申します。」
これは正真正銘、白い狐の名だ。
「お、俺は大和っていいます!」
小百合は大和の様子がおかしいことに気付いた。頬は紅潮し、何だかそわそわしている。
(‥‥あまり、歓迎されていないのかな‥‥迷惑‥‥だよね。やっぱり‥‥)
小百合は俯いた。
「‥‥」
「‥‥」
しばらく、痛い程の沈黙が続いた。
「「あ、あの‥‥」」
二人の声がかぶり、再び沈黙が辺りを支配する。
「あ、あの‥‥ど、どこにお住まいなんですか‥‥」
大和が沈黙を破った。小百合は俯いた。そして、ぼそぼそと言った。
「その‥‥両親は幼い頃に‥‥亡くなって‥‥親戚の家を‥‥転々としていたのですが‥‥父が余り良い人ではなかったので‥‥私は‥‥やっかい払いされてしまって‥‥」
もちろん、小百合の用意した嘘だ。
「そ、それなら、この家に好きなだけいて下さい!俺もこの前流行り病で両親をなくしていて家の中がやけに広く感じていたので‥‥」
「ご迷惑では‥‥ありませんか‥‥?」
小百合が呟いた。
「ほ、本当にここに居ても良いのですか?ご、ご迷惑ではありませんか?」
「ぜ、全然迷惑じゃありませんっ!好きなだけいて下さい!」
小百合の顔が春に咲く桜のようにふんわりとした笑顔を見せた。
「有り難うございます!本当に有り難うございます!」
(大和ともう少し一緒にいれる!)
小百合は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
大和と小百合は春には畑を耕し、種をまき、収穫し、売りに行った。
二人の仲は一気に縮まり、周りからはあの二人は絶対に夫婦になると言われる程だ。
元々大和は村での中でも優しく、慕われていた。
小百合も大和が選んだ娘と言う感じで、すぐに村の人達と打ち解けた。
小百合にとって、とてつもなく、幸せな時間だった。
もう少し、もう少しと想い続け一年後、二人は村で小さな式を上げた。
二人は晴れて夫婦となり、夢かと思う程の幸せな時間が流れた。
更に一年後、小百合が体調を崩し始めた。めまい、吐き気、ふらつきなどが目立つようになり、床で休みがちになった。
「小百合?大丈夫かい?」
大和が粥を食べさせる。
「ええ。‥‥明日は少しくらいは手伝うわ。」
「駄目。ちゃんと休んで。その分、俺がちゃんと働くからさ。」
大和は微笑んだが、小百合は微笑めなかった。大和の手は傷だらけで、目の下には酷い隈が。
(私のせい‥‥)
貧しさのため、薬は買えず、めまいに効くという薬草も採ってきてはみたが、全く効かなかった。
「小百合が気にすることないよ。ね?俺、一生懸命働いてくるから、帰ってきたら、飛びきりの笑顔でいてね。」
「‥‥ふふ。はい、いってらっしゃい。」
小百合は微笑み見送った。
「大和‥‥遅いわ‥‥どうしたのかしら‥‥」
ふらつきつつも立ち上がり、障子を開けて、縁側から外に出て、畑の辺りに大和の姿を探す。
「や、大和っ!」
小百合が駆けつけた場所に大和は倒れていた。
血を吐いたのか、口の周りと襟元が赤く染まっている。
いや、赤じゃない。もっと黒に近い、危険な色。
「や、大和っ‥‥!お願いっ!目を開けて‥‥!いやっ!大和っ!」
どうしたらいいのかわからずに慌てる小百合。
一体いつから倒れていたのだろう!?今になって見つけるなんて!
死んでしまうのか?そんな疑問が胸をえぐるように突き刺さる。全身から血の気が引いていく。
嫌。
大和が死ぬなんて嫌。
「‥‥だ、誰か!誰か居ませんか!?お願い!薬師を!」
小さな村に小百合の声が虚しく響く。お願い!誰か気づいて!
「小百合ちゃん?どうかしたんかい?」
近くの家の三和子さんが小走りに近づいてくる。
「ひゃあっ!」
大和の姿の見て、情けない悲鳴を上げた。
「‥‥お願い!薬師を!」
小百合の声にハッとしたように走り出す。
幸い、この村には薬師がいた。もとは、旅の薬師で、あちこちの薬草を調べていたそうだが、村の若い娘に一目惚れしたらしく、今は旅はしていない。ちなみに、二十年程前の話。
「小百合ちゃん!薬師のじいちゃん、連れてきたよ!」
「血を吐いたんだって!?」
「や、大和は‥‥し、死んでしまうのですか‥‥!?」
口に出したら、涙が零れてきた。
「まだ、間に合うかもしれん。しかし、それなりの値がする薬じゃなきゃ、効かん。町にならあるかもしれんが、とても、農民に買える代物じゃあないな。」
「そ、そんなっ‥‥!」
「薬湯は用意するが期待はできんぞ。」
「‥‥」
もう、目の前が真っ暗だ。
私も、山に効く薬草がないのは知ってる。
しかも、町で薬屋で名高いのは『内谷』の店だ。そこならあるかも知れないが、あの店は農民なんかには薬を売ってはくれない。高い客への商売を基本にしているからだ。値段は高額で、とても農民に手が出せるような代物ではない。小百合は、それでも、諦めなかった。
大和を家に運んでもらい、床に寝かせた。大和は先程よりは安らかな寝顔をしている。
「絶対に助けるから‥‥」
家族に捨てられ、人にも捨てられた私に生きる意味を与えてくれた‥‥、絶対に死なせない。
森に行き狐の姿になり、魚や鳥、珍しい花や実等を集め、町に行って売り回った。
夜には、機を織り続けた。そして、それも売りに行った。
昼は畑を耕し、夕方には狩りに出掛け、夜は機を織り、朝にはそれらを売りに行く。小さな村では、小百合は何時、寝ているのだろうと噂された。
「小百合‥‥少し休んだらどうだい?」
大和は小百合の手に自分の手を重ねた。粥の入ったお椀を持つ右腕は傷だらけで、痛々しい。大和は帰ってくる度、怪我をしている小百合を見るのが辛かった。
「大和は心配しないで。後、少しだから。もう少しで薬買えるから。」
小百合は疲れきった顔で微笑む。
しばらく、他愛もない話をしていると、外からトサリと小さな物音がした。
「何かしら?」
小百合が縁側から庭を覗くと一匹の狐が倒れている。
「あれは‥‥!」
「どうしたんだい?」
「えっ‥‥!?あ、狐が倒れていて‥‥」
小百合は庭に出る。近づくと、毛を逆立てる狐に小百合は静かに呟いた。
「‥‥久しぶりね。小春。私よ。小百合。」
小春はその丸い目を更に丸くする。
「あ、無理しないで、今手当てするから。」
小春は静かに小百合に抱かれ、家に入った。大和は小春を見て、弱々しいが、確かに微笑んだ。
「懐かしいな。昔、怪我をした狐を手当てしたことあるんだ。それは綺麗な毛並みでね。元気にしているかな?」
小百合は慌てて答える。
「そ、そう‥‥きっと、立派な狐になっているのでしょうね。」
小春に薬草をつけると、昔の私みたいに顔をしかめた。本当に、懐かしい。
「ゴホッゴホッ。‥‥すまない。小百合、少し横になるよ。」
「大丈夫‥‥?」
「大丈夫だから、その子、ちゃんと手当てしてあげて。」
大和は優しく言った。
「はい。」
小百合は小春を隣の部屋に連れて行った。
「‥‥どうしたの?こんな傷まで‥‥」
いくら、大和が寝ているとはいえ、聞かれては困るため、小声でたずねた。
「それはこっちが言いたいわ。小百合姉さん。何故、人間なんかと?」
普通の人にはただ、狐が鳴いているようにしか見えない。しかし、小百合は狐だ。
「狐として、生きるには目立ち過ぎるから‥‥」
小百合は言葉を濁した。
「小百合姉さんの白い毛、私は大好きなのに。」
小春は言う。小百合は微笑み、小春の頭を撫でた。
「ありがとう。‥‥でも、私は大和を愛しているから‥‥今更、普通の狐には戻れないわ。」
「‥‥小百合姉さんは母さんや父さんのこと、恨んでる?」
小百合は首をふった。
「いいえ。そのおかげで生涯の伴侶に巡り会えたのよ?何を恨めというの?」
小春は顔をしかめた。
「人間が生涯の伴侶だなんて‥‥」
「小春。私は今、人間よ?」
「うっ‥‥」
小春はそれ以上、言えなかった。
「それで?何でこんな怪我をしたの?」
「‥‥犬に追いかけられたの。」
「‥‥!よく、無事だったわね。良かった。倒れた家に私が居て。」
「全くよ。神様に感謝しなくちゃ。」
二人は笑った。
幼きころに失ってしまった家族の時間を埋めるように‥‥
普通は人の匂いを嗅ぎつければその場から離れるだろう。
しかし、この白い狐は人間というものが面白くて仕方なかった。
何故、二本足で歩くのだろう。
何故、手と言うもので物が作れるのだろう。
何故、笑ったり泣いたり怒ったりするのだろう。
不思議で不思議で仕方なかった。
ある時、白い狐は小さな子供に化けた。女童に化けた狐は、近くの村の子供達と一緒に遊んだ。
毎日、毎日遊んだ。
そして、楽しさ、嬉しさを知った。
ある時、自分の本当の姿を知って欲しくなって、狐の姿のまま、村に下りた。
いつも仲良く遊んでいた子供達は叫び、石を投げてきた。いくつもいくつも石を投げ、いくら鳴いても気づいてくれなかった。
白い小さな体に幾つもの傷ができ、狐は逃げ出した。
そして泣いた。
小さな子狐にとっては、腹に当たった大きな石の事よりも、自分が認められなかったことに泣いた。
そして、雪が降り始めたある野で倒れた。
ある冬の物語
(‥‥あれ?)
白い狐が再び瞼を開けた時、真っ先に目に飛び込んだのは、人の家にある『いろり』とかいうやつだった。パチパチと音をだしながら赤々と燃える炎に、思わず毛を逆立てた。『しょうじ』とかいうやつが開いて、人が入ってきた時には掛かっていた布ごと後ろに飛び退いた。腹に鋭い痛みを感じ、足元がふらつき、倒れてしまった。それでも、近づいてくる少年に対して毛を逆立て続け、唸った。
「大丈夫。なにもしないからね。薬草を傷口に塗るだけだから。」
少年が手をこちらに伸ばしてきた。
カプリッと、
「‥‥っ!」
その指を力一杯噛んでやった。少年は顔をしかめたが、狐を殴ろうとも、振り放そうともしなかった。小さく笑って
「大丈夫。なにもしないから。」
と、そのまま指を噛ませていた。
なんだか悪い気がしてきて、流石に口を指から離した。
小さな赤い粒が点々と湧いて出た。一応、怪我をさせたのはこちらなので、止血のつもりでペロッと赤い粒を舐めた。少年はそれを見て嬉しそうに笑った。それは、白い狐にとって大好きな人の顔だった。
「傷口を見せてね。薬草を塗るから。」
腹に巻かれた布を取ると白い毛は赤い毛になっていた。いやな匂いの薬草を傷口に塗られると、しみて痛かった。
やがて手当てが終わると、少年は狐を抱き上げ、座布団の上にそっと乗せ、暖かい布を掛けてくれた。
なんだか、心まで温かくなった気がして、ぐっすり眠れた。
次の日、薬草のおかげが不思議なくらいに腹の痛みはひいていて、大分楽になった。
少年は暖かい煮物をくれた。最初は熱すぎて食べられなかったが、冷めてから食べると、味のしみた鳥肉とホクホクしている芋がおいしかった。時々、遊びに行ったときに子供が餅をくれることはあったが、こんな料理を食べたのは初めてだった。
人はこんなおいしいものを毎日食べているのだろうか。
昼になると少年は何かを籠に詰め、どこかへ出掛けていった。
『わらじ』とかいうやつとか『かさ』とかいうやつを売りに行くらしい。
やはり、人は見ていて飽きない。
夕方、少年は帰ってきた。
あまり、売れなかった、と苦笑しながら居間に上がった。
夕食が済むと、少年は色々話してくれた。
大和という名。両親が病でなくなったこと。好きな食べ物。好きなこと。とにかく、色々話してくれた。
こちらの事も話したかったが、人に化けて嫌われるのが怖かった。
囲炉裏の近くで大和の膝の上で丸くなるのが好きになった。
やはり、人は大好きだ。
笑う顔はもっと大好きだ。
春がもうすぐに訪れる頃、腹の傷が完治した。
なんだか嫌な予感がした。
予感は的中した。
大和は、雪の降らない日に外の林に狐を放し、さよなら、と言って、行ってしまった。
狐はまた、大和の所に戻りたかった。
実は、白い狐は年がら年中白かった。夏の茶色の毛が生えないのだ。
そのため、親狐は他の兄弟を連れて、去ってしまった。白い狐は孤児なのだ。行く宛がない。
狐はある事を思いついた。
春が近いとはいえ、雪の多いこの村なら後一回くらいは雪が降るだろう。その日に、人の姿で道に迷ったと言えば、しばらくは大和といれるかもしれない。
べつに一生傍に、などとは思わない。願わない。
もう少しだけ、もう少しだけ傍に居たいのだ。
狐は少し離れたそれなりの町に着物を買いに行った。
魚を売って手に入れたお金で十五、六歳の少女が着るような着物を買った。
小さな女童が若者の着物を買うもんだから、店の人に「誰に買うんだい?」と聞かれた。とっさに、「姉さんに贈るんだ。」と嘘をついた。
店主には怪訝そうな顔をされたがが、着物は無事に手に入った。
しかし問題が起きた。
待ちに待った雪は横殴りの吹雪だった。
この中を少女の姿で歩くのはかなり大変だろう。
さて、どうしたものか。
けれども、この機を逃したら、もう雪は降らないかも知れない。
白い狐は十五、六歳の少女に化け、着物を着て、林から歩き始めた。
(歩きにくい‥‥)
雪は深く積もり、足を踏み出すことすら苦労だ。そして、横殴りの風と雪は容赦なく、体を叩く。
やっとの思いで、大和の家についた。
かじかんだ手で戸を叩こうとしたら、かじかんだ足がカクンッと崩れ、手ではなく、体が戸にぶつかった。
戸が開いた。
「どうなさったのですか?」
懐かしい声が雪の中座り込む少女に尋ねた。
「‥‥この吹雪で、道がわからなくなってしまったのです。一晩でも、ここに居させては貰えませんか?」
「‥‥え、ええ。もちろん。」
大和は、少女を雪の中から立たせて、囲炉裏の前に座らせた。
「あ、あの‥‥お名前は‥‥」
「‥‥小百合と申します。」
これは正真正銘、白い狐の名だ。
「お、俺は大和っていいます!」
小百合は大和の様子がおかしいことに気付いた。頬は紅潮し、何だかそわそわしている。
(‥‥あまり、歓迎されていないのかな‥‥迷惑‥‥だよね。やっぱり‥‥)
小百合は俯いた。
「‥‥」
「‥‥」
しばらく、痛い程の沈黙が続いた。
「「あ、あの‥‥」」
二人の声がかぶり、再び沈黙が辺りを支配する。
「あ、あの‥‥ど、どこにお住まいなんですか‥‥」
大和が沈黙を破った。小百合は俯いた。そして、ぼそぼそと言った。
「その‥‥両親は幼い頃に‥‥亡くなって‥‥親戚の家を‥‥転々としていたのですが‥‥父が余り良い人ではなかったので‥‥私は‥‥やっかい払いされてしまって‥‥」
もちろん、小百合の用意した嘘だ。
「そ、それなら、この家に好きなだけいて下さい!俺もこの前流行り病で両親をなくしていて家の中がやけに広く感じていたので‥‥」
「ご迷惑では‥‥ありませんか‥‥?」
小百合が呟いた。
「ほ、本当にここに居ても良いのですか?ご、ご迷惑ではありませんか?」
「ぜ、全然迷惑じゃありませんっ!好きなだけいて下さい!」
小百合の顔が春に咲く桜のようにふんわりとした笑顔を見せた。
「有り難うございます!本当に有り難うございます!」
(大和ともう少し一緒にいれる!)
小百合は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
大和と小百合は春には畑を耕し、種をまき、収穫し、売りに行った。
二人の仲は一気に縮まり、周りからはあの二人は絶対に夫婦になると言われる程だ。
元々大和は村での中でも優しく、慕われていた。
小百合も大和が選んだ娘と言う感じで、すぐに村の人達と打ち解けた。
小百合にとって、とてつもなく、幸せな時間だった。
もう少し、もう少しと想い続け一年後、二人は村で小さな式を上げた。
二人は晴れて夫婦となり、夢かと思う程の幸せな時間が流れた。
更に一年後、小百合が体調を崩し始めた。めまい、吐き気、ふらつきなどが目立つようになり、床で休みがちになった。
「小百合?大丈夫かい?」
大和が粥を食べさせる。
「ええ。‥‥明日は少しくらいは手伝うわ。」
「駄目。ちゃんと休んで。その分、俺がちゃんと働くからさ。」
大和は微笑んだが、小百合は微笑めなかった。大和の手は傷だらけで、目の下には酷い隈が。
(私のせい‥‥)
貧しさのため、薬は買えず、めまいに効くという薬草も採ってきてはみたが、全く効かなかった。
「小百合が気にすることないよ。ね?俺、一生懸命働いてくるから、帰ってきたら、飛びきりの笑顔でいてね。」
「‥‥ふふ。はい、いってらっしゃい。」
小百合は微笑み見送った。
「大和‥‥遅いわ‥‥どうしたのかしら‥‥」
ふらつきつつも立ち上がり、障子を開けて、縁側から外に出て、畑の辺りに大和の姿を探す。
「や、大和っ!」
小百合が駆けつけた場所に大和は倒れていた。
血を吐いたのか、口の周りと襟元が赤く染まっている。
いや、赤じゃない。もっと黒に近い、危険な色。
「や、大和っ‥‥!お願いっ!目を開けて‥‥!いやっ!大和っ!」
どうしたらいいのかわからずに慌てる小百合。
一体いつから倒れていたのだろう!?今になって見つけるなんて!
死んでしまうのか?そんな疑問が胸をえぐるように突き刺さる。全身から血の気が引いていく。
嫌。
大和が死ぬなんて嫌。
「‥‥だ、誰か!誰か居ませんか!?お願い!薬師を!」
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「小百合ちゃん?どうかしたんかい?」
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「ひゃあっ!」
大和の姿の見て、情けない悲鳴を上げた。
「‥‥お願い!薬師を!」
小百合の声にハッとしたように走り出す。
幸い、この村には薬師がいた。もとは、旅の薬師で、あちこちの薬草を調べていたそうだが、村の若い娘に一目惚れしたらしく、今は旅はしていない。ちなみに、二十年程前の話。
「小百合ちゃん!薬師のじいちゃん、連れてきたよ!」
「血を吐いたんだって!?」
「や、大和は‥‥し、死んでしまうのですか‥‥!?」
口に出したら、涙が零れてきた。
「まだ、間に合うかもしれん。しかし、それなりの値がする薬じゃなきゃ、効かん。町にならあるかもしれんが、とても、農民に買える代物じゃあないな。」
「そ、そんなっ‥‥!」
「薬湯は用意するが期待はできんぞ。」
「‥‥」
もう、目の前が真っ暗だ。
私も、山に効く薬草がないのは知ってる。
しかも、町で薬屋で名高いのは『内谷』の店だ。そこならあるかも知れないが、あの店は農民なんかには薬を売ってはくれない。高い客への商売を基本にしているからだ。値段は高額で、とても農民に手が出せるような代物ではない。小百合は、それでも、諦めなかった。
大和を家に運んでもらい、床に寝かせた。大和は先程よりは安らかな寝顔をしている。
「絶対に助けるから‥‥」
家族に捨てられ、人にも捨てられた私に生きる意味を与えてくれた‥‥、絶対に死なせない。
森に行き狐の姿になり、魚や鳥、珍しい花や実等を集め、町に行って売り回った。
夜には、機を織り続けた。そして、それも売りに行った。
昼は畑を耕し、夕方には狩りに出掛け、夜は機を織り、朝にはそれらを売りに行く。小さな村では、小百合は何時、寝ているのだろうと噂された。
「小百合‥‥少し休んだらどうだい?」
大和は小百合の手に自分の手を重ねた。粥の入ったお椀を持つ右腕は傷だらけで、痛々しい。大和は帰ってくる度、怪我をしている小百合を見るのが辛かった。
「大和は心配しないで。後、少しだから。もう少しで薬買えるから。」
小百合は疲れきった顔で微笑む。
しばらく、他愛もない話をしていると、外からトサリと小さな物音がした。
「何かしら?」
小百合が縁側から庭を覗くと一匹の狐が倒れている。
「あれは‥‥!」
「どうしたんだい?」
「えっ‥‥!?あ、狐が倒れていて‥‥」
小百合は庭に出る。近づくと、毛を逆立てる狐に小百合は静かに呟いた。
「‥‥久しぶりね。小春。私よ。小百合。」
小春はその丸い目を更に丸くする。
「あ、無理しないで、今手当てするから。」
小春は静かに小百合に抱かれ、家に入った。大和は小春を見て、弱々しいが、確かに微笑んだ。
「懐かしいな。昔、怪我をした狐を手当てしたことあるんだ。それは綺麗な毛並みでね。元気にしているかな?」
小百合は慌てて答える。
「そ、そう‥‥きっと、立派な狐になっているのでしょうね。」
小春に薬草をつけると、昔の私みたいに顔をしかめた。本当に、懐かしい。
「ゴホッゴホッ。‥‥すまない。小百合、少し横になるよ。」
「大丈夫‥‥?」
「大丈夫だから、その子、ちゃんと手当てしてあげて。」
大和は優しく言った。
「はい。」
小百合は小春を隣の部屋に連れて行った。
「‥‥どうしたの?こんな傷まで‥‥」
いくら、大和が寝ているとはいえ、聞かれては困るため、小声でたずねた。
「それはこっちが言いたいわ。小百合姉さん。何故、人間なんかと?」
普通の人にはただ、狐が鳴いているようにしか見えない。しかし、小百合は狐だ。
「狐として、生きるには目立ち過ぎるから‥‥」
小百合は言葉を濁した。
「小百合姉さんの白い毛、私は大好きなのに。」
小春は言う。小百合は微笑み、小春の頭を撫でた。
「ありがとう。‥‥でも、私は大和を愛しているから‥‥今更、普通の狐には戻れないわ。」
「‥‥小百合姉さんは母さんや父さんのこと、恨んでる?」
小百合は首をふった。
「いいえ。そのおかげで生涯の伴侶に巡り会えたのよ?何を恨めというの?」
小春は顔をしかめた。
「人間が生涯の伴侶だなんて‥‥」
「小春。私は今、人間よ?」
「うっ‥‥」
小春はそれ以上、言えなかった。
「それで?何でこんな怪我をしたの?」
「‥‥犬に追いかけられたの。」
「‥‥!よく、無事だったわね。良かった。倒れた家に私が居て。」
「全くよ。神様に感謝しなくちゃ。」
二人は笑った。
幼きころに失ってしまった家族の時間を埋めるように‥‥
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