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序
しおりを挟む雨が、降っていた。鉛のように冷たく、重ったるい雨だ。砂埃を泥濘に変える、鬱陶しい雨だった。
水の染みた鼓膜に、誰かの叫び声がびりびりと響く。仲間の声だったか、それとも別の誰かのものだったか。分からないが、それは喉笛が引き千切れるのではないかと感じてしまう程の絶叫であった。だがその叫びは、同時に発生した地を揺るがす轟音に掻き消されてしまった。
気付いた時には、狭い視界が揺れる曇天を映し出していた。幾重もの明瞭な線を描き垂れ落ちるものは、やはり雨であった。
素肌に打ち付ける雨音が、一枚の薄板を隔てた向こう側から聞こえる。そんな不思議な心地が少年の思考を柔らかく包んでいた。痛みが拡がってゆき、心臓がまるで右脚に移動してしまったと錯覚する程の鼓動の轟き。それはなんだか、くすりと笑える事のようにも思われた。
だがぼやける視線の中で冷え切った身体から流れ出した真紅の色が濁流のような泥水に融けてゆく様を眺め、確かに少年は死を身近に感じた。それは失血による死でも、傷口が破傷風を引き起こして至る死でもない。向けられた銃口の無機質が額を通り抜け脳に染み入り、撃鉄が起こされ躊躇も無く軽い引鉄が引かれ訪れる、瞬間的な死だった。例え手の付けようもない程に燃え盛っていた業火でも、風前の灯火だったとしても、彼等の死は瞬きさえ追い付かぬ一瞬のことだ。
それでも彼は酷く死を畏れていた。彼だけではない。ここにいる誰もが、死を病的に畏れ、折れた骨さえも隠し作業に戻ろうと足掻く。
命ある事が希望に満ちているからではない。延々と続いてゆく作業に、何かしらの僅かな愉しみがあるからでもない。寧ろ常軌を逸した精神状態でなければ、死こそが希望である筈だ。それでも彼等は死を畏れ、生への渇望のみに突き動かされて命を守る。それが、彼等〝奴隷〟と言う生き物なのである。少年は誰に教えられるでもなく、従順にその習性をなぞった。
激しい雨音に混じる奴隷や監督官の喧騒に意識を取り戻すと、少年は激痛を押し留めて立ち上がった。ここでこのまま立ち上がれなければ、二度と作業場に戻る事は出来ないのだから。このまま何事も無かったかのように、作業に戻らなければ。いや──生きなければ。
その閃光に照り出された彼の脳裏に、ふと不可思議な一文が浮かんだ。それは数週間前に監督官の男が少年に読み聞かせた小説の中の一文であった。彼はまるで意味の分からないその言葉を、取り敢えずにも脳に取り置いていたのだ。
何故気まぐれな監督官の暇潰しに読まれた小説なんぞに気を取られたのか。その理由は分からないが、少年は心の内で、何度も何度もその言葉を繰り返し、そしてその度に問うた。一体愛とは、何なのだろうか。
繁栄の起源が愛だと言うのならば、頽廃の濫觴もまた然り。人々は愛の為に生きる活力を漲らせ、また愛の為に死への根拠無き恐怖を乗り越えるのだ──。
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