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『Underground rabbiT』
序章
しおりを挟む心臓の音が嫌に耳に付く。誰かこの状況を、夢だと言ってくれないだろうか────。
高層マンションの一室。目の前の椅子に長い足を組んで座る男は、顔面蒼白な俺を前に眉一つ動かさない。
「別に、君が拒否するならばそれでも良い。ただ──」
そこ迄言うと、男は手元にあった数枚の紙に視線を走らせた。何が書いてあるかなんてもう、今の俺にはどうでも良かった。どうせ俺にとっては悪夢みたいな事が無機質に書かれてあるだけだ。存分にタメを作った後に、男は深い溜息を吐いた。
「借金は減らないし、何より俺は武志さんから頼まれたからねえ」
武志──それは俺の父親の名前の筈だ。
「冬弥君、どうする?」
男は馴れ馴れしく俺の名前を呼んだ後、冷たい瞳を投げ掛けた。いや、馴れ馴れしいと言うのも語弊がある。この男と俺は元々面識があったのだから。だがいくら顔見知りと言えど、この男の要求を飲めばとんでもない事になる。そんな事は分かり切っていた。けれど──。
「……俺に、選択肢はある?」
絞り出した声は、心なしか震えている気がした。全身から血の気が引いていて、それなのに何故か噴き出した汗がジッとりと纏わり付き気持ちが悪い。吐きたい。
「ないね。まあ焦らなくても良いよ。一週間時間をあげるから、身辺の整理をしなさい」
男は流れるような動作で立ち上がると俺の荷物に、上着にと手際良く準備を始めた。とっとと出ていけって事なのだろうけど、冗談じゃない。今立ったら多分、いや確実に倒れる。
中々立ち上がらない俺に気付くと、男は腰を屈めて覗き込んで来た。切れ長の黒い瞳の中に、この一時間で随分と窶れた顔が映し出される。男の長い指先が、顔にかかる前髪を掬い上げた。
「可哀想に」
そんな心ない言葉に、我慢出来ず涙が溢れた。壊れてしまったんじゃないかって自分で心配になる位、俺は子供みたいに嗚咽を漏らして泣いた。
俺はその日、実の父親に売られた。
景色が飛ぶように流れて行く。涙で滲んだネオン街が光の尾を引いて、まるで全てが夢であると錯覚させた。防臭剤の匂いに包まれ、深く沈んだ車のシートの上で身動ぎ一つしない俺に、ミラー越しチラチラと視線を飛ばすタクシーの運転手。そりゃそうだ。こんなどうみても未成年が、生意気にも軽く一万はかかる場所を指定したんだ。金ならある。だからどうか、少し放っておいてくれ。この現実を受け入れる事が出来る迄。
ふと東京タワーが放つアンバーの光が目の裏を突いた。この涙は一体、何なのだろう。悲しみとか、怒りとか、切なさとか。そんな物じゃ無い気がした。虚しい──それが一番しっくりくる答えだ。心の中には何も無い。弱い冷房の風すら、その空っぽの空洞を平気で通り抜けて行く。何も無い筈なのに、何故か、涙が止まらなかった。
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